第12話「緋赫の金獅子《クリムゾンソルレオ》」
「なんでボス部屋でもない、こんなところにいるんだよ……」
嫌そうに頬を引き攣らせながら、テイルが呟いた。
崩れた壁の前。
赤黒い魔力を纏いながら現れた黄金の獅子は、ゆっくりと低く唸っていた。
全身を覆う、灼熱めいた赤いオーラ。
その圧だけで、周囲の空気が歪んで見える。
「あれが、第二階層のボスですか?」
隣に立つレイが、視線を逸らさないまま問いかける。
「そうだ。でも……」
ピンと張り詰めたオーラを見ながら、テイルは目を細める。
「学園の記録とは、随分雰囲気が違うけどね」
「……第一階層のボスと同じですね」
レイもまた、観察するように目を細めた。
「あのオーラの量、尋常じゃないです」
「ああ。もはや魔力膜じゃなくて……魔力壁だな」
「魔力壁……わかりやすいです」
「感心してる場合かよ……」
苦笑しながら、テイルが収納鞄へ手を入れる。
取り出したのは、小さな粒のようなものだった。
「レイ君、これ」
受け取ったレイが、興味深そうに指先で摘む。
「……耳栓、ですか?」
ふにふにと柔らかく、押すだけで形が変わる。
「ああ。記録には、緋赫の金獅子の咆哮が厄介だって書かれてた。まあ、どこまで役に立つかはわからないけど。記録も、耳栓も」
そう言いながら、テイルは自分の分も取り出した。
「目的は時間稼ぎだ。耳栓で連携は取りづらくなるだろう。でも——」
言葉を切ったテイルは、にやりと口角を上げる。
「俺が君に合わせるから、好きに暴れてくれ」
「はい。ありがとうございます」
一つ頷き、レイは耳栓を耳へと押し込んだ。
テイルも同時に装着する。
瞬間、世界の音が遠ざかった。
耳鳴りのような静寂。
レイが首元に垂れる血を拭い、大斧を背負うための紐を再度きつく縛る。
——その直後。
二人が、左右へ展開した。
(まずは様子見、と)
テイルが右手を突き出す。
手首の内側から、細い針が飛び出した。
次の瞬間、それが射出される。
一直線に、緋赫の金獅子の眼球へ。
だが。
その針が赤い魔力壁へと触れた瞬間——ボッ、と炎が噴き上がった。
獣の骨で作られた針が、一瞬で焼失する。
「おいおい……迎撃もするのかよ」
灰になった針がぱらぱらと地面に落ちると同時。
レイが冥誘の光剣を引き抜く。
「魔力でできてるなら、吸収できるかもしれません」
両手に剣を持ち、一気に踏み込んだ。
一直線に駆け抜け、そのまま魔力壁へ斬撃を叩き込む。
——ギィン!と金属のような音が響いた。
一瞬だけ。
赤い壁に裂け目が走る。
しかし、獅子本体にはまるで届かなかった。
裂け目はすぐに、蠢くように埋まる。
「分厚すぎでしょう……」
レイが眉を寄せた、その瞬間。
足元に、真っ白な魔法陣が展開された。
「——っ」
反射的に身を捩る。
だが、遅い。
眩い光線が迸り、レイの首元を掠めた。
「ッ……!」
焼け付くような激痛。
牛頭魔鬼との戦いで受けた傷口が、熱によって無理やり塞がれていく。
皮膚が焦げる臭いが鼻腔を衝いた。
レイのブーツが風を纏う。
地面を蹴り、即座に後退しようとした——その刹那。
「ガアアアアァァァッ!!!」
緋赫の金獅子が咆哮した。
耳栓越しですら脳を揺さぶる轟音。
空中で、レイの身体が固まる。
そこへ、緋赫の金獅子が突進した。
地面を砕くほど強く蹴った、爆発的な加速。
歪んだ視界の中で、レイはさらにブーツに風を纏わせる。
そして、その風を集め空気弾を放った。
反動で、強引に自らの体を吹き飛ばす。
そのすぐそばを、緋赫の金獅子が通過する。
通った地面が、赤黒く焼け焦げていた。
「随分と……高温ですね」
緋赫の金獅子の後ろに着地したレイが、即座に踏み込む。
同時に。
鎖鎌を取り出していたテイルが、鎌を飛ばした。
緋赫の金獅子の背中を目がけ、刃が飛来する。
しかし——
魔力壁へ刃先が刺さった瞬間、赤い炎が噴き上がった。
ジュウと、嫌な音を立てて刃が溶ける。
「おいおい……!」
テイルが眉を歪めた。
「これならどうでしょう!」
レイが冥誘の光剣に闇を纏わせ、振り上げる。
だが、その剣が振り抜かれるよりも早く、緋赫の金獅子が振り返った。
そして——再び咆哮。
衝撃のような音圧に、レイの身体が一瞬揺らぐ。
次の瞬間、緋赫の金獅子がレイへ向かって突進した。
——間に合わない。
剣も、回避も。
「くっ……」
歯を食いしばり、レイが身を固める。
魔力壁が、身体に触れる——その直前。
腰に糸が巻き付いた。
グンと、体が横へ引かれる。
「お……?!」
驚きに見開いた目と鼻の先を、緋赫の金獅子が通り過ぎた。
水色の髪先が、熱で燃え落ちる。
テイルの袖口から、幾つもの細い糸が伸びていた。
そのまま、レイの体がテイルの腕へと収まる。
糸を見たレイが小さく頭を下げた。
テイルも軽く頷き返す。
その後、レイが自らの首元へそっと触れた。
「痛いですが……血が止まったのはラッキーですね」
レイの指につられ、傷を見たテイルは絶句した。
(嘘だろ……気絶するくらい痛いはずなのに……)
焼け爛れた傷跡を見ながら、眉を歪める。
そんな二人の体を、白い光が照らした。
慌てて顔を上げた先で、正面に魔法陣が展開されているのを目にする。
「おっと……!」
二人が左右へ飛び退く。
その間を、雷撃が走った。
空気が爆ぜ、地面を焦がす。
レイは着地と同時に、冥誘の光剣を鞘に納めた。
代わりに、聖天の蒼白剣を腰から抜き放つ。
淡い蒼光を宿した刀身が、空気を歪めた。
レイは緋赫の金獅子を真っ直ぐに見据え、一気に距離を詰める。
だが——緋赫の金獅子は、それを無視した。
一直線に、テイルへ突進する。
「逃しません!」
レイが背後を追う。
テイルは避けるように移動しながら、懐から小さなナイフを取り出した。
肘を引き、投擲の構えをとる。
しかし、その瞬間。
緋赫の金獅子が、瞬時にレイへと向きを変えた。
「は?!」
同時に、テイルの四方へ魔法陣が浮かび上がる。
「——っ、消失する躰!」
テイルの姿が、空気に溶ける。
——それよりも、一拍早く。
光線が、太腿を貫通した。
「がっ……!」
テイルが地面へ膝をつき、スキルが不発に終わる。
それには目もくれず、緋赫の金獅子が咆哮を上げながらレイへと突っ込んだ。
(まさか……レイ君を釣り出したのか?!)
レイは片手で耳を押さえながら、紙一重で回避する。
一歩後退しながら、聖天の蒼白剣の切先を魔力壁へ掠らせる。
斬るためではない。
狙いは、重力操作の転写。
だが——
「できませんか……!」
その攻撃は、魔力壁には通らなかった。
レイが唇を噛む。
「離れろ! レイ君!」
テイルが叫んだ。
——その瞬間。
レイの四方を、魔法陣が取り囲んだ。
「っ……!」
間髪入れず、四本の光線がレイを襲う。
一撃は、剣で防ぐ。
もう一撃は、身を捩って回避。
——だが、残り二発。
防ぎ切れなかった二本の光が、脇腹と右肩を貫いた。
「うぐっ……!」
鮮血が舞う。
それでもレイは、緋赫の金獅子へ向かって指輪から空気弾を放った。
だが、赤い魔力壁に虚しく弾かれる。
「ダメ、ですか……」
小さく呟き、眉を寄せたレイは、一歩足を踏み出して倒れそうになるのを踏ん張って耐える。
——直後。
レイの影が、膨れ上がった。
「へ……?」
そこから、獅子の形をした影が現れる。
それは黒い牙を剥き、レイに襲いかかった。
半ば反射的に、レイは剣を振ろうと腕に力を入れる。
だが——肩に激痛が走り、腕から力が抜ける。
「あ——」
影の牙が迫る。
その時——
腰に差した冥誘の光剣が、影を纏った。
剣が、独りでに動く。
——ガキィン!、と。
冥誘の光剣が、影の牙を受け止めた。
「え?!」
レイは思わず視線を落とす。
だが、冥誘の光剣は沈黙していた。
先ほどまで纏っていた影も、すでに消えている。
「なにが——」
しかし、レイが理解する前に——影の獅子が、剣に噛みついたままレイごと持ち上げた。
背中の大斧がわずかに揺れる。
そして、影の獅子が頭を振ってレイを壁へと投げつけた。
「がっ……!」
背中へ、衝撃とともに激痛が走る。
大斧から、みしりと軋む音が聞こえた。
肺から空気が逃げ出す。
視界がチカチカと点滅する。
——そこへ。
本物の金獅子が、飛びかかった。
「レイ君!」
血の流れる膝を折ったまま、這いつくばるような姿勢でテイルが糸を射出する。
一直線に伸びるその糸へ——壁から現れた影の獅子が噛みついた。
牙により、糸が噛みちぎられる。
「くそ……!」
テイルが悔しげに呻いた。
レイは即座に冥誘の光剣を抜き放ち、剣先を自らのすぐ横にある壁へと突き刺した。
直後。
緋赫の金獅子と剣が激突する。
目の前で、豪炎が荒れ狂った。
冥誘の光剣が炎を魔力に霧散させ、吸収していく。
だが——多すぎる。
一度に吸収できる量を超え、飽和した火の粉が左目を掠めた。
「っ!」
反射的に左目を閉じる。
身体中を、皮膚が焼け、引っ張られるような痛みが襲う。
(これは……まずい、ですね……)
呼吸もままならない中で、徐々に押し込まれていく。
脇腹と肩からの流血により、視界も霞み始める。
テイルが、一縷の望みをかけてナイフを構えた。
その瞬間——
「雫よ!」
鋭い声が響いた。
それとともに、大量の水弾が横薙ぎに緋赫の金獅子の半身へと降り注ぐ。
凄まじい水量に、緋赫の金獅子の巨体が押し流される。
水と魔力壁の境目で、大量の水蒸気が噴き上がった。
同時に、透明な水がレイとテイルの傷口を覆う。
徐々に熱と痛みが引いていく。
「……やっと来たか」
テイルが安堵したように笑みを浮かべた。
「みなさん!」
レイが振り返った先には、蒼き円環の救助を終えたシュナたちが立っていた。
「……何が起きてるのかはわからないけど、とにかく——」
シュナが、杖を構え直して告げた。
「反撃開始よ!」




