9-4話_Strike While the Iron Is Hot
あと10パートぐらいで第2章が終わる予定です。暖かい目で見守っててください。
数十分前。
「ここだろ?」
御手洗が、地域図の一点を指し示す。
佐岸は何も答えなかった。
悟られまいと御手洗を見つめたあと、天井へ向かってひとつ息を吐く。
それだけで、御手洗には十分だった。
静かに睨み合うだけだった戦いが、その一言を境に動き始める。
「獅堂、篠亀。それと、双鳶」
御手洗がラウンジからロビーへ顔を向けた。
呼ばれた霹が、自分と隣に立つ靂を交互に指差す。
「え?あーし?それとも靂?」
「どっちもだ」
「そっちね」
まず、御手洗は箒へ視線を向けた。
「篠亀はここに残れ。ロビー周辺の警戒だ」
「承知しました」
「-――こいつ以外にも、まだ俺たちが把握してねぇ奴が紛れてるかもしれん。万が一に備えて、ここを守れ」
箒が静かに頷く。
御手洗は続いて、双鳶姉妹へ向き直った。
「双鳶は逢麻を探せ」
「――でも、情報が少ない」
少し考えた靂が淡々と指摘する。
岬がホテルを出た方角までは分かっている。
だが、その先でどの道を選び、今どこにいるのかまでは分からない。
「なんとかなるって!」
霹が靂の懸念を振り払うように、ラウンジを後にした。
御手洗は双鳶姉妹から、最後に残った霞へ視線を移した。
「獅堂、お前は――」
「空から探せば一発っしょ!」
霹が声を上げた。
そのまま耳元のクォーツギアへ手を伸ばす。
「いくよ!ガン――」
「外で出せ」
「はいはい」
霹と靂が、ロビーを駆け抜ける。
***
――廃神社 旧参拝者駐車場
鉈が、五節棍へ叩きつけられた。
硬質な衝突音が、廃神社の旧駐車場に響き渡る。
狛は五節棍の二節を折り曲げ、鉈の刃を挟むように受けていた。
腰を捻り、斜め下へ力を逃がす。
それでも、すべては流し切れない。
靴底が舗装を滑り、両腕へ重い痺れが走った。
正面から受け止め続ければ、先に五節棍ごと腕を持っていかれる。
――こいつに構ってる暇はねぇ。
狛の視線が、久垣の背後へ走る。
旧千代瀬集材所方面へ続く山道。
逢麻岬は、その先で自分を待っているはずだった。
狛の意図を察し、ウロが久垣の左側へ駆ける。
銀色の尾が翻る。
一つ目の狐火が久垣の顔付近へ、遅れて二つ目が足元へ滑り込んだ。
久垣は大きく鉈を薙ぎ、二つの炎をまとめて追い払おうとする。
その瞬間、狛は正面から踏み込んだ。
五節棍を舗装へ突き立てる。
撓った棍を支点に身体を跳ね上げ、久垣の横を飛び越えた。
着地と同時に、山道へ向かって駆け出す。
久垣は追わなかった。
「誰が、行かせるっつったよ!」
右手には鉈を握ったまま。
久垣は左親指を折り、掌へ押し当てる。
太い金色のサムリングに嵌め込まれたクォーツが、鈍い光を放った。
「来い――ガロン」
狛の進路を塞ぐように、巨大な影が落ちる。
現れたのは、猪型の召喚獣だった。
その身体に、獣毛はほとんどない。
黒灰色の皮膚は岩肌のように隆起し、暗い赤褐色の筋が全身を走っている。
光沢は乏しく、金属というより、地中から掘り出された巨大な鉱石に近い。
牙はない。
代わりに、丸く分厚い鼻先から首、盛り上がった肩までが、一つの巨大な塊のように繋がっている。
ガロンが太い前脚で舗装を掻く。
乾いた硬質音とともに、表面が削れた。
狛は走る方向を変える。
ガロンは追わない。
進路へ一歩を差し込み、大きな頭部を横へ振るった。
牙などなくとも、その鼻先と肩だけで、山道の入口を丸ごと薙ぎ払える。
狛は五節棍を舗装へ突き、迫る巨体から身体を逃がした。
脇を通過しただけで、風圧に体勢を乱される。
着地した先へ、久垣の鉈が迫る。
狛は五節棍で軌道を逸らしたが、その一撃によって駐車場の中央まで押し戻された。
山道入口にはガロン。
その反対側には久垣。
狛とウロは、二つの巨体に挟まれていた。
「ガロン」
久垣が、銀色の狐を睨む。
「あの狐に邪魔をさせるな」
鉈の切っ先を、狛だけへ向ける。
「九条は――俺が殺す」
「ウロ、でかい方を任せた」
ウロが短く鳴き、四本の尾を広げる。
狛も五節棍を構え直した。
「こっちは俺がやる」
久垣が踏み込む。
速くはない。
だが、鉈が通過する範囲が広い。
狛が後方へ退けば、久垣はそのぶんだけ前へ出る。
一撃ごとに、狛が立てる場所が削られていく。
狛の援護へ向かおうとしたウロの前には、ガロンの巨体が立ちはだかった。
四つの狐火が、左右へ散開する。
二つがガロンの側面へ回り、残る二つが正面から迫った。
ガロンは追わない。
ウロと狛の間に身体を置いたまま、横へ一歩だけ動く。
その一歩で、すべての射線が塞がれた。
ウロが口を開き、炎を吐き出す。
赤から橙へ揺らめく炎が、ガロンの正面を呑み込んだ。
続けて、四本の尾が大きく振り翳される。
扇状の熱波が炎を押し広げ、ガロンの巨体を包み込んだ。
それでも、止まらない。
ガロンは炎の中から一歩を踏み出す。
ウロが後方へ跳ぶ。
その着地点を守るように火柱が立ち上がった。
巨大な前脚が、火柱の中へ踏み込む。
黒灰色だった外皮が、内側から暗赤色へ染まっていく。
効いている。
狛がそう判断した直後、ガロンがさらに一歩を踏み出した。
焼け落ちるどころか、鉱石じみていた外皮の凹凸が締まり始めている。
その表面に、先ほどまではなかった鈍い光沢が浮かんだ。
「土くれと一緒にすんじゃねぇ」
ウロの炎は、確かにガロンへ届いている。
それでも、巨体を溶かすには熱量も時間も足りない。
むしろガロンの外皮は与えられた熱を取り込み、外皮を鍛え直していた。
ガロンは速くない。
それでも、身体の向きを変えるだけでウロの進路を塞げる。
ウロが炎を放つたび、ガロンはその巨躯で受け止め、狛への援護を遮り続ける。
その間にも、久垣の鉈が狛を追い立てる。
狛は五節棍の節を折り、伸ばし、軌道を変えて鉈を捌く。
しかし、ウロからの援護は届かない。
鉈の刃が制服の袖を掠めた。
回避した先へ、久垣の左拳が迫る。
狛は五節棍で受けたが、衝撃だけで身体が後方へ押し流された。
技術だけでは、埋められない。
狛は奥歯を噛み締める。
周囲へ視線を走らせた。
棄てられた旧駐車場。
学園の人間も、ホテルの関係者もいない。
見られたくない相手は、ここにはいない。
「ここには誰もいないし、な」
五節棍を握り直す。
狛は、ガロンと対峙するウロへ視線を送った。
「ウロ――やるぞ」
ウロの身体が、赤橙色の光を帯びる。
四本の尾から立ち上った炎が、風もないのに狛へ向かってなびいた。
呼応するように、五節棍が光を放つ。
節と節を繋ぐ金具へ、細い炎が走った。
狛が一歩を踏み出す。
その足運びをなぞるように、舗装の上へ赤い炎の軌跡が残る。
《共鳴》
狛とウロのイデアが重なり、離れていた二つの戦場が再び繋がる。
狛の左右へ、新たに二つの狐火が灯った。
久垣が鉈を振り下ろす。
狛の姿が、その正面から消えた。
否。
消えたように見えるほど、踏み込みが鋭くなったのだ。
炎の軌跡が、舗装の上に弧を描く。
垣の側面へ回った狛が、五節棍を振るう。
一節目が鉈の柄へ絡みつく。
二節目が久垣の手首を打ち、さらに折れ曲がった先端が、遅れて脇腹へ叩き込まれた。
久垣が狛を追って踏み出す。
その足元で、先ほど舗装に残された炎が燃え上がった。
動きが止まる。
左右から、二つの狐火が迫る。
久垣は鉈で炎を薙ぎ払う。
その死角へ狛が潜り込んだ。
五節棍が、今度は膝の外側を打つ。
「チマチマ、チマチマ……動きやがって!」
久垣が鉈を舗装へ叩きつける。
破片が飛び散り、地面へ亀裂が走った。
狛は炎の軌跡を残しながら、その攻撃範囲を抜ける。
「当たらねぇ方が悪いだろ」
久垣のこめかみに、太い血管が浮かんだ。
「もう――めんどくせぇ!」
怒声に呼応し、ウロを塞いでいたガロンが顔を上げる。
「ガロン!」
左手のサムリングが、強い光を放つ。
「《召装》だ!!」
ガロンの巨体が、赤銅色のイデアへ解けていく。
昇った光は久垣の頭上で渦を巻き――一気に落ちた。
赤銅色のイデアが、久垣の上半身へ覆い被さる。
だが、身体には触れていない。
久垣の輪郭から数十センチ離れた位置に、もう一つの巨大な上半身が形成されていた。
首の後ろから盛り上がった背部。
横へ大きく張り出した両肩。
胸元を覆う、丸く分厚い外殻。
さらに、久垣本人の両腕とは別に、二本の巨大な装甲腕が垂れ下がっている。
ガロンの姿は、もうどこにもない。
「《召装》……」
狛の口から、その言葉が漏れた。
召喚獣をイデアへ還元し、武器や防具、装具へ成り変わらせる。
《共鳴》の、さらに先にある戦闘形態。
「《共鳴》の次の段階……だったか」
「“だったか”じゃねぇよ」
久垣の口元が、嘲るように歪んだ。
「九条のくせに、《召装》もできねぇのか?」
「……悪かったな。まだ一年なんでね」
「看板だけは一人前か、クソガキ」
久垣が左腕を横へ振るう。
狛は、その軌道を見切っていた。
本人の腕は、届かない。
そう判断して身を引いた直後。
さらに外側を通過した赤銅色の装甲腕が、狛の身体を捉えた。
「――っ!?」
見切ったはずだった。
久垣本人の腕よりも、半分ほど長い。
その間合いを読み違えた狛の身体が宙へ浮き、砕けた舗装へ叩きつけられる。
ウロが久垣の死角から狐火を放つ。
久垣も振り返らない。
炎は確かに、背後から命中した。
それでも、赤銅色の外殻を焼いただけで、その内側にいる久垣までは届かない。
久垣は狛だけを見たまま、ゆっくりと歩み寄る。
ウロが横へ回り、口から炎を吐き出した。
久垣が肩越しに一瞥する。
それだけで、片方の装甲腕が動いた。
巨大な掌が、空間ごと炎を薙ぎ払う。
もう一方の装甲腕が、舗装へ叩きつけられた。
衝撃と破片が広範囲へ飛び散る。
狛が残した炎の軌跡が、地面ごと掻き消された。
二つの狐火も衝撃に呑まれ、軌道を崩す。
踏み込むための足場が砕かれる。
避ける場所が、攻撃のたびに消えていく。
速さでは、まだ狛が上だった。
だが、走れる場所がなければ意味がない。
狛は五節棍を鞭状に伸ばし、装甲に覆われていない久垣の脚を狙う。
先端が届く直前、巨大な装甲腕が横から割り込み、五節棍を弾き飛ばした。
間髪を容れず、久垣の鉈が迫る。
狛は五節棍を短くまとめ、刃を受け流す。
後退した踵が、砕けた舗装へ沈んだ。
久垣は止まらない。
鉈。
装甲腕。
拳。
直線的な攻撃が、圧倒的な範囲と質量を伴って繰り返される。
狛の身体が、再び舗装を転がった。
それでも五節棍は手放さない。
片膝をついた狛を見下ろし、久垣は追撃を急がなかった。
初めてだった。
九条を名乗る人間が、自分より低い場所からこちらを見上げている。
「ふはははは!どうした、九条」
赤銅色の装甲を従え、久垣が口元を吊り上げる。
「見下ろされる気分はどうだ?」
狛は五節棍を支えに、立ち上がる。
「最高だよ。景色が悪くて反吐が出そうだ」
「まだ減らねぇ口だな!」
久垣の装甲腕が、旧駐車場の空気をまとめて薙ぎ払う。
狛の背後には、眺望側の柵。
左右には砕けた舗装と残骸。
避ければ、斜面へ落ちる。
受けるしかない。
狛は五節棍を短くまとめ、両手で斜めに構えた。
右足を半歩引く。
正面から止める気はない。
装甲腕を斜めに受け、その力を上へ逃がす。
赤銅色の巨腕が迫る。
――その瞬間だった。
視界の端で、蒼い光が立ち上がった。
山間部を貫き、雲へ届かんばかりに伸びる巨大な光柱。
ウロも耳を立て、その方角を見た。
あの方角。
ホテルを飛び出した奏が、向かった先。
「天宮……?」
意識を奪われたのは、ほんの一瞬だった。
五節棍の角度が下がる。
引いていた右足が、砕けた舗装へ乗った。
足元が沈み、腰が浮く。
受け流すはずだった装甲腕を、正面から受けた。
衝撃が、五節棍を通して全身へ突き抜ける。
狛の身体が弾き飛ばされた。
背中から柵へ叩きつけられ、肺から空気が押し出される。
左肩と脇腹に、遅れて激痛が走った。
五節棍を握ったまま、狛は片膝をつく。
久垣は、蒼い光柱へ目も向けなかった。
山の向こうで何が起きようと、知ったことではない。
久垣の目に映っているのは、膝をついた九条だけだった。
ウロが狛のもとへ駆ける。
しかし、一方の装甲腕が進路を塞いだ。
四つの狐火が放たれる。
もう一方の装甲腕が横薙ぎに動き、そのすべてをまとめて払い落とす。
久垣本人の右腕は、空いている。
鉈を握り直し、狛の頭上へ高く振り上げた。
***
――数十分前。
ロビーの自動ドアの向こうで、紫を帯びた朝焼け色の光が迸った。
外へ出るなり、霹がガンマを召喚したのだろう。
箒はロビーに残った生徒たちを集め、何事かを説明している。
周辺の警戒と、万が一の際の行動について伝えているようだった。
その様子を一瞥した御手洗が、改めて霞へ向き直る。
「獅堂。お前、土地勘はあるか?」
「気合いでどうにかする。場所は?」
逢麻岬は、旧千代瀬集材所の方角へ向かった。
九条狛は、そのあとを追ってホテルを出ている。
そして、佐岸が気にしていたのは、ホテルと旧千代瀬集材所の中間地点。
御手洗の指が、地域図の一点を叩いた。
「――廃神社だ」
霞の知る限り、千代瀬でそう呼ばれる場所は一つしかない。
棄てられ、時間だけが止まったような神社。
足繁く通っていたつもりはない。
それでも幼い頃、厳しい鍛錬を終えたあとに訪れると、そこは不思議と居心地がよかった。
場所が分かるなら、迷う理由はない。
「任せろ」
「そこに九条がいるはずだ」
霞の表情が、わずかに固まった。
――『棒術は、刀術よりも単純じゃねぇよ』
いつか狛が自分へ投げた言葉が、脳裏に蘇る。
霞は軽く舌打ちをした。
御手洗が、短く命じる。
「九条を連れ戻せ」
***
鉈が、振り下ろされた。
刃が狛へ届く、その直前。
横合いから吹きつけた風が、鉈の軌道をわずかに逸らす。
そこへ、一振りの小太刀が滑り込んだ。
甲高い金属音が、廃神社に響き渡る。
久垣の鉈は、狛の眼前で止まっていた。
「刀術より単純じゃねぇんだろ――棒術は」
聞き覚えのある声に、狛が顔を上げる。
自分を庇うように立つ、その背中。
「――獅堂……?」
霞は振り返らない。
小太刀を構えたまま、久垣と狛の間に立つ。
久垣の前に、一陣の風が立ちはだかった。




