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第11話 ぼくとエミーリア 2

 こんにちは、ぼくは、スライムの抜け殻です。

 いや、正しくはスライムの形をしたでくの坊です。


 あの月夜の晩、先輩と深淵の怪物の死闘以来、ぼくは魂がどこか抜け落ちてしまったかのようになっています。

 先輩は、深淵の怪物とともに三日三晩燃えたあと、灰の山になりました。

 バルターク家の庭で灰の山になった先輩を、その過程を、ぼくは呆然と眺めていることしか出来ませんでした。

 エミーリアやユーリアさんが何度も声を掛けてくれて屋敷に連れて行こうとしますが、ぼくは生返事をするばかりで、その場を離れることはありませんでした。

 ぼくは、何も出来ずに先輩を二度も失ったのです。

 悲しみを通り越すと、感情が鈍磨するのですね。

 エミーリアやユーリアさんは、ぼくの果てのない喪失感を察しているのか、普段通りに接してくれるのですが、今のぼくはその心遣いに感謝の気持ちを抱けるほどの余裕がなくなっていました。


 さらに日が経ち、表面上はずいぶん取り繕うことが出来るようになりましたので、ぼくは普段通りバルターク家の養子として振る舞っています。

 また、先輩の形見であるグレゴル子爵家もぼくの預かりとしています。

 ちなみに先輩は対外的にはあくまで「人間」として認識されています。

 その、貴族であるとは言え、一介の人間が深淵の怪物と戦って勝った、ということになっているため、街では先輩の噂で持ちきりなのです。

 そうやって先輩のことが語り継がれることに、ぼくは例えようもない嬉しさと悲しさを抱くのです。

 ただ、今日は先輩の遺骸である灰を「完全撤去」する日です。

 曇天の下、バルターク家の庭では灰がふわふわと風に吹かれて舞います。


「先輩……」


 灰の山の前でふと声に出すと、まるで保護者を失ったような心許なさがぼくを襲いました。


「せんぱい……」


 先輩はどうしてぼくを置いて何度も先に逝ってしまうのですか?

 どうして命に対してそこまで潔いのですか?

 生き急いでいたのですか?

 先輩、ぼくはこれからどうすればいいのでしょうか?


「……天使様、いいえ、スライムさん」


「はい、ああ、エミーリア」

 振り向いた先にあるのは、まるで自分が死にそうな顔をしているエミーリアでした。

「どうしたの、ですか? エミーリア」

「スライムさん、涙を拭いて」

 エミーリアはぼくにそっと、レースのハンカチを差し出します。

 ぼくは無表情で片手を頬に添え、ぬるい水分がぽろぽろと頬を伝っているのに気付きました。

「ああ……、ぼくは泣いているのですね。涙が流れていることすらわからなくなっていました」

 エミーリアはそのままぼくに寄り添ってきます。

「スライムさん、もう、戻りましょう、このままここにいてはスライムさんの心が壊れてしまいます」

「心など……死んでしまった先輩に比べたら、こんなもの、いや、こんな命もすべて、何の価値もないものです」

 ぼくは空虚な笑みを浮かべていたと思います。

 エミーリアは一瞬悲痛な顔をしたあと、ぼくを睨み付けました。

「スライムさん、あなたは生きねばなりません。ルドヴィーク・グレゴル子爵は……先輩はあなたに何と言っていたのですか?」

「ぼくに、後を頼むと」

「先輩の遺言がある限り、あなたは生きるのです、母もそう言っています」

「確かに先輩はユーリアさんを頼むと言っていました。ですが、こんなぼくでは、どれだけお役にたてるかわかりません。だから、やっぱり『ぼく』はいらないのです。ああ、そもそも自身と先輩とを比べることすら無意味ですからね」

 今ぼくは上手く笑えているのでしょうか。

 そう思いながらエミーリアを見ると、エミーリアが意を決したように口を開きました。


「あなたがそうおっしゃるのならば、その命、私にください」


「え……」

 きょとんとするぼくに対し、エミーリアは真剣な表情で言葉を継ぎます。

「私は、スライムさんのことが大好きです。私にとってスライムさんはかけがえのない存在です。あなたが要らないと言っているその命は、私にとってはこの世で一番価値あるものです。……ねえスライムさん、物の価値は、その価値を知っている人が持つことによって真価を発揮するのではないのかしら?」

「……」

 十四歳のエミーリアにそこまで言わせてしまったぼくは、しかしそれでもまだ不安でした。

「ぼくなんかが先輩の代わりになどなれないのはぼくが一番よくわかっています。でも、エミーリアがそこまで言ってくれるのならば、ぼくは、エミーリアのために生きていくことを誓うよ。……ぼくの命はエミーリアのものです」

 エミーリアは切なげな顔をしたあと、ぼくにぎゅっと抱き付きました。

「ありがとうございます……あなたならきっと、そう言ってくれると思っていました。そしてこれは、まだ言わないでおこうと思ったけれど、でも、やっぱり、どうせわかることですから、先に伝えておきます。……お母様が、懐妊したのです」

「え、そ、それは、おめでとうございま……」

「お母様のお腹の中にいるのは、お父様との子供ではありません」

 一瞬思考停止したぼくがいぶかしげに首を傾げると、エミーリアは顔をあげて、ぼくに視線を合わせました。

「きっと、グレゴル子爵との子供だと思います。お母様は、それしか心当たりがないと言っていました。ちなみにお父様は承知済みです」

「えっ、それじゃあ……」

「おそらく本体が消滅したので、お母様の体内の残滓が新たな命として発動したのだと思います」

 過去、思い返すと、先輩は自分の命と体を使って病気になったユーリアさんを助けました。

 そのことによって、先輩の残滓がユーリアさんの体内に残っていたとしても何ら不思議ではありません。

「じゃあ、先輩が、生き返るということなのだろうか?」

「記憶がどれだけ引き継がれているかはわかりませんが、それでも、確実にお母様から生まれてくるものはグレゴル子爵の分身であることには間違いないです」

 ぼくはその時、自分の顔がへにゃりと歪むのを感じたのです。

「先輩が、戻ってくる……」

 ぼくはじわじわとした感動を覚えました。

「良かった、スライムさんが喜んでくれて」

 エミーリアがぼくの、今度は嬉し涙を拭いてくれます。

「それで、両親からは許可を貰っていますが……子供はスライムさんと私の子供として育てませんか?」

「えっ!?」

 驚くぼくはエミーリアを見返します。

 彼女は強い意志を宿した瞳でぼくに笑いかけてきました。

「私じゃ頼りないかもしれませんが、私、これから生まれてくる子爵の分身を我が子として育てる覚悟はあります。だって、グレゴル子爵はスライムさんの大切な人ですもの」

 可憐な見た目に反して、彼女のその志に、ぼくは畏敬の念すら抱きました。

「ああ……エミーリア……ぼくは君に、いや、君と君の家族に何とお礼を言ったらいいか」

 ぼくが感極まりながらもそれだけ言うと、エミーリアが恥らいながらぼくに声を掛けます。

「お礼なら、死が二人を分かつまで、私を沢山愛してくださればそれで十分です」

「エミーリア」

 ぼくはエミーリアの抱擁を解くと、彼女の前で片膝を着きました。

 彼女の両手をしっかりと握ると、その可憐なかんばせと美しい菫色の瞳を目に焼き付けました。


「ぼくは、永遠にあなたのものです。愛しています、エミーリア。あなたの望みは必ず叶えてみせましょう」


 エミーリアの瞳からは大粒の涙がぽろぽろと溢れ出てきました。


「ああ……私もです、天使様、いえ、スライムさん、私も、愛しています」


 そうして、ぼくとエミーリアは力強く抱き締め合い、誓いの口付けを交わしたのです。

 それはまるで、撤去されていく灰が雪のようにさらさらと舞う日でした。





「さて、まだ片付いていないことがあるね」

「敵対勢力とあの魔術師ですね」

 ――ここはバルターク家の執務室です。

 エミーリアのお父さんは、すでに敵の動きを封じることに成功していました。

 あいにく魔術師は取り逃しましたが、見つかるのも時間の問題だろうとのことです。

 そしてぼくは先輩が有していたグレゴル子爵家を継ぎました。

 ユーリアさんから生まれてくる先輩の分身を大切に育てるために、そして僕自身の人間社会での基盤を作るためにです。

 住居の拠点はグレゴル子爵家に移りましたが、このようにちょくちょく作戦会議をしにバルターク家に足を運びます。

 エミーリアはぼくと共に行動しているのですが、実家と新居とを往復する日々を楽しんでくれているようです。

 ええ、本当に良く出来た幼な妻です。

 ……ふふふ、妻です。

 エミーリアは正式にぼくの妻になったのです!

 これに喜ばずにいられましょうか。

 ということはですよ、皆さん、ついに、ぼくはエミーリアと一線を越え……てはいません。

 エミーリアが16歳になるまでは涙を呑んで耐えるつもりです。

 ただですね、グレゴル子爵家の綺麗なお姉さんたちからは、淫気を大量に供給させてもらっています。

 だって、ぼくが先輩のお父さんになるのですよ?

 エミーリアと先輩を守れるほどの力が必要なのですから、お姉さんたちには全面的に協力してもらっています。

 ぼくの理想の父親像は、強くて優しくて格好良い、そんな父親なのです。

 これから生まれてくる先輩の住環境を優先的に整えるのは父親として当然のことだと思うのです。

 先輩に何不自由なく、生きて欲しいという気持ち……ああ、これが、人間でいう所の「生き甲斐」というやつなのですね。

 先輩が生まれる前から、ぼくはわくわくしていました。


 ――それがたとえ、ぼくの気持ちをエミーリアのお父さんに利用されていたのだとしても。

 自家の力を、異形の怪物を取り込むことによって強固にしようとしていたのであっても、ぼくは、今、本当に幸せなのです。



 月が満ち、ユーリアさんに陣痛が来ました。

 どんな作用か、ユーリアさんはベッドの上で頬を薔薇色に染め、悩ましげな声を上げています。

 新しい先輩は、生まれる際に、ユーリアさんに快感を与えているようなのです。

 やがて、産声を上げたのは、人間の姿に擬態した、ふわふわとした亜麻色の髪と菫色の瞳の可愛らしい赤ん坊でした。

「ああ……先輩……」

 ぼくが感極まって、涙を流しながら先輩に顔を近づけます。

 すると、先輩の髪と瞳の色が、ぼくと同じ色味に変化しました。

 どうやら、先輩は本能で育ての親を嗅ぎ分け、髪と瞳の色をぼくと同じ色味に擬態させたようなのです。

 これならほかの人間が見ても、怪しまれませんね。

 以前の先輩は、どこか儚さを持っていたのに対し、今度の先輩は生きることに正直です。

 そんな先輩を見たエミーリアが手を差し伸べました。

「んま?」

 新しい先輩はエミーリアをしっかりと捉えて、笑顔を向けました。

「何て可愛らしいのでしょう……」

 エミーリアが頬を染めます。

「そうでしょう? 先輩は本当に可愛いですよね?」

 ぼくは早くも父親の心境です。

 そんな中、エミーリアのお父さんから、出陣の話が来ました。

 あの魔術師が見つかったとのことです。


 そうしてぼくたちは、最後の戦いに出向いたのです。


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