11-3話_Over the Brim
後書きの使い方を発見したかもしれません。
数日後の休日。
昼食を終えてしばらく経った頃、奏は寮の共用リビングで問題集を開いていた。
期末考査が近づいている以上、実技だけに時間を使うわけにはいかない。
岬との勉強会で最後まで解けなかった問題も、その後に出された課題も残っている。
学校が休みの今日こそ、少しでも進めておくつもりだった。
テーブルの上には、問題集とノート、握ったままのペン。
そして、画面を上に向けたスマホが並んでいた。
奏は問題文へ目を通す。
ノートへ途中式を書き始める。
数文字進んだところで、ペン先が止まった。
――考えているのは、式の続きではない。
奏の視線が、傍らのスマホへ移る。
画面には、数日前の訓練場で記録されたログが表示されていた。
岬から教わった、接触する瞬間だけ、刃が触れる場所へイデアを集中させる方法。
あれ以来、蒼い刃を対象へ届かせられる回数は増えていた。
刃全体の出力を上げ続けるよりも、消耗を抑えられることも分かった。
確かに前進している。
だが、何度試しても、出力はほとんど同じ位置で頭打ちになった。
そこからさらにイデアを流しても、銃口側の反応は変わらない。
接触の瞬間に濃度を高めようとすれば、刃は短く揺らいだあと、決まって形を失う。
奏は指先で画面を動かし、別の日のログを表示する。
その前の記録。
さらに一つ前の記録。
出力の推移に多少の違いはあっても、最後には同じような位置で伸びが止まっている。
訓練方法が間違っているのか。
――それとも、まだ自分の制御が甘いのか。
答えの出ないまま、奏はスマホの画面を下に向けた。
問題集へ視線を戻す。
途中まで書いた式を、最初から読み直す。
ペン先をノートへ置く。
それでも、次の一文字が出てこない。
しばらくすると、奏の手は再びスマホへ伸びていた。
同じ問題。
同じ途中式。
同じところで止まる訓練ログ。
どれも進まないまま、時間だけが過ぎていく。
少し離れたソファには、后が座っていた。
彼女も試験勉強をしていたが、奏が問題集とスマホを行き来するたび、手元の単語帳から視線を上げている。
最初のうちは何も言わなかった。
だが、奏が何度目かも分からないため息をついたところで、后は持っていた単語帳を閉じた。
「まったく…さっきから何?ずーっと浮かない顔して、こっちまで気が滅入るじゃない。」
奏は顔を上げた。
「悪い。勉強の邪魔だった?」
「そういう意味じゃないわよ。」
后は呆れたように息を吐く。
「問題集より、さっきからそっちばかり見てるじゃない」
視線の先には、訓練ログを表示したスマホがある。
「ほら。何をそんなに悩んでるのか、洗いざらい話してみなさいよ」
奏は一度、問題集へ目を落とした。
筆記考査の勉強をするつもりだったはずが、結局ほとんど進んでいない。
このまま一人で考え続けても、同じ画面を何度も見返すだけだろう。
「銃口に、イデアで刃を作る訓練をしてるんだ」
「刃?」
奏は宿泊研修での出来事から、今日まで続けてきた訓練、数日前に岬から教わったことを説明した。
「でも、そこから先が上手くいかなくて。出力を上げても、刃の安定性がほとんど変わらないんだ」
「そのログ、見せて」
后がソファから立ち上がり、テーブルを挟んだ向かい側へ座る。
奏がスマホを差し出すと、后は記録を一つずつ切り替えていった。
一つ一つを指先で画面を拡大し、出力の推移を見比べる。
「この辺りから、何度やっても伸びなくなるのね」
「ああ。流す量を増やしても、銃口側の反応はほとんど同じだ」
体調や集中力、その日の気温や湿度。
様々な条件下のなかで、奏のイデア波形は同じように伸び、同じような位置から横ばいになっていた。
制御の乱れにしては、止まる位置が揃いすぎている。
「……あんた、ハンドガンは?」
「部屋に置いてるけど」
「持ってきて」
奏は言われるまま席を立ち、自分の個室へ入った。
保管ケースからハンドガンを取り出し、共用リビングへ戻る。
弾倉を抜き、薬室が空であることを確認してから、テーブルの上へ置いた。
后はハンドガンを手に取ると、銃身やスライドではなく、グリップの底へ視線を向ける。
「型番は分かる?」
奏はグリップの小口面へ刻まれた英数字の羅列を読み上げた。
后が目を丸くする。
次の瞬間、呆れたように深いため息をついた。
「それじゃ、安定しないに決まってるでしょ……」
「はぁ?」
「このモデルは、標準的なイデア出力で使うことを前提にしてるの。あんたみたいに、銃口へ大量のイデアを流し続けるための銃じゃないわ。適量のイデアを、適度に込めるためだけのモデルよ」
后はスマホの画面を奏へ向け、波形が横ばいになっている部分を指で示した。
「いくらコップに並々と水を注いだとしても、それ以上は溢れるだけだわ」
「何を言って……」
「あんたが流したイデアが、全部銃口まで届いてるわけじゃないって言ってるの」
奏は改めてログを見る。
出力を上げても、銃口側の反応は変わらなくて、それを自分の制御不足だと考え、さらに多くのイデアを流そうとしていた。
「じゃあ、俺が今まで上げてた出力は……」
「この銃が受け止められる量を超えた分は、外へ逃げてたんでしょうね。刃の形が安定しないのも当然よ。武器は、使い手から渡されたものを際限なく受け止めてくれる魔法の器じゃないの」
后は立ち上がると、奏の返事を待たずに自分の個室へ入った。
しばらくして、細長いハードケースを手に戻ってくる。
ケースをテーブルへ置き、留め具を外す。
中に収められていたのは、丁寧に手入れされた一挺のハンドガンだった。
「ゲッコウHZシリーズの75型。一世代前のモデルだけど、あんたの銃より許容量は大きいわ」
「后の銃なのか?」
「昔、訓練で使ってた私物よ。今は予備として学園に登録してるだけ」
后はケースを閉じ、そのまま持ち上げる。
「これで比較すれば、原因があんたなのか、銃なのか分かるわ」
「比較って、今からか?」
「悩んでる暇があるなら、確かめた方が早いでしょ」
后は玄関へ向かいながら、振り返る。
「行くわよ。武器調整室」
***
休日の校舎は、普段よりも静かだった。
二人は寮を出ると、訓練棟の一角にある武器調整室へ向かった。
室内に広い訓練スペースはなく、壁際には武器の整備や分解に使う作業台が並び、その奥にはイデアの伝導率や出力負荷を測定するための機器が設置されている。
后は入口の端末へ学生証をかざし、使用者と持ち込んだ銃器を登録した。
休日ということもあり、他に利用者はいなかった。
「まず、あんたの銃から測るわよ」
奏は測定台の前へ立ち、后の指示に従い、銃口へ筒状の測定器を取りつける。
「これでいいのか?」
「ええ。グリップを握って」
奏がハンドガンを構えると、后は測定機器の画面を起動した。
表示されたのは、使用者から武器へ流れ込むイデアと、銃口まで伝わったイデアをそれぞれ示す二本の波形だった。
「その銃剣もどきとやらを作る必要はないわ。普段と同じように、少しずつイデアを流して」
奏は呼吸を整え、グリップを握る手へ意識を集中させた。
画面上の二本の波形が、ほぼ同時に伸び始めた。
「そのまま、少しずつ上げて」
后の声に従い、出力を高める。
やがて、一方の波形だけが伸びなくなった。
それでもイデアを流そうとすると、グリップの奥に何かが詰まっているような抵抗を感じた。
「止めて」
后の声に、奏はすぐに力を抜いた。
画面に残された二本の波形は、途中から明確に離れている。
「訓練ログと同じね。あんたが出力を上げても、この銃はここまでしか通せてない。今と同じ要領で、次はゲッコウHZ75型を使うわ」
持ってきたケースを作業台の上で開く。
后はゲッコウHZ75型を取り出し、慣れた手つきで状態を確認する。
その動きには、かつて自分が使っていた武器への馴染みが残っていた。
「大丈夫。弾は入ってないわ。さっきと同じように測るだけよ」
奏は差し出されたHZ75型を受け取った。
見た目どおり、現行銃よりもわずかに重い。
グリップには細かな使用痕が残っているが、手入れは行き届いている。
握り込むと、重さのわりに収まりがよかった。
銃口へ測定器を取りつけ、再び構える。
「さっきと同じようにやってみましょう」
奏は先ほどと同じ感覚で、少しずつイデアを流した。
二本の波形が伸びていく。
現行銃が限界へ達した位置を超えても、銃口側の波形は止まらない。
グリップの奥で感じていた抵抗も、今度はほとんどなかった。
「……さっきより、いいかも」
「当然よ。受け止められる量が違うもの」
奏はさらに出力を上げる。
銃口側の値も、それに合わせて伸びていく。
だが、しばらくすると測定機器から短い警告音が鳴った。
「ストップ」
后が即座に指示する。
奏は力を抜き、HZ75型を下ろした。
測定器には、現行銃よりも高い位置まで伸びた二本の波形が残されている。
その一方で、最後の部分では銃口側の伸びが鈍り始めていた。
后は二つの測定結果を並べ、しばらく黙って見比べる。
「原因は、やっぱり武器側ね」
「75型なら、今の銃よりは安定するのか?」
「するでしょうね。……でも、足りない」
后は警告が表示された箇所を指す。
「静止した状態で、ただ流しただけでこれよ。実戦で動きながら、瞬発的なコントロールが必要になるなら――75型でも余裕がないかもしれないわね」
「つまり……どういう――」
后は奏の言葉を最後まで聞かず、HZ75型を受け取り、作業台へ置いた。
「ゲッコウHZシリーズなら、90型」
迷う様子はなかった。
「今のあんたに必要なのは、それよ」
后は端末に残された測定結果を保存すると、ゲッコウHZ75型から接続ケーブルを取り外した。
マガジンと薬室を確認し、持参したケースへ戻す。
留め具を閉じると、制服のポケットからスマートフォンを取り出した。
画面を軽やかに、親指で何度かタップしたあと、耳に当てる。
「もしもし?私だけど」
呼び出した相手が誰なのか名乗ることもなく、后は本題へ入る。
「ゲッコウHZシリーズの90型を一挺手配して。大至急」
奏は思わず目を瞬いた。
電話の向こうから何か返ってきたらしい。后の眉がわずかに寄った。
「休み明けの月曜日から二営業日ですって!?そこをなんとかするのが、うちの会社でしょ!」
休日の武器調整室に、后の声が響く。
奏は口を挟めず、傍らで成り行きを見守ることしかできなかった。
再び、電話の向こうから返答があった。
「……パパに似てきた!?」
それまでの勢いが止まる。
図星を突かれたのか、后は不服そうに唇を結んだ。
「……はぁ。とりあえず、今すぐにとは言わないわ」
ようやく譲歩したらしい。
そう思ったのも束の間だった。
「可及的速やかに、大至急、なるはやよ」
何一つ譲っていなかった。
后は一方的に念を押すと、そのまま通話を切った。
「……今のって」
「何よ。」
「今日、休みだぞ」
「知ってるわよ」
后は当然のことを聞くなと言わんばかりに、スマートフォンをポケットへ戻す。
「連絡が来るまで待つしかないわね。あんたは一度、寮へ戻ってなさい」
そう言ってHZ75型のケースを持ち上げると、后は先に武器調整室の出口へ向かった。
その背中を追いながら、奏は改めて思う。
華園重工。
その名前は知っていたし、后がそこの令嬢であることも知っていた。
だが、休業日の会社へ電話一本を入れ、製品を今すぐ手配させようとする姿を目の当たりにすると、その事実が急に現実味を帯びてくる。
もっとも、それが華園重工の強さなのか、后個人の強引さなのかまでは、奏には判断できなかった。
***
その日の夜。
夕食を終えた奏が二〇六号室のリビングへ戻ると、共用テーブルの上に見慣れないハードケースが置かれていた。
后はその傍らに立ち、数枚の書類へ目を通している。
「……何だ、そのケース」
「見れば分かるでしょ。届いたのよ」
「え?」
あれからまだ半日も経っていない。
ケースは夕食前に学園の守衛室へ届けられ、休日当番の教員を経由して后の手へ渡ったらしい。
「華園重工から学園への試験貸与扱いにしてあるわ。使用者もあんたで仮登録済み。これなら学園内で使っても問題ないでしょ」
后は書類の束を揃えると、ケースの留め具を外した。
黒い緩衝材の中央には、奏がこれまで使ってきたものより一回り大きなハンドガンが収められていた。
艶を抑えた黒いスライド。
その側面には、《GEKKOU HZ-90》の文字が刻まれている。
派手な装飾はないが、ひと目見ただけでも、これまで手にしてきた銃とは違う堅牢さが伝わってきた。
「持ってみなさい」
促され、奏はケースからHZ90型を取り出した。
手にした瞬間、確かな重みが伝わる。
これまで使っていたハンドガンより重量は増している。
それでも、グリップを握った感触は不思議と手に馴染んだ。
「どう?」
「重い。でも、嫌な重さじゃない」
「高出力に耐えるために必要な重量よ。軽くするのが、次の課題ね」
奏はもう一度、手の中の銃を見る。
后が電話をかけてから、わずか数時間。
その短い間に、銃だけでなく、学園で使用するための手続きまで済ませていた。
「勘違いしないでよね。ウチの製品を使って失敗されたら営業妨害よ。せっかくならウチの製品を使って、成功しなさいよ」
いつもの調子だった。
宿泊研修から戻ったばかりの頃、后はどこか元気がなかった。
連休が明け、普段どおりに振る舞うようになってからも、あの日の出来事まで忘れたわけではないだろう。
時間が経てば、すべてが消えてなくなるわけではない。
奏には見せていないだけで、今も胸の内に抱えているものがあるのかもしれない。
それでも后は、奏の悩みに気づき、話を聞き、自分の武器を持ち出し、休日の会社まで動かしてくれた。
それを恩着せがましく語ることもなく、いつもと同じ温度で。
「后……ありがとう!」
「なっ……!?」
后の肩が跳ねた。
奏が不思議そうに見つめると、后は慌てたように顔を逸らし、テーブルに置かれた書類を揃え始める。
わずかに赤くなった横顔を見ても、奏にはその理由が分からなかった。
ただ、改めて深く思う。
助けてもらったことに。
そして、彼女がこうして自分たちの前に立っていることに。
奏は心の中で、もう一度、后へ深々と頭を下げた。
「――后お嬢様から可及的速やかに、と催促がありまして……」
「うちの娘が?ド休日の真昼間に?銃器を、ましてや《ゲッコウHZ90型》を持ってこいなんて、天地がひっくり返っても言うものか!学園にはこちらから確認する!――今回は厳重注意とするが、次は無いぞ」
「社長!信じてください!」




