第2話 16パーセント
桜が丘女子高校の校門は、生徒たちの体内ナノマシンを個別に認証する赤外線レーザーゲートになっている。
車を降りた明日香が門をくぐると、サイドホルスター内の明日香専用端末が『認証:適合率16%(偽装)』と明日香に伝えた。
これは音でもなく生体ナノマシンと一体化した明日香が『感じた』または『認識』したという意味で、この感覚は当事者である明日香しか分からない。デバイスの開発者自身も数値化はできるがそれがどういった感覚なのかは理解できない。
さらに『……ゲート通過。心拍数、血圧、正常。偽装に脆弱性なし』と専用端末が伝えたことを明日香は認識した。
周囲の女子生徒たちが、物珍しそうに彼女を見ている。原因は、彼女が背負ったランドセル型かばんと、その不自然に真っ直ぐな歩法だ。
「学校の中に潜入ではなく『入った』けど、わたしはこれからどこに行けばいいのだろう?」
しばらく考えた明日香は、編入生は校長室、ないし、職員室に行くべきだと『最適解』を導き出し、近くを歩いていた女生徒に校長室の場所を聞いた。
「転入生なのね。それだったらわたしが案内してあげるからついてきて」
明日香はその女生徒について校庭を横切って校舎の中に入っていった。校庭を横切りながら明日香は狙撃ポイントなどをチェックしながら歩いていたわけだが、案内してくれた女生徒はもちろん、自分が案内している編入生が、そんなことをしているとは夢にも思っていない。
校舎の中の廊下をしばらく歩いて、そして校長室の前まで案内された。その間も明日香は廊下の窓を通して、『いろいろ』観察を続けている。
「ここが校長室だからあとは頑張って。それじゃあ」
「ありがとう」
案内してくれた女生徒にちゃんとお礼が言えたことで、明日香は16パーセントの偽装がうまくいってると自信のパラメーターが7パーセントまでアップした。
そこで、明日香は校長室に向かって、いつものように自分の名前を口にした。
「明日香」
口に出してからすぐに明日香はここがNASSOの本部ではないこと思い出した。そして、先ほどの自信のパラメーターが3パーセントにダウンしてしまった。
「今日編入した堀口明日香です」
『入ってくれたまえ』と部屋の中から、壮年の男性の声が返ってきた。
明日香が部屋に入っていくと、大きな机を前に、窓を背にして座っていた恰幅のいいおじさんが立ち上がって明日香を迎えてくれた。
明日香はそのおじさんを走査して『桜が丘女子高校校長』と記憶した。
「わたしがこの桜が丘女子高校の校長をしている山口です。よろしく」
明日香は『桜が丘女子高校校長』から『桜が丘女子高校山口校長』と名称変更した。
「堀口君。君の事情を知っているのはこの学校でわたしだけだ。そのことは覚えていてください。いま君の担任の先生を紹介するから、そこのソファーに座っててくれるかい」
明日香はかばんを背中から降ろして勧められたままソファーに座り、山口校長はポケットから取り出したカードに向かって『鶴井先生を校長室まで寄越してください』と言ってから明日香の向かいに座った。
「この学校は見ての通りの普通の学校ですから、普通の高校生活が送れると思います」
「はい」
すぐに校長室のドアがノックされ『鶴井です』と声がした。
「鶴井先生、入ってください」
30前に見える女性が校長室に入ってきた。
「鶴井先生、転入生の堀口明日香さんだ、よろしく頼みます」
「はい。わたしは今日から堀口さんの担任の鶴井静香です。よろしくね」
「よろしくお願いします」
担任の鶴井静香先生を記録した明日香は、ちゃんとそれらしい答えができたことで、自信パラメーターが5パーセントに戻ったことを意識した。
「堀口さん。教室に案内するからついてきて。校長先生、失礼します」
「鶴井先生。よろしくお願いします」
二人して廊下を歩いていたら、ベルが鳴り始めた。
「ホームルームの時間になったみたいだから、少し急ぎましょう」
そう言って鶴井静香が速足になったので、明日香は、少しだけ歩く速さを上げてその後に続いた。
「ここが、堀口さんの教室。1年5組。それと、堀口さんはC級エージェント資格を持っているそうだけど、このクラスにもC級エージェント資格を持っている子がいるの。彼女は適合率18パーセント。堀口さんの適合率は構わないなら教えてくれる?」
「わたしは16パーセントです」
「16パーセントといえば立派なエージェントよね」
明日香は適合率16パーセントとか18パーセントでは一般犯罪ならともかく『リ・ジェネシス』のエージェント相手の実戦ではほとんど役に立たないと思ったが、黙っておいた。
この黙っておくという判断ができたことに明日香は満足し、自信パラメーターが7パーセントまで高まったことを意識した。もちろん明日香は無表情のままだ。
1年5組の教室の扉の前で立ち止まった。教室の中からは女生徒たちの話し声や笑い声が聞こえてくる。ホームルームの時間にもかかわらず教室内が騒がしいことに明日香は少し不審に思ったが、これについても何も口にしなかった。
鶴井静香が教室の扉を開けたところで、明日香の聴覚が教室内の「ノイズ」の高まりを一気に拾い上げた。30人以上の女子高生たちが発する、無秩序なエネルギーがそこにあった。
「みんな、席について! 今日から新しい仲間が増えるわよ。……堀口さん、入ってきて」
明日香はミリタリー・パスを抑制し、あえて歩幅を10%削った「16パーセントの歩法」で黒板の前へと進んだ。
教室の喧騒が静まり、30対以上の視線が、明日香の全身を走査するように注がれる。
「堀口明日香です。今日からよろしくお願いします」
声のトーンは先ほどまで拾っていた喧騒から抽出した「女子高生らしい周波数」を0.1デシベル単位で調整して出力した。最後に表情筋を少し操作してわずかに微笑んで見せた。
「……あら、可愛い」「でもちょっと怖くない?」「怖いわけないよ」「あのカバン、レトロでオシャレ!」
この反応を分析したことで明日香の自信パラメーターが一気に上昇して15パーセントを記録した。
教室を見回したところ、先ほど明日香を校長室まで案内してくれた女子が小さく手を振っていた。明日香はこれに対して、小さく手を振った上に、先ほどの微笑みを再現しておいた。
「堀口さんの席は、そうね。じゃあ、中川さんの隣でいいかな。中川さんよろしくね」
「はい!」
鶴井先生が教室から出ていった。先ほど手を振ってくれた女子が中川さんだったようで、彼女がにっこりして再度手を振った。
席に着いた明日香は忘れずに中川に向かって、
「さっきはありがとう」
「どういたしまして。わたしは中川春菜。よろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします」
「堀口さん。話し方が硬い。もう少し砕けた話し方でいいのよ」
「$%@##/%」
「えっと? 今何言ったの?」
砕けた話し方ということで、言語を音節に分解したうえでエンコード(暗号化)してみたのだが中川春菜に伝わらなかったようだ。
考えるまでもなく暗号化のシードを共有していない以上デコードできないことは自明だった。それで改めて砕けた話し方について、暗号化ではないことに思い当たり、さらに意味を考えた。
「なんでもない。ありがとう。これでいい?」
「それでいいの」
中川こそが普通の女子高生なのだと、明日香は少し分かった気になった。それと同時に、女子高生として言葉を操ることは高難易度であることに明日香は少なからず驚いていた。
隣に座る中川春菜はその高難易度言語を簡単に操っているわけで、完全適応者である自分を一部凌駕している。
明日香はこの事実を認識したことで、ある種の驚異・脅威を感じてしまった。今までのリ・ジェネシスとの戦闘経験では一度もなかったことだ。
などと考えていたら、教室の扉が開いて30代に見える男性が入室して1時限目の授業が始まった。
各人は机の中やかばんから専用端末を取り出して机の上に置いた。
「堀口。国語1の渡辺だ、よろしくな」
「はい」
明日香も机の脇に下げたかばんの中から端末を取り出して机の上に置き、スイッチを軽く押して起動させ、国語1のテキストを選んだ。そういった動きがスムーズにできたことで、学校生活にどんどん慣れていく自分に少なからず驚いていた。
「それじゃあ、今日は新しく35ページ『秋の亡霊』だ。関根、読んでくれるか?」
「はい!」
関根と呼ばれた女生徒が立ち上がり、端末に表示された文章を読み始めた。
「ここはシルクロードが交わるホルシード帝国の都イスファハーン。
夕暮れのイマーム広場に、モスクのドームから跳ね返る青い光が満ちる。広場に隣接するバザールからスパイスと革の匂いが漂い、噴水の音がわずかに聞こえてくる。
そのバザールの一角にサルヴ・エ・ゼリン、黄金の糸杉と呼ばれるキャラバンサライがあった。そこに客のロバの手綱を引いて、中庭の中央の噴水の周りの水場に案内する男の姿があった。
男の名はナシール。男の左頬には生々しい刀傷が残っている。1カ月ほど前にイスファハーンに着の身着のままで流れてきた男だ。
夜明けから日暮れまで、キャラバンの馬やロバの世話、それに厩舎の掃除、そして荷運びを続けた1日の給金は20フィルスだった。20フィルスは1ディルハム銀貨1枚なのだが、それだけあればサライの1泊分の宿賃だし、食料だけなら数日分買うことができる。生きていくには十分かもしれないが、その報酬では何かをなそうとするにはあまりに足りなかった。それでも男は黙々と働いていた」
「はいそこまで。キャラバンサライというのは、脚注にも書いてあるが隊商宿のことだ」
そういった感じで授業が進んでいった。




