第6話 実験体
翌日午前8時。
明日香は制服を着終わり、かばんを持って寮の車寄せに停まった迎えのボックスカーに乗り込んだ。
「おはようございます」とNASSOの職員で明日香専属の運転手であり連絡員でもある北村早苗が挨拶した。
「おはよう。なにかある?」
「B級案件が1件あります。現在現場で対応中です。位置ですが、学校までの通路上のようです。周囲一帯は進入禁止措置対象になっています」
「そうなんだ。回り道も面倒だから、介入しようか。このまま行って」
「分かりました。フル装備しますか?」
「上着を脱いで、靴だけ履き替えればいいと思う。服が汚れないように対応するから大丈夫」
「いま本部から連絡がありました。先ほどのB級案件ですが、リ・ジェネシスのエージェントとみられる人物と、包囲中のエージェントが交戦中、負傷者が出ているようです。これによりA級案件に格上げされました」
「処理していいの?」
「処理対象となっています」
「分かった。場所は?」
「現場は前方。ここからそれほど離れていません。前方に障害物! 横転した自動車です」
「出るよ。止めて」
「こっちのエージェントが、8人。そのうち二人倒れている。その先に戦闘服を着ている男が一人。男の適合率は30パーセントくらいかな」
「ということはS級案件?」
「そうかもね。じゃあ、出る。こっちのエージェントには手出しせずに見守っているよう伝えておいて」
「了解です」
現場はすでに進入禁止措置中なので、一般車両は強制的に現場近くから排除されているし、通行人もアラートが出ている関係で誰もいない。
桜が丘女子高校の制服の上着と靴を脱いだ明日香はボックスカーに備え付けられた戦闘用装備のうち、戦闘用ブーツに履き替え、真っ黒なフルフェイスのヘルメットをかぶった。手袋はどうしようかと思ったがやめておいた。
明日香の戦闘用ブーツ、フルフェイスヘルメットどちらも艶消し済みの黒だ。さらにヘルメットのバイザーも黒いため、バイザー越しに素顔は見えない。
ただ、現在の明日香の外見は学生服のスカートに白いブラウス、真っ黒なヘルメットに真っ黒なブーツ。誰が見ても、ものすごくおかしな格好だ。さらに、バトルスーツを着ていないためヘルメットが固定されていない。仕方ないので明日香はあごを突っ張らせて、ヘルメットが妙な具合にずれないようにしておいた。
ボックスカーから降りた明日香は、横転した自動車の陰に隠れて現場を取り巻くエージェントたちに向かって歩いて行った。彼らの先には黒っぽいバトルスーツを身に着けた男が向こうを向いて立っていた。
近づいてくる明日香を認めたNASSOのエージェントたちは、奇妙な格好の彼女を制止しようとしたが、北村早苗からの不干渉の連絡を受けていたので、その場で状況を見守ることにした。顔はヘルメットで隠れて見えないが、どう見ても未成年だ。未成年で実戦に出ることができるエージェントといえば、噂のNo.3しかいない。
その明日香は彼らを通り過ぎて男に近づいていき、男も明日香に気づいて振り向いた。男の目は、あらぬ方向を向いていたので明日香は違和感を覚えたが、どうせ斃してしまえば終わりなので気にせず、いつもの言葉を男にかけた。その声はヘルメットのボイスチェンジャーで機械的な音質となっている。もちろん発声時にはあごの突っ張りは解除している。
「言い残すことはある? あなたが何を言おうがわたしは覚えないけど、NASSOの記録には残るよ」
男の右手には大型拳銃が握られており、一般人が見れば、文字通り目にもとまらぬ早撃ちでその右手を上げて、明日香に向けて発砲したかに見えたが、拳銃は発砲されることはなかった。
銃口が前を向いたときには、すでに明日香の左手によって銃身が握り潰されており、同時に明日香の右手の親指が男の左のこめかみに突き入れられていた。こめかみにめり込んだ親指の衝撃で男の左目は眼窩から飛び出して、神経だけで繋がったかに見えたが、その神経が目玉が飛び出す力に負けて切れてしまい、目玉はどこかに飛んでいってしまった。
男の体内の生体ナノマシンは男の損傷を修復するために活発に活動を始めたが、明日香が突き入れた指を抜いたところ、その活動が停止して、男はその場に頽れた。
NASSOのエージェントたちがあまりに一方的な展開に目を見張る中、一仕事終えた明日香はボックスカーに戻った。
席に着いて車内備え付けのティッシュで右手の親指を拭き、そのティッシュをくず入れに投げ込んでヘルメットを外したところで、ボックスカーが走り出し、走り出した車内で靴を履き替えた。
「今の男、こめかみを突いたんだけど、そこらのモブと違ってさすがにまだ生きてて、ナノマシンが修復しようとしてた。素手で突いたついでに、わたしの生体ナノマシンを男の体に侵入させて男のナノマシンを変質させてやったら、そのうち動かなくなった」
「明日香さんのそれって、フル・アダプターだからできる芸当なんでしょうが、凶悪ですよね」
「今回はそのために手袋をせずに素手だったし、いつものようなことしたら服が汚れるから使ったけど、普段は使わないよ」
「そうですけど、それ使われたら、相手は無力ですよ」
「だから、普通は手袋もしてるし全身バトルスーツでしょ?」
「そうですけど。それで、やはり男の適合率は30パーセントでしたか?」
「接触した感じだと男の適合率は見た感じよりも少しだけ高くて32から35パーセントってところかな」
「男の顔は露出していましたから、男の適合率はNASSOの職員の誰かが赤外線レーザー測定器で測定しているはずです。男の死体はこれからNASSOで調べると思いますが、32パーセントから35パーセントとなると、やはりA級を越えてS級案件でしょう」
「そうかもね。でもAでもSでも一緒でしょ」
「明日香さんにはそうでしょうが、現場からするとこれは厄介ですよ。S級エージェントを制圧するにはこちらのA級エージェントが複数必要になりますから。制圧できたとしても死傷者が出る可能性がそれなりにあります」
「そうかもね。さっき、男を囲んでいたこっちのエージェントなんだけど、一番高い適合率で22パーセントくらいだった。そういう意味で、負傷者が二人だけで済んだのは、そうとう運がよかったと思う。そうなんだけど、相手の適合率が30パーセント以上あることは、B級エージェントなら測定器がなくてもすぐに気づけたはずなのに、B級案件だったっておかしくない?」
「そういわれればそうですね。今日中にはどういった経緯があったのか分かると思いますから、お教えします」
「うん」
明日香と北村早苗がそういった話をしているうちにボックスカーは桜が丘女子高校の正門近くに停止して、明日香はかばんを持って車から降りた。
教室に入って席に着いたところ、まだ中川春菜も早川紅葉も登校していなかった。
そうこうしているうちに始業のベルが鳴り、ホームルームの時間となった。担任の鶴井静香がやって来た時、教室にはまだ生徒が20人ほどしかいなかった。
「ガス漏れ事故で道路が閉鎖された関係で遅れている生徒がいるようだけど、先ほど閉鎖は解除されたそうだから、そのうちみんな登校してくるでしょう。今日は特に連絡事項はないからホームルームはこれで終了。きょうもみんながんばって勉強するのよ」
「「はーい」」
語尾が下がった元気のない生徒たちの声をまねて明日香も「はーい」と言っておいた。タイミングが遅れたことでクラスの中でクスクス笑いが起こった。
鶴井静香が教室から出ていき、入れ替わりに1時限目の先生が入って来て授業が始まった。授業中、三々五々遅れてきた生徒が現れて、10分も経たないうちに全員がそろった。
遅れてやって来た生徒の一人、中川春菜が席に着き隣の席の明日香に小声で、
『堀口さん、今朝のガス漏れ事故、大丈夫だったの?』
『大丈夫。その前に学校に着いていたから』
『それはよかったわね。最近ガス漏れ事故多くない?』
『コウベだとそんなことなかったと思う』
『そうなんだ。ニュートウキョウって言ってる割に、インフラが老朽化してるのかな?』
『そうかもね。そうだとすると、これから先もガス漏れ続くかもね』
『何とかしてほしいよね』
『そう思う』
任務中の無駄話は、明日香にとって新鮮だった。そして、これこそが高校生活なんだと明日香は勝手に納得していた。
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当日午後3時。NASSO本部局長室。
『No.3が今朝処理した人物の解剖結果が出ました』というメールが山田の端末に届いた。
結論として、現場からの職員による赤外線レーザー測定器の結果と聞き取り調査、それと北村早苗からの明日香の感想などから、被検体は何らかの手段で、適合率16パーセントから適合率32パーセントまでブーストされていたものと結論付けていた。被検体内のナノマシンはすでに全て自壊しており、ブースト機構については詳しいことは分かっていない。
――つまり、フル・アダプターのブースト以上の効果があるブースト手段をリ・ジェネシスが開発したというわけか。しかし、現場からの報告だと、あの人物はとても正気ではなかったようだ。
――ブーストは不完全だったと言っていいのかもしれない。とはいえ破壊を目的とするなら十分有効だ。B級、C級のエージェントが、リ・ジェネシスのエージェントを無力化する過程でこれが使われた場合、かなりの被害が予想される。
――今回はB級エージェント2名が負傷している。命に別状はないようだが、戦線復帰は絶望的と聞く。複数のA級エージェントの投入が不可欠となれば、いずれ彼らの負担が大きくなりすぎて回らなくなる。これから、こういった案件が確実に増える。明日香を学校にやったのは早まったか?
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ニュートウキョウ某所。
「こちらのエージェントがNASSOのエージェントによって包囲されブーストしたことまでは追えていたようだがその先はどうなっている?」
「何らかの手段で実験体は無力化されたようですが、詳細は不明です」
「可能性として、NASSOのS級エージェントが関与した?」
「実験体はまだ試験段階ですから、行動中に自壊した可能性もありますが、NASSOのS級エージェントが関与した可能性は否定できません。当時のNo.2の居所は掴んでいましたので、No.1ないし、現在、存在が未確認のNo.3が関与した可能性があります」
「No.3はフル・アダプターといわれているが、そんな者が実在しえるのか?」
「分かりません。確率統計的には50兆人に一人いても多すぎるのがフル・アダプターですから。これまで連絡が取れなくなったエージェントがいずれも高適合率だったことを勘案すると、さすがにフル・アダプターではないのでしょうが、No.3は空番ではなく実在すると思われます。しかも相当の実力者です。場合によれば、適合率が50パーセントを越えているかもしれません」
「もしそうなら、No.3を斃すにはこちらは最低でも25パーセント適合者をブーストして使い潰さなければならないわけか?」
「そういうことになります」
「NASSOの情報統制が厳しくなってはいるが、No.3の存在の確認を急いでくれ。実験体を何体か使い潰しても構わない。派手な行動をとって追い詰められたところでブーストすれば、いずれNASSOのS級エージェントが現れるだろう。その中にNo.3がいる可能性がある」
「かしこまりました」
――NASSOのS級エージェントを一人でも斃すことができれば組織内での発言力はかなり高まる。複数の実験体で当たれば、いかにNASSOのS級エージェントといえども無傷ではすむまい。問題はブーストしてしまうと連携は不可能なところだが、そこは運任せか。




