「優しい娼婦」
「リオ様」
眩しい光を感じてシャリナは過去の夢から引き戻された。暑い季節でもなかったのに汗がうなじを伝うのを感じた。そんなシャリナを見て彼女を起こしに来た侍女のエリーはシャリナににっこりと笑いかけた。ただ愛しい人の夢を見ているようにしか見えなかったのだろう。
「おはようございます。シャリナ様」
シャリナの肌は陶器のように艶やかでくすみがなく、整った顔立ちはビスクドールのように整っていた。20という歳は当時では若いとは言えない年齢だったが彼女は若い人にあるみずみずしさと10代にはない色香を併せ持っていた。
「おはよう…陛下は…もう起きていらっしゃるのね」
シャリナはベッドの横を見るとなんだかさみしそうに言った。
「ええ。よく寝ているようだからもう少し起こさないようにとおっしゃってご公務に行かれました。陛下はシャリナ様のこと気にかけていらっしゃるんですわ」
シャリナは笑顔でエリーに応えた。エリーは国王がシャリナを愛してることがはなんだか自分のことのように嬉しそうである。そんなエリーを見てシャリナはぽつりとつぶやいた。
「…ありがとう。エリー」
「え?」
エリーはきょとんとした顔をした。ただの下働きだったエリーは14の頃からシャリナの侍女になって3年になる。その頃からシャリナは自分の姉のようにシャリナを慕ってくれている。シャリナはただの寵姫なのに、である。
「いえ、なんでもないわ」
シャリナは首を振った。
「朝食にするわ。食事の準備はできてる?」
シャリナがそう言うとエリーはほほえみ頷いた。
「はい。できております」
食事を終えるとシャリナはその日の予定どうりに外出した。馬車に乗り込み市街地に出ると周りがざわついているのが分かった。
「来た来た。あの馬車だろ?『優しい娼婦』が乗っているのは」
揶揄するように一人の男が言う。『優しい娼婦』というのはシャリナの裏のあだ名である。孤児院や貧者の病院を建設したりといった優しい一面と王を誘惑する娼婦の一面があるという意味が込められたものだった。
「ああ。でもカーテンが閉じられてるから見えねえな。娼婦っつっても俺たち庶民じゃ顔もおがめねぇって事だ」
そういって男たちは下卑た笑いをうかべた。
エリーはカーテン越しにでも人だかりができているのがわかるようで腹が立ったような顔をしている。これを見てシャリナは笑ってしまった。
「もう、シャリナ様!何がおかしいんですか?」
「だって、あなた私よりも怒ってるんだもの」
「だって腹が立つじゃないですか。シャリナ様と陛下は純粋に愛し合ってるだけなのに。シャリナ様のことをあれこれ言って…」
そんなエリーを見てまあまあとシャリナはエリーをなだめた。
「いいのよ。私が気にしても陛下をわずらわせるだけだわ」
そういうとエリーは笑顔になって言った。
「そう言えば、シャリナ様のこと揶揄した芸をして評判になっていた旅芸人を陛下がご覧になりに行かれたことがありましたわね」
それを聞くとシャリナも懐かしい話を思い出してフフフ、と苦笑した。
「ええ。あの時は大変だったわね。私役の女の人を指差して『結構な劇だが、シャリナ役にふさわしい美人を用意するんだな。できればのはなしだが』っておっしゃったものだから気恥かしかったわ」
「陛下はシャリナ様を愛してらっしゃるんですわ」
エリーは二人の馴れ初めを知らない。傍らから見ているとリオのほうがシャリナに心底惚れているように見えるだろう。
しかしシャリナはどちらが惚れているかと言えば自分のほうだとは分かっていた。彼が自分をそばに置いているのには別の理由もあることも。
シャリナは元々リオの母親である王妃付きの侍女だった身である。
下級貴族の娘であるシャリナにとって王妃の侍女になることは名誉であり王族のお手付きになれば良し、嫁に行くさいに箔が付くことでもあった。
リオは幼い頃は病弱で北端にいた。
王妃はできる限りリオの側にいようとできるだけ北端に通っていたため、シャリナはリオと頻繁に顔を合わせていたものの、一度も話しをしたことはなかった。
侍女は王族の男性とは話でもして万が一間違いが起きぬよう目を見ることさえ禁じられていたのである。
しかし、王妃がリオのいる宮殿に着いた夜、その日に限って手薄だった警備の隙間をついて宮殿が襲撃されたのだった。
シャリナが目を覚ますと炎の明るさですでに空は紅く染まっていた。
炎に包まれた宮殿の中を歩くとシャリナは倒れている人達が目に入った。
知っている顔もいるなかシャリナはすぐに王妃を避難させることを優先することにした。
顔を煤で汚し、死骸から目をそらし、人の肉の焼ける臭いで気がとおくなりながら王妃のもとになんとか辿り着いた。
しかし王妃はすでに負傷しており瀕死の状態である。
シャリナは王妃の意識を確かめようと話しかけた。王妃は焦点定まらない目でシャリナを見るとシャリナかと聞き返す。
そうですわとシャリナは返事をし、今外にお連れしますわと体格の変わらない王妃を背負おうとした。
するとぼんやりしてた王妃が不意にはっきりした目でシャリナを見るとリオの安否を尋ねた。
シャリナはリオの安否を知らずにいいえと答える。
すると王妃はシャリナを突き飛ばし、自分を逃がす暇があるならあの子を少しでもとおくへ逃がせと瀕死の状態ながらとぎれとぎれに言ったのだった。
シャリナは王妃をそれでも連れだそうと手を伸ばしたが王妃はこれを拒否する。
このまま押し問答を繰り返してはシャリナも王妃も焼け死ぬことになるため、シャリナは仕方なくリオの元に向かうため部屋を出てしまった。
シャリナがリオの部屋に行くとリオはすでに小姓の少年が窓から連れ出そうとしていた。
このときまだ9歳だったリオは抵抗し、母はどこにいるのかと言って小姓を困らせている。
シャリナに気づくとリオは母様の侍女がなぜここにいるのかと聞いた。
シャリナはこの時嘘をついた。王妃様は私が迎えに行きます。命に代えてでもお助けしますから先に逃げてくださいとシャリナは嘘を言った。
リオは不安げな表情だったが頷き、頼んだ、とだけ言った。
ゼムもシャリナに頷くとそのまま窓からリオを連れ出したのである。
シャリナはそこからどう王妃のもとへ戻ったのか覚えていない。もちろん王妃はすでに息絶えていた。
主人を失った若干9歳のシャリナは王子に会わせる顔もなく、実家に戻る気にもなれず修道院に入って日々祈りを捧げていた。
修道院に入り7年が経ち、彼女が16歳になったとき、あの時のリオ陛下が王に即位されたと聞いた。
身体も弱く王位は望めないとされ、僻地にいたあの子が即位されたのかと思うとシャリナは神に感謝した。
そしてその知らせを聞いて間もなく国王から宮殿に呼び出しがかかった。
シャリナはこれが恐ろしかった。あの子は自分を怨んでいるだろうと思っていたし、なぜ自分が呼び出されたのかまったく考えられなかったからである。
修道女の格好で参上したシャリナは怯えながら通された部屋にいた。
自分は死刑にあってもおかしくないと思ったためである。
しかしシャリナの予想に反してリオは穏やかな表情で部屋に入ってきた。
シャリナは彼をみて一瞬まったくの別人が入って来たと感じた。
よくみればたしかに顔立ちには面影があるし、リオの顔であるが顔つきが全く違っていた。
彼があれからどんな経験をしたかは知らないが一度弾かれたリオが国王になるに並大抵ならぬ厳しい経験をくぐりぬけたのだろう。
同じ年とは思えないほど大人びた表情をしていたがそれに反し、綺麗な目をしていたことが何より印象的だった。リオは微笑むとシャリナに挨拶をした。紳士的で完璧な挨拶である。
侍女の私にどうしてこんな態度をされるのかシャリナは不思議に思いながら挨拶を返した。
リオはシャリナの緊張を察したのかしばらく他愛もない話をしてくれた。冗談を言って笑わせたりシャリナの緊張をほぐしてくれたのであった。
シャリナはとても自分が一つ年上などとは思えなかった。これがあの少年だと思うとますます不思議な心地がした。
それからリオはシャリナを呼び出すことはなく、わざと粗末な服を着て目立たなくし、シャリナのいる修道院に出向いてくれた。シャリナもこれを悪くは思わず、二人の距離は縮んでいった。
リオに寵姫にならないかと言われた時シャリナは迷いはなかった。
彼に愛がないと気づくこともなかったのである。




