17.ありがとう
「貴女の未来に幸せがあることを祈ってるわ」
「私も、カーナさんが幸せを見つけられることを祈ってます」
「……さようなら」
「……さようなら」
翌朝、そんな風にお世話になったカーナさんとトウに別れを告げて、村を後にした。
地面の草を刈って均しただけの道をそのまま南へ歩くと、そう歩かぬうちに、大きな道と合流した。猫の町と最初の駅を繋いでいた最初の道と同じような、大きな、最後の道に。
「ナツ。ナツがまだ小さい頃、庭の木に登って降りられなくなったこと、覚えてる?」
「うーん? 覚えてない」
「みゃー、みゃー、って、ナツが悲しそうに鳴いてて、私もまだ小さくて、ナツを助けられなくて泣いちゃったんだよ」
「そっか……」
「同じくらいの頃だったかな? ナツが咳をしてて、私、ナツが死んじゃうんじゃないかって、恐くて恐くて。でも、毛玉を吐き出したら、ナツったらケロッと元気になってたよね」
「あったっけ? そんなこと……」
「そうそう、私、子供の頃、ナツは病院を嫌がらなくて偉いな~って思ってたんだよ? なのに、高校生になったばかりの頃だっけ? 初めて私がナツを病院に連れて行ったら、病院に着いた途端に暴れ出すんだもん」
「べ、別に、病院は嫌じゃないよ。あの……臭いがダメなんだよ、臭いが……」
「その割には、獣医さんから必死に逃げようとしてたように見えたけど?」
「もう、意地悪!」
「そういえば、ナツには新品のジーンズをその日のうちにダメージドにされたことなんかもあったっけ」
「むぅ……ボクだって、カノの昔のこと色々覚えてるよ? まだ小っちゃかった頃、男の子を泣かせたー、って帰ってきて、お母さんに叱られてたこととかさ」
「そんな昔のこと……あっ。お、覚えてないなぁ……」
「だったら他にも――」
――私達は、そんな、他愛もない(?)昔話や、この世界に来てからのこと、色々なことを話しながら、このかけがえのない時間を惜しむように、のんびりと、ゆっくりと、東へ歩いた。
いつしか周りの景色は、一面の草原だけになって。道は、その中を横切るように、ただ真っ直ぐに東へ延びている。
見晴らしの良すぎるその世界に、私達の邪魔をするものは何も無かった。
やがて、優しい沈黙の中で、私は甘えてきたナツを抱き上げて、その温もりを腕の中に感じながら、前方の光に向かって、歩いていた。
「ナツ。私はね、あの事故から皆を守りたかったんじゃなくて、きっと、あの事故を起こした、死んだ運転手に復讐したかったんだ――」
それは、思いつきのように浮かんできた言葉だったけど、きっと、前から気付いていた気持ち。どうしてだか、ナツに聞いて欲しかった。
「――そしてあの時も、カレを炎から助けたかったんじゃなくて、あの辛い現実を全部、無かったことにしたかった。……だから私の魔法は、身を守るだけじゃなくて、モンスターを理不尽な力で吹き飛ばしたし、火を消すだけじゃなくて、モンスターも町も、全部まとめて押し流した。私はどこかで自分のそんな醜さに気付いていて、辛い現実だけじゃなくて、そんな自分からも、目を逸らして、逃げようとしていたんだと思う」
「でもカノは、その魔法で、ボクのために飲み水を生み出してくれた。その優しさもまた、カノのものだよ」
「……ナツ……」
「カノは、醜い気持ちを抱えているかも知れないけど、それだけの人じゃない。だって、ボクも、お父さんも、お母さんも、それに癪だけど……あの花恋って奴だって、カノのこと、大好きだったんだから」
「……うん」
今なら――この世界で、私にとって大切な、いくつかの出会いを経験した、今なら。
「みんなみんな、大好きなカノに、笑っていて欲しいって思ってるんだから」
その、ナツの言葉を、素直に受け入れることが出来る。
「だけどカノは、お父さんも、お母さんも、あいつも、皆がいなくなってから、ずっと本当には笑ってくれなくて……。だからボクは……」
腕の中のナツは、私に顔を見られないようにしていて。でも、その身体の震えが、私に伝わってくる。
「……だけど」
ナツが、私の腕から、飛び降りた。
そして、少し歩いて、振り返って、私を見上げて。
「この世界に来て、少しずつ笑ってくれて、昨日はやっと、前みたいに笑ってくれたね」
その声は、強い感情を押し殺しているようで、だけど私の耳に、とても優しく響いた。
でも、私の腕から失われていく温度が、迫るその時を知らせようとしている。
「だからもう、カノは大丈夫だよね」
徐々に光に包まれていく世界で、私の視界が、ぼやけていく。
「……っ、ナツぅっ……」
私は嗚咽を押し殺そうとして、やっとそれだけしか言えなくて。
「カノぉ……。……泣かないでよぅ……」
ナツの声も、遂にその悲しみを隠しきれないで。
――駆け寄って、抱きしめたい。
だけど、ナツは、もう私がちゃんと、一人で前に進めることを、信じてくれているから。
だからナツも、我慢してくれているのだから。
私は、歯を食いしばって、耐えなくちゃいけない。――ナツが、心配しないで、済むように。
「カノ……。ううん。もうボクは、あいつの代わりに守らなくても大丈夫だから……また前みたいに……」
光はいよいよ世界を飲み込もうとしている。
その時が、訪れようとしている。
この世界に来た時から、こうなることは、心のどこかで分かっていた。
だから、覚悟も、積み重ねてきたはずなのに。
それなのに、こんなにも、涙が止まらない。
そして、光の中に、ナツの声が、力強く響き渡る。
「ありがとう! ありがとう! ずっとずっと、一緒に居てくれて、楽しかった! 嬉しかった! 幸せだった! どうかいつまでも、いつまでも! 元気でね! 幸せになってね! ボクの、大好きな――お姉ちゃん!!」
光は、ナツの姿も、私の慟哭も、全てを飲み込んで。
――ほんとは、とても甘えん坊なくせに。
あの日からずっと、私のために、カレの代わりに、頑張ってくれていたんだね。
本当に……、ありがとう。私の大切な、私の大好きな、ナツ――。
そして私もまた、その光の中に溶けていった。




