幕間-5「救われる者、堕ちる者」
「ふぅ……」
学生寮一階。
一年生が使うその階層の、角の部屋。
レイが住まう部屋の前で、二人の人物が大きく息を吐いた。
——リリィと、メノウ。
その隣には、大きめの木箱が一つ置かれている。
「いくぞ」
「……はい」
緊張した面持ちで、メノウがコンコンと扉をノックした。
「はーい」
中から軽い声が返る。
少しして、ガチャリと扉が開いた。
隙間から、水色の髪が覗く。
レイは二人の姿を見ると、わずかに目を丸くした。
「メノウさんに、リリィさん。どうしたんですか?」
小首を傾げるレイへ、メノウは一拍置いてから口を開く。
「……助けてくれたお礼を言いたくて」
「ああ……」
レイが小さく声を漏らした。
「それは、ご丁寧にどうも」
そう言って、小さく頭を下げる。
「でも、皆さんを救助したのは僕じゃなくてシュナさんたちなので、お礼は不要ですよ」
あっけらかんと、レイが言う。
そこには、悪意も皮肉もない。
だからこそ、その言葉が逆にメノウとリリィの心を締め付ける。
「……そういうわけにはいかない。君がいなければ、俺たちは多分……死んでいた」
牛頭魔鬼の圧。
そして、帰還水晶が沈黙した時の絶望。
脳裏へ蘇った記憶に、メノウの身体がわずかに震えた。
「他の仲間も、もうダンジョンには行けないだろう。それだけ、俺たちの心には傷が残った」
吐き出すような独白を、レイは黙って聞いていた。
隣から、リリィが静かに名前を呼ぶ。
「……メノウさん」
その声に、メノウはハッとしたように目を見開き、小さく頭を振った。
「……いや、こんな話をしに来たわけじゃないんだ」
そう言うと、メノウとリリィはレイへ向き直り、姿勢を正す。
そして——勢いよく頭を下げた。
「すまなかった……!」
「ごめんなさい……!」
深く頭を下げた二人に、レイが大きく目を見開く。
「レイくんが追放されたあの時、私はあなたを見捨ててしまった……!」
「……俺も同調してしまった。自らの力を過信し、君の力を見誤った」
微かに震える声で、メノウが続ける。
「君がいてくれたから、俺たちは強かったんだ。それに気づくのに、随分とかかってしまった……」
二人は頭を下げたまま、唇を強く噛んでいた。
「頭を上げてください」
その二人へ、レイは穏やかな声を向ける。
いつもと変わらない柔らかい声音に、メノウとリリィがゆっくりと顔を上げた。
「僕も、説明が足りなかったので」
「……そんなことはありません!」
リリィが、首を横に振る。
「レイくんは、はじめに自身の能力を説明してくれていました……すべては、私たちの慢心が原因です」
「その通りだ。だから——」
そう言うと、メノウは隣にある木箱を持ち上げた。
「ヴァルが君から奪った装備を持ってきた。贖罪になるとは思わないが、受け取って——」
「本当ですか?!」
メノウの言葉が、終わるよりも早く。
ずいっ、とレイが身を乗り出した。
「あ、ああ……ここにある」
勢いに押され、メノウがわずかに目を見開きながら木箱を示す。
レイの瞳が、みるみるうちに輝いた。
「ありがとうございます!」
一度ぺこりと頭を下げると、レイは木箱を受け取る。
そのまま大事そうに部屋の机へ運び、そっと置いた。
そして、すぐに戻ってくる。
「本当にありがとうございます! もう会えないかと思ってたんですよ!」
メノウの手を両手で握ると、上下へブンブンと大きく振った。
「え、あ、ああ……」
呆気に取られるメノウ。
続けて、レイはリリィの手も握る。
「リリィさんも、ありがとうございます!」
満面の笑みで握られる手に、リリィも目をぱちぱちと瞬かせた。
メノウは、握られていた手を見下ろしていた。
それから、少しの沈黙の後——メノウが、苦笑混じりに口を開いた。
「……いや、お礼を言うのはこちらの方なんだが……」
だが、レイはまるで聞こえていないようだった。
視線はすでに、机の上の木箱と、部屋にある装備が並べられたガラスのショーケースを行ったり来たりしている。
「胸当てと指輪……いや、靴と手袋もいいですね……」
顎に手を当て、ぶつぶつと呟く。
その様子を見たメノウとリリィは、思わず顔を見合わせた。
そして、どちらからともなく微苦笑を浮かべる。
まるで、胸につかえていたものが下りたようだった。
「レイくん。助けてくれて、本当にありがとうございました」
「君から受けた恩は、絶対に忘れない」
真っ直ぐに見つめる二人へ、レイは——
「ああ、いえ。無事で良かったですよ」
装備を眺めたまま、そう答えた。
「……それじゃあ、俺たちはこれで」
「はい」
レイの短い返事を聞き、メノウがゆっくりと扉を閉める。
パタン、と。
静かな廊下へ音が響いた。
メノウとリリィは、その場で小さく息を吐く。
そして、自らの胸へそっと手を当てた。
「……随分と、こちらが救われてしまったな」
その声は、どこか晴れやかだった。
「……そうですね」
リリィも小さく頷く。
二人は顔を上げ、最後にもう一度だけ扉を見た。
「……ありがとう」
ほんの小さく言い残し。
二人は並んで廊下を歩き出す。
その顔には、憑き物が落ちたような、穏やかな笑みが浮かんでいた。
◆ ◆ ◆
「俺が……助けられた、だと?」
学園にある医務室。
その一室に置かれたベッドの上で、少年が上体を起こしながら苛立ち混じりに呟いた。
——ヴァル。
今は豪奢な装備を外し、真新しい制服へと着替えている。
牛頭魔鬼から受けた傷は、回復魔法によりすでに癒えていた。
だが——
強く噛み締めた唇から血が滲み、白いシャツの胸元を赤く汚している。
脳裏へ何度も蘇るのは、先ほどまでこの部屋で交わされていた会話。
『私たちは、レイくんに助けられました』
リリィの言葉が、呪いのように反芻される。
「よりにもよって……レイに……?!」
ぎり、と。
歯が軋む音が鳴った。
怒り。屈辱。そして、羞恥。
様々な感情が渦巻き、ヴァルの瞳を濁らせる。
——その時。
部屋に設置されたスピーカーから、ブツッとノイズが鳴った。
続いて、ザイアの声が響く。
『今後の方針を決める会議を開く。呼ばれたパーティーのリーダーは、生徒会室へ集まるように』
一拍置いてから、再び声が続いた。
『暁の紅玉、水氷の双璧——』
「……上位パーティーか」
ヴァルが独りごちる。
そのままベッドから立ち上がると、レイの装備がなくなった収納鞄を腰に巻いた。
続けて、近くへ置かれていた自分の装備へ手を伸ばす。
『風雅繚乱の華、黒夜の斬鋒。以上、四パーティーだ』
「……は?」
ヴァルの眉が深く歪んだ。
一瞬、装備を持つ手が止まる。
そして、苛立ちを滲ませながらスピーカーを睨みつけた。
「……チッ」
舌打ちを漏らす。
ヴァルは残りの装備を乱暴に抱えると、医務室を後にした。
向かう先は——生徒会室。
廊下へ、苛立ちを隠そうともしない荒い足音が響く。
すれ違った生徒たちが顔を顰めた。
だが、ヴァルはそんな視線を一切気に留めなかった。
やがて生徒会室にたどり着くと、扉に手をかけるザイアと目が合った。
「ん? なんの用だ」
問われた瞬間、ヴァルの眉間へ深い皺が刻まれる。
「はあ? 逆に聞くが、なぜ俺が呼ばれていない」
ザイアは扉から手を離し、ゆっくりとヴァルに向き直った。
無言で続きを促す。
「……呼ばれたのは、学園の上位パーティーだろう。蒼き円環だってその中に入るはずだ」
その言葉に、ザイアは呆れたように肩をすくめた。
「……蒼き円環は、事実上の解散だ」
「……は?」
ヴァルの表情が強張る。
「メンバーは全員、蒼き円環を脱退した。残っているのは、お前だけだ」
「なんだと……?」
「……把握していなかったのか」
ザイアは、大きく息を吐いた。
そして——冷えた声で続ける。
「それに……お前はレイを、ダンジョン内で追放したな」
ヴァルの眉が、ピクリと動いた。
「そのような危険な行為を行う者を、今後の方針を決める会議に参加させるわけにはいかん」
ピシャリ、とザイアが言い切る。
ヴァルのこめかみに、青筋が浮かんだ。
「俺は——」
叫ぶような声を上げる。
——だが。
ザイアの冷え切った瞳を見た瞬間、その言葉は途中で止まった。
「っ……」
知らず、ヴァルが息を呑む。
「……納得できたか?」
短く、低い声。
その圧に、ヴァルは強く歯を食いしばる。
「……クソッ!」
そして叩きつけるように吐き捨てると、踵を返した。
その背中を、ザイアは細めた目で見つめる。
「……人は、そう簡単に変わらんか」
小さく独りごちる。
やれやれと息を吐いてから、ザイアは生徒会室へと入っていった。
◇ ◇ ◇
「クソッ……クソッ!」
自室に戻ったヴァルは、何度もそう吐き捨てていた。
それでも、怒りは収まらない。
目に映った椅子へ向け、足を振り上げる。
しかし——
蹴り飛ばす寸前で、その動きを止めた。
「く……!」
喉の奥から、言葉にならない声が漏れる。
ヴァルは、拳を強く握り締めた。
「俺は……!」
パーティーの崩壊。
ザイアの言葉。
そして、自分が死にかけたという事実。
すべてが頭の中を駆け巡り、感情をぐちゃぐちゃに掻き乱していく。
だが——
徐々に、その熱が沈み始めた。
『間違えたんだよ……俺たちは』
医務室で見た、後悔を滲ませるメノウの顔が脳裏によぎる。
「……俺は……」
少しずつ、拳から力が抜けていく。
床を見つめ、唇を噛む。
「俺は……間違え——」
「あら。そんな結論になっちゃうの?」
その瞬間。
頭上から、女の声が降ってきた。
「——っ?!」
ヴァルは勢いよく顔を上げる。
——窓際。
先ほどまで誰もいなかった場所に、一人の少女が立っていた。
「……なぜ、お前がここにいる……?」
警戒するように、ヴァルが腰へ手を伸ばす。
だが、いつもはそこにある剣はない。
空を切った手に、ヴァルの表情が歪んだ。
「ふふ……そんなこと、今は些細なことでしょう?」
少女は気にした様子もなく、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あなたは強い。だって、蒼き円環の今までの功績は、全部あなたのものだもの」
その声は、不気味なほど自然にヴァルの脳へ入り込んできた。
「……俺の、功績……」
「そうよ。あなたは間違ってない……間違っているのは、あなたの周り」
妖艶に、少女が微笑む。
一瞬だけ——ヴァルの体に、黒いもやがふわりと纏わりついた。
「だから……ね?」
少女が、そっとヴァルの肩へ腕を回す。
「私と、一緒に来て?」
耳元で囁かれた声に、ヴァルは——
「……ああ」
こくり、と頷いた。
その瞳には、もはや光が宿っていない。
少女の腰から伸びた黒い羽根が、ヴァルの身体を包む。
黒い闇が部屋いっぱいに広がり——
そして、消える。
その場には——ヴァルも、少女も。
跡形もなく、消え去っていた。
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