22話 デザートを食すと決めた獣
とてもいい夜だった。
満天の星に、キラキラと輝く満月。
こんな日はいつだって両極端なのだ、とスタース・アンシェルは思った。
即ち、驚くほど簡単に仕事が終わるか、その逆。吐き気を催すレベルで不運が重なり、仕事が失敗するか。
「今夜はどっちだ?」
ボニージャ伯爵低の壁を見ながら、スタースはそう呟いた。
スタースは帝国で活動するアサシン一家の息子で、ここにはもちろん仕事で来ている。
スタースは16歳の少年だが、実力はすでに一流。赤い髪は腰まで伸びていて、身体の線も細い。背も高い方ではないので、パッと見ると女の子に見える。
もちろん、脱いだらそれなりに引き締まった肉体が顔を出すのだけど、今は全身を黒い戦闘服で覆っている。
腰の辺りに巻き付けたベルトには、複数の短剣を装備。
「行ってみりゃ分かるか」
スタースはボニージャ伯爵低の壁を飛び越えて、敷地内へと侵入。
そうすると、ターゲットであるアレシア・ボニージャが剣を持って立っていた。アレシアは寝間着だがちゃんと靴を履いている。
スタースは酷く焦った。
寝込みを襲う予定のターゲットが、臨戦態勢で待っていたのだから。
「なんで……」
動揺しつつ、スタースはそう呟いた。
「わたくしの【剣才】が囁くんだよ、今宵は剣を振るのに最適だ、と」
アレシアは剣を右手で持って、その剣先をスタースに向ける。
剣よりもアレシアの銀色の髪が月明りで輝いていた。美しさで人を殺せるなら、アレシアは存在するだけで多くを殺せるだろう、とスタースは思った。
「化け物め……」
「おいおい、真夜中の侵入者が何をビビっている? 何の用か一応聞いておいてやろう」
アレシアが切っ先を下げた。
「見て分かんない?」
スタースはもう心を落ち着けていた。
成人したばかりの16歳でも、小さい頃からアサシンとして仕込まれている。当然だが、直接戦闘だってスタースは相当強い。アカデミーの騎士科に入れば、あっという間にトップ層だ。
「暗殺だろう? わたくしの」
「そう。恨むならあんたの死に金を出した奴にしてくれよな!」
言葉が終わると同時に、スタースは【ウインドカッター】を使用。
風の刃を飛ばし、相手を斬り裂く魔法だ。
アレシアは【ウインドカッター】を剣で斬り飛ばしながらスタースとの距離を詰める。
「マジかよ!」
スタースはアレシアの斬撃を躱し、距離を取りつつ短剣を一本投げてアレシアの動きを牽制。
アレシアは短剣を弾いてからまた距離を詰める。
スタースは【ウインドカッター】を2つ、アレシアを左右から挟撃するように発動させる。
アレシアはクルっと舞うように【ウインドカッター】を斬り裂く。
そしてアレシアが前を向いた時には、すでに3本の短剣が飛んできていた。
アレシアは1本目の短剣を紙一重で躱し、2本目を剣で受けたが、3本目が右腕を掠めて少し痛む。
だが気にせず突っ込み、スタースの身体の前面を斜めに斬った。
とはいえ致命傷ではない。
スタースが反応して、後方に飛んでいたから。
「楽しいなぁアサシン!! お前レベルのアサシンに狙われるとは! わたくしも大物になったものだ!!」
心から楽しそうにアレシアが言った。
「クソッタレの化け物め……」
スタースは自分が勝てないことを悟り、逃亡を決めていた。
(姉貴のアホ、なぁにが『スタちゃんでも余裕っしょ』だ。想定以上の怪物だぞこいつ)
スタースはもちろん、アレシアがイカレ令嬢と呼ばれていることを知っていたし、ギフト【剣才】を持っていることも知っていた。
その上で挑んだのだ。
姉の言葉を信じて。
本当のところ、スタース的には姉か妹のどっちかと連携して殺そうと思っていたのに。
「どうした!? 次は何を見せてくれるんだ!?」
剣を構えたままのアレシアが叫んだ。
スタースは舌打ちしながら煙幕弾を地面に叩きつける。
「ほう! 目隠しか! いいぞ! どこからでもこい!」
恍惚としたアレシアの声が響いた頃には、スタースはもう壁を越えてボニージャ伯爵邸の敷地から抜け出していた。
そして伯爵邸から十分な距離を取った路地裏で蹲る。
「クソ……痛ぇなクソ……」
しばらく傷口を押さえてから、思い出したように【ヒール】を使って応急処置。
「回復系は苦手なんだぜ、オレは……」
スタースの得意属性は風。
なので、風を使うもの以外は全部苦手ともいえる。
「親父と依頼主に報告すんの、ダリィなぁ……」
依頼主からは成功しようが失敗しようが、アレシアと一戦交えたら報告するよう言われている。
◇
「逃げたか……」
アレシアは剣を降ろして呟いた。
短剣が掠めた右腕が酷く腫れて痛む。
「毒を塗っていたか……あのまま戦っていたら、死ぬのはわたくしだったかもな」
かなりレベルの高い敵だった。
あれはアサシンの中でも上澄みに違いない、とアレシアは思った。
「解毒魔法ぐらいは覚えるべきか?」
剣士であるアレシアは、生活魔法が少し使える程度だ。
毒のほとんどは魔法を使わなくても魔力で分解可能だが、この毒はアレシアでも完全に分解できなかった。魔力で解毒されることを想定して作った新毒に違いないとアレシアは思った。
アレシアはその場を移動し、夜勤の私兵に医者を呼ぶよう命令した。
「あのレベルのアサシンに狙われているとなると、わたくしは長くないな……」
今日は相手が逃げてくれたが、次はどうなるか分からない。なぜなら今日の失敗を考えて、次は複数で来る可能性が高いから。
アレシアは別に死ぬのは怖くない。
なんなら大歓迎だ。
ただ、まだやりたいことを全部やっていないから悔いが残るというだけ。
自室に辿り着いた頃、アレシアは覚悟を決めた。
「死ぬ前にとことん楽しもうじゃないか……」
そのことを想像すると、腕の痛みも忘れて気持ち良くなってきた。
あとのお楽しみにしていたデザートを、近いうちに食べてしまうと、そう決めたのだ。
◇
「セルナ、貴様と一番仲がいいのはその平民か?」
アレシアがニーナを見ながら言った。
ここはアカデミーの食堂。
セルナの前にアレシアが座っていて、アレシアの隣にフレット、フレットの前にニーナという席順。
アカデミーでの昼食は、いつもこのメンバーで食べている。
「……どうだろう?」とセルナ。
一番仲が良い人民は間違いなくカルラとジャックだが、言ったところでアレシアは2人を知らない。
それに、2人の存在をアレシアに知られたくない。
「そ、そんな……私なんて……」ニーナが焦った様子で言う。「どちらかと言えば、フレット……様の方がセルナと仲がいいと思います」
ニーナは普段、フレットを呼び捨てにする。
その程度には仲を深めているのだが、アレシアの前でその弟を呼び捨てにするのは少し怖かったのだろう、とセルナは思った。
「ほう、フレットが……」
アレシアがフレットを見る。
フレットは少し怯えた様子で「あ、はい、姉上……。僕はセルナとは仲がいいです」と言った。
「もっと堂々と言いたまえ」とセルナ。
「僕はセルナと仲良しです姉上!」
フレットが想定外に大きな声で言ったので、食堂中の視線がフレットに集中した。
フレットは頬を染めて俯く。
「ならばボニージャ伯爵家として、アルカサル公爵家に求婚状でも送るか?」
アレシアが楽しそうに笑いながら言った。
フレットは照れて「い、いえ……そんな感じでは……」と言った。
「残念だけど、私の婚約者は当主が決めるそうだよ」
セルナが言うと、アレシアが「まぁそうだろうな」と頷いた。
恋愛結婚をする貴族もいるが、多くは政略結婚だ。
「だから私はフレットと結婚はできないだろう。でも私にとって、フレットは大切な仲間だよ」
セルナは心からそう思っていた。
フレットは同志なのだから。
もちろんフレットだけじゃなく、同志のことはみんな大切に思っている。なんせ、今世では裏切りを疑わなくていいのだから。裏切りはギフトで完璧に分かる。だから、それまでは心から信頼していいのだ。
それがセルナの心をとっても軽くしてくれて、広くしてくれて、伸びやかにしてくれた。
同時に、他者の悪意や害意、敵意に少しだけ鈍感になっていた。




