表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/23

10.



 使いが来たのは、夜明け前だった。


 ライナルトの騎士が治療院の戸を叩き、簡潔に告げた。


「辺境伯閣下より。砦に同行を願いたい。昨夜の魔物討伐で、負傷兵が多数出ています」


「わかりました」


 トーコは即座に動いた。


 道具箱を開け、器具を確認しながら詰めていく。縫合針、縫合糸、消毒薬、包帯、麻酔薬。それから、奥の棚から丁寧に包んだ器具を取り出した。輸血用の管と針だ。八宝斎に作ってもらった、まだ使う機会がなかったものだ。


 ミリアが寝ぼけ眼で出てきた。


「先生……?」


「砦に行きます。来ますか」


 ミリアが一瞬で目を覚ました。


「行きます」



    ◇



 砦はデッドエンドから馬で一刻ほどの距離にあった。


 門をくぐった瞬間、空気が変わった。


 至る所に、人が横たわっている。中庭、廊下、広間。鎧を纏ったまま動けなくなっている者、仲間に肩を借りて座っている者、意識がなく地面に伏している者。呻き声が、あちこちから聞こえてくる。


 治癒師が二人いたが、どちらも壁に寄りかかって動けなくなっていた。魔力切れだ。


 ライナルトが近づいてきた。鎧に血がついている。自分も戦っていたのだろう。


「来てくれた」


「呼ばれましたから。状況を教えてください」


「負傷者は四十二名。うち重傷が十数名。治癒師二人が限界を迎えた」


「わかりました」


 トーコは中庭に立ち、全体を見渡した。


 魔力視を開く。


 重傷者の光が、あちこちで弱く揺れている。出血が続いている者、内臓に損傷がある者、骨が折れたまま放置されている者。ざっと見渡しただけで、今すぐ動かなければならない者が何人かわかった。


「まず、全員を分けます」


 ライナルトが頷いた。



    ◇



「分ける……?」


 近くにいた若い兵士が、眉を寄せた。


「重症度で分けます」


 トーコは持ってきた布を取り出し、色ごとに裂いた。


「赤。今すぐ処置しなければ、命が危ない。最優先です」


「黄。処置が必要ですが、少し待てます」


「緑。軽傷か、自力で動けます。後回しにしていい」


 兵士たちが顔を見合わせた。


「そして黒」


 トーコが続けた。


「手を尽くしても、救えない可能性が高い方です」


 静寂が落ちた。


「……見捨てる、ということか」


 壮年の兵士が、低い声で言った。


「違います」


 トーコは静かに、しかしはっきりと言った。


「私は一人です。時間も限られています。黒の方に時間をかけている間に、赤の方が死ぬ。それを防ぐための判断です。見捨てるのではない。より多くの命を救うために、順番をつけています」


 誰も、反論しなかった。


 ライナルトが静かに言った。


「先生の指示に従え」


 兵士たちが動き始めた。


 トーコは一人ひとりを素早く確認しながら、色の布を手首に結んでいった。魔力視が、体内の状態を次々と告げる。赤、緑、黄、赤、黄、黄、緑——。


 ミリアが記録をつけながら、必死についてきた。


 分類が終わった頃、ライナルトが傍に来た。


「黒は、いないのか」


「今のところは。ただ、赤の中に一人、急がなければならない方がいます」


「案内する」



    ◇



 広間の隅に、その兵士はいた。


 三十代ほどの男だ。腹部と右脚に深い傷がある。治癒師が傷を塞いではいたが、顔色が蝋のように白い。呼吸が浅く、脈が弱い。


「先生……この人は、もう」


 傍についていた若い兵士が、顔を歪めた。


「傷は塞いだのに、よくならなくて……」


 トーコは魔力視で確認した。


 傷の修復は済んでいる。しかし、出血で失った血液が戻っていない。体内を循環する血が足りず、臓器への供給が滞っている。治癒魔法は組織を再生できるが、失われた血液そのものを作り出すことはできない。


「血が足りていません」


「血……?」


「出血で大量に失った血液が、体の中で足りなくなっています。傷を塞いでも、血が足りなければ体は動きません」


「では、どうすれば」


「輸血が必要です」


 その言葉が広間に落ちた瞬間、周囲がざわめいた。


「輸血……?」


「他の人の血を、この人の体に入れます」


 どよめきが広がった。


「血を……入れる?」


「そんなことをしたら、死ぬんじゃないか」


「ありえない。血は体の中にあるものだろう」


 トーコは声を上げなかった。ざわめきが収まるのを待って、静かに続けた。


「血には種類があります。合う血と、合わない血がある。合わない血を入れると体が拒絶して、確かに危険です。だから先に調べます。合う血であれば、入れることができます。それで助かります」


「……本当に、助かるのか」


「助かった例があります」


 ライナルトが、広間を見渡した。


「先生の指示に従え、と言った。それは今も変わらない」


 場が静まった。


 ライナルトがトーコを見た。目が、続けろ、と言っていた。


「この方の血を調べます。次に、皆さんの血を調べます。型が合う方に、協力をお願いします」



    ◇



 トーコは患者の血を採取し、試薬で型を調べた。


 八宝斎につくらせた、持ち運び用の遠心分離機で、採血したものから血漿を分離。試薬で血液型を調べる。


 手回し式の遠心分離機なので、かなり労力はいる。が、兵士たちに協力してもらえて、事なきを得る。


 それからミリアを連れて、動ける兵士たちのところへ順番に回った。指先に針を刺し、血を採り、試薬を混ぜる。色の反応を見る。


「この方は合いません」「この方も違います」「この方は——合います」


 三人目で見つかった。大柄な兵士で、眉の太い男だ。


「俺の血が……合うのか」


「はい」


「使ってくれ」


 男が即座に言った。


「仲間のためなら、血の一升や二升、惜しくない」


「一升は抜きません。少量で大丈夫です」


 男が、一瞬きょとんとした顔をした。それから、ふっと笑った。


「……そうか。頼む」


 周囲の兵士たちが、固唾を呑んで見ていた。


 トーコは八宝斎製の輸血用の管を取り出した。細い針が両端についた、透明な管だ。一方を大柄な兵士の腕に、もう一方を患者の腕に接続する。


 シルフィが静かに飛び立ち、周囲に結界を張った。


「始めます」


 血が、管の中をゆっくりと流れ始めた。


 誰も喋らなかった。


 兵士たちが、管の中を流れる血を、息を詰めて見つめていた。


 一刻ほどが経った頃、患者の顔色が変わり始めた。蝋のように白かった頬に、少しずつ赤みが戻ってくる。


「……顔が」


 若い兵士が呟いた。


「赤くなってきた」


「血が、足りてきたということか」


 患者の呼吸が、少し深くなった。脈を確認する。弱かった拍動が、少しずつ力を取り戻している。


「……先生」


 ミリアが、小声で言った。


「助かりますか」


「助かります」


 トーコは脈から手を離さずに、答えた。


「今夜が峠です。朝になれば、動けるようになります」


 広間が、ほうっと息を吐いた。


 大柄な兵士が、腕の針を見ながら言った。


「俺の血が……あいつの体に入ってるのか」


「そうです」


「不思議なもんだな」


 男が、患者の顔を見た。


「生きろよ、馬鹿野郎」


 誰かが笑った。緊張が、少し解けた。



    ◇



 処置が一段落したのは、夜も深くなった頃だった。


 トーコは砦の外壁に寄りかかり、夜風に当たっていた。シルフィが肩の上で静かに丸まっている。


 足音が近づいてきた。


 ライナルトだった。外套を羽織り、鎧を脱いでいる。二つの椀を持っていた。


「温かいものがあった。飲め」


「ありがとうございます」


 トーコが椀を受け取った。スープだ。体に染みる温度だった。


 二人、しばらく黙って飲んだ。


「今日は助かった」


「仕事です」


「仕事、か」


 ライナルトが夜空を見上げた。星が多い。デッドエンドより、ここは空が広い。


「あなたは戦場に向いている」


 トーコが少し、ライナルトを見た。


「どういう意味ですか」


「判断が速い。動じない。何を先にすべきか、迷わない。戦場で指揮を執る者に必要な資質と、よく似ている」


「私は剣は持てませんが」


「剣でなくても、戦っている」


 トーコは少し考えた。


「……褒めているんですか」


「褒めている」


 短い沈黙が落ちた。


 星が、静かに瞬いていた。


「……ありがとうございます」


 トーコが言った。


 ライナルトが、椀を傾けた。


「礼を言うのは私の方だ」


 それだけだった。それだけだったが、何か重いものが言葉の奥にあった。


 トーコは夜空を見上げた。


 魔力視を薄く開くと、シルフィの翠の光が穏やかに揺れている。


 ——何が言いたいのかは、今夜も聞かないことにした。



    ◇



 翌朝、デッドエンドへの帰り道。


 馬の上で、ミリアがぽつりと言った。


「先生って、どこでも同じですね」


「どういう意味ですか」


「治療院でも、砦でも、同じ目をしていました。怖くないんですか。あんなにたくさんの人が倒れていて」


 トーコは少し、考えた。


「怖いですよ」


「え」


「間に合わなかったらどうしようとは、思います。でも怖いまま手を動かすしかない。それだけです」


 ミリアが黙った。


 しばらくして、「そうですね」と言った。


「先生みたいになりたいな、とは思わないけど」


「思わなくていいです」


「でも、先生のそばにいたいとは思います」


 トーコは何も言わなかった。


 シルフィが肩の上で「きゅ」と鳴いた。


 魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。


 ——どこにいても、やることは変わらない。


 デッドエンドの街が、朝の光の中に見えてきた。

【作者からお願いがあります】


少しでも、

「面白い!」

「続きが気になる!」

「更新がんばれ、応援してる!」


と思っていただけましたら、

広告の下↓にある【☆☆☆☆☆】をタップして、

【★★★★★】にしてくださると嬉しいです!


皆様の応援が、作品を書く最高の原動力になります!


なにとぞ、ご協力お願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

★ ▼4/23連載版はこちらから読めます! ★



↓タイトル押すと作品サイトに飛びます↓



『【連載版】「誰でもヤらせてくれる」と噂の隣のギャル。実は超がつくほど家庭的で、毎日めちゃくちゃ甘やかしてくる』

― 新着の感想 ―
転生前の現場で培った経験があるからこそどんな状況になっても冷静に正確に行動できるんでしょう。そしてそれを後押ししてくれるライナルト閣下がいてくれたからスムーズに治療に専念できた、救える命を溢すことなく…
↑予言(笑)
いわゆる鬼手仏心ですね。 たぶん正確な使い方ではないけど。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ