元第1王位継承者、ロイズ
「陛下がお呼びだと?」
ロイズは兄以外にはひざまずかないゼムを見上げた。さっき会議を終えたばかりだというのに冗談じゃない。
それにどちらかと言えば小柄のロイズはまともに向き合うと背の高いゼムを見上げる形になるのも不快で仕方がなかった。
「ええ。今すぐお連れするよう言われています」
感情のない声。
「ああ。…なら今すぐ行こう」
ふっとため息をつきながらロイズはゼムの後をついて行った。案内された部屋には窓がない。何か機密事項を論ずる時のみ使用される部屋だ。大きな机の向こう側に兄がいて、その面にはいつも穏やかな微笑がへばりついている。もちろん、今も。
「ああ、ロイズ。私の右隣に座ってくれ」
「はい」
ロイズが返事をするともう一人の人物が入ってくる。
「失礼します国王陛下。それからロイズ殿下。お久しぶりです」
男は凛とした声で言った。
「リアジェ。そっちに座ってくれ」
微笑で兄は答える。
リアジェ。機密執務局の局長である。先代国王の弟でありながら寵姫の子だったため王位継承権を認められなかったが、臣下として大きく権力をふるい兄の王位継承に大いに尽力した――つまり、ロイズの王位継承を差し止めた男である。
ロイズはリオより二歳年下にあたる同腹の兄弟だったが、生まれた時から王位第一継承者として教育され、王になるはずだった。
ロイズはプライドも高く傲慢だとも言われた。その反面、王室の慣例をよく守り、それでいて的確で鋭い意見を出した。彼はいわゆる天才肌だった。
ロイズの即位を疑った者はいなかった。おそらくロイズ自身も。
ロイズの決断が変わったのは彼に生じた理性と感情、二つが理由にある。
ロイズがリオの存在を知ったのは母がなくなり5年たった時であった。ロイズは父である前国王にリオの存在を聞かされ驚き、怒りも感じた。
なぜリオを外に追いやったか。またなぜリオを今更連れ戻すというのかと感じたのである。
それからすぐにリオと初対面することとなった。
リオとロイズは二人並んで王位継承者の教育をうけるという奇妙な事態になったが、その時にロイズは不思議さを感じた。
教師がリオに何かきいてもリオは首を横に振るだけだったのである。
最初、ロイズはリオを侮蔑した。これが兄なのか。なぜ私と並んで教育を受けるのかと。
しかし教師がロイズに間違ったことを言いかけたことがあった。それをロイズは気づかないでいるとリオが不意に教師に言ったのである。
今あなたが言った詩の解釈は間違っている。
教師もロイズもこれには驚いた。教師はリオにどう間違っているのか聞いたところ、リオは朗々と開いていたページには載っていないその詩の一部分を暗唱してみせ、この部分がここでは削られているから誤解を招きやすいが実際はこうなのだと説明してみせた。
やられた。ロイズはそう口に出しそうになる。リオを侮蔑した自分が恥ずかしくもあった。この兄はわからかったのではない。わからないふりをしたに過ぎなかったのだ。
ロイズがリオを見るとリオはいつにも変わらず穏やかな顔をしている。
ロイズはこの時、兄に王位を譲ると決めた。彼からすれば本来あるべき者をあるべき場所に置いただけのことである。
好きになったというわけではない。むしろどうしてこの男はこんなふうに人に本音を言わないのだろうとさえ感じ、一人の人としてはとても好きにはなれなかった。しかし望まない王位を継承する重圧がロイズにはかかっており、また他の王族に陛下と呼ぶに値する人物もいなかった。しかしこの狡猾かつ辛抱強い人なら国王として尊敬できると思った。本心を隠すというのは君主にもっとも大切な能力だったからだ。彼は第一王位継承者の立場を譲ると決めた。孤独で聡く、強いこの男に。
リオが即位して3周年経った夜、ロイズは眠れなかった。
ロイズは気が立っているせいか身体がなんだか熱く、熱でもあるのかと感じた。
水でも持って来させようとドアを開けるとちょうど近衛兵とともに見回りの者と目が合う。
ロイズより少し幼い年齢の少年だった。猫のように鋭い目が印象的な奴だった。
ロイズを見ると少年はひざまずいて挨拶した。ロイズが呼びかけると顔をわずかに上げたが目は合わせかった。
その挨拶の仕方や近衛兵の様子から末端の下働きのものだとすぐわかった。ロイズが水を頼むと少年は頷いたが重ねてロイズの体調を尋ねる。寝苦しいのか暑さを感じるのかといったものだった。
これには近衛兵が反応した。下働きの者がロイズに口をきくだけでもおそれ多いのに余計な質問するのは何事だと言ったのである。
大柄な近衛兵に一喝され少年は一瞬こそびくりとしたが次の瞬間には近衛兵を睨みかえして「私は陛下に余計な質問をしたのではございません」と言った。
ではなぜ私の体調を尋ねるんだとロイズが聞くと再び頭を下げて水一杯にも体調に気を遣う必要があるからです、と遠慮がちながらはっきり言った。
自分は今暑くて眠れないとロイズはこの少年がどうするか興味を持ち言ってやると少年は素直に頷き、会釈をしていちど引っ込んだ。
少年が部屋に盆を持ち入ってきた。月明かりに照らされた少年の顔をみると猫のような印象的な目に反して大人しそうな品の良い顔立ちをしている。しかしそれが彼の気の強そうな眼差しをより縁取るようだった。
「これは?」
ロイズは彼が差し出したコップの中を見て尋ねた。
「牛乳に水を混ぜました。こうすると身体の熱がとれますので。ロイズ様のお体が牛乳にあわないか厨房に尋ねていたので遅くなり、申し訳ありません」
「そうか」
ロイズはそう応えたあと続けて聞いた。
「君はどこの所属だ」
「西殿です」
下働きでも下層にあたる者が所属する所である。
「給仕もしない者じゃないか。よくこんなことを知っていたな」
ロイズが言うと少年は無邪気な微笑みをみせた。
「母が私に何でも飲ませたり食べさせたりする時はこうしてくれましたから」
ロイズは少年が昔の兄に重なった。能力はあるのに認められていない。本来はここにいないはずの男がここにいることを。
この時まではこれでよかったのだろうかというリオへの譲位に対する疑問があった。しかしそれは拭い去られ、ロイズはリオを支えようと決めたのである。
「久しぶりだな。リアジェ殿」
ロイズは無表情のまま言う。ロイズは誰に対しても無表情だったが、このリアジェを警戒していた。自分が王位を譲ったのは構わないし、他の貴族が兄の王位継承に反対できないように貢献したのはいいが、機密事項をこの男に処理させるリオの考えが機密情報の管理をするロイズには読めなかった。
リアジェが席に着くと会議が始まった。ロイズはリオの顔を見てみたが相変わらず穏やかな顔を見せていた。
会議の後のことであった。
「――マリア?」
国王はゼムの顔を見て首を傾げた。全く記憶にない名前だった。
「バロウズ伯爵家が迎えた養女です。調査の結果が出ましたので」
ゼムは資料を暗記でもしてるのか何も見ずひざまずいてこたえる。
「ああ…この前頼んだやつだね」国王が聞きかえすと、
「ええ…」とゼムは答えた。
「ふん…」
リオは頷きながら資料に目を通す。マリアが元々レイの婚約者だったこと、マリアの育ちなども詳細に書かれている。
「ゼム」
リオは呼びかけいつものように命令を伝える。そしてゼムは彼の命令を聞くと頷き、そのまま一礼して部屋を去った。




