幕間_Eye of the Storm
華園后は、山間に響く機械の音が好きだった。
腹の底まで震わせるような駆動音。
金属同士がぶつかる甲高い音。
何かを削るたび、勢いよく散っていく橙色の火花。
工場へ一歩入れば、鉄と油の匂いが鼻をくすぐる。
旧玖代線沿いの山間部、人里からそう遠くない場所に建つ、華園重工の武器製造工場。
両親に連れられてここを訪れるたび、小学四年生の后は胸を弾ませていた。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう。今日もいっぱい作ってるのね!」
すれ違う従業員たちが、作業の手を止めて声をかけてくれる。
誰も彼も、自分よりずっと大きい。
その大人たちが、大きな機械を動かし、硬い金属を切り、磨き、組み上げていく。
ここでしか作れない物がある。
それが世の中の役に立っている。
詳しいことまでは分からなくても、ここがすごい場所なのだということだけは、后にも分かっていた。
何より、そのすごい場所には自分と同じ名前がついている。
――華園重工株式会社。
口にするたび、少しだけ自分まで偉くなったような気がした。
「今日の案内役はおじさんなの?トーコさんではなくって?」
安全区画まで連れてきてくれた従業員へ尋ねると、男は苦笑しながら工場の奥を指さした。
「真柴さんなら、朝から設備点検ですよ」
「えー?またー?」
「またです」
研究員のはずなのに、真柴透子は工場へ来るたび、何かを測ったり、点検したりしていた。
后が姿を探しにいくと、白衣姿の若い女性が制御盤の前へしゃがみ込んでいた。
首から作業用ゴーグルを下げ、片手に測定器を持っている。
「トーコさん?トーコさん?」
呼びかけても、返事はない。
「…真柴さん!」
「聞こえています」
視線を制御盤へ向けたまま、真柴が答えた。
「聞こえているなら、最初から返事なさいよ」
「いま、返事をしました」
「遅いわ」
「申し訳ありません。こちらの機械は、后さんほど待ってはくれませんので」
ようやく振り返った真柴の目元には、うっすらと疲れが浮かんでいた。
まだ入社一年目だと聞いている。
それでも彼女の仕事は正確で、ほかの研究員では分からないことまで見つけられるのだと、工場の人たちが話していた。
「今日も機械を直しているの?」
「直しているのではありません。正常に動いているか確認しているんです」
「よくわかんない。一緒じゃないの」
「……后さんには、そう見えるかもしれませんね」
呆れたように息をつきながら、真柴はわずかに頬を緩めた。
「ここから先へは入らないでください。危険ですから」
「分かってるわ」
「以前もそう言っていました」
「今日は本当に分かってるの!」
念を押す真柴に背を向け、后は両親から許可された区画へ戻った。
父は工場を訪れるたびに、隔週の定例会議に出席している。
終わるまで勝手に工場の敷地外へ出ないこと。
稼働中の機械や製品へ触れないこと。
ノーヘル区域、安全通路以外は歩かないこと。
それさえ守れば、見慣れた区画の中で自由に過ごすことを許されていた。
その日の午後だった。
窓から差し込む陽光が、床を細長く照らしている。
その光の端に、小さな石が転がっていた。
透明とも白ともつかない、淡く濁った石。
拾い上げると、内側で光の筋が揺れたように見えた。
「わぁ……綺麗」
后は石を陽光へ透かした。
角度を変えるたび、内部の模様が姿を変える。
もっとよく見ようと指先で撫でた、その瞬間だった。
小さな石から、熱が溢れた。
咄嗟に手を放す。
床へ落ちるより早く、石は赤橙色の光に呑み込まれた。
風が巻き起こり、積まれていた書類が宙を舞う。
后は腕で顔を庇いながら、光の中心を見つめた。
甲高い鳴き声が、工場内を切り裂いた。
朱色の翼が開く。
現れたのは、火の粉をまとった一羽の隼だった。
「……鳥?」
隼は答えない。
高く積まれた資材の上へ飛び移り、鋭い目で后を見下ろしている。
后もまた、息をすることさえ忘れて見上げた。
次の瞬間、世界が二つに割れた。
自分の目には、資材の上にいる朱色の隼が映っている。
同時に、もう一つの視界では、小さな少女がこちらを見上げていた。
赤みがかった金色の髪。
大きく見開かれた目。
陽光の中に立ち尽くしている自分自身。
「な、何……これ……」
目を閉じても、高所からの光景は消えない。
開けば、自分と隼、二つの視界が重なる。
言語化できない現象に、頭が揺れる。
高さも角度も異なる景色が一度に流れ込み、后はふらつきながら壁へ手をついた。
それでも不思議と、怖いとは思わなかった。
混乱の向こう側で、后と隼は互いを見つめ続けていた。
そのとき、近くの展示台に置かれていた銃器モデルが目に入った。
黒い銃身の脇に刻まれた文字を、后は声に出して読んだ。
「……ベレッタ?」
朱隼の頭が、わずかに傾いた。
「あなた、ベレッタっていうの?」
もう一度呼ぶ。
朱色の翼がゆっくりと開き、ベレッタは資材の上から飛び立った。
后の頭上を一度旋回し、少し離れた手すりへ降りる。
先ほどまでより、ほんのわずかに距離が近くなっていた。
それが返事なのだと、后には思えた。
――ビーッ! ビーッ! ビーッ!
次の瞬間、けたたましい警報が工場内に鳴り響いた。
最初に駆けつけた工場長が后を安全な位置へ下がらせ、続いて警備員と現場担当者が周囲を封鎖した。
けれど、誰も何が起きたのかを正確には説明できなかった。
工場内で召喚が行われることなど想定されていない。
召喚試験用の設備も、その場にはなかった。
やがて専門知識を持つ者として呼ばれたのが、真柴だった。
「后さん!」
測定器を手に現れた真柴は、ベレッタよりも先に后の姿を確かめた。
「怪我はありませんか?」
「ないわ。でも、変なの。私があそこにもいるみたいで……」
后が手すりのベレッタを指さす。
真柴は少しだけ目を見開いたが、すぐ后の前へ膝をついた。
「これから、いくつか調べます」
「注射するの?」
「しません。痛いことは何もしません」
「本当に?」
「本当です。見たもの、見えたものを、ゆっくり教えてください。分からないことは、分からないと言って構いませんから」
真柴の声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
真柴は后といくつか言葉を交わした。
しばらく后とベレッタの周囲へ測定機器が並べられる。
真柴は表示された二つの波形を何度も確認し、数値を記録していった。
途中から加わった上司が何か尋ねても、曖昧には答えない。
「まずは、あの隼は后さんが召喚した召喚獣であること。そして后さんの波形と、件の召喚獣の波形が通常より深く同期しています」
「共鳴ということか?」
「現段階では断定できません。ただ、后さんの話と測定結果が一致するなら――」
真柴の指が、重なり合う二本の波形をなぞった。
「二者の視覚情報が、リンクしている可能性があります」
真柴は、后に目をつむるように言うと
后の目の前で、3本の指を立てる。
后はそれを目を閉じたまま、3本と答える。
そのような試験的なやり取りが何度か行われた。
后には、難しいことは分からなかった。
ただ、真柴が自分とベレッタのことを分かろうとしてくれている。
それだけで、不思議と安心できた。
慌ただしい足音が近づいてきた。
「后!」
会議を抜けて駆けつけた父が、白衣の間から姿を現した。
いつもきちんと整えられている髪は乱れ、呼吸も弾んでいる。
父は后の肩を抱き、顔や腕に怪我がないかを確かめた。
「痛いところはないか」
「大丈夫よ、パパ」
「本当か?」
「トーコさんも、痛いことはしないって言ったもの」
父はようやく息を吐くと、真柴へ顔を向けた。
「娘に危険はないんだな」
「少なくとも、現時点で身体的な異常は確認されていません。ただし前例のない現象です。しばらく経過を観察する必要があります」
その答えに、父は深く頷いた。
後日の顛末書にて、
后が初めてベレッタを召喚したその日は、保管容器の一部に、偶然にもオリジンが通り抜けられるほどの穴が開いていたことが判明した。
場内の点検では、后が触れたもの以外にも複数のオリジンが発見された。
事故後、容器規格と管理方法は改められ、個数だけでなく重量まで厳密に記録されるようになったのだという。
そして、以前から計画されながら停滞していた工場の研究施設化も、急速に進み始めた。
安全管理体制の刷新。
オリジン研究設備の拡充。
人間と召喚獣の同期の可能性、そして視覚情報共有という新たな研究価値。
后とベレッタの一件を皮切りに、止まっていた予算と事業計画は、とんとん拍子に承認されていった。
幼い后は、それを誇らしく思っていた。
自分がベレッタと出会ったことで、華園重工はもっと大きく、もっとすごい会社になっていく。
そう信じていた。
それが彼女にとって、何の始まりだったのかも知らずに。
***
扉の閉まる音が、静養室に小さく響いた。
奏が出ていったあと、后は枕へ身体を沈めた。
カーテン越しの弱い光を、閉じた瞼の裏で感じる。
目の奥には、まだ鈍い痛みが残っていた。
ベレッタと初めて繋がったあの日とは違う。
今日は、その視界が奏にまで届いた。
なぜ起きたのか。
どこまで繋がっていたのか。
今の后にも、まだ分からない。
明日向かうのは、幼い頃の自分が誰よりも誇りに思っていた場所。
ベレッタと初めて繋がった、すべての始まりだった。
「……明日は、ウチの会社よ」
誰に聞かせるでもなく呟いた声は、あの頃よりずっと小さかった。




