11.
砦での処置から、二日が経った。
重傷者の容態が安定してきた。赤の印をつけた兵士たちは、今では自分で水を飲めるようになっている。輸血を受けた男も、昨日の朝から粥を食べ始めた。
トーコは砦に留まっていた。
ライナルトに「もう少し残ってもらえるか」と言われたのは、処置が一段落した翌朝のことだ。理由は、まだ詳しく聞いていなかった。
ミリアは治療院が気になるようで、昨日デッドエンドに戻した。ガルドがいる。セラも時々来ている。しばらくは大丈夫だろう。
肩の上でシルフィが「きゅ」と鳴いた。
魔力視に映るのは、静かな翠の光だ。
――ここにいろ、ということだろう。
「わかっています」
トーコは次の患者を呼んだ。
◇
昼過ぎ、ライナルトが執務室に呼んだ。
地図が広げられていた。辺境の地形図だ。いくつかの場所に、印がついている。
「今回の魔物について、話しておきたい」
ライナルトが地図を指した。
「例年、この時期に魔物の活動は活発になる。しかし今年は規模が違った。大群だ。これまで見たことがないほどの数が、辺境に押し寄せた。騎士団が迎撃した。ある程度は押し返した。今は硬直状態だ」
ライナルトが地図の一点を指した。山がちな地形の、奥まった場所だ。
「ここに巣がある。放置すれば、また大群が来る。今度は砦では抑えきれないかもしれない。叩きに行く必要がある……しかし」
ライナルトが腕を組んだ。
「兵の消耗が激しい。今の状態で巣に攻め込めば、勝てない。数日、立て直す時間が必要だ」
トーコは地図を見た。
「それで、残るよう言ったんですか」
「経過観察だけではない。何か、できることがあれば頼みたかった」
トーコは少し考えた。
「わかりました。診てみます」
◇
回復中の兵士たちを、一人ずつ改めて診察した。
血液検査を行い、魔力視で体内を確認する。傷の経過は概ね良好だ。縫合部位の感染もない。
しかし。
「……おかしい」
数値を並べながら、トーコは眉を寄せた。
鉄分が低い。特定の栄養素の数値が、軒並み基準を下回っている。傷とは別の、慢性的な不足だ。
「食事について、聞いていいですか」
傍にいた兵士が、首を傾げた。
「食事……?」
「砦では、毎日何を食べていますか」
「干し肉と黒パン、豆のスープです。毎日だいたい同じで」
「野菜は」
「たまに玉ねぎが入るくらいですかね。果物は……遠征中はほとんど」
トーコは次の兵士、また次の兵士と確認した。答えはどれも似たようなものだった。
腹は満たされている。しかし、体に必要なものが足りていない。
「怪我の前から、この状態だったと思います」
大柄な兵士――輸血を提供した男が、腕を見ながら言った。
「そういえば、最近やたら疲れやすいとは思っていたんですが」
「疲れやすい、傷の治りが遅い、気力が上がらない。そういう症状はありませんでしたか」
「……あります。みんなそう言っていますよ。遠征が長かったから仕方ない、と思っていましたが」
「遠征のせいだけではありません」
トーコは数値を見た。
「この状態で巣に攻め込めば、傷を負ったとき回復が遅い。判断も鈍る。体が動く前に消耗する」
男が、静かに言った。
「……先生に、それを言われると、重みが違いますね」
◇
トーコはライナルトのところへ向かった。
数値を書いた紙を持って、執務室の扉を叩く。
「戦力の低下は、傷だけから来ていません」
ライナルトが顔を上げた。
「食事から来ている部分が大きい」
トーコが紙を広げた。血液検査の数値が並んでいる。
「鉄分、特定のビタミン、ミネラル。どれも不足しています。腹が満たされていても、体に必要なものが足りなければ、回復は遅い。今の兵士たちの状態では、傷が癒えても本来の力が出ません」
「食事を変えれば、改善するのか」
「一朝一夕でどうにかはなりませんが……継続していれば、効果はでききます。このままでは、巣への攻め込みはおろか、今の硬直状態も長くは持ちません」
ライナルトが黙って聞いていた。
「具体的に、何を変えればいい」
トーコがもう一枚の紙を出した。
「緑の野菜。果物。臓物――肝臓や心臓に近い部位。それから発酵させた食品。これらを食事に加えてください」
「……臓物か」
「嫌がる兵士もいるかもしれませんが、効果は高い。調理の仕方を工夫すれば食べられます」
ライナルトが少し、口元を動かした。
「あなたは医師だけでなく、兵站の話もするのか」
「体のことを考えれば、食事の話になります」
「そういうものか」
「そういうものです」
ライナルトが立ち上がり、扉を開けた。
「料理長を呼べ」
◇
砦の料理長は、五十代の恰幅のいい男だった。長年、この砦の食事を一手に担ってきたという。
トーコの話を聞き終えて、腕を組んだ。
「急に野菜を増やせと言われましても……辺境での調達は限りがありますし、兵士たちが食い慣れているものでなければ、残す者も出ます」
「何があるか教えてもらえますか」
料理長が在庫を確認しながら、答えた。豆は十分ある。玉ねぎ、根菜類が少量。塩漬けの肉。香辛料がいくつか。
そこへ、ガルドが小脇に籠を抱えてやってきた。
「先生、砦の周囲を少し見てきた。これが採れた」
籠の中に、薬草と野草が入っている。
「これは食えるぞ。こっちの実も、こう調理すれば問題ない」
料理長が籠を覗き込んだ。
「……これを食うんですか」
「薬草として使うものですが、食材にもなります」
トーコが答えた。
そこにミリアが「私も手伝います」と厨房に入ってきた。エプロンを持参していた。
「料理なら、できます」
料理長が、ため息をついた。
「……わかりました。やってみましょう」
◇
厨房が、にわかに動き始めた。
ミリアが手際よく野草を刻む。ガルドが薬草の下処理を教える。料理長が渋い顔をしながら、臓物の下茹でをする。
薬草入りの濃いスープ。臓物と根菜の煮込み。野草を塩で揉んで発酵させた漬物。
料理長が味見をした。
長い沈黙があった。
「……悪くない」
ぼそりと言った。
「漬物は、もう少し時間をかけた方が旨くなりますが」
「今夜出せますか」
「出せます」
夕食の時間、兵士たちの前に見慣れない料理が並んだ。
「なんだこれ」
「臓物か……遠征飯じゃないな」
大柄な男が、まず一口食べた。
少し間があった。
「……うまい」
「本当か」
別の兵士が食べた。
「……悪くないな」
漬物を口に入れた若い兵士が「酸っぱい」と言いながら、それでももう一口食べた。
大柄な男がトーコを見た。
「先生、これもあんたが考えたのか」
「食材はガルドさんが、料理はミリアと料理長が」
「先生は?」
「何を食べればいいか、考えました」
男が、ふっと笑った。
「十分だ」
◇
夜、ライナルトとトーコが執務室で向き合った。
「薬と食事は、根本が同じです」
トーコが言った。
「体に必要なものを、薬で補うか食事で補うか。食事で補える分は、食事でやった方がいい。毎日続けられるから」
「魔法で治す、薬で治す、食事で整える。それが揃って初めて、体が動くということか」
「そうです。治癒魔法はその一つです。万能ではありません」
ライナルトが静かに言った。
「治癒師には、そういう発想はない」
「治癒魔法があれば十分、という世界で育てば、そうなります」
「あなたは違う」
「前世が違いますから」
ライナルトが少し、目を細めた。前世という言葉には踏み込まなかった。ただ、静かに続けた。
「数日後、巣に向かう。その前に、できる限り兵を整えたい」
「今夜から食事を変えれば、三日で回復速度が変わります。五日あれば、かなり違う」
「五日、もらえるか」
「こちらはいくらでも」
ライナルトが頷いた。
「……助かる」
いつもの静かな声だった。しかしその奥に、珍しく、素直な感謝があった。
トーコは少し、窓の外を見た。
夜の砦は静かだ。遠くで焚き火が揺れている。
「戦況が、落ち着いたら」
「ああ」
「定期検診に来てください。砦の兵士全員の数値を取っておきたい」
ライナルトが、また口元を動かした。
「医師らしい答えだ」
「医師ですから」
「……そうだな」
◇
五日後の朝、出陣前の広場に兵士たちが並んだ。
顔色が、明らかに違う。目に力がある。立ち姿が、五日前より締まっている。
大柄な男が、トーコの前で足を止めた。
「先生、行ってくる」
「気をつけて」
「ああ。戻ったら、また血ぃ抜いてくれ」
「検査だけです。一升は抜きません」
男が笑った。隣の兵士も笑った。
ライナルトが馬上から、一度だけトーコを見た。
「戻ったら、また診てもらう」
「待っています」
それだけだった。
馬が動き出す。砦の門が開く。騎士団が、朝の光の中へ出ていった。
シルフィが肩の上で「きゅ」と鳴いた。
魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。
――行ってらっしゃい、と言っている気がした。
トーコは門が閉まるまで、その場に立っていた。
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