↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Last Quartz  作者: 錢葵
PR
49/49

9-2話_Steel, Steal, Still


「ちょっとごめん、切るわ。そこから動くなよ」

「てめぇこそ!そこを動くんじゃねぇ!」


怒声と同時に、久垣が腰を上げた。


雲間から差し込んだ陽が、中腹の旧参拝者駐車場を照らしている。

柵の向こうには、山間に広がる千代瀬の町並み。

右手奥の石灯籠、その台座には、手のひらほどの小さなリスのような置物が載せられていた。


つい先ほど、久垣が置いたものだ。


狛は親指で通話を切り、スマホをポケットへ滑り込ませる。

その間にも久垣は、建設作業員が使うような腰袋から鉈を引き抜いていた。


「おい――」


問いかけるより早く、久垣が地面を蹴った。

大柄な身体が、一直線に狛へ迫る。

振り上げられた鉈が、鈍い光を帯びて振り下ろされた。


狛は五節棍を構える。

刃を正面から受け止めず、棍の側面へ滑らせるように軌道を逸らした。


硬い音が、駐車場へ響く。


鉈の切っ先が狛の横を抜け、その勢いのまま地面を抉った。

狛は身体を半歩横へ逃がし、久垣との距離を取る。


「……なんだよ、お前」


久垣は答えない。

荒い呼吸を繰り返しながら、狛の顔を睨みつけている。

先ほどまで石灯籠の足元で訳の分からない物を置いていた男とは、まるで別人だった。


霧散したベレッタ。

何かに気づき、一目散に駆け出した奏。

避難した生徒たちの中へ戻ってこない后。

そして、廃林業施設へ向かった岬。


研究所で鳴った警報と、この男に関係があるとは限らない。

それでも、千代瀬で起きている一連の異変に無関係だと決めつけるには、あまりにも怪しかった。


雲が太陽を覆う。

明るかった駐車場に、再び山の影が落ちた。


狛は五節棍を握ったまま、もう片方の手でクォーツへ触れる。


「――ウロ」


その名に応え、狛の傍らでイデアが揺らいだ。


久垣は襲いかかる手を止めた。

だが、召喚獣を警戒したわけではない。


確かめるように狛の赤いメッシュを見つめ、鉈を握る手へ力を込める。


「もう一度聞く。お前の名前は、“九条”だな!?」


「だったらなんだよ」


狛は五節棍の先端を久垣へ向けた。


「ウチに就職でもするか? ま、書類選考落ちだろうがな」


久垣の顔から、表情が消えた。


わずかな沈黙。


やがて俯いた口元が、ゆっくりと吊り上がる。

肩が震え、押し殺していた息が、ひび割れた笑い声へ変わっていく。


「これは……」


久垣は天を仰いだ。


雲の切れ間から、再び陽が差す。

千代瀬の町並みを背に、久垣は両腕を広げた。


「これは神の悪戯かぁ!?」


その声が、人気のない山中へ響き渡った。


***


久垣京次郎の生活は、二度の場内放送によって切り分けられた。

一度目の放送が流れたのは、いつもと変わらない朝だった。


『全従業員、協力会社社員、パートタイマーの皆さんは、第一朝礼広場へ集合してください』


各工程から集められた作業員たちが、油と鉄粉の染みついた作業着のまま広場へ並ぶ。

久垣も、同じラインで働く同期の男と肩を並べていた。

壇上から告げられたのは、製鉄所が九条製鋼の傘下へ入るという話だった。


雇用は継続される。

九条グループの資本と技術を導入し、老朽化した設備の更新も進めていく。

説明を聞き終えるより早く、広場のあちこちから安堵の声が漏れた。

会社の先行きを不安視していた者にとって、九条グループへの加入は悪い話には聞こえなかった。


「ガッキー、俺たちも九条グループだってよ。こりゃ、案外悪くない話かもな」


同期が、少し浮かれた声で言った。


「設備も新しくなるらしいぞ。俺たちの仕事も、少しは楽になるかもしれねぇな」

「……どうだかな」


久垣は素っ気なく返した。

それでも、このときはまだ、同期の期待を否定できるほどの根拠を持っていなかった。

給料は出る。

家へ帰れば妻がいて、学費のかかる子供がいる。

長年働いて手に入れた家と土地もある。

製鉄所が残るのなら、それでよかった。


――それから、およそ一年後。


同じ場内放送が流れた。


『全従業員、協力会社社員、パートタイマーの皆さんは、第一朝礼広場へ集合してください』


久垣は、作業の手を止めた。

言葉も、声も、集合場所も、一年前と同じだった。

だが、広場へ向かう作業員たちの間に、以前のような期待はなかった。


九条製鋼の傘下へ入ってから、工場内では何度も調査が行われていた。

設備の稼働率、生産量、輸送費、維持費。

数字を持った人間たちが現場を歩き、機械や建屋へ番号を振っていった。


壇上に立った責任者が、紙へ視線を落とす。


設備の老朽化。

生産拠点の集約。

採算性の悪化。


いくつもの言葉を並べたあと、製鉄所の操業終了が告げられた。


「閉鎖って、どういうことだ!」

「雇用は継続するって話だっただろ!」

「俺たちはどうなる!」


怒号と質問が、一斉に壇上へ浴びせられる。

久垣は何も言わなかった。

ただ、強く奥歯を噛み締めていた。


――その後、九条グループから複数の再就職先が提示された。

久垣へ最初に持ちかけられたのは、東南アジアで新設される工場への勤務だった。


「国内ならまだしも、東南アジアだぁ!?」

「九条グループが、あの地域に初めて造る工場だ。立ち上げには、お前の技術が必要になる。こんないい話はないぞ」

「そりゃあんたは、工場長の椅子が用意されてるから言えるんだろうが。俺には、家も家族も全部捨てて来いってか?」

「技術指導員としての席だ。待遇も今より上がる。それだけ、お前の腕が買われてるんだぞ」

「……話にならねぇ」


久垣は席を立った。


圧延、鋼材加工、切断。

現場の末端で働き続けた久垣の経験は、確かに評価されていた。

だが、久垣にとっては、海外へ行かなければ仕事を残してやらないと言われたも同然だった。


同期は、別の道を選んだ。


「俺は九条建設に世話になるよ。現場を知ってる人間が欲しいんだと」

「建設? 畑違いだろ」

「また覚えりゃいいさ。ガッキーだって、海外の話を――」

「俺に九条の話をするな」


久垣は同期の言葉を遮った。

九条グループが用意した他の再就職先とも、話はまとまらなかった。

条件が合わない。職種が違う。これまでの経験を正当に評価していない。


久垣には、そう思えた。


長年働いてきた地元を離れるつもりはなかった。

この土地には家がある。家族がいる。

製鉄所で培った経験があれば、同じ地域で次の仕事を見つけることも難しくないと思っていた。


だが、現実は違った。


書類を送っても返事がない。

面接まで進んでも、年齢や給与条件を理由に断られる。

ようやく見つけた仕事も、以前より待遇が悪く、長くは続かなかった。


やがて久垣は、深夜の日雇いへ入るようになった。

仕事がある日だけ呼び出され、夜通し身体を動かす。

朝に帰宅し、昼過ぎまで眠り、夕方に目を覚ます。


家族と顔を合わせる時間は減っていった。


子供は、もう親離れを始める年齢になっていた。

それでも、学費には金がかかる。


足りない分を補うために始めたはずのギャンブルは、いつしか負けを取り戻すためのものへ変わった。

借金が増えた。

返済のために別のところから借りた。

督促の封筒が、食卓の上へ積み重なった。


最後には、守るために地元へ残ったはずの家と土地まで手放した。


妻は子供を連れて、久垣のもとを去った。

親族へ連絡しても、金の話を出す前に切られるようになった。

遠縁の者とも、いつしか連絡が取れなくなった。


仕事も、家も、家族も失った。

それでも久垣は、自分が選択を誤ったとは考えなかった。


すべては、あの日から始まった。

九条が、製鉄所を買った日から。


行く当てもなく町を歩いていた久垣は、気づけば昔の通勤路を進んでいた。

何年も通った道だった。

考えなくても、身体が道順を覚えている。

だが、見慣れた製鉄所の前へ辿り着いた久垣は、足を止めた。

敷地全体が、建設現場で使われる白い仮囲いに覆われていた。

正門も、社名の入った看板も、工場の建屋も見えない。

仮囲いの前には、工事看板が立てられている。


『(仮称)KS第二工場改修工事』

K――九条。

S――製鋼。

工事名称から建築主の名を伏せたつもりなのだろう。

だが、久垣が見間違えるはずはなかった。


白い仮囲いの向こうから、金属を打つ音が聞こえてくる。

かつて毎日聞いていたものと、よく似た音だった。


「潰したんじゃねぇ……」


久垣は、看板を睨みつけた。


「俺たちを追い出して、九条の工場にしやがったのか」


――その夜。


久垣は、白い仮囲いの内側へ入り込んだ。

元は、自分たちの工場だった場所。

そこに置かれている金属資材を持ち出すことに、罪悪感はなかった。

俺たちから奪った物を、取り返しているだけだ。


そう思っていた。


資材へ手を伸ばしたところで、暗がりから光が差した。


「誰かいるのか?」


現場を閉める前の最終点検をしていた男が、久垣を懐中電灯で照らす。


九条建設の作業着。

九条建設のヘルメット。

手には、点検用の書類が握られている。


男は、久垣の顔を見て立ち止まった。


「――ガッキー?」


その呼び方をする人間は、もうほとんど残っていなかった

かつて同じ日に製鉄所へ入り、同じラインに立っていた同期だった。


「お前……ここで何してるんだ」

「見りゃ分かるだろ」


久垣は、手にした金属資材を抱え直した。


「俺たちの工場から、俺たちの物を持ち出してんだよ」

「俺たちの物じゃない」


同期は、ゆっくりと首を振った。


「それに、違うんだ。九条はこの工場を潰したいんじゃない。俺たちが働いた工場を、もう一度使えるようにするんだよ」


同期は、九条建設のプラント営繕部へ配属されていた。

慣れない施工管理を一から学び、いまでは現場監督として、かつて自分が働いた工場の改修を任されている。

残業で夜遅くなっても、その仕事に誇りを感じていた。


「九条建設ってところで、人を探してる。お前、来ないか?」


同期は、昔と変わらない声で続けた。


「現場のことなら、ガッキーも分かってるだろ。俺から話してみる。だから、こんなことする必要は――」

「九条の犬が、俺を憐れむんじゃねぇ!」


久垣は、そばにあった工具を掴んだ。

同期が何かを言うより早く、それを振り抜いた。

乾いた音がした。

同期の身体が地面へ倒れ、九条建設の文字が入ったヘルメットが転がっていく。


久垣は、その場から動かなかった。

金属資材を持ち出すこともできなかった。


窃盗未遂と傷害の容疑で逮捕。

久垣京次郎は、そのまま服役することになった。


――そして、出所の日。


久垣を迎える者はいなかった。


帰る家もない。

連絡を取れる家族もいない。

以前の知人へ知らせることもなかった。


行く当てもなく歩き、近くの公園に入る。

空いていたベンチへ腰を下ろし、何を見るでもなく虚空を眺めた。


少し離れたベンチへ、一人の男が座った。


妙に仕立てのいいスーツ。

長身で、スタイルはいい。

だが、その顔には隠しようのない疲労が浮かんでいた。

男はスマホを耳へ当て、苛立った声を上げる。


「だから、三十七万は必要経費だって言ってんだろ。なぁ、少し金貸してくれよ」


電話の向こうから何かを言われ、男は眉間へ皺を寄せた。


「領収書?んなもん出る店に見えたかよ」


久垣は、横目で男を見る。

――こいつも、俺と同じ借金まみれか。

呆れて視線を逸らしたところで、男が通話を切った。


「言っとくが、借金まみれじゃねぇぞ」

「……あ?」

「顔に出てんだよ。こいつも俺と同類か、って。必要なときに、必要な金がねぇだけだ」

「同じじゃねぇか」


男は一瞬黙り、疲れた顔のまま小さく笑った。

それから、久垣の身なりを眺める。

手荷物らしい物はない。

誰かを待っている様子もない。

行く場所も、帰る場所もないことは、少し見れば分かった。


「なあ、アンタ。仕事探してるか?」


久垣は、男を睨んだ。


「俺が何者かも知らねぇだろ」

「知らねぇよ」


男は、あっさりと答えた。


「素性の綺麗な人間に頼める仕事なら、俺も公園で人を探したりしねぇ」

「……何をさせる気だ」

「近いうちに、少し大きな仕事がある。身体を張れる人間が足りなくてね」


男――佐岸弥陸は、千代瀬で行う作戦の人手不足に悩んでいた。


久垣の名前も、過去も知らない。

九条グループへの恨みも知らない。

ただ、目の前の男が、いかにも何も失うものがなさそうに見えた。

それだけで声をかけた。


「……金は出るのか」

「出る」

「どこだ」


佐岸は、ベンチの背もたれへ身体を預けた。


「千代瀬」


その地名を聞いたとき、久垣はまだ知らなかった。

そこで自分が、九条家の人間と出会うことになるとは。


――佐岸は久垣を雇ったあと、駒として使うために身辺を調べた。


九条製鋼による買収。

製鉄所の閉鎖。

海外勤務と再就職支援の拒否。

ギャンブルと借金。

家庭の崩壊。

元職場への侵入と、同期への傷害。


九条グループを発端とする、久垣京次郎の転落人生。

最初のきっかけが九条だったことは、間違いない。

だが、その後に差し出された道を選ばなかったのも、差し伸べられた手を振り払ったのも、久垣自身だった。

久垣だけが、それを認めていなかった。

自分から何もかも失った男は、失ったすべてを九条のせいにした。


――そして現在。


千代瀬を一望する廃神社の中腹で、その九条が、久垣の目の前に立っている。


***


静寂。


九条リゾートのラウンジには、千代ノ瀬川の流れる音だけが届いていた。

狛がホテルを出てから、数十分。


焦っていたのは――佐岸の方だった。


佐岸はソファへ深く腰掛けたまま、左手首の腕時計へ目を落とす。

続いて、ローテーブルに広げられた観光パンフレットの地域図へ視線を移した。


対峙を始めてから、その動きは何度も繰り返されている。


研究所のある山間部。

忘却の滝。

旧千代瀬集材所へ向かう道。

そして、ホテルと集材所の中間にある地点。


視線は四つの場所を順に巡り、再び腕時計へ戻る。


だが、赤いメッシュの男子生徒がホテルを出てから、その巡り方が少し変わった。

四つ目の地点で、視線が止まる。

ほかの場所へ移ったあとも、しばらくするとそこへ戻ってしまう。


あの赤メッシュの男子が、どうにも引っ掛かる。

土地勘がある?

廃林業施設までの近道を知っている?

――九条グループの人間か?


いや、九条グループの人間がいるなんて、真柴から報告はなかった。

そうか。

真柴にしてみれば、九条の人間が一人混じっていたところで、どうってことはない。

気にする必要もなかった。


気にしているのは――俺だけか。


久垣京次郎。


千代瀬の仕事に使う前に、素性は調べた。

製鉄所の閉鎖を発端に、仕事も家も家族も失い、最後には犯罪へ手を染めて服役している。

あいつは、九条をひどく恨んでいる。

裏道を知っているあの学生が仮に、九条関係者で、その道が廃神社を通るとすれば――。

嫌な方向に転ばなきゃいいが。


「さっきから落ち着きがねぇな」


御手洗の声が、佐岸を思考の海から無理やり引き上げた。

佐岸は顔を上げる。


「……何のことやら」

「誰かと待ち合わせか?さっきから時間を気にしてるみてぇだな。」

「……」


佐岸は答えなかった。

御手洗は正面に座ったまま、佐岸の顔を見ている。

視線を逸らした先も、腕時計へ目を落とす間隔も、そのあと地域図のどこを見るかも。

すべて、見られていた。


「それと――」


御手洗が、ローテーブルへ手を伸ばす。

地域図の上を、人差し指がゆっくりと進んでいく。

ホテルを離れ、廃林業施設があると思われる地点へ。

その中間で、指先が止まった。


「ここだろ?」


佐岸は沈黙を貫いた。


表情も変えない。

悟られまいと、御手洗だけを見つめている。


やがて佐岸はゆっくりと顔を上げ、ラウンジの天井へ向かってため息をついた。

御手洗には、それで十分だった。


久垣の過去の話は、原案は2万字を超えてましたが、ギュギュっとしました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。