9話 それぞれの動き
区庁舎、区長の執務室。
「申し訳ありません……我々はまったく身動きが取れない状態です……」
烈火の連絡員であり6星魔法使いである老齢の男性が泣きそうな顔で言った。
「ですかー」メリッサはどうでも良さそうに言う。「まぁみんなが皇子暗殺未遂事件の真相を追っていますしねー」
「そんな呑気な……我々は帝国内の全ての拠点を破棄する事態に陥っているんですよ?」
「それはそもそもそっちのミスのせいですしー?」メリッサが意地悪く笑った。「暗殺に成功していれば、わたくしが仕切るつもりだったのにぃ」
お兄様を殺すなんて許せないっ! わたくしが指揮を執ります! と高らかに宣言すれば反発する者は少ない。皇后も賛成するはずだ。
クヌートが生きている現状、基本的にはクヌート自身が捜査の指揮を執っている。といっても、本人はさっさと前線に戻ってしまい、中央情報局と竜絶が主に働いているわけだが。
「……ああ、やはり皇族暗殺の依頼など受けるべきではなかったのだ……」
この依頼を喜んで受けたのはこの男ではなく、烈火帝国支部の支部長だ。第一皇子を排除して、メリッサを皇太子にした時に得られるメリットに目が眩んだというわけだ。
リスクが大きく、内部で反発もあったが支部長はそれを無理やり抑えつけた。
「じゃあ止めますかぁ?」メリッサがニコニコと言う。「お金は当然返してもらうとして、違約金も払ってもらいますけど」
魔法使いは苦い表情を浮かべている。今の烈火帝国支部にそんな余裕はない。そして、そのことをメリッサも理解している。
「本当に……性格が悪いですね……」
今後、帝国で活動するためにもこの依頼を成功させる以外の道はない。メリッサの後ろ盾が必要だ。
もちろん、帝国という土壌を捨てるなら話は別だが、その場合は帝国支部の上層部は烈火本部の連中に全員殺される。連絡員である魔法使いもどうなるか分からない。
「どうも。わたくしは子供の頃から他人の不幸が大好きすぎてゾクゾクしちゃうんですー。今の烈火の不幸はわたくしには蜜の味ですぅ」
敵とか味方とか何も関係ない。自分以外の全ての人間が不幸であるようにとメリッサは常々願っている。
「……依頼は遂行します」
「それは前にも聞きましたが?」
「……時間です。少しだけ時間をください。今は動けません。分かるでしょう?」
今動いたら確実に捕まる。クヌートもセルナも警戒している上、竜絶と情報局、治安維持隊も目を光らせているのだから。
そして捕まったら烈火は二度と帝国で燃え盛ることはできない。それではまるで消し炭だ。
「はいはーい。分かりましたよぉ」メリッサが言う。「まぁ今すぐ皇太子が決まる感じじゃないですしぃ? のんびり待ちますよぉ」
待っている間、誰を不幸にしてやろうかな、とメリッサは考えていた。
帝都にいるセルナをとことん虐め抜くのも悪くない、とメリッサは思った。
(虐めて虐めて虐めまくって自殺でもしてくれたら最高に気持ちいいんですけどぉ)
アカデミー時代、メリッサは何人かの人生を壊したことがある。
その時のことを思い出して、気分が良くなったメリッサだった。
◇
帝都の片隅の寂れた酒場。
そこは日光のあまり当たらない路地裏にあって、店内はカビ臭く空気も濁っている。
不愛想なマスターが黙ってコップを磨く音だけが不気味に聞こえている。
カウンター席には30代前半の男が座って、琥珀色の美しいウイスキーを飲んでいた。
カラン、と来客を告げるベルが鳴る。
マスターはチラリと来訪者を確認し、カウンターの男は振り向きもしなかった。
来客は一目散にカウンターへと歩き、男の隣に腰を下ろした。
「先輩。時間通りだな」と男。
「アカデミーを卒業して何年経っている? 先輩呼びはよせと前にも言ったはずだ」
来訪者は現役の竜絶隊員で、クヌートと剣の稽古をしていた者だ。
「先輩は先輩だ」
この二人はアカデミー騎士科の先輩後輩に当たる。先輩は上位層だったので竜絶へ。後輩は帝国軍へとそれぞれ就職した。
「……まぁいい。ヴォルフ、情報局は何か掴んだか?」
「いいや」
ヴォルフと呼ばれた男が首を横に振る。
ヴォルフは33歳の男で、今は帝国中央情報局に所属している。26歳までは帝国軍にいたのだが、引き抜かれたのだ。
現在のヴォルフは情報局の中でも上澄みと呼べる実力者だ。諜報員としても工作員としても活動可能で、自由捜査権と即決処刑権を与えられている。
「そうか……」
竜絶の男が息を吐いた。
ちなみにマスターも情報局の関係者で、この酒場自体が情報局のフロント企業だ。
「知っての通り、烈火のアジトはもぬけの殻だった」とヴォルフ。
帝都のアジトには竜絶が、その他の領地には治安維持隊がそれぞれ乗り込んだ。しかしそこに烈火の影はなかった。
あれほど大規模な暗殺が行える組織は烈火以外にあり得ない、というのが捜査関係者の共通の認識だ。よって、ひとまず烈火を捕まえて尋問する方針だったのだが、それを察知した烈火に逃げられたというわけだ。
「暗殺の実行犯は全員死んでいるしな」と竜絶の男。
皆殺しにしたわけではないのだが、失敗が分かった瞬間に生き残った実行犯は毒で自害した。毒は魔力で分解できるが、自動的に分解されるわけではない。分解しなければそのまま普通に死ねる。
「今は大規模魔法を使った6星魔法使いを探しているのと」ヴォルフが言う。「合わせて帝城内で手引きした者を探している。オレとは別のチームが、だがね」
「それじゃあお前は何を調べている?」
「これから調べようと思っている対象はいる」
「誰だ? 手伝えることは?」
竜絶の男はクヌートの支持者で、軍国主義者だ。クヌートを暗殺しようなどという者を許してはおけない。
もちろん、この男だけでなく竜絶全体が今回の事件を追っている。皇帝はこの件の全権をクヌートに与えているので、クヌートを支持している竜絶としては非常に動き易い。
「セルナ・アルカサル」
ヴォルフの言葉に、竜絶の男は目を丸くした。
「バカな、被害者だぞ?」
「ああ。だが怪しい」
「待て待て。理由を聞く前に」竜絶の男は左手で自分の額を押さえ、右手を開いて少し上げた。「公式発表はまだだが、アルカサル令嬢は……」
「クヌート殿下との婚約が決まっている、だな?」
「……それを知った上で疑うというんだな?」
「ああ。だから先輩に相談している。先輩とクヌート殿下とは仲がいいだろう?」
「悪いとは言わんが、特別仲が良いわけではないぞ」
「万が一、セルナ・アルカサルが白かった時にオレを庇ってくれたらそれでいい」
第一皇子の婚約者を捜査するということは、何も出なかった時のリスクが大きい。
情報局内での出世が途絶えるだけならまだしも、第一皇子の不興を買うことになるのだから。
竜絶の男は溜息を吐いてから「分かった。その方が殿下のためになるだろうしな」と頷いた。
「良かった」
「それで? 令嬢はどう怪しい?」
「電撃的に出現し、アレシアが引き起こした大きな事件の中心にいて、そしてまた大きな事件の中心にいる。疑わない方がどうかしている」
「その程度なら偶然では?」
「その可能性もある。しかしあの令嬢、アレシアを自ら殺している」
「そりゃ殺したくもなるだろう……」
「その上、アンシェル一家を使ったらしい」
「誰だそれは?」
「帝都の殺し屋一家だ」
「……烈火以外にもそんな連中がいるのか」
「そう。そして令嬢は白き翼とも関係していて、謎の秘密結社とも関連があるとかないとか、そういう噂もある」
「白き翼は民間の情報ギルドだな? 秘密結社とは?」
「結社については噂程度で、何も分かっていない。だが火のない所に煙は立たぬとも言う」
「なるほど、そこまでくると確かに怪しいかもな」竜絶の男が言う。「何もないならそれはそれでいい。私も協力する。殿下の婚約者が灰色なのは耐え難い」
「オレはしばらく令嬢を監視する。場合によっては接触も考えている。ひとまずオレに何かあったら殿下に令嬢が怪しいと伝えてくれ。今はそれだけでいい」




