7-2話_Eye 4 Eye
花火の中継は、涼しい部屋で観るのが結局いいんですよね。
「こっちこっちー!」
声を追って見上げれば、朽ちたサイロの頂上に黒紫の影が立っていた。
馬の容姿をしたガンマの背に跨がった霹が、霞と靂へ向かって大きく手を振っている。待ち合わせ相手を呼ぶにしては、いささか大袈裟な場所だった。
「はぁ……」
隣を歩く靂が、到着する前から額へ手を当てた。
「わざわざ一番高いところに登る必要ある?」
「見つけやすいでしょー!」
「見りゃ分かるっつーの」
霞が鬱陶しそうに吐き捨てる。
サイロの根元では、箒が壁に背を預けていた。
その足元で、二本の尾を持つ黒豹――デルタが静かに伏せている。
霹がガンマの首筋を軽く叩いた。
「降りよっか」
ガンマはサイロの縁を蹴り、宙へ身を躍らせた。
猛禽を思わせる片翼が大きく開く。
四肢が草地へ触れる。
音は、ほとんどしなかった。
ガンマの脚が柔らかく衝撃を受け流し、その背に跨がる霹の身体も僅かに沈んだだけだった。
「お待たせ!」
「その登場のために上まで行ったの?」
「違うし!見晴らしがよかったから!」
霹はガンマから降りると、肩へ担いだ薙刀をくるりと回した。
「ねえ、武器落としたら負けでよくない?」
「あ?」
「戦闘不能までやったら疲れるじゃん。武器を手放したら、その人は脱落。分かりやすくない?」
箒が眼鏡の位置を直す。
「双方の合意による降参条件ということか」
「そう、それ!」
「合理的だ。俺は構わない」
霞は腰の小太刀へ手を置いた。
「上等だ。あとで泣くなよ、霹」
「それ、霞のほうじゃない?」
視線をぶつけ合う二人の横で、靂が小さく息を吐いた。
霞と靂が、それぞれのクォーツギアへ触れる。
風が舞い上がり、その中心からラムダが姿を現した。
白銀の光が収束し、片翼を持つ鱗鹿――シータが静かに草地へ降り立つ。
コンダクションポイントの安全装置が起動する。
錆びた鉄柵、緩やかな起伏、浅い排水溝。
外周に並ぶ廃牛舎と、先ほどまで霹が立っていた朽ちたサイロ。
それらすべてを、薄い光の障壁が包み込んでいく。
《コンダクションポイント№6、第二演習シーケンスを開始してください》
表示が消えるより早く、二つの声が重なった。
「先手必勝!」
「先手必勝!」
霞と霹が、同時に草地を蹴る。
「真似すんな!」
「真似しないでよ!」
「気が合うな」
箒が淡々と呟いた。
「合わねぇ!」
「合ってないし!」
「始まったばかりなのに、もううるさい……」
放牧場の中央で、小太刀と薙刀が激突した。
ガンマの加速を乗せた一撃が、霞の小太刀ごと押し込んでくる。
霞の靴底が草を削った。
ラムダの風を背へ受けても、押し返せない。
「この……ゴリラ女がッ……!」
「はぁ!? ゴリラはあー見えて繊細なんだよ!?」
「霹、それはゴリラのフォローよ」
「自分がゴリラであることは否定できていないぞ」
「違うし!」
霹は薙刀を引き戻し、ガンマの背へ飛び乗った。
黒紫の巨体が霞の周囲を旋回する。
蹄が草地を蹴るたび、紫電が地面を走った。
霞はラムダの風を足元へ集め、後方へ跳ぶ。
「逃がさないよ!」
「デルタ!」
箒の声に呼応し、デルタが前脚で地面を打ち据えた。
琥珀色のイデアが波紋となり、草地の下を駆けていく。
ガンマの進路へ先回りした光が、地面を六角形に割った。
次の瞬間、高さの異なる無数の六角柱が束となって隆起した。
ガンマが隆起した柱上面を蹴る。
着地点を狙い澄ましたように現れた足場を、ガンマは一切速度を落とさず踏み抜く。
霹とガンマは人馬一体となり、空中へ引かれた一本の直線を駆けているようだった。
「箒が、霹の次の一歩を読んでる……」
靂の言葉に、霹がガンマの背から振り返った。
「違う違う!」
得意げに笑う。
「あーしが合わせてあげたの!」
三群目の隆起した柱を蹴り、ガンマが空へ躍り出た。
霹の薙刀が、霞の頭上から振り下ろされる。
霞は小太刀を交差させ、刃を受け止めた。
衝突と同時に紫電が扇状に放たれる。
雷は霞だけに留まらず、その後方にいた靂までまとめて呑み込もうと、草地の上を走った。
射線上には箒もいたが、雷が届く寸前に半歩だけ身体をずらす。
紫電は箒の肩口すれすれを通過し、そのまま靂へ襲いかかった。
来ることを、初めから知っていたかのように。
靂は薙刀の石突を足元へ突き立てた。
「シータ」
白銀の鱗から細い電光が伸びる。
迫っていた雷が靂へ届く寸前で進路を変え、薙刀を伝って地中へ吸い込まれた。
紫電が消えた草地に、細い光の楔が残る。
靂は薙刀を引き抜き、その勢いのまま箒へ踏み込んだ。
薙刀と大剣が噛み合う。
紫色の火花が散り、箒の指先へ針で刺されたような痺れが走った。
箒は眉を僅かに動かしただけで、大剣を振り抜く。
靂が後方へ跳んだ。
「霞、右へ!」
「左が空いてんだろ!」
霞は靂の指示に逆らい、左へ踏み込んだ。
その先に、ガンマへ騎乗した霹が回り込む。
薙刀の横薙ぎを、小太刀で受ける。
霞の身体が再び押し戻された。
一方、靂が右側へ仕込んでいた雷は標的を失い、草地を虚しく焼いた。
「人の指示を聞きなさいよ!」
「だったら俺より先に動け!」
「動いてるでしょうが!」
言い争う二人の前を、霹とガンマが駆け抜ける。
その進路へ、再び琥珀色の波紋が先回りした。
地面から現れる六角柱群。
霹が踏む場所を、箒が作っている。
箒が決めた道を、霹が走っているのではない。
互いに、次の一歩を合わせている。
霞は舌打ちし、ラムダを見上げた。
午前中、闘牛場で試した風の足場。
綴の戦い方を真似た、未完成の技。
地面がなくとも、次に踏める場所さえあればいい。
ラムダが空中で翼を振る。
硬質な風が空中へ集まり、半透明の足場を形作った。
霞は草地を蹴り、その上へ跳ぶ。
触れた端から崩れかける風へ、白銀の光が混ざった。
シータの浮遊鱗だった。
帯電した鱗が風の中で引き合い、弾き合う。
不安定だった風が、霞の足を一瞬だけ受け止めた。
――踏める。
午前より、妙に安定している。
理由を考えるより先に、霞は次の足場を蹴った。
空中で加速し、急停止する。
さらに別方向へ跳ぶ。
「へえ……」
霹がガンマの背で目を細めた。
シータの鱗が霞の風へ混じっている。
いつも自分へ向けられてきた靂の精密な雷が、今は霞の次の一歩を支えていた。
「ちょっと妬いちゃうかも!」
霹は笑いながら、迫る霞へ薙刀を構えた。
霞の姿が視界から消える。
直後、霹の懐へ現れた。
イデアを纏った小太刀が振り抜かれる。
その間へ、巨大な鉄塊が滑り込んだ。
霞の小太刀が、箒の大剣へ激突する。
硬質な風と紫電が爆ぜた。
箒の両足が草地を削る。
それでも、大剣の面は霞の一撃を完全に受け止めていた。
「俺はいつも――」
箒の背後で、霹と靂が目を見開く。
「お前らを見てきたんだ!」
霞は奥歯を噛み締めた。
小太刀へ力を込めても、大剣の面は動かない。
「くそっ……!」
大剣の表面を、白銀の鱗が滑り落ちる。
箒の視線が、霞の足元へ残った微かな紫電を捉えた。
風だけではない。
靂の雷が、霞の足場を支えている。
大剣の縁から、箒の片目だけが覗いた。
そこにあったのは、これまでの頑なさではなかった。
「この自由さが、俺らの型になる」
小太刀と大剣の激突音が、放牧場を震わせた。
ほどけた風に乗って、白銀の鱗が静かに舞い落ちる。
***
白い水飛沫が、濡れた岩場へ降り注いでいた。
滝の轟音が、演習終了を告げる通知音を呑み込む。
《コンダクションポイント №8、第二演習シーケンス終了》
安全障壁が薄れていく。
綴は水飛沫の舞う岩場で二本のナイフを収め、被っていたフードを外す。
ふぅ~と一息つきながら、隣に立つ榛名を見た。
「思ったより早かったね」
「空木が好き勝手に引っ掻き回すからだろ」
「ちゃんと合わせてくれたじゃん?」
「打合せ通りだな」
二人は濡れた飛び石を渡り、指定された帰還ルートへ入った。
滝の音が遠ざかるにつれて、ようやく互いの声が聞き取りやすくなる。
榛名が、何気ない調子で口を開いた。
「そういえば、空木のルームメイトって、こっち方面で演習してなかった?」
「奏?」
綴は端末を取り出し、簡易地図へ目を落とした。
表示されているのは周辺のCPと、ホテルまでの帰還ルートだけだ。
「たしか、こっちだったかな」
綴は分岐する山道の一方を指した。
「ちょっと見に行ってみる?」
「別に、俺はどっちでもいいけど。早くシャワーは浴びたいかな」
「じゃ、決まり。ちょっと様子見て帰ろうぜ」
二人の現在地を示す光点が、本来の帰還ルートから僅かに向きを変えた。
***
同じ地域を映した大型地図が、管理本部のモニターへ表示されていた。
《CP№8 完了時間 00:04:12》
そのほかのコンダクションポイントからも、演習完了を示す通知が次々と届く。
地図上に並ぶ生徒たちの座標は、そのほとんどがホテル方面へ移動を始めていた。
《第二演習シーケンス 経過時間 00:07:33》
御手洗先生は、完了したカードの所要時間を順番に眺めた。
「制限時間は長めに設定したんだが……学生の体力を考えりゃ、長くても7、8分が限界か」
椅子へ深く腰掛け、別のモニターへ視線を移す。
CP№6の放牧場。
のどかな風景はそこにはなく、戦闘の傷跡だけだった。
御三家の四人とも肩で息をしている。
それでも、武器を振る速度はほとんど落ちていなかった。
「アイツら……疲れ知らずかよ」
画面の中で、霞が再び風を起こした。
***
第二演習の開始から、7分余り。
放牧場は、すでに最初の面影を失いつつあった。
草地には無数の六角柱群が隆起し、錆びた鉄柵は倒れ、ガンマの蹄と風刃が地面を深く抉っている。
霞は肩を上下させながら、小太刀を構え直した。
隣に立つ靂を見る。
「……おい」
「なに」
「まだやれるだろ」
靂も、額に汗を浮かべていた。
それでも霞と目を合わせると、僅かに口元を上げる。
「当然じゃない」
箒は大剣を握り直した。
指先の痺れが、先ほどより強くなっている。
草むらの奥で、微かな紫電が瞬いた。
その光へ、靂が一瞬だけ視線を落とす。
ラムダが片翼を振る。
再び硬質な風が空中へ集まった。
シータの鱗が舞い上がり、その風へ混ざっていく。
霞が最初の足場へ飛び乗った。
狙いは、霹。
「同じのが来るよ、しゅうちゃん!」
「分かっている」
箒は大剣を構えながら、靂を見た。
同じ攻撃ではない。
靂が、一度防がれたものをそのまま繰り返すはずがない。
何かある。
それでも霞の軌道上には霹がいる。
箒は迷わず、その前へ踏み込んだ。
一方、霹は霞ではなく、後方の靂を見ていた。
あの空中機動を止めるなら、足場を作る側を崩す。
「ガンマ、靂を止めて!」
ガンマが地面を強く蹴る。
黒紫の巨体が、一直線に靂へ迫る。
靂はシータと目を合わせた。
「頼んだわよ」
シータが白銀の片翼を開く。
霞が二つ目の風を蹴った。
靂はその背へ向けて言う。
「一人で突っ走ってんじゃないわよ」
風へ流れ込んだ鱗が、紫電を帯びる。
「私たち、チームでしょ?」
ガンマの角が、靂の薙刀を弾き上げた。
靂の身体が大きく仰け反る。
その視線だけは、地面へ向けられていた。
「――今よ!」
紫電が走った。
一本ではない。
草むらの陰、倒れた鉄柵の根元、六角柱群の隙間。
放牧場の各所へ潜んでいた十数本の《雷の楔》が、一斉に光を放つ。
雷は、箒へ向かった。
正確には――箒が握る大剣へ。
靂の薙刀と触れ合うたび、シータのイデアを刻まれていた大剣は、いつの間にか周囲の雷を呼び込む標へ変えられていた。
十数本の楔と、戦闘中に蓄積された雷が一点へ集中する。
「ぐっ……!」
箒の両腕を紫電が駆け抜けた。
指が開く。
大剣の柄が、手から離れた。
「まだだッ!」
箒は落下する柄を、下から蹴り上げた。
大剣が宙へ戻る。
痺れた指を、再び柄へ伸ばす。
シータの浮遊鱗が淡く光った。
微弱な引力が、宙を舞う大剣へ作用する。
軌道が、ほんの数センチだけ逸れた。
箒の指先が柄を掠める。
届かない。
ガンマに弾かれた靂の薙刀が、回転しながら草地へ突き刺さる。
ほとんど同時に、箒の大剣も地面へ突き立った。
二人の武器が、同時に手を離れた。
それでもシータは止まらない。
靂から託されたとおり、無数の浮遊鱗を霞の進路へ送り込む。
崩れかけた風が、紫電を帯びて形を得た。
箒と霹の視線が、一瞬だけ重なる。
箒は痺れの残る指で眼鏡を押し上げた。
そして、放牧場に残した六角柱群へ僅かに顎を向ける。
言葉はない。
霹が笑った。
「行くよ、ガンマ!」
ガンマが六角柱群へ飛び乗った。
右、左、正面。
箒とデルタが残した足場を踏み、霹が再び空へ駆け上がる。
霞も、靂とシータが残した風と雷の足場を蹴った。
最後に残った二人が、放牧場の上空で交差する。
霹はすでに、その軌道を一度見ている。
「そこ!」
薙刀の穂先を、霞が次に踏むはずの足場へ置いた。
逃げ道はない。
だが、霞はその足場を踏まなかった。
小太刀を振り下ろし、帯電した鱗を叩く。
鱗同士が反発する。
その衝撃をラムダの風が拾い、霞の身体を真横へ弾いた。
「なっ――」
霹の予測から、霞の姿が消える。
次の瞬間には、薙刀の間合いの内側へ潜り込んでいた。
イデアを纏った小太刀の峰が、薙刀の柄を下から打ち上げる。
霹の手から、武器が離れた。
薙刀が空高く舞う。
その反動で、霹の身体もガンマの背から浮き上がった。
ガンマが空中で身を滑り込ませる。
霹を背へ受け止め、そのまま四肢で草地へ着地した。
遅れて、薙刀が離れた場所へ突き刺さる。
《経過時間 00:08:51》
風が止んだ。
放牧場に、一瞬だけ静寂が訪れる。
霞は肩で息をしながら、ガンマの背にいる霹へ小太刀の切っ先を向けた。
「これが……ハァ……俺と靂のコンビ技」
乱れた呼吸を、無理やり整える。
「名付けて――《風道雷鱗》!」
沈黙。
箒が眼鏡を押し上げた。
「ダサいぞ」
霹がガンマの背で噴き出す。
「だっさ~!!!」
靂は額へ手を当てた。
「ダサすぎ……。あと、なんで風が先なのよ」
《コンダクションポイント№6、第二演習シーケンス終了》
「そこかよ!」
三本の武器が突き立つ放牧場を、四人の声と乾いた風が駆け抜けていった。




