幕間-4「暗い絶望と、差し込む光」
「はぁ……はぁ……」
地面に座り込むリリィの荒い呼吸が、薄暗い空間に満ちていた。
——いや、リリィだけではない。
誰もが地面に膝をつき、あるいは倒れ込み、あるいは這いつくばり——
蒼き円環の面々は、ほとんどが戦闘不能に近い状態だった。
肉体的にも、精神的にも。
その中で、ただ一人。
ヴァルだけが、かろうじて立っていた。
「なぜだ……」
その惨状を見つめ、唇を噛み締める。
血を滲ませながら、そう絞り出した。
「……なぜ、だと?」
応じたのは、壁にもたれかかるヒーラーの少年——メノウだった。
荒く息を吐きながら、ヴァルを睨みつける。
「どう考えても——レイだろ!」
その叫びに、空気が軋んだ。
「あいつのバフには意味があったんだ!」
吐き捨てるように続ける。
「確実に力を底上げされていた。それに慣れきった俺たちは、自分たちの力だと錯覚してしまったんだよ!」
その言葉には、容赦がなかった。
ヴァルの目が見開かれる。
「ふざけるな……!」
瞳が怒りに染まり、血走る。
「俺の判断が間違っていたと言うのか?!」
「ああ、そうだよ!」
即答だった。
「正確には、『俺』じゃなくて『俺たち』だけどな……!」
吐き出すように言って、メノウは大きく息をついた。
「……とにかく、これ以上は無理だ。すぐに撤退を——」
その言葉は、途中で途切れた。
——ズン、と。
先ほど聞いた、重く鈍いあの足音が、再び空間に響いたからだ。
全員の呼吸が止まる。
ゆっくりと、顔を上げる。
暗がりの奥。
そこに、それはいた。
「ひっ……」
後衛の少女が、短く悲鳴を漏らす。
「リ、帰還水晶を……!」
リリィが、肩で息をしながら叫ぶ。
その言葉を聞いた後衛の少女は、青ざめた顔で収納鞄から小さな結晶を取り出した。
震える手でそれを掲げる。
だが——光は、現れない。
「なんで……なんで……!」
声が裏返る。
別の誰かが、泣きながら同じように水晶を掲げる。
「いやだ……いやだ……帰りたい……!」
だが、どれも同じ。
沈黙したまま、透明な石の中で淡い光を揺らすのみ。
その事実が、じわじわと場を侵食していく。
「嘘だろ……」
「やめろ……やめてくれ……」
細く繋ぎ止められていた理性が崩れ始める。
前衛の一人が立ち上がり、背後にある扉へ駆けた。
「出口だ……! 外に出れば——」
扉に手をかける。
しかし——
「開け……開けよ!」
視界に見慣れない緑色のウィンドウが表示されるだけで、扉はびくともしなかった。
「なんだよ、これ……!」
ウィンドウに書かれていたのは、『時の領域』という謎の一文だけ。
「なんで開かないんだよおお!」
掠れた声の絶叫に、さらに恐怖が伝染していく。
「そんな……」
リリィが、眉を寄せて思わず呟いた。
「落ち着け!」
その空気の中で、ヴァルの怒声が通る。
「隊列を組め! まだ戦える!」
だが——
誰一人として、従わなかった。
そもそも耳に入っていない。
目の前の”死”に、意識の全てを奪われていた。
「くそッ……!」
歯噛みし、ヴァルが前へ出る。
「オラアァ!」
乱暴に、横薙ぎに剣を振る。
牛頭魔鬼は——あえて、動かなかった。
ヴァルの刃が、横腹を捉える。
「くたばれ!」
しかし——ガン、と。
ヴァルの剣は、浅黒い肌に弾かれた。
「な?!」
ヴァルが大きく目を見開く。
牛頭魔鬼はちらりと一瞥すると、口の両端を吊り上げた。
そして、ゆっくりと振り上げた牛頭魔鬼の太い腕が、ヴァルの体に影を落とす。
その手に握られているものを見て、ヴァルの思考が止まる。
——純白の直剣。
「それ、は……」
ヴァルが理解をする前に。
空気を切り裂くように、直剣が横薙ぎに振るわれた。
「がっ——?!」
脇腹に衝撃が走る。
装備がひしゃげる感覚と、肋骨が砕ける感触が身体中を巡った。
生暖かい液体が込み上げる。
「ゴボッ……」
真っ赤な鮮血が吐き出され、意識が白く弾けた。
身体が宙を舞う。
手から落ちた剣が、牛頭魔鬼の足元に転がった。
ヴァルが壁へと叩きつけられ、鈍い音が響く。
ずるりと壁から滑り落ち、地面に倒れた。
——静寂が落ちる。
誰も、声を出せなかった。
「……グ、グ……」
その中で、牛頭魔鬼が低く喉を鳴らす。
黄ばんだ牙を覗かせて、明確に嗤っていた。
逃げ場はない。
助けも来ない。
恐怖に麻痺した頭にも、その理解がゆっくりと浸透していく。
「……終わりだ」
メノウの呟きが、虚しくこだまする。
閉塞感が、重圧のように全身にのしかかる。
リリィは、その場にへたり込んだ。
力が入らない。
指先すら、動かない。
(どうして……)
ぼんやりとした意識の中で、思う。
(どうして、気づかなかったんだろう)
視線を落とす。
自分の杖に。自分の装備に。
淡い青色の輝きを失ったそれらを見て、思う。
(レイくんの刻印がなかったら……私たちは、こんなにも弱かったなんて……)
喉が震える。
牛頭魔鬼が、ゆっくりと動き出した。
一歩足を踏み出すだけで地面が揺れ、空気が震える。
「もう……だめ……」
——その時。
ギィ、と、背後から音がした。
全員の視線が、一斉にそちらを向く。
閉ざされていたはずの扉が、ゆっくりと開いていた。
淀んだ空気に、新たな空気が入り込む。
そして、隙間から差し込む、淡い光。
それを遮るように——一人の影が立っていた。
漆黒の剣を携えた、水色髪の少年。
その姿を見て、リリィの瞳が大きく見開かれる。
「……レイ、くん……?」
だがレイは、倒れる誰にも目をくれずに——
牛頭魔鬼が持つ見覚えのある純白の直剣だけを、まっすぐに見据えていた。
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