11-1話_Between Phases
いわゆる2.5章の幕開けです。サクッとライトなボリュームにしてます。えびせんぐらいライトです。
――宿泊研修から、二か月が経とうとしていた。
千代瀬で起きた一連の騒動は、当時こそネットニュースの片隅をわずかに賑わせた。
『千代瀬で相次いだ異変――山中の爆発、近隣企業の研究施設で鳴り響いた警報、そして昼空に立ち昇った謎の蒼い光。それらは偶然か、それとも――』
召喚獣の暴走。
企業による極秘実験。
土地に伝わる怪異。
蒼い光は加工された映像に過ぎないという意見まで、根拠のない推測が飛び交った。
その中には真相の一端に触れているものもあったが、あまりに荒唐無稽な説と並べられたことで、誰かが真剣に取り合うこともなかった。
やがて新しい事件や話題に押し流され、あれほど不穏な見出しを掲げていた記事も、今では自ら探さなければ目にすることはない。
世間だけではなく、奏たちの周囲にも日常が戻っていた。
帰りのバスでは、誰もが少なからず疲労や動揺を顔に残していた。
だが、宿泊研修が終わると同時にゴールデンウィークへ入り、連休が明ける頃には、教室に以前と変わらない声が響くようになった。
宿泊研修直後はどこか元気のなかった后も、今では男子生徒のだらしなさを見つけては、容赦なく小言を飛ばしている。
彼女がすべてを乗り越えたのかは、誰にも分からない。
少なくとも周囲の目には、以前の調子を取り戻したように映っていた。
座学と、週に数度の戦闘訓練。
慌ただしい日々を繰り返すうちに季節は進み、晴れていた空を厚い雲が覆い始めた。
梅雨に入ってからは、窓を打つ雨音が聞こえない日の方が少なかった。
そうして気がつけば、期末考査の足音が聞こえる時期になっていた。
――日常は戻った。
けれど奏には、あの日から置き去りにできない言葉がある。
『その銃剣もどきを、お前のものにしろ』
宿泊研修の最終日前夜――御手洗に告げられた言葉を胸に、奏は授業中の戦闘訓練だけでなく、放課後にも一人、訓練場へ通い続けていた。
***
放課後の訓練場に、雨音が響いていた。
他の生徒は既に引き上げ、広い屋内訓練場に残っているのは奏だけだった。
少し離れた場所では、召喚されたアビスが床に伏せ、何度目になるか分からない試行を静かに見守っている。
奏はハンドガンを構え、息を整えた。
銃身へイデアを流し、銃口の先へ意識を集中させる。
淡い蒼色の光が集まり、細長く伸びていく。
輪郭が揺らいだ。
「……っ」
集中を強める。
光は辛うじて刃の形を保った。
今日に入って五度目――ようやく形になった。
宿泊研修の直後は、十回試して一度成功するかどうかだった。
梅雨に入った頃には七回に一度。
最近では、五回に一度程度まで成功率を上げている。
数字だけを見れば、前進している。
だが、奏はそう考えていなかった。
五回に一度では、戦場で使えるとは言えない。
必要な一回で発現しなければ、できないのと同じだ。
銃口から伸びた刃を見据えたまま、奏は一歩を踏み出す。
それだけで輪郭が大きく揺れた。
構わず床を蹴り、訓練用の標的へ踏み込む。
刃を突き出そうとした瞬間、蒼い光が根元から砕けた。
標的に触れることさえなく、光の粒子が宙へ散っていく。
「またか……」
形にすることはできる。
だが、刃の維持へ意識を割けば、足運びも照準も疎かになる。
相手の動きを想定し、間合いを測り、近接武器として扱おうとした途端に形が崩れる。
静止したまま刃を作ることと、それを武器として振るうことは、まるで別の技術だった。
奏は訓練端末へ目を移す。
アビスを召喚した状態。
召喚していない状態。
静止したまま出力を上げる。
身体を動かしながら出力を一定に保つ。
一気にイデアを流し込む。
少しずつ流量を増やす。
思いつく限りの条件は試した。
記録された数値を見比べても、成功と失敗を分ける決定的な違いは見つからない。
訓練場の屋根を打つ雨が、わずかに強くなった。
その音へ意識を向けた瞬間、別の水音が記憶の底から浮かび上がる。
滝。
拳。
荒い呼吸。
濡れたグリップ。
『一ターンに二回以上行動するのは、ルール違反だ』
そして、銃口を覆った蒼色の光。
奏は立ち位置を変えた。
あのときの砥上との距離を思い出し、足の位置を合わせる。
銃を握る角度も、構えも、可能な限り記憶の中へ近づけた。
だが、肝心の感覚だけが掴めない。
追い詰められ、考える余裕もない中で起きた現象だ。
何を思い、どれほどのイデアを流したのか。
思い出そうとするほど、記憶は滝の飛沫に霞んでいく。
足音が近づいた。
振り返ると、アビスがすぐそばまで来ていた。
奏は小さく息を吐き、その頭へ手を置く。
「……悪い。あと一回だけ、付き合ってくれ」
『何も言うまい』
アビスはそう答え、顔を上げた。
奏は再び標的へ向き直り、ハンドガンを構えた。
蒼い光が銃口へ集まる。細く伸びた刃が、先ほどよりも鮮明な輪郭を作った。
一歩。
その瞬間、刃が揺らぐ。
奏が踏みとどまるより早く、蒼い光は形を失い、宙へ溶けた。
「…くそっ」
静寂を埋めるように、雨音だけが訓練場へ戻ってきた。
***
翌日。
じめじめとした雨が降る午前。
イデア工学の授業が始まると、羽瀬川は教室正面のモニターに二つの波形を表示した。
一方は細かな上下を繰り返し、もう一方はそれを追うように揺れている。
形は似ているようにも見えるが、波の間隔も、高さも一致していない。
「これは、ある召喚士と召喚獣から計測された通常時のイデア波形です」
羽瀬川が端末を操作する。
画面が切り替わり、別の波形が表示された。
先ほどまで異なる形を描いていた二本の線が、今度は互いに重なり合うように推移している。
「そして、こちらが《共鳴》の発現時に記録されたものです」
その言葉に、教室の空気がわずかに変わった。
――《共鳴》
召喚士を志す者なら、一度は耳にしたことのある言葉だった。
「《共鳴》が確認された事例では、召喚士と召喚獣のイデア波形が、極めて近い形を示すという報告が挙げられています」
羽瀬川は重なった二本の線を指し示す。
「そのため現在は、イデア波形の同期そのものが《共鳴》である、という説が最も有力です」
誰かがノートへ書き込む音が聞こえる。
羽瀬川は一度言葉を切ると、再び端末を操作した。
画面には、異なる日時、異なる召喚士から計測された複数のデータが並ぶ。
「ただし、これは学術的に証明された定説ではありません」
書き進めていた何人かの手が止まった。
「確認されている事例そのものが少なく、意図的な再現にも成功していません。波形の同期によって《共鳴》が引き起こされるのか。《共鳴》が発現した結果として波形が同期するのか。その因果関係も不明です」
羽瀬川の説明に合わせ、画面上のデータが順に拡大されていく。
「そもそも、異なる二つのイデア波形が、どのようにして同期するのか。それすら現在も研究中です」
奏はノートへ『波形の同期…』と書き込んだ。
「また、《共鳴》は召喚士の基礎である。そのように表現されることもあります」
羽瀬川の視線が教室をゆっくりと巡る。
「ただし、ここでいう基礎とは、イデア工学における分類上の話です。習得時期や、召喚士としての評価を意味するものではありません」
それ以上、羽瀬川は召喚士の優劣へ触れなかった。
画面を通常時の波形へ戻し、片方だけを大きく振幅させる。
「また、一方のイデア出力だけを高めても、二つの波形は同期しません」
奏のペン先が止まった。
「音量を上げたからといって、二つの音の高さが揃うわけではない。それと同じです」
――出力の問題じゃない?
宿泊研修から二か月。
奏は銃口にイデアを留めるため、出力を上げる方法を何度も試してきた。
実際、出力を高めれば刃の形を作れることはある。
だが、それは維持できず、近接武器として使おうとすれば簡単に崩れた。
モニターへ向けていた視線が、ノートへ落ちる。
『波形の同期』という文字の横に、奏は小さく疑問符を書き足した。
「《共鳴》の発現時には、イデアの伝導効率や反応速度にも変化が確認されています」
羽瀬川の授業は続く。
「中には、召喚獣の性質が召喚士の身体や、使用していた武器へ一時的に現れた事例もあります」
奏は顔を上げた。
忘却の滝。
砥上へ向けたハンドガン。
銃口から伸びた、蒼い刃。
――もしかして、あれも。
「ただし、その現れ方には個人差があります。同様の現象を意図的に再現する方法も、現在のところ確立されていません」
期待を先回りして打ち消すように、羽瀬川が付け加えた。
そして、発現へ至った状況に対して、羽瀬川は説明を続けた。
召喚士が生命の危機に陥っていた。
強い感情を抱いていた。
守るべき対象が存在した。
召喚獣と長い時間を過ごし、強い信頼関係を築いていた。
しかし、同じ状況を用意しても、《共鳴》が再現されるとは限らない――と。
「発現を経験した召喚士の多くは、“召喚獣と心が通じた”と証言しています」
教室のあちこちから、困惑したような声が漏れた。
それまで波形や計測値を扱っていた授業が、急に曖昧な話へ変わったからだ。
羽瀬川自身も、それは承知しているらしい。
「信頼、絆、相互理解。表現は様々ですが、いずれも数値化が難しく、再現性もありません。現段階では、発現者の主観的な証言として扱われています」
そこで岬が手を挙げた。
「ちなみに、羽瀬川先生自身は《共鳴》を経験されているんですか?」
教室の視線が一斉に羽瀬川へ集まった。
「しています」
間を置くこともなく、羽瀬川は答えた。
教室に小さなどよめきが広がる。
その中で、箒のペン先がノートの上で一瞬だけ止まった。
「そのとき、発現条件になったと思われる出来事は?」
岬が続けて尋ねる。
羽瀬川は少しだけ考える素振りを見せた。
「長く一緒に過ごしました。よく話して、意見が食い違えば喧嘩もして、そのたびに仲直りをしました」
「……つまり、信頼関係ですか?」
「平たく言えば、そうなります」
「ずいぶん精神的な話になるんですね」
「だから、研究者として扱いに困っているんです」
羽瀬川が淡々と答えると、教室に小さな笑いが起きた。
最先端の観測機器で波形を計測し、数多くの事例を比較した末に辿り着くのが、心を通わせること。
それでは確かに、授業として教えようがない。
「少なくとも、教科書の手順どおりに進めれば発現する現象ではありません」
笑いが収まるのを待って、羽瀬川はモニターへ向き直った。
「では、現在確認されている事例ごとの波形差について、もう少し詳しく見ていきましょう」
再び画面が切り替わり、授業は何事もなかったように学術的な説明へ戻っていった。
――授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
羽瀬川が教材を閉じると、教室の空気が一斉に緩む。
席を立つ者、次の授業の準備を始める者、《共鳴》について近くの生徒と話し始める者。
奏だけは、開いたままのノートを見つめていた。
『波形の同期…?』
『出力の上昇とは異なる』
『召喚獣の性質が、武器へ現れる事例』
授業中に書き留めた言葉の中心に、《共鳴》の二文字がある。
羽瀬川へ聞けば、何か分かるかもしれない。
そう考えて教卓へ目を向けたものの、奏は席を立てなかった。
忘却の滝で発現した銃剣について尋ねれば、なぜその現象を自分の問題として捉えているのかを説明しなければならない。
それは同時に、千代瀬の昼空へ立ち昇った蒼い光と、自分との関係を明かすことになる。
奏はペンを持ち直し、《共鳴》の二文字を何度も丸で囲んだ。
出力の問題ではないとしたら、あのとき何が違ったのか。
答えは、まだノートのどこにも書かれていなかった。
***
その日の夕方。
ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴ると、御手洗は一枚の資料を手に教室へ入ってきた。
教卓へ資料を置き、教室を見渡す。
「薄々感じていたと思うが、期末考査の時期が来た」
教室のあちこちから、ため息とも呻き声ともつかない反応が上がった。
御手洗は気に留めることなく、教室正面のモニターへ考査日程を表示する。
「期末考査まで残り三週間。土日祝を除けば、実働十五日だ」
「先生、社会人すぎない?」
綴の言葉に、何人かが笑う。
御手洗はモニターへ向けていた視線を止めた。
「……登校日十五日だ」
一度だけ言い直し、何事もなかったように説明を続ける。
考査は筆記と実技の二つに分けて行われる。
筆記考査は各教科で設定された規定点を下回った場合、補習の対象となるらしい。
「補習は一学期終了後、夏休み中に行う。終了後には追試もある」
夏休みという言葉に安堵しかけた空気が、続く説明で一転した。
「赤点を取る自信のあるヤツは、今のうちから予定を空けておけ」
今度こそ、教室中から明確な不満の声が上がった。
御手洗はそれが収まるのを待たず、次の資料を表示する。
「続いて実技考査だ。今回は二人一組による対人戦を行う」
教室の空気が再び変わった。
召喚士の学校である以上、筆記考査よりも、こちらの方が気になる生徒は多いらしい。
「評価対象は個人の戦闘技術、イデアコントロール、状況判断、安全管理。ペアとの連携、その他もろもろだ」
御手洗が項目を読み上げていく。
「協調性も評価項目の一つだ。自分一人が動きやすければいい、という考えは捨てろ」
「勝った方が評価は高いんですか?」
教室のどこかから質問が上がった。
「無論、勝敗は重要だ。結果を軽視するつもりはない」
御手洗は即答する。
「だが、同じ一勝でも内容は違う。どのように勝ったのか。どのように負けたのか。実技考査では、そこも含めて総合的に評価する」
御手洗の言葉に、教室の空気がわずかに引き締まった。
「試合は、相手チームの二名が戦闘続行不能、または場外となった時点で終了とする。危険と判断した場合や、勝敗が明白となった場合は教員判断で止める」
「片方が場外になったら?」
「残った一名で続行だ。数的不利を覆せば、評価へつながる。一方、数で有利なペアが敗れれば、それも評価へつながる」
短い回答に、再びざわめきが起こる。
「ペアは、いつ発表されるんですか?」
続けて上がった質問に、御手洗は一拍置いた。
「当日だ」
教室のざわめきが、今日一番の大きさになる。
「ペアだけではない。対戦相手も、実技考査当日の抽選で決定する」
「せめてペアくらい事前に決めてもいいんじゃないですか?」
「抽選は各自で行う。引き直しは認めない」
「相性が悪かったらどうするんですか?」
「自分で引いた札だ。俺に言われても困る」
取りつく島もない。
教師に決められた組み合わせなら抗議もできるが、自分の手で引いた結果となれば、誰かへ責任を押しつけることもできない。
そんな空気の中、狛がふと思いついたように口を開いた。
「それに、事前に発表したら獅堂がまた必殺技考えるだろ?」
「はぁ!?」
霞の短い声が教室へ響き、張り詰めかけていた空気が一気に崩れた。
笑いが広がる中、御手洗は表情を変えずに説明を続ける。
「――戦場は生き物だ」
その一言で、教室の声が少しずつ静まっていく。
「共に戦う人間も、対峙する相手も、環境も、好きに選べるとは限らない」
御手洗は生徒たちを見渡した。
「如何なる状況にも順応できなければ、生き残れない」
ホームルームが終わったあとも、その言葉は奏の耳に残っていた。
筆記考査。
二人一組の実技考査。
いまだ実用には届かない銃剣。
そして、その鍵になるかもしれない《共鳴》。
期末考査まで、残り三週間。
期末考査もまた、生き物だ。
如何なる状況にも順応できなければ、生き残れない。
タイトルは大体、体を清めている最中に考えています。




