第三話 「土」
土の匂いが充満する部屋。
農家や自然が好きな人間からしたら、鼻に優しく居心地の良い空間だろう。
しかしその部屋には、別の少し物珍しい理由でそこが楽園と化している男がいた。
「久漸先輩、溶解魔体取ってください」
雅博の呼びかけで勇樹は近くにあった溶解魔体を雅博に手渡す。
「あんまり先輩をこき使うなよ、雅博」
「説教なら後で聞きますから」
集中している。
手元のミリグラム程しかない僅かな土に、溶解魔体から抽出した魔力をシャッと振りかけるその手は小刻みに震えていた。
少しでも配分を間違えると、ここまで育てた土が全て水泡に帰す。絶対にミスをする訳にはーー
「あっ......」
「うわっ......」
雅博の手元にあった土は全てドロドロの液体になって原型を忘れ去ってしまった。
「これで何回目だ?」
「うぅ......今日だけでもう十四回目です......」
雅博が高校に進学して選んだ部活は地層研究部という文字通り陰キャラしか所属していなさそうな部活で、部員も部長の久漸勇樹と雅博しかいない男臭い部活だ
しかしやっていることは案外バカにできないもので、無機物である土を魔力なしで食料や飲料に変換させるという、もし成功すればFMS賞が取れるほどの超画期的な研究だ。
雅博は別に賞目的で活動をしているわけではない。ただ自分の好きなことに熱中していると時間が過ぎるのは早いもので時刻は午後七時を回っていた。
「もう帰れよ、親御さん心配するぞ。後片付けは俺がやっとくからさ」
「すみません、ありがとうございます......」
まさに世紀の大発明を目指しているわけだからそう簡単に上手くいく訳もないのだが、それでも雅博は本気で世界を変えようとしているのだから進展のない日々がそれなりに応えた。
なぜ彼がここまで『土』という誰も興味を持たないであろうものに執着して固執するのか。
子供の頃に同級生に聞かれたことがある。あれは幼稚園の頃だっただろうか。
「おめぇ、なんでいっつも地面触って遊んでんだ!汚ねぇな!地面には菌がいっぱいいるんだぞ!」
土が汚いなんてことは雅博も子供ながらにわかっていた。
しかしそれは彼の好意によるもの。他意はない。
彼は同じ疑問を呈した者全員に聞いて回りたいと考えている。
「君の好きなものをひとつ思い浮かべて、なんでそれが好きなのか僕に分かるように説明して」
それがもし成されたら、雅博は自分の完敗を潔く受け入れるつもりだ。
しかし今までそれを彼に成し遂げられた者は一人としていない。
と、彼は思っているが、正しくはこの質問を受けた人間は悉く全員がその場を立ち去る。
そんな面倒な話に付き合う方が時間の無駄だと思うからだ。
雅博が家に帰ると、暖かい家の灯りが彼を出迎えた。
「おかえり、雅博!」
もっと土を触りたい、雅博は自分の欲望を抑えて彼のいるべき場所へ帰った。
「ただいま!」




