27話 泣かないで
メリッサは側仕えが持ってきた資料に目を通していた。
ここは区庁舎の区長室。メリッサは執務机に座っている。
資料を持ってきた側仕えはすでに退室していて、区庁舎の休憩室でお茶を飲んでいる。別にサボっているわけではない。メリッサがそう命じているのだ。
区庁舎で働いている時は区長であって皇女ではない。側仕えは退勤時まで不要。だがふとした時に皇女として頼みごとをする可能性もある。だから庁舎内で待機させているというわけ。
「ふーん、セルナちゃんと仲がいいのは平民のニーナ、孤児院の子供たち、そしてルビィちゃんですかー」
資料を読み終えたメリッサが独り言のように言った。
メリッサは独り言の多い人物だと思われているが、実際にはバルドメロが聞いているので独り言ではない。バルドメロが返事をしないだけだ。
「孤児院の子供なんてその時点で不幸ですし、ちょっと心が踊りますねー」メリッサが笑顔で言う。「でも、更に不幸にした時のわたくしの気持ちよさは微妙ですねー」
たとえばだが、クヌートを不幸にしたらメリッサは100の気持ちよさを感じられる。けれど、孤児を不幸にしても5の気持ちよさしか感じない。
なぜなら孤児は元から不幸だからだ。少なくともメリッサはそう思っている。だから孤児を見るだけで気分はいい。あえて自分で手を下すのは効率が悪いということ。
「ルビィちゃんは帝室の中ではわたくしの次に不幸なのでー、あまり手を出す気はなかったのですけどねー」
メイドの子。愛人の子。一応皇女としての地位に就いてはいるが、ルビィの半分は下賤だ。幼い頃はそれなりに色々と陰口を叩かれ、けっして幸福な人生ではなかった。そのことをメリッサも知っている。
「そうなると、最初の目標はこのニーナちゃんでしょうかねー」
困ったわー、とメリッサが右手を頬に当てる。
「うーん、でも最大の目標はセルナちゃんを不幸にすることだから、ここは全部一緒に攻撃するのがいいかしらー?」
攻撃方法は単純。孤児と平民はそこらのチンピラを金で雇えばいい。ニーナは女子学生なので、心を折るには強姦が効率的だろう、とメリッサは考えている。
強姦の時に「恨むならセルナ・アルカサルを恨め」と雇ったチンピラに言わせる。その上で、それがセルナの耳に入るようにする。
「孤児たちは気晴らしに殴られるような感じでしょうかねー」
雇ったチンピラたちに「セルナ・アルカサルにむしゃくしゃしてやった」と言わせる。場合によっては一人か二人は殺してもいい。
「ルビィちゃんは、わたくしが直々にいじめましょうかねー」
さすがに皇族であるルビィを攻撃するチンピラはいない。金を積んでも断られるか、失敗して面倒なことになるだけ。
と、何の前触れもなく唐突に窓が砕け散った。
メリッサが立ち上がりながら窓の方を見ると、部屋に侵入した男女がそれぞれ暗器をメリッサに向けて投げたところだった。
あ、死ぬ、とメリッサは思った。
死ぬのは怖くない。死は小さい頃からいつも身近にいたから。
でも、死んでしまうと他人の不幸を楽しめない。それだけが酷く悲しかった。
「貴様ら、何者だ!?」
姿を現したバルドメロが暗器を全て剣で弾き飛ばした。
「うっそー、こいつどっから出てきたの?」
侵入した女の方が言った。
女は顔に包帯を巻いていて、素顔を隠している。だがあえて頬の一部に隙間を開けていて、そこにはハートの絵が描いてあった。髪は水色で、低い位置で二つのお団子を作っている。
「やばくない? こいつ絶対強い」
男の方がサッと短剣を握って構えた。
男も顔を隠しているが、包帯ではなく黒い布を巻いている。髪は赤でストレート。
「何者だと聞いている!」
バルドメロが剣に魔力を通す。マナソードと呼ばれている技だ。
「そっちこそ誰って感じだけどぉ!?」
女の方がバルドメロへと飛び込む。
バルドメロが剣で迎撃するが、女が躱し、距離を詰めてバルドメロを殴る。しかし鎧の部分なのであまりダメージはないのでは、とメリッサは思った。
しかしバルドメロが少し下がった。鎧はへこんでいる。
女の方は魔力を拳に集めていたのだ。マナソードの拳版。
男の方が風の刃を飛ばしてメリッサを殺そうとしたが、バルドメロが剣でその刃を散らす。
同時に女がバルドメロを殴りつける。
(ああ、バルドメロが押されている……)
メリッサはそのことに酷く驚いた。バルドメロはすでに竜絶を辞めているが、現役の竜絶隊員に交じっても上位の実力者だ。
(わたくしを守っているから……ですねー)
そして相手の狙いはメリッサだ。女がバルドメロを引き付け、男がメリッサを狙っている。
バルドメロはその両方にたった1人で対応しているのだ。
「襲撃を受けています!」
メリッサは部下を呼び出すための共鳴の指輪を起動させた。執務机にいくつか置いてあるその全てを起動させた。
「すぐに治安隊を! 今すぐに!」
メリッサが悲鳴みたいに言って、共鳴の指輪から驚愕の声が返ってくる。
「襲撃されているんです!」
メリッサはまた悲鳴みたいに叫んだ。
「治安隊を……きゃぁ!」
飛んできたナイフがメリッサの左腕に刺さった。
「メリッサ様!?」
「バルドメロ! わたくしは大丈夫ですから! 本気を出しなさい! 庁舎がどうなってもいいから!」
メリッサは自分でナイフを抜いて【ヒール】を使った。
メリッサはアカデミーの医療学科を卒業している。病弱な自分のためだったが、あまり意味はなかった。
(毒まで塗られている……)
メリッサは魔力で解毒を試みる。だがかなり強力な毒だったので、魔力での分解は時間がかかる。
メリッサはすぐに【解毒】魔法を使用。
「貴様ら!! 絶対に許さんぞぉぉぉ!!」
バルドメロの魔力が剣に集中する。
「おい! これやばくない!?」と男。
「ヤバいっしょ! 逃げ一択!」と女!
襲撃者の2人が窓から飛び出ると同時に、バルドメロが剣を振った。
そうすると、巨大な魔力の衝撃波が生まれて区長室の壁を消し飛ばした。
「おのれ逃げるか!!」バルドメロが魔力を乗せた大声で言う。「地の果てまで追って殺してやるぞぉぉぉ!!」
「バルドメロ、追わなくていいですから……わたくしを……」
フラッとその場に倒れるメリッサ。
「ああ! メリッサ様!」
バルドメロは泣きそうな顔でメリッサに駆け寄って抱き起こす。
「大丈夫……大丈夫です……バルドメロ……わたくし、これでも治療師ですから……」
治療師は爵位ではない。アカデミー医療学科を卒業した者や治療を仕事にしている者をそう呼ぶというだけ。もっと分かり易く医者と呼ばれることもある。
「申し訳ありません! あなた様に傷を負わせるなど! あってはならないこと!」
「……泣かないでください……あなたにはいつも……助けられているし……」メリッサが言う。「不幸にするのは、最後にしてあげますから……泣かないで」
メリッサは手を伸ばしてバルドメロの頬に触れた。
◇
再び皇族暗殺未遂事件が起きて、帝都はかなり慌ただしくなった。
新聞の紙面の半分はその件を伝えていて、それはセルナも目にした。
「あいつら……また失敗したんだけど……」
2回頼んで2回とも失敗するとか、実は暗殺下手なんじゃないかとセルナは疑念を抱いた。
「これもう無理ですよね?」とカルラ。
「難しくはなるね。メリッサはきっと厳重に護衛されるし、アンシェル一家は追われる身になるから」
なぜなら、メリッサに姿を見られているから。襲撃者がどういうタイプの人間だったか細かく新聞に載っている。
少なくとも、頬にハートの絵を描いてる奴なんてセルナはマルガレーテ以外に知らない。
「成功していたら目撃者なしで謎のままだったんだけどね」
「念のため別の方法を探した方がいいのでは?」
「まぁ、しばらくは大人しくしておくよ。捜査の目が厳しいだろうからねぇ」やれやれ、とセルナは首を振った。「メリッサも負傷したようだし、命を狙われているのだから当分は大人しくしているだろう」
普通ならそうするのだけど、セルナは少しメリッサを甘く見ていた。




