10.
使いが来たのは、夜明け前だった。
ライナルトの騎士が治療院の戸を叩き、簡潔に告げた。
「辺境伯閣下より。砦に同行を願いたい。昨夜の魔物討伐で、負傷兵が多数出ています」
「わかりました」
トーコは即座に動いた。
道具箱を開け、器具を確認しながら詰めていく。縫合針、縫合糸、消毒薬、包帯、麻酔薬。それから、奥の棚から丁寧に包んだ器具を取り出した。輸血用の管と針だ。八宝斎に作ってもらった、まだ使う機会がなかったものだ。
ミリアが寝ぼけ眼で出てきた。
「先生……?」
「砦に行きます。来ますか」
ミリアが一瞬で目を覚ました。
「行きます」
◇
砦はデッドエンドから馬で一刻ほどの距離にあった。
門をくぐった瞬間、空気が変わった。
至る所に、人が横たわっている。中庭、廊下、広間。鎧を纏ったまま動けなくなっている者、仲間に肩を借りて座っている者、意識がなく地面に伏している者。呻き声が、あちこちから聞こえてくる。
治癒師が二人いたが、どちらも壁に寄りかかって動けなくなっていた。魔力切れだ。
ライナルトが近づいてきた。鎧に血がついている。自分も戦っていたのだろう。
「来てくれた」
「呼ばれましたから。状況を教えてください」
「負傷者は四十二名。うち重傷が十数名。治癒師二人が限界を迎えた」
「わかりました」
トーコは中庭に立ち、全体を見渡した。
魔力視を開く。
重傷者の光が、あちこちで弱く揺れている。出血が続いている者、内臓に損傷がある者、骨が折れたまま放置されている者。ざっと見渡しただけで、今すぐ動かなければならない者が何人かわかった。
「まず、全員を分けます」
ライナルトが頷いた。
◇
「分ける……?」
近くにいた若い兵士が、眉を寄せた。
「重症度で分けます」
トーコは持ってきた布を取り出し、色ごとに裂いた。
「赤。今すぐ処置しなければ、命が危ない。最優先です」
「黄。処置が必要ですが、少し待てます」
「緑。軽傷か、自力で動けます。後回しにしていい」
兵士たちが顔を見合わせた。
「そして黒」
トーコが続けた。
「手を尽くしても、救えない可能性が高い方です」
静寂が落ちた。
「……見捨てる、ということか」
壮年の兵士が、低い声で言った。
「違います」
トーコは静かに、しかしはっきりと言った。
「私は一人です。時間も限られています。黒の方に時間をかけている間に、赤の方が死ぬ。それを防ぐための判断です。見捨てるのではない。より多くの命を救うために、順番をつけています」
誰も、反論しなかった。
ライナルトが静かに言った。
「先生の指示に従え」
兵士たちが動き始めた。
トーコは一人ひとりを素早く確認しながら、色の布を手首に結んでいった。魔力視が、体内の状態を次々と告げる。赤、緑、黄、赤、黄、黄、緑——。
ミリアが記録をつけながら、必死についてきた。
分類が終わった頃、ライナルトが傍に来た。
「黒は、いないのか」
「今のところは。ただ、赤の中に一人、急がなければならない方がいます」
「案内する」
◇
広間の隅に、その兵士はいた。
三十代ほどの男だ。腹部と右脚に深い傷がある。治癒師が傷を塞いではいたが、顔色が蝋のように白い。呼吸が浅く、脈が弱い。
「先生……この人は、もう」
傍についていた若い兵士が、顔を歪めた。
「傷は塞いだのに、よくならなくて……」
トーコは魔力視で確認した。
傷の修復は済んでいる。しかし、出血で失った血液が戻っていない。体内を循環する血が足りず、臓器への供給が滞っている。治癒魔法は組織を再生できるが、失われた血液そのものを作り出すことはできない。
「血が足りていません」
「血……?」
「出血で大量に失った血液が、体の中で足りなくなっています。傷を塞いでも、血が足りなければ体は動きません」
「では、どうすれば」
「輸血が必要です」
その言葉が広間に落ちた瞬間、周囲がざわめいた。
「輸血……?」
「他の人の血を、この人の体に入れます」
どよめきが広がった。
「血を……入れる?」
「そんなことをしたら、死ぬんじゃないか」
「ありえない。血は体の中にあるものだろう」
トーコは声を上げなかった。ざわめきが収まるのを待って、静かに続けた。
「血には種類があります。合う血と、合わない血がある。合わない血を入れると体が拒絶して、確かに危険です。だから先に調べます。合う血であれば、入れることができます。それで助かります」
「……本当に、助かるのか」
「助かった例があります」
ライナルトが、広間を見渡した。
「先生の指示に従え、と言った。それは今も変わらない」
場が静まった。
ライナルトがトーコを見た。目が、続けろ、と言っていた。
「この方の血を調べます。次に、皆さんの血を調べます。型が合う方に、協力をお願いします」
◇
トーコは患者の血を採取し、試薬で型を調べた。
八宝斎につくらせた、持ち運び用の遠心分離機で、採血したものから血漿を分離。試薬で血液型を調べる。
手回し式の遠心分離機なので、かなり労力はいる。が、兵士たちに協力してもらえて、事なきを得る。
それからミリアを連れて、動ける兵士たちのところへ順番に回った。指先に針を刺し、血を採り、試薬を混ぜる。色の反応を見る。
「この方は合いません」「この方も違います」「この方は——合います」
三人目で見つかった。大柄な兵士で、眉の太い男だ。
「俺の血が……合うのか」
「はい」
「使ってくれ」
男が即座に言った。
「仲間のためなら、血の一升や二升、惜しくない」
「一升は抜きません。少量で大丈夫です」
男が、一瞬きょとんとした顔をした。それから、ふっと笑った。
「……そうか。頼む」
周囲の兵士たちが、固唾を呑んで見ていた。
トーコは八宝斎製の輸血用の管を取り出した。細い針が両端についた、透明な管だ。一方を大柄な兵士の腕に、もう一方を患者の腕に接続する。
シルフィが静かに飛び立ち、周囲に結界を張った。
「始めます」
血が、管の中をゆっくりと流れ始めた。
誰も喋らなかった。
兵士たちが、管の中を流れる血を、息を詰めて見つめていた。
一刻ほどが経った頃、患者の顔色が変わり始めた。蝋のように白かった頬に、少しずつ赤みが戻ってくる。
「……顔が」
若い兵士が呟いた。
「赤くなってきた」
「血が、足りてきたということか」
患者の呼吸が、少し深くなった。脈を確認する。弱かった拍動が、少しずつ力を取り戻している。
「……先生」
ミリアが、小声で言った。
「助かりますか」
「助かります」
トーコは脈から手を離さずに、答えた。
「今夜が峠です。朝になれば、動けるようになります」
広間が、ほうっと息を吐いた。
大柄な兵士が、腕の針を見ながら言った。
「俺の血が……あいつの体に入ってるのか」
「そうです」
「不思議なもんだな」
男が、患者の顔を見た。
「生きろよ、馬鹿野郎」
誰かが笑った。緊張が、少し解けた。
◇
処置が一段落したのは、夜も深くなった頃だった。
トーコは砦の外壁に寄りかかり、夜風に当たっていた。シルフィが肩の上で静かに丸まっている。
足音が近づいてきた。
ライナルトだった。外套を羽織り、鎧を脱いでいる。二つの椀を持っていた。
「温かいものがあった。飲め」
「ありがとうございます」
トーコが椀を受け取った。スープだ。体に染みる温度だった。
二人、しばらく黙って飲んだ。
「今日は助かった」
「仕事です」
「仕事、か」
ライナルトが夜空を見上げた。星が多い。デッドエンドより、ここは空が広い。
「あなたは戦場に向いている」
トーコが少し、ライナルトを見た。
「どういう意味ですか」
「判断が速い。動じない。何を先にすべきか、迷わない。戦場で指揮を執る者に必要な資質と、よく似ている」
「私は剣は持てませんが」
「剣でなくても、戦っている」
トーコは少し考えた。
「……褒めているんですか」
「褒めている」
短い沈黙が落ちた。
星が、静かに瞬いていた。
「……ありがとうございます」
トーコが言った。
ライナルトが、椀を傾けた。
「礼を言うのは私の方だ」
それだけだった。それだけだったが、何か重いものが言葉の奥にあった。
トーコは夜空を見上げた。
魔力視を薄く開くと、シルフィの翠の光が穏やかに揺れている。
——何が言いたいのかは、今夜も聞かないことにした。
◇
翌朝、デッドエンドへの帰り道。
馬の上で、ミリアがぽつりと言った。
「先生って、どこでも同じですね」
「どういう意味ですか」
「治療院でも、砦でも、同じ目をしていました。怖くないんですか。あんなにたくさんの人が倒れていて」
トーコは少し、考えた。
「怖いですよ」
「え」
「間に合わなかったらどうしようとは、思います。でも怖いまま手を動かすしかない。それだけです」
ミリアが黙った。
しばらくして、「そうですね」と言った。
「先生みたいになりたいな、とは思わないけど」
「思わなくていいです」
「でも、先生のそばにいたいとは思います」
トーコは何も言わなかった。
シルフィが肩の上で「きゅ」と鳴いた。
魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。
——どこにいても、やることは変わらない。
デッドエンドの街が、朝の光の中に見えてきた。
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