21話 同志ニーナ
セルナとアレシアが犯罪組織のアジトを襲撃した数日後の夜。
カノー男爵は自室で酒を飲んでいたのだが、突然グラスを壁に叩きつけて割った。
「クソ! クソクソクソ! あのゴミどもが! 仕事の途中で抗争だと!? しかも全滅!? クソクソ!」
男爵はソファに座ったまま、何度もダンダンと床を踏みしめた。
それから酒の瓶を左手で持って、そのままラッパ飲み。ゴクゴクと大きな音を鳴らしながら、喉の奥に酒を流し込む。全部飲み終わったら酒瓶を壁に投げつけて割った。
「あああああ! クソボケがぁぁぁぁ!」
口元から垂れた酒を拭いながら立ち上がると、ふと風を感じて窓の方へと視線を移す。
仮面の少女が窓枠に座っていた。
仮面の少女の両隣にも、仮面を被った人物が立っている。
全部で三人の侵入者。
男爵は飲みすぎて幻を見ているのかと、一度目を擦ったけれど、仮面の3人は消えなかった。
それは非常に奇妙な仮面だった。
顔全体を覆っていて、目の部分だけ穴が開いているタイプで、白地に黒で模様が書いてある。
窓枠に座った少女の模様は『S』という形で、男爵から見て少女の右側の人物は『N』、左側の人物は『J』だった。
その模様に何の意味があるのか、男爵には分からない。
「な、なんだ貴様ら……」
男爵がそう言うと、真ん中で窓枠に座っている少女が人差し指を仮面の口元に持って行く。
喋るな、静かにしろという意味で、男爵はそれを理解した。理解したけれど、そんなことは関係ない。
男爵は護衛の私兵たちを呼ぼうと息を吸い込んだ。
その瞬間、Jの模様の人物がナイフを投げた。そのナイフは男爵の足元の床に突き刺さる。
男爵は叫ぶのを止めてナイフに視線を向けた。
叫んだ瞬間に殺される、と察した男爵は、ゆっくりと顔を上げる。
「我々はSIUだ」と真ん中の少女。
「えすあいゆー?」と男爵が首を傾げた。
聞いたこともない。
「念のため言っておくけど、私兵を呼んでも誰も来ないよ」
「……なんだと?」
夜間警備についている私兵が3人はいるはずだ、と男爵は思った。
邸宅内を見回る者、庭を見回る者、そして壁の外を見回る者。
男爵の邸宅はカノー地区の一画にあるのだが、この辺りは治安もよく、男爵自身も襲撃を受けたのは今回が初めてのこと。
生き残ったら警備を強化しよう、と男爵は心に誓った。
◇
「大丈夫、眠っているだけさ」とSの仮面を被ったセルナ。
ちなみに、夜間警備の三人は全員が不正を行っていたので、それをネタに脅迫したのだ。
逮捕案件だが重罪というわけでもない、そんな微妙な不正。
あまり大きな要求を突きつけたら跳ね除けるだろうが、今回セルナが望んだのは酷く単純なものだった。
この時間に居眠りをしろ、というただそれだけの要求。彼らはあっさりとそれを飲んだ。
「……それで何の用だ?」男爵が言う。「ワシを殺すつもりなら、もうやってるはず……」
男爵は40代の男性で、アカデミーの政治科を卒業している。よって、頭は悪くない。
「用を伝える前に、我々は君の不正を全て知っていると伝えておこう」
セルナは窓枠から降りて床に立った。
正直、窓枠にずっと座っているのは演出としてはいいけれど、お尻が痛むのだ。
もちろんそんなことは表情にも出さず、セルナは男爵に【記録詠み】を使用。
「たとえば、アカデミー時代の論文の盗用、研究費の横領」
セルナが言うと、男爵が目を丸くする。
「なぜ……」
「で、最近では地元犯罪組織との癒着、資金洗浄、公文書偽造」
セルナが言うと、Jの仮面を被ったジャックが書類を一枚広げて見せた。
それは犯罪組織と男爵がカジノの件で交わした契約書。
「当然だが」ジャックが言う。「俺らは全部の証拠を文書として残してるぞ」
「そして」Nの仮面を被ったニーナが言う。「私たちはその文書を『竜絶』に渡す用意があります」
ジャックもニーナも、セルナのギフトを知っているから話を合わせているだけだ。
今、この瞬間に男爵の不正を知ったのだから、証拠の文書などあるはずがない。
「りゅ、竜絶!?」
男爵は驚きのあまり、その場に座り込んでしまう。
「だって君」セルナが言う。「この地区の治安維持隊とも癒着してるじゃないか」
地方都市と違って、帝都の治安維持隊の直接の上司は帝室だ。
しかし、カノー地区の治安隊の上層部は男爵とズブズブだった。
「竜絶は動くぜ?」ジャックが言う。「なんせ、お前が何気なくやった公文書偽造は帝室を舐めた犯罪だからな」
竜絶は皇帝のためなら竜すら殺す。
「竜絶の尋問は苛烈だと聞きます」ニーナが言う。「それこそ私たちに殺された方がマシなレベルという噂ですね」
「テメェはまだしも、テメェの家族は耐えられるか?」
ジャックが言うと、男爵はカタカタと歯を鳴らして震え始めた。
「さて、私たちがなぜ君の不正を知っているかを教えよう」セルナが言う。「私たちSIUは情報ギルドなんだよ」
「じょ、情報ギルドが、ワシに一体、何をさせたいんだ?」
怯えながらも、男爵はそう質問した。
「エヌ、君が要求したまえ」とセルナ。
ニーナがコクンと頷いてから、一歩前に出る。
「我々の要求は単純です。あなたのカジノ計画、その用地を確保するための地上げ行為についてです」
男爵は何を言われるのか、ゴクリと唾を飲んだ。
「あなたが雇っていた犯罪組織は我々が皆殺しにしました」
「!?」
ニーナの言葉に、男爵が大きく目を見開いた。
治安隊は今回の件を『別の組織が雇った腕利きによる不意の襲撃』と結論付けていた。
セルナ(別の組織)が雇ったアレシア(腕利き)による不意の襲撃なので、実は当たっている。
「さて、それでは要求ですが、あなたが追い出そうとした住民たちに相場の倍の金額を支払って穏便にカジノ計画を進めることです」
「……は?」
あまりにも普通で、そして小さい要求だったことに、男爵は頭が混乱した。
「住民たちに相場の倍の立ち退き費用を払え、と言いました」
「……それだけか?」
「それだけですが?」
沈黙。
「……いや、それだけのために、お前たちエスアイユーとやらは、犯罪組織を潰して、ワシを脅迫しに来たと?」
その質問に、セルナ達三人が同時に頷いた。
しかしセルナは思った。
確かに要求内容と行動が見合っていないかも、と。
まぁセルナ的には『同志を泣かせたから許さない』という感覚なので、特に問題はないけれど、それが一般的でないことは理解している。
前世のセルナなら、絶対に何か裏があると勘ぐる。今世のセルナは他人を信用できる素晴らしさに、ある意味では溺れているのだ。
「我々の真の目的を、あなたが知る必要はありません」
ニーナがピシャっとそう言うと、男爵が「なるほど」と頷いた。
当たり前だが、真の目的などない。そもそもこれが真の目的なのだから。
しかしそれは効果的な言葉だった。男爵はもう完全に納得しているのだ。
何か裏の目的があって、これはその足掛かりに過ぎないのだろう、と。
「見てるぞ」
ジャックが右手をピースにして、自分の両目を示したあと、その指先を男爵に向けた。
◇
帰り道。
尾行者がいないことを確認したのち、仮面を外したセルナが言う。
「かっこよかったよ同志ニーナ」
「そ、そんな……照れます……」
ニーナが頬を掻く。
「だな。『真の目的を知る必要はない』、キリッ!」とジャックがちゃかす。
「ちょ、ちょっと同志ジャック」
ニーナが頬を染めてポカポカとジャックの肩を殴った。
そして三人は月明りと星明りに照らされた道を進む。
「これで君も真の同志だニーナ」
「ああ、一緒に貴族を脅迫した仲だからな」
セルナとジャックがそう言うと、ニーナは表情を改める。
「はい。末永くよろしくお願いします。私は不正のない、いえ、不正をさせない管理社会に心から共感しています。目指しましょう。身分差別もなく、競争もなく、みんなが平等でいられる社会を」




