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Last Quartz  作者: 錢葵
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48/49

9-1話_Cut Short

もう8月が終わっちゃいます。

俺の夏休み――終わっちゃったよ


――それは、十秒にも満たない縦長の動画から始まった。


警備会社の制服を着た男が、若い女を床へ押さえつけている。

女の頬は床に触れ、背中へ回された右腕を男の太い手が掴んでいた。


「痛い、痛いって!」


身体を捩った拍子に、制服の腕が女の胸元へ触れる。


「やめて! 触らないで!」


画面が激しく揺れた。

撮影者の息遣いに混じって、小さな声が入る。


「やりすぎ……」

「やば……」


そこで動画は途切れていた。


その数秒前まで、女の手にはカッターナイフが握られていた。

柄沢迅吾はその手を床へ叩きつけ、落ちた刃物を遠くへ蹴り飛ばしていた。

だが、刃物はカメラの外へ転がった。

映像に残ったのは、若い女を床へ押さえつける警備員の姿だけだった。


〈未成年の女の子にこれはない〉

〈完全にやりすぎ〉

〈胸触ってない? 普通にセクハラでしょ〉

〈警備員なら何しても許されるの?〉


切り取られた動画は、柄沢の知らないところで再生数を伸ばしていった。


――数日後。


柄沢は、所属する警備会社の会議室に呼び出されていた。


正面のスクリーンには、再生途中で止められた動画が大きく映し出されている。

テーブルの上には、今回の報告書と、過去に提出された複数の始末書が並んでいた。


「柄沢。凶器を排除したあとも、なぜ拘束を続けた」


上司の問いに、柄沢は迷わず答えた。


「再び暴れる可能性がありました。危険人物を確実に制圧しただけです」

「その時点で、女性警備員が到着していたはずだ」

「引き継ぐ必要はないと判断しました。すでに自分が制圧していましたので」


上司は短く息を吐き、机上の始末書へ目を落とした。


「問題になっているのは、この動画だけじゃない。君の制圧方法については、以前から何度も苦情が出ている」


柄沢の眉間に皺が寄る。


「では、危険人物を止めるなと?」

「そういう話をしているんじゃない」


会話はそこで途切れた。

柄沢迅吾に下された処分は、本日付での自宅謹慎だった。


謹慎が明けても、柄沢の居場所は戻らなかった。

動画は消えず、女側の証言や過去の苦情まで掘り返された。


ほどなくして会社を去った柄沢は、表の警備会社へ履歴書を送っては、名前を検索され、断られた。

やがて辿り着いたのは、繁華街の雑居ビルに入るバーだった。


警備ではない。

店と揉めた客を黙らせる、用心棒の仕事だった。


「チャイナブルー二杯で、三十七万!?」


カウンターに座る男が、伝票を掲げて声を上げた。


「チャージ代と、お通し代込みです」


店主が平然と答える。

柄沢がその背後へ立つと、男は伝票越しに彼を見上げた。


「……柄沢迅吾」


柄沢の足が止まる。


「……どこで、それを」

「まぁまぁまぁ。ちょいと外で話しねぇか。飲み代は俺が出す」


男は三十七万円をテーブルへ置き、店主へ片手を上げた。


「マスター、ちょっとコイツ借りてくよ」


柄沢は警戒しながらも、男のあとを追った。

二人がビルを出て、数秒後。


背後で爆発音が轟き、けたたましい警報が鳴り始めた。

柄沢が振り返る。


男――佐岸弥陸は、足を止めなかった。


「お前を雇うのに三十七万は、安い気がするけどな」

「……何の話だ」

「その日暮らしは、やめにしないか?」


佐岸は、柄沢の行いが正しかったとは言わなかった。


世間が間違っているとも、会社が見る目を持たなかったとも言わなかった。

ただ、柄沢の経歴と技術を並べたうえで、こう告げた。


「使いどころを間違えなきゃ、お前は役に立つ。要は適材適所だろ」


その言葉どおり、佐岸は柄沢へ仕事を与えた。


――そして現在。


華園重工の研究施設を襲撃した直後、再構築された作戦の中でも、柄沢に求められた役割は変わらなかった。


『柄沢。旧千代瀬集材所へ回れ。娘はそこへ運ばせる』


通信機越しに、佐岸の声が響く。


『お前は周辺を固めろ。誰も集材所へ近づけるな』

「見学者が来た場合は?」

『追い返せる相手なら、追い返せばいい』

「追い返せなければ?」


わずかな間を置いて、佐岸は答えた。


『……通すな』


『柄沢。旧千代瀬集材所へ回れ。娘はそこへ運ばせる』


佐岸から与えられた役目は、いつだって単純だった。

追い返せる相手なら、追い返せばいい。

追い返せなければ――通すな。


***


「こんな山ん中を、一人で出歩いちゃ危ないですよ。お嬢ちゃん」


背後から聞こえた男の声に、岬は振り返った。

同時に、耳へ当てていたスマートフォンを身体の陰へ隠す。

そのまま画面を確認することなく、制服のポケットへ滑り込ませた。


数メートル先に、見知らぬ男が立っている。

使い込まれた作業着に、腰へ提げた伸縮式の警棒。

その斜め後方では、猟犬の姿をした召喚獣が鼻先を低くしていた。


アールが岬の前へ進み出る。

低く構えた四肢が、いつでも地面を蹴れるよう力んでいた。


ポケットの中で、スマートフォンが微かに震えている。

九条君が、何か話していたのかもしれない。

あとで、きちんと謝ろう。


「君は……学生か?どうしてこんなところに?」


男の声音は穏やかだった。

岬は男から距離を取りながら、その立ち位置と周囲の地形を確かめる。


「この先にある、旧千代瀬集材所へ行くんです」

「集材所へ?」

「はい」

「悪いことは言いません。あの辺りは危険ですから、ホテルへ戻った方がいいですよ」

「何が危険なんですか?」


男の眉が、わずかに動いた。


「古い施設ですからね。老朽化も進んでいますし」

「それなら、どうして道が封鎖されていないんですか?」

「……何?」

「立入禁止なら、分かれ道に看板や柵があるはずです。事故の危険があるなら、町や九条リゾートのホームページでも事前に知らせると思います」


男の口元から、営業用のような笑みが消えた。


「それに、あなたは誰なんですか?施設の管理者ですか。それとも、町の人?」

「質問が多いですね」

「答えてもらっていませんから」


短い沈黙のあと、男は岬の横を通り過ぎた。


「……悪いことは言わない。戻りな」


その口調から、敬語が消えていた。

男は岬と話しながら旧千代瀬集材所の方角へ歩き、やがて道を塞ぐように足を止めた。

猟犬は動いていない。


ホテルへ戻る道には猟犬――いや、召喚獣だ。

集材所へ続く道には男。


会話を続けているだけに見せながら、二人はいつの間にか岬とアールを挟んでいた。


「どうして通してくれないんですか?」

「危ないと言っただろ」

「危険なのは施設ですか。それとも、私が施設へ行くことですか?」


男は答えない。

岬はさらに問いを重ねた。


「旧千代瀬集材所に、何か隠しているんですか?」


沈黙。


「それとも――」


岬は男の目を見据えた。


「誰かを、あそこに監禁していたり?」


風が止んだ。

木々のざわめきが途切れ、山道から音が消える。

太陽が雲の陰へ入り、男の顔に暗い影が落ちた。


「大人を揶揄っちゃ駄目だぜ、お嬢ちゃん」


先ほどまでの愛想は、もうどこにも残っていなかった。


「ちょっと痛い目見ないと、分からないか?」


そのとき、背後の猟犬が鼻を鳴らした。


『ジンゴ』


グラムの視線が、岬へ向けられる。


『こいつから、あの小娘の匂いがする』

「あの小娘ですって……?」


岬の手が、胸元に留めた髪飾りへ触れた。

わずかに残っていた疑念が、確信へ変わる。


「やっぱり、あなたが華園さんを拉致監禁しているのね!」


男――柄沢の目が細くなった。


施設の場所まで辿り着き、后の所持品を手にし、誰かと通話していた可能性まである。

この少女を帰せば、次に来るのは一人では済まない。

柄沢は腰の警棒へ手を添えた。


「……そこまで分かってるなら、帰すわけにはいかないな」


柄沢が、腰の警棒へ手を添えた。


「グラム」


呼びかけに応じ、岬の背後で猟犬が片方の前脚を持ち上げる。

アールが振り返った。


『岬、後ろ!』


グラムの前脚が、地面へ触れた。

次の瞬間、ホテルへ続く道が大きく揺れた。

地面が割れ、土砂が重い音を立てながら隆起していく。

ただの壁ではない。

厚く盛り上がった土塁の上部が、鼠返しのように岬たちの側へ迫り出していた。

乗り越えようとすれば、頭上から覆い被さる形状だった。


正面には柄沢。

背後にはグラムと、築かれつつある土塁。

退路を塞ぎ、ここへ閉じ込めるつもりだ。


その意図を理解した瞬間、岬の両手は動いていた。


両腿のホルスターから、一挺ずつデリンジャーを引き抜く。

残弾は八発。

増援が来る保証はない。

一発たりとも、無駄にはできない。


岬は右手の銃口を、柄沢の足元へ向けた。

銃身の奥で、土属性のイデアが弾丸を包む。

地形操作が完成するより先に――引き金を引いた。


乾いた銃声が、静まり返っていた山道を打ち破る。


柄沢が警棒を引き抜き、地面を蹴った。

その足元へ弾丸が突き刺さる。


着弾点を種として土が噴き上がり、二人の間へ壁を作り始めた。


《ウォールシード》


弾丸を起点に土壁を生やし、相手の動きを制限する。

学園へ入ってから、岬が勝手にそう名付けた技だった。


同時に、アールがグラムへ飛びかかる。

グラムも牙を剥き、迎え撃った。

土壁が隆起する轟音と、二頭の唸り声が重なる。


誰かが合図したわけではない。

退路を塞いだ柄沢と、閉じ込められる前に撃った岬。


二人の判断が連なった末に、戦闘は始まった。


一枚目の土壁が、柄沢の進路を遮る。

柄沢は足を止めず、壁の右側へ回り込もうとした。

その移動先へ、岬は二発目を撃ち込む。

着弾した地面から新たな壁がせり上がり、柄沢の行く手を塞いだ。


「こっちよ、アール!」


岬の声と同時に、アールが低く身を沈める。

飛びかかってきたグラムの牙を横へ躱し、その前脚の下から鋭い土の突起を隆起させた。

グラムの体勢が崩れる。


アールは間髪を入れず、その横腹へ身体をぶつけた。


『ぐっ……!』


押し出されたグラムの爪が、地面へ深い筋を刻む。

踏み留まろうとした前脚が土を蹴上げ、無数の礫を放った。

アールは身体を捻って直撃を避ける。

脇を抜けた礫が木の幹へ突き刺さり、乾いた音を立てた。


岬はその間にも走っていた。

柄沢の位置。

グラムが押し込まれる方向。

二頭がぶつかるたびに変化する空間を見極め、三発目を撃つ。


銃声。


柄沢の左手側に、三枚目の壁が立ち上がった。


「俺を囲ってるつもりか?」


柄沢が警棒を引き抜く。

その表面を、黄土色のイデアが覆っていく。

だが、振り上げるより先に、グラムの身体が柄沢のもとへ押し戻された。

柄沢は体制を崩す。


「くっ…!」


アールが逃がさない。

牙と牙がぶつかる寸前に首を引き、グラムの肩へ頭を潜り込ませる。

そのまま地面を蹴り、柄沢が立つ一角へ強引に押し込んだ。


これで、二人とも同じ場所にいる。


「アール、離れて!」


アールがグラムを突き放し、壁の外へ跳んだ。

残された一つの開口部。

柄沢がそこへ目を向けたとき、岬は四度目の引き金を引いていた。


弾丸が、柄沢たちの背後へ突き刺さる。

轟音とともに四枚目の壁が隆起し、最後の逃げ道を塞いだ。

柄沢とグラムを中心に、四方を囲む土壁が完成する。


アールは着地すると同時に身体を翻した。

太い尾が、一枚の壁へ叩きつけられる。


それを合図に、《ウォールシード》から生まれた四枚の壁が震えた。

ゴゴゴゴゴ――。

重い音を響かせながら、それぞれが中央へ向かって倒れ始める。


四方の壁は上部で噛み合い、柄沢とグラムの頭上を塞いだ。

内部には二人を押し潰さないだけの空間を残しながら、土の檻が完全に閉じる。


静寂が戻った。


岬は銃口を下げ、短く息を吐いた。

倒したわけではない。

傷つけてもいない。


それでも、二人の動きは封じた。


「今のうちに行こう! アール!」

『ええ!』


岬とアールは土の檻を回り込み、旧千代瀬集材所へ向かって走り出した。


しかし、岬たちが土の檻を回り込んだ、その直後だった。


背後から、鈍い衝撃音が響く。

岬の足が止まった。


もう一度。


今度は土の檻全体が揺れ、表面へ太い亀裂が走った。

三度目の衝撃。

四枚の壁が内側から弾け飛び、土煙が山道を覆った。

崩れた土塊が転がる中、男の声が聞こえる。


「基礎がなってねぇな」


土壁が崩れた勢いで、土煙が一気に周囲へ広がる。

その向こうから、ヒュン、ヒュン――と風を切る鋭い音が響いた。

土煙に紛れ、石の礫が飛来する。


放物線すら描かない。

重力に引かれる暇もなく、地面と平行にまっすぐ飛んでくる。


『岬!』


アールが前へ飛び出し、地面へ前脚を叩きつけた。

防壁となる土が隆起する。

しかし、一歩遅い。


礫の一つが岬の頬を掠めた。

熱を伴う痛みが走り、遅れて細い血の筋が浮かぶ。

もう一つがふくらはぎを掠め、制服の生地を裂いた。


岬を庇ったアールの肩にも礫が命中する。


『くっ……!』


直後に完成した土壁が、残る礫を受け止めた。

何発もの衝撃が重なり、壁の表面へ小さな穴が穿たれていく。

岬が作った壁を、柄沢は警棒で正面から叩き壊した。


そして、その破片さえも武器に変えた。

土煙がゆっくりと晴れていく。


柄沢は、土属性のイデアを纏わせた警棒を肩へ担いでいた。

その隣で、グラムが低く唸っている。


岬とアールは旧千代瀬集材所側。

柄沢とグラムは、ホテルへ戻る道側。

戦い始めたときとは、互いの配置が完全に入れ替わっていた。


「通してしまったからには、次はかすり傷じゃすまねぇぞ。嬢ちゃん」


その声に、脅しや虚勢はなかった。

岬は頬を伝う血を手の甲で拭った。


この男は、本気で私を始末しようとしている。


怖くないわけではない。

頬を伝う血の温度も、ふくらはぎに残る痛みも、これが訓練ではないと訴えている。


それでも、岬の中で恐怖が占める場所はわずかだった。


この男を無力化しなければならない。

その先にいる華園后を、助けなければならない。

岬は、隆起した土壁へ目を向けた。


表面には、礫弾によって穿たれた小さな穴がいくつも残っている。

自分は、一発分のイデアを壁全体へ広げた。

柄沢は、それを警棒の打点へ集中させて破壊した。

さらに砕けた破片へ力を凝縮し、弾丸のように撃ち出した。


広げたから、負けた。

その事実が、研究施設で見た光景を呼び起こす。

銃器型iCAS。

大気中から集めた土属性のイデアを、銃口の先――たった一発へ収束させていた。


そして、天宮奏が生み出したイデアの弾丸。

同じものは作れない。

けれど、今ある弾丸へ込める力を、壁として拡散させずに留めることなら。


「アール。試したいことがあるの」

『……やれやれだわ』


アールは傷ついた肩を庇いながらも、岬の前から退かなかった。


『これは訓練なんかじゃない』

「分かってる。でも――」


ここで自分の殻を破らなければ、きっと追いつけない。

自らの《リンクサイト》を他人と共有した華園后。

自分でも把握しきれないほど強大な力を持つ天宮奏。


自分の周りには、すごい人たちがいる。

その背中が、遠く感じてしまうほどに。


「私は、傷つけない戦い方が正義だと思ってた」


岬はデリンジャーを握り直した。


「でも、誰かを守るためには、誰かを傷つける覚悟も必要」


銃口を柄沢へ向ける。


「それが、今の私の答えなの」


アールは小さく息を吐いた。

その声には、呆れよりも柔らかな響きがあった。


『……なら、迷うんじゃないわよ』


アールが地面を踏み締める。


『一緒に、殻を破るわよ』

「……ええ」


これまでなら壁へ広げていたイデアを、岬は一発の弾丸へ押し留める。

夕陽色の光が、銃口の奥へ収束し始めた。


土属性のイデアが、一発の弾丸へ幾重にも圧縮されていく。

それでも、柄沢の目に映るのは、弾丸へイデアを纏わせるという召喚士の基礎に過ぎなかった。


「弾にイデアを纏わせてるようだが――」


柄沢は警棒を肩から下ろした。


「そんな基礎で、今さら何ができる」


岬は答えない。

銃口の先を、柄沢の右肩へ定める。

呼吸を止め、引き金へ力を込めた。


「グラム」


グラムが片方の前脚で、地面へ軽く触れる。

柄沢の前方で土が隆起し、分厚い壁となって立ちはだかった。

同時に、岬が引き金を引く。


銃声。


圧縮された土属性のイデアを纏う弾丸が、土壁へ衝突した。

壁の表面が大きく陥没する。


次の瞬間、その中心から亀裂が走った。


弾丸は止まらない。

周囲の土と石を抉り取りながら壁の内部を突き進み、反対側へ抜けた。


「貫通!?」


柄沢の顔から、余裕が消える。

土壁に穿たれた穴は、弾丸一発が通過したとは思えないほど大きかった。

弾丸を包む高密度のイデアが、触れた土や石を引き寄せ、巻き込みながら肥大化している。


壁を抜けたときには、小さな弾丸を核とする土石の塊へ変わっていた。


それが、柄沢の右肩へ迫る。

柄沢は半歩踏み込み、イデアを纏わせた警棒を振り抜いた。


金属と土石が激突する。


「重っ――!」


警棒を通じて伝わった衝撃に、柄沢の腕が押し戻される。


「普通の弾にしては、でかい――!?」


握り込んだ指が耐えきれず、警棒が柄沢の手を離れた。

回転しながら宙を飛び、数メートル離れた地面へ落下する。

甲高い金属音が、山道に響いた。


柄沢の右手から、武器が消えている。

岬は構えを崩さないまま、ゆっくりと息を吐いた。

残る弾丸は、三発。


通用する。


これなら、この人を無力化できるかもしれない。


***


――少し、時は遡る。


狛は山道を駆けていた。

手元のスマートフォンは、沈黙を貫いたまま。


逢麻岬からの折り返しは、まだない。


小鳥の囀り。

風に揺れる木々と、葉の擦れ合う音。

遠くからは、千代ノ瀬川のせせらぎが聞こえてくる。


狛にとって、千代瀬は地元のようなものだった。

この先にある棄てられた神社を抜ければ、岬が通るはずの正規ルートへ先回りできる。

崩れかけた鳥居が見えた頃、境内から苛立った声が聞こえてきた。


「くそっ! なんで俺が、こんな訳の分からんモノを置いて回らにゃならん」


見るからに怪しい、がたいのいい男がいた。

何かを地面へ置き、ぶつぶつと文句を垂れている。


狛は速度を落とさない。

今は先を急いでいる。


関わらず、無視するのが一番だ。


「おい、お前」


狛は応じなかった。


「聞こえてんだろ。そこの小僧!」


狛の足が止まる。


――小僧。


ここ千代瀬で、自分をそう呼ぶ人間はほとんどいない。

昔から知る者なら「狛吉」。

九条家の人間として見るなら、「九条の坊ちゃん」だ。


こいつは俺を知らない。

俺も、こいつを知らない。


それだけなら、どうでもよかった。

だが、よりにもよって今日。


研究所での警報、華園后が戻っていない、この状況で。

見知らぬ大男が、棄てられた神社に何かを置いて回っている。


狛は男へ向き直った。


「……おっさん。それ、何置いてんだ?」


男がゆっくりと立ち上がる。

視線がぶつかった。


こいつから、目を離してはいけない。

狛は五節棍を手に取った。


そのとき、スマートフォンが震えた。

狛は画面へ一瞬だけ視線を落とす。

表示された名前は、逢麻岬。

すぐに男へ視線を戻した。


どちらの手も、通話で塞ぐわけにはいかない。


親指を横へ滑らせて着信に応じ、そのままスピーカーへ切り替える。

ボタンの位置は、指が覚えていた。

スマートフォンを制服の胸ポケットへ滑り込ませる。


『もしもし?』

「今どこだ?」

『ごめん、電波が悪かったみたい。九条君、どうしたの?』


その呼びかけが、境内へ流れた。

男の目が見開かれる。

先ほどまでの苛立ちが、一瞬で別の感情へ塗り替わった。


「九条だぁ!?」


声が裏返る。

剥き出しの殺意が、狛へ叩きつけられた。


理由は分からない。


だが、この男が九条家に何かしらの恨みを持っていることだけは分かった。

狛は男から視線を外さないまま、胸ポケットのスマートフォンへ手を伸ばす。


「ちょっとごめん、切るわ。そこから動くなよ」


岬の返事を待たず、通話を切った。

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