13.
朝、セラが治療院に来た。
いつもより少し早い時間だ。白い法衣の袖を少し折り、小脇に薬草の包みを抱えている。最近、来るたびに何かを持ってくるようになっていた。
「先生、今日は私が診ます」
トーコが振り返ると、セラが珍しく、はっきりした声で言っていた。
「軽傷の方は私が対応できます。問診の仕方も、覚えました」
「セラさんが」
「はい。先生は……休んでください」
トーコは少し、セラを見た。
「患者が来ます」
「軽傷の方は私が診ます。重症の方が来たら呼びます」
「しかし」
「先生」
セラが、一歩前に出た。大きな目が、真剣だ。
「砦から戻って、一度も休んでいないです。私、見ていました」
ミリアが横でこくこくと頷いている。ガルドが薬棚の前で、知らないふりをしていた。
トーコは少し考えた。
——ワーカホリック。
前世で死んだ原因が、頭をよぎった。過労だった。休まなかった。働き続けて、倒れた。
トーコは息を吐いた。
「……わかりました」
セラが、ぱっと顔を輝かせた。
「本当ですか」
「今日だけです」
「今日だけでも十分です」
ミリアが「やった」と小声で言った。
◇
さて、何をすればいいのか。
トーコは診察室の外に出て、少しの間、途方に暮れた。
シルフィが肩の上で「きゅ」と鳴いた。魔力視に映るのは、穏やかな翠の光。どこか、おかしそうな色だ。
「笑わないでください」
「きゅ」
戸口から外に出ると、朝の空気が気持ちよかった。
市場の方から声がする。いつもの街だ。デッドエンドの、いつもの朝だ。
ぶらぶらと歩き始めたとき、後ろから足音がした。
「先生」
振り返ると、ライナルトが立っていた。
騎士団の装備ではなく、落ち着いた色の外套を着ている。珍しい出で立ちだ。
「休みと聞いた」
「セラさんに言われました」
「ちょうどよかった」
ライナルトが、小箱を取り出した。
「砦での件、礼が遅くなった」
「お気遣いなく」
「気遣いではない。筋を通したかっただけだ」
箱の中には、深い緑色の石がついた細工物が入っていた。装飾品ではなく、お守りに近いものらしい。
「辺境では、これを贈る習慣がある。命を助けてもらった者への、感謝の印だ」
トーコは受け取った。
「ありがとうございます」
ガルドが戸口から顔を出した。
「閣下、ちょうどいいところに。この嬢ちゃんを、街でも案内してやってくださいな。一人で歩かせてもぼーっとするだけですから」
「ガルドさん」
「先生は休むのが下手くそです。誰かいないと、気づいたら仕事してます」
ライナルトが、少し口元を動かした。
「案内くらいなら、できる」
「……お手数をおかけします」
「手数ではない」
ガルドが満足そうに戸を閉めた。
◇
市場を抜け、石畳の坂を下ると、川沿いの道に出た。
デッドエンドの川は、鉱山から流れてくる水を引いたもので、水が澄んでいる。岸沿いに小さな店が並んでいて、昼時には賑わう場所だ。
ライナルトと並んで歩いていると、通りかかる人々がぎょっとした顔をしてすぐに頭を下げた。辺境伯が街を歩いているのは、珍しいのだろう。
「普段は歩かないんですか、街を」
「巡回はするが、こういう形ではない」
「そうですか」
「……あなたは」
「私は毎朝、薬草に水をやるついでに歩いています」
「知っている」
「見ていたんですか」
「街の者が話す」
トーコは少し、前を向いた。
川沿いの角を曲がったとき、見知った緋色が目に入った。
八宝斎だった。
隣に、見知らぬ男がいた。
落ち着いた色の着物に近い服を着た、三十代ほどの男だ。背が高く、物静かな雰囲気をしている。八宝斎の隣で、川を眺めていた。
「あ、トーコちゃん」
八宝斎が手を振った。
「休みなの? 珍しい」
「セラさんに言われました」
「えらい。あ、こちらは——」
八宝斎が隣の男を見た。男がトーコに向かって、静かに頭を下げた。
「タカト・サクダイラです」
穏やかな声だった。
「さくだいら……」
トーコが、その名前を聞いて少し目を動かした。
佐久平。日本の地名だ。
「タカトさんも、トーコちゃんと一緒なのよ」
八宝斎がにこっと言った。
「そうなんですね」
「そそそ。お互い転生者同士だから気が合って、ねー」
八宝斎がタカトの腕を取った。タカトが小さく頷いた。表情はほとんど動いていないが、八宝斎を見る目が柔らかい。
二人の間に、長い時間が積み重なっているのが、言葉がなくてもわかった。
「ライナルト閣下も、今日は街に」
「ああ」
「珍しい組み合わせね。邪魔したなら」
「邪魔ではありません」
トーコが答えた。
「八宝斎、またいつか」
「うん。またね、トーコちゃん」
タカトがもう一度、静かに頭を下げた。
二人が川沿いを歩いていく。肩が触れそうな距離で、並んで。
◇
しばらく歩いていると、前方で声がした。
女の子が転んだらしい。石畳の段差に足を取られたのか、膝と頭を打っている。母親が慌てて抱き起こしていた。
「大丈夫ですか」
トーコが駆け寄った。
頭の傷を確認する。こめかみの少し上、髪の生え際に小さな裂傷がある。頭部は血管が多い分、小さな傷でも血が出やすい。見た目より派手に出ていた。
「道具がない……」
縫合針がない。消毒薬もない。今日は手ぶらで出てきた。
しかしこの傷は、放置するのも気になる。
トーコは少し考えた。
髪だ。
「少し失礼します」
女の子の髪から、数本引き抜いた。細く、しかし丈夫な黒髪だ。
傷口を指で寄せ、髪を使って固定する。結ぶのではなく、傷を閉じるように橋をかける形で。前世で見た、髪縫合の手技だ。縫合針の代わりに使える、緊急時の方法だ。
「これで少し圧が保てます。帰ったらすぐ治療院に来てください。ちゃんと処置します」
母親が呆然としながら頷いた。
「あ、あの……髪で、縫うんですか」
「緊急処置です。本来の縫合より劣りますが、今は道具がないので」
女の子が、ぱちぱちとトーコを見ていた。
「……痛くなかった」
「怖かったですか」
「ちょっとだけ」
「よく我慢しました」
女の子が、照れたように笑った。
ライナルトが後ろで静かに見ていた。
◇
母子が治療院の方へ向かうのを見送ってから、二人は川沿いのベンチに腰を下ろした。
ライナルトが言った。
「休みでも、治療をするのか」
「道具がなかったので、本格的な処置はできませんでした」
「休みでも、体が動いていた」
「……習慣です」
ライナルトがしばらく川を見た。
「一つ、聞いてもいいか」
「どうぞ」
「先ほどの男——タカト・サクダイラ。チラと聞こえたが、転生者なのか」
トーコは少し、間を置いた。
「……はい」
「そうか」
ライナルトはそれだけ言った。追わなかった。
「黙っておこう」
「……いいんですか」
「あなたが言わなかったことには、理由があるだろう。それで十分だ」
トーコはライナルトを見た。
魔力視に映るのは、深い青の光だ。静かで、揺るぎない。
「……ありがとうございます」
「礼はいい」
川が、静かに流れていた。
シルフィが「きゅ」と鳴いた。魔力視に映るのは、温かくて少し意地悪な翠の光だ。
——何が言いたいのかは、今日も聞かないことにした。
午後の光が、川面に揺れていた。
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