犠牲。
午後五時。歩いていける距離だったが、駅までブラックな車三台で向かった。武装した軍人さん達は、その車の中に待機をする。
ビルの間の駐車場で私とメアーと平次くんと沢田くんは、武器をいつでも取り出せるように半開きにしておいて、その辺を歩いたりしてはちょっと会話をした。平次くんは「緊張をするー」と胸の辺りを摩って笑う。だから「沢田くんは?」と私が尋ねる。「……する」と沢田くんは頷いた。
「ねぇ、メアー。こんなに人手を出してくれるなんて、ゾンビの駆除に専念出来ていいね」
ずっと黙りこくって私の隣にいるパーカーのフードを深く被ったメアーに、そう話しかける。
空間の出入り口が開いたら、他の一般市民が入って来ないように封鎖してくれるそうだ。そのための警官が、すでに周囲にちらほらと見える。
「……あの女」
メアーは別のことについて口を開く。顎をクイッと上げる。
その視線を辿って、駐車場の屋上を見てみると艶やかな長い黒髪が靡いていた。目を凝らして見れば、あの人だ。
「笹野さん」
「え? あの美女がいるの? どこどこ?」
私が名前を口にすれば、平次くんが瞬時に反応をして上を見上げた。
面識があるらしい。そんな平次くんも美女だと認識している。
なのに、メアーは「あの女」呼ばわり。視えていないからしょうがないけれども。
「綺麗だよね、笹野さん」
「高嶺の華って感じだよねー。もう絶壁の上の上の高嶺の華」
「確かに」
あの人を手にすることが出来る人が、果たしてこの世に存在しているのか。
なんてことを考えながら、平次くんと見上げてメアーに問う。
「彼女がどうかしたの?」
「俺を説得しに来た男もだったが、あの女とチビ……人間じゃない」
「え、そりゃ人間とは思えないほど美女と美少年だけども」
「外見なんて知るか。人間の気配と違う」
「……気配が違う? ふーん」
私はメアーの方を向いた。
フードの下の真っ黒な顔は、もう笹野さんを向いていない。
目が視えないメアーは、音の反響で世界を感じている。そんなメアーが言うのだ。人間とは違うのだろう。何かを感じ取っている。
「いや、いやいや! 人間じゃないってこと? ゾンビが異空間でうようよしているだけで、世界が一変したのに、え、人外ってことなの? 人外なの!?」
「美女の秘密を詮索するのはよくないわ。知らない方がいいことはこの世にたくさんある」
「えっ、赤音ちゃん、悟ってるの!?」
平次くん、騒がしい。
あちら側に行っても、静かでいられるだろうか。静かにしてもらわなくては困る。まぁ一度経験しているのだ。大丈夫だろう。
「あ、こっち見た」
その平次くんの声に反応をして、見上げる。
赤い瞳がこちらを向いていた。いつの間にか、縁に腰かけた美少年もいる。私達ではなく、メアーを見据えているようだった。
「……近付くなよ、赤音」
警戒の色を滲ませて、メアーは私に言う。
私的にはお近付きになってお茶でもしたいけれど、イメージが湧かない。笹野さんが穏やかに微笑めば、花が咲きそうだ。満開の花。赤い薔薇がぴったりだな。
「開いたぞ」
さぁ、始まりだ。
私達は重たい腰を上げるように、その場所に行く。
そこはビルとビルを繋げる歩道橋だった。映画館寄り。ちょっと宙に浮いている感じだから、ひょいっとジャンプしなきゃいけない。
「おお、やっぱりうっすら視える」
一度潜った人間には、うっすらと幽霊のかのように視える。
黒い霧。今回はしっかりとゲートのように渦巻いていた。
「視えないですけど……ここにあるんですね」
タケルくんが息を飲んだ。
これから死ぬかもしれないそのゲートを潜る。それに怪物がうようよしている異空間に入るのだ。弾丸飛び交う戦場と、どっちがましだろうか。入るだけで生死が決まるのだから、生き残る確率が高い方がまし。
上を見上げたら、まだ笹野さんと美少年がいた。
警官はその歩道橋の封鎖をしてくれる。一時的につかなくなると、通ろうとした一般市民に説明した。
「では作戦会議をした時に言ったように、私達が先に入りますので、新参者さん達は順番に入ってください」
先にメアーが入って現状の把握をしに行ってくれる。
うっすらと視える黒い霧のゲートから、メアーの真っ黒で大きな犬のような手が差し出された。私が行っても大丈夫そうだ。
私はエリオットさんと一度目を合わせてから、平次くんと沢田くんに来るように手招きした。段差を乗り越えるように、ジャンプ。蜘蛛の巣を潜ってしまったような感触のあと、そこはもう異空間。
灰色に染まったような鴻巣。駅通りには、数体のゾンビが見えたがこちらには気付いていない。
その歩道橋に立って、バッドを取り出す。金属の棘が絡むバッド。
釘バッドの平次くんと木刀の沢田くんも現れた。
すぐさまゲートから距離を取る。私もバッドを構えた。
最初にゲートを潜ったのは、エリオットさんだ。ジリッと、ブーツを力一杯に踏み込む。でもエリオットさんは自分の身体を見るだけで、異変が起きない。
「……」
「退いてください。次が来ます」
「……ああ」
一安心した息を吐いたエリオットさんは、サイレンサーをつけた拳銃を構えて私の隣に立つ。自分の部下を撃つかもしれない覚悟は、果たして出来ているのだろうか。出来ないなら、私がやるまでだ。
次に入ってきたのは、大男。名前は忘れた。気合いを入れた呻きを漏らすから、勘違いしてスイングしそうになる。だが、変異は免れた。
三番目は、スキンヘッド。同じく名前は忘れた。汗を拭う彼もまた変異は免れたから、退いてもらう。
四番目は、タケルくん。異変がないことにキョトンとした顔が、すぐに喜びのそれになったのだが。
「うぐっ!」
頭を抱えて、苦しみ始める。
「うわあああっ!!!」
眼球は破裂し、黒い血の涙を流す。変異している。
よりにもよって、彼とは。彼は死んだ。
私は表情を歪めつつも、これ以上叫んでゾンビの気を引いてしまう前に、頭をかち割ろうとした。
だが、プスッと軽い音を立てた銃が、彼の頭を撃ち抜く。グシャリと落ちる身体。
エリオットさんだ。エリオットさんも私と似た表情だった。きっと私以上にやるせない気持ちになっているだろう。
最後に入ってきたおかっぱヘアー。名前はなんだったか。彼は自分の変異の有無を気にすることが出来なかった。足元に転がる仲間の遺体を見て、瞠目している。変異はしていない。
私が予想した通り、一人は変異してしまった。
ゾンビはさっきの叫び声に寄って来ようとしている。レストランに一度避難すべきだと、エリオットさんに視線で伝えた。エリオットさんが頷いたのだが。
それを見た大男とスキンヘッドは、サイレンサーもないマシンガンをぶっ放した。
「よせ! マット! パトリック!」
エリオットさんが名前を呼んで、叫んだ。だから、私は腕を掴んで止める。
マットとパトリックと呼ばれた二人は歩道橋を飛び、道路に降り立った。何かを喚きながら、撃ちまくる。ズガガガンッと発砲を続けた。
ゾンビなんて死ねって、ところだろうか。まずいな。
私はエリオットさんの口を塞いで、周囲を見回す。
やつらが来る。
「上だ」
メアーが言う。
私が視線を上げると同時に、それは降ってきた。
ガーゴイルのような風貌の怪物、ハウンド。ゴリラのような逞しい身体、犬のように鋭い顔。それがパトリックの頭を喰らい付いた。
マットが叫びながらマシンガンの弾丸を浴びせるが、ハウンドの怒りを買うだけ。大きな手が、マットを踏み潰した。何度も何度も何度も。
エリオットさんを平次くんと一緒に、引きずるように建物の中に入った。すぐそこにあるレストランに身を潜める。
歩道橋には、ハウンドが一匹、キョロキョロとしていた。エリオットさんのさっきの声を聞き付けて、捜しているのだ。
エリオットさんの口を、しっかり塞いでいる手が突かれた。エリオットさんだ。
口から手を離したが、人差し指を立てて私は、一同に音を立てないように指示をする。窓ガラスからハウンドの動向を伺っていたが、やがて消えた。私は指を立てた手を下ろす。
「お悔やみを」
「……」
私はそれだけを伝える。部下を三人も一気に亡くしたエリオットさんは、苦痛の表情で俯いた。
「それで、どうしますか? 作戦を続行しますか?」
「入り口は閉じた。どちらにせよ、次の入り口が開くまではこの異空間に留まるしかないが」
私に続いてメアーが教えてくれる。うん、あの二人が撃ちまくっている間に閉じた。
エリオットさんは深呼吸をすると、キリッと表情を変えて顔を上げる。
「任務を遂行する。先ずは駅ビルの安全確保を行う」
折れないか。普通なら絶望と判断して、人捜しもやめたくなるところだろうに。この異空間に何日も生き延びられる人間なんていないと思う。それとも、なんだ。生き延びられるようなタフな人間なのだと認識しているのだろうか。
「ついて来るだろう?」
エリオットさんは念のために、私達の意思を確認した。
おかっぱの軍人くんの名前は、ジャスパー。防弾ジョッキにそう書いてった。ジャスパーは当然のように頷く。
私も無言で頷けば、平次くんはニッと笑って見せて、沢田くんは立ち上がった。メアー以外屈んでいた全員が立つ。
これから、作戦実行だ。
20180706