14.
セラが週に三度来るようになって、ひと月が経った。
最初は軽傷者の対応だけだったが、今では問診を一人でこなし、記録をつけ、処方薬の受け渡しまでやっている。ノートには細かい字で、トーコが説明したことが全部書いてあった。
今日は後輩を連れてきた。
「ここを見せたくて……トーコ先生。ダメでしたか」
「構いません」
後輩は十六か七くらいだろうか。銀の治癒師紋が手の甲に見えている。丸い頬で、緊張した様子でトーコを見ていた。
「ミラといいます。よろしくお願いします」
「トーコです。はじめまして」
トーコは診察室に二人を通した。
◇
午前の診察が始まると、ミラはセラの隣に立ち、全てを目で追っていた。
血液検査の手順。魔力視での確認。問診の取り方。説明の仕方。
患者が帰るたびに、小声でセラに聞いていた。
「なんで血を調べるんですか」「あの色の違いは何を意味しているんですか」「先生は今、何を見ていたんですか」
セラが丁寧に答えていた。三ヶ月前の自分が言われたことを、今度は自分が説明している。
ミリアがお茶を持ってきながら、トーコに小声で言った。
「なんか、増えましたね」
「そうですね」
「先生、嬉しそう」
「そんなことはありません」
「目が少し、柔らかいですよ」
トーコは答えなかった。
◇
昼前、見慣れない夫婦が来た。
三十代の男と、大きなお腹を抱えた女性だ。女性は体格がよく、顔色もいい。初産ではなさそうだ。
「先生に診てほしくて。前の二人は治癒魔法で産んだんですが、今回はどうも様子が違くて」
「いつ頃から」
「三月ほど前から、動きがおかしいというか」
トーコは女性に診察台に横になってもらい、魔力視を開いた。
腹部の奥、胎児の位置を確認する。
彼女は他者の魔力が見える。体内には別の人間、すなわち赤子の魔力を見るのだ。
——逆子だ。
頭が上にある。このままでは産道に足が先に来る。正常分娩では、まず出てこない。無理に引き出そうとすれば、母子どちらかに重篤な損傷が出る。
「帝王切開が必要です」
夫の顔が変わった。
「……なんですか、それは」
「お腹を切って、赤ちゃんを取り出す処置です。赤ちゃんの向きが逆になっていて、このままでは産道から出てこられません」
女性が、夫の手を握った。
「お腹を……切る」
「はい。適切に処置すれば、お二人とも助かります」
夫が立ち上がった。
「そんなことをして、妻が死んだらどうするんだ」
「死なせません」
「保証できるのか」
「全力を尽くします。腹を切る処置は、私が前世で何度もやってきました。安全に行えます」
「前世……?」
「私には、別の世界での記憶があります。その世界では、この処置で何千何万という命が助かっています」
夫の目に、不信の色が濃くなった。
「つまり、魔法でもないし、神の奇跡でもない。ただの……刃物で腹を切ると、そういうことか」
「そうです」
「そんなものを、妻に受けさせられない!」
「しかしこのままでは」
「聖女様に診てもらう。神の奇跡なら、赤ちゃんの向きだって直せるはずだ」
女性が、少し不安そうにトーコを見た。
「……先生、向きは、魔法では直せないんですか」
「向きを無理に変えようとすれば、へその緒が絡まる危険があります。今の時期では、難しい」
「先生。あんた、妻も子供も殺す気でしょう」
夫が低く言った。
「名前も知れない、紋もない女が、妻の腹に刃物を入れる。そんなことを許すわけがない」
「……そのような意図はありません」
「もういい。行くぞ!」
女性が夫に促されながら、立ち上がった。出ていく前に、一度だけトーコを振り返った。
その目に、何かが揺れていた。
扉が閉まった。
ミラが、固まっていた。
セラが、唇を噛んでいた。
トーコは静かに、カルテに記録をつけた。
◇
「……先生、いいんですか」
ミラが、小さな声で言った。
「仕方ありません」
「でも、赤ちゃんが」
「信じてもらえなければ、処置できません」
トーコはカルテを閉じた。
「信じてもらえるまで、言葉を尽くすしかない。それでも聞いてもらえなければ、待つしかない」
「待つって……」
「来てくれれば、やります」
ミリアが「先生」と小声で言った。
「何ですか」
「……何でもないです」
午後の診察が始まった。
◇
夜が深くなった。
セラとミラは帰っていた。ガルドも戻った。
ミリアだけが、治療院に残っていた。
トーコが「帰っていいですよ」と言っても、「もう少し記録の整理をします」と言って動かなかった。
トーコは奥の部屋で、道具の準備をしていた。
縫合針、縫合糸、麻酔薬、消毒薬。帝王切開に必要なものを、一つずつ確認しながら並べていく。
使わなければ、それでいい。
しかし使う必要が出たとき、間に合わなければいけない。
シルフィが傍で、じっとしていた。
魔力視に映るのは、静かな翠の光だ。
——待っている、という色だった。
◇
深夜を過ぎた頃、戸を叩く音がした。
あの夫だった。顔が、昼間とは別人のように青ざめていた。
「妻が……陣痛が始まって、でも赤ちゃんが出てこなくて……協会の聖女様に診ていただいたんですが、魔法をかけても向きが変わらなくて、もう……」
声が震えていた。
「妻を、助けてください!」
トーコは道具箱を手に取った。
「わかりました。案内してください」
◇
女性は宿の一室に横たわっていた。
陣痛が来るたびに、体が強張る。顔に脂汗が滲んでいる。しかし赤ちゃんは出てこない。足が先に来て、産道で詰まっている。
トーコが魔力視で確認した。
母体の消耗が始まっていた。時間がない。
「これから処置します。麻酔をかけます。眠っている間に終わります」
女性が、荒い息の合間に言った。
「……先生、お願いします」
夫が、壁際で立っていた。何も言わなかった。
シルフィが部屋に結界を張った。
ミリアが助手に入る。道具を並べ、麻酔薬を準備する。
女性が眠りに落ちた。
トーコは器具を取った。
迷わなかった。
◇
処置が終わったのは、それから一刻後だった。
赤ちゃんの産声が、部屋に響いた。
夫が、崩れるように膝をついた。
「……泣いた。泣いてる」
「元気な男の子です」
トーコが赤ちゃんを夫の腕に渡した。小さな顔が、しわしわで赤い。
「妻は?」
「処置は無事終わりました。しばらく安静が必要ですが、動けます」
夫が、赤ちゃんを抱いたまま、頭を下げた。
「昼間は……失礼なことを言いました」
「構いません」
「構わないはずがない。私が、私のせいで……妻が死んでいたかもしれない」
「無事でしたから、いいんです」
夫が、涙をこぼしながら赤ちゃんを見ていた。
ミリアが、こっそり目元を押さえていた。
◇
治療院に戻ったのは、夜明け前だった。
道具を洗い、器具を片付ける。
しばらくして、セラが来た。いつもの時間より早い。
「先生、顔色が……昨夜は」
「少し仕事がありました」
「昨日の妊婦さんですか」
トーコが頷くと、セラが息を呑んだ。
「無事でしたか」
「無事でした。元気な男の子でした」
セラが、胸に手を当てた。
そこにミラが飛び込んできた。
「先生、昨夜の方が……! 無事だったって聞いて……!」
「よく聞きましたね」
「宿場の人が話していて……先生が夜通し待機していたって、ミリアさんが言っていました」
ミリアが「あ」と言った。
「トーコ様……バラしてしまいました」
「別にいいです」
ミラが、まっすぐトーコを見た。
「先生は……来るとわかっていたんですか。だから待っていたんですか」
「来るかもしれないと思っていました」
「信じていたんですか、あの旦那さんを」
「妻のことを思っているのは、わかりました。時間が経てば、来ると思いました」
ミラが黙った。
しばらくして、ゆっくりと言った。
「私も……先生みたいな医師になりたいです」
トーコは少し、ミラを見た。
「なれます」
「……本当ですか」
「あなたには、ちゃんと患者を見る目があります。今日も、ずっと見ていた」
ミラが、目を赤くした。
セラがその隣で、ふわりと笑った。
ミリアが「また増えた」と小声で言った。
ガルドが戸口で腕を組み、ぼそりと言った。
「賑やかになったな」
「そうですね」
シルフィが「きゅ」と鳴いた。
魔力視に映るのは、満ち足りた翠の光だ。
——この治療院に、また一人、根付いていく。そんな気がした。
朝の光が、デッドエンドの石畳に伸びていた。
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