7-1話_Mean Time To Repair
テレビ『来週は南下した低気圧の影響で、37℃まで気温が下がります』
十分暑いですけどね!?
「会社の教育資料は、人事部の仕事でしょう……」
九条リゾート千代瀬の一角に設けられた簡素なワークスペース。
彼女――真柴 透子は、誰に聞かせるでもなく呟いた。
彼女はかれこれ1時間近くノートパソコンと睨み合っている。
画面に表示されているのは、新入社員向けの設備安全教育資料だった。
部屋の隅には、華園重工の社名が入った工具ケースと、保守点検用の機材がまとめて置かれていた。
安全障壁の定期点検。
それが今回、真柴が千代瀬まで派遣された本来の理由である。
椅子の背にもたれ、凝り固まった首を回す。
虚空に向けてため息をつき、キーボードへ手を戻した、そのときだった。
机の端に置いていた業務用端末が、鋭い警告音を発した。
《コンダクションポイント№9にて、安全装置に異常が発生しました》
《緊急停止信号を受信。全演習シーケンスを強制終了します》
真柴の指が止まる。
画面へ視線を移すと、CP9を示すアイコンが赤く点滅していた。
直後、すべてのコンダクションポイントが一斉に黄色へ切り替わる。
「全系統……?」
直後、彼女の独り言に応えるように着信音が鳴る。
『わたくし、聖召学園の羽瀬川と申します。華園重工の真柴透子さんでお間違いないでしょうか。』
「はい。真柴です」
『ただいま、実地演習で使用している安全障壁に異常が発生しました。状況確認のため、管理本部までご足労いただきたく――』
「了解しました。すぐに向かいます」
通話を切る。
彼女は保存だけを済ませてノートパソコンを閉じ、脇に抱えた。
工具ケースを持ち上げ、首から保護用のゴーグルを下げる。
「……なんで、いつもこうなの」
退室間際、作りかけの教育資料を一度だけ振り返った。
***
警告音が止んだあとも、奏の耳にはその残響がこびりついていた。
CP9を囲っていた安全障壁の一部が黒く焼け焦げ、その中心から幾筋もの亀裂が走っている。
自分が撃った弾丸の着弾点だった。
障壁は完全に消失してはいないが、奏が作り出した一発が安全装置を破壊したという事実は変わらなかった。
《全生徒は現在地で待機。ただちに召喚獣を送還し、使用中の装備をセーフティ状態へ移行してください》
音声アラーム通知に二人は従う
后は自分の武器と、奏が拘束の折に地面に落としたハンドガンのセーフティを確認。
近くの廃れたベンチへ腰を下ろしてからも、奏は破損した障壁を見つめていた。
「はぁ……俺のせい、だよな」
「そうね」
后はあっさりと肯定した。
「そこで無責任に慰めるほど、あたしも優しくないわ。でも、安全装置が作動したから怪我人は出ていない。それに、あなたが故意に壊したわけでもないでしょう」
「フォローありがとうな。」
奏は拘束された両手を膝へ載せる。
あの瞬間、后を止めることしか考えていなかった。
周囲に漂う水分とイデアをかき集め、ハンドガンへ押し込んだ。
理屈を理解していたわけではない。
ただ、できると感じた。
引き金を引いた直後のことは、今もはっきりと思い出せない。
「他のCPも止まってる感じか。はぁ……」
「ええ。緊急停止システムは全CPと同期しているもの。今さら縮こまっても障壁は直らないわよ」
「分かってる」
そう答えながらも、奏の肩は落ちたままだった。
后は呆れたように息を吐く。
「その場でいつまでもうじうじするくらいなら、どうやったら扱えるか、素直に反省しなさい。あなた一人で無理なら、あたしにも相談しなさい」
奏は隣を見た。
后は前を向いたまま、破損した安全障壁を見つめる
「それがチームでしょ」
「……そうだな」
「何よ」
「いや。后も、そういうこと言うんだなと思って」
「慰めてほしいなら撤回するけど?」
「すみませんでした」
ほんの少しだけ、胸の重さが薄れる。
奏は改めて自分の手首へ目を落とした。
銀色の拘束器具は、両腕を一定以上広げられないよう短い接続部で繋がれている。
解除孔らしきものは見当たらず、継ぎ目もほとんどない。
「俺、このままこうしてるしかない感じか?できれば飯を食う前には外れてほしいんだけど」
后が横目で奏を見る。
「……まったく」
彼女は拘束具へ手を近づけた。
指先が装置の側面へ触れる。
淡い光が后の掌から走り、拘束器具の表面を一周した。
内部で短い認証音が鳴る。
《登録イデア波形を確認。ロックを解除します》
硬質な音とともに、奏の拘束が外れた。
「おお……」
「華園家のイデア波形と、一部の上層部、開発責任者のものが解除キーとして登録されているのよ。物理キーでも外せるけど、御手洗先生が持っているのはおそらく後者ね」
***
管理本部
壁面モニターには各CPの現在状況が並び、いずれも《緊急停止中》と表示されている。
真柴は入室するなり、CP9から転送された障害情報を確認した。
「現時点では断定できませが、障壁の一部で急激な出力低下が起きています。現物を確認する必要があります」
羽瀬川が別の端末を操作し、CP9の映像を拡大した。
焦げた障壁形成装置が画面に映る。
「午後の対抗戦は13時からの予定でしたが、この状態では延期せざるを得ませんね」
「現地業況の具合にもよりますが、破損区画を切り離して局所運用することはできます。ただし、全CPの緊急停止系統と再同期させなければ、演習には戻せません」
そのとき、真柴の業務用端末に着信が入った。
表示された名前を見て、真柴の眉がわずかに寄る。
華園重工研究所からだった。
御手洗たちにも内容を共有するため、真柴は端末を卓上へ置き、スピーカーへ切り替えた。
「真柴です。現在、学園の管理本部におります。スピーカーに切り替えます」
『おつかれさま、真柴君。了解』
落ち着いた男の声が室内へ流れる。
『このたびは弊社設備の件で、ご迷惑をおかけしております。幸い、弊社の研究員がそちらにおりますので。復旧作業には、すぐ着手させます』
「まだ原因も破損範囲も確定していません。再開時刻については、現地を確認してからでなければ――」
『同様の過去事例では、平均二時間で復旧してきたケースがあります』
男は真柴の言葉を遮った。
『今からですと、14時ごろを再開の目処と考えていますが。――真柴君、いけるよね?』
真柴は黙り込んだ。
御手洗が何か言おうとするのを、羽瀬川が目線で制する。
「……善処はします」
『では、午後の演習は14時再開を目安に調整いただければと思います。弊社真柴が責任を持って対応いたしますので、引き続きよろしくお願いします』
一方的に通話が切れた。
管理本部に、何とも言えない沈黙が残る。
真柴は端末を手に取り、深く息を吐いた。
「過去事例の平均復旧時間に、移動時間は含まれていないんですけど……」
御手洗が腕時計を見る。
「こちらからは、14時という時刻に拘泥する必要はないので、再開のめどが立ち次第連絡いただければ」
「いえ」
真柴は首を横へ振った。
「できないと決まったわけではありません。機材を見てから判断します」
それは会社への従順さではなく、技術者として、見る前から不可能だとは言いたくない。
彼女なりの意地だった。
真柴はノートパソコンを抱え直し、管理本部を後にした。
***
時刻が正午を回ると、CP装置がプシューと音を立てる。
携行食が格納されていた。
CP9では、奏と后が簡易テーブルを挟んで弁当を広げている。
他のCPでも同様に、各ペアがその場で昼食を取っているらしい。
奏は箸を動かしながら、何度目か分からない視線を破損箇所へ向けた。
「見たところで直らないわよ。午後も演習をするつもりなら、今のうちに補給しておくべきよ」」
「分かってるって。再開できるのか不安で。」
「さあ。そこは来た人に聞けばいいんじゃない?」
后の視線の先で、保守用車両が停止した。
扉が開き、一人の女性が降りてくる。
紺色の作業着に白衣を重ね、肩から大きな工具ケースを提げていた。
着替える時間すら惜しかったのか、首には保護用のゴーグルが掛かったままだ。
額に汗を浮かべた女性研究員は、待機区域を確認すると、そのまま二人の方へ歩いてきた。
「こんにちは、后さん。ずいぶん派手に壊してくれましたね」
「透子さん?」
后が目を丸くする。
「どうしてここに?」
「こういう時のために、私のような人間が派遣されてるのよ」
真柴透子は疲れた笑みを浮かべた。
「念のため言っておくけど、壊したのはあたしじゃないわよ」
「記録上も、発射したのはそちらの彼ですね」
真柴の視線が奏へ移る。
奏は口に入っていた玉子焼きを飲み込む前に、反射的に頭を下げた。
「すみま――」
「口の中を空にして喋りなさい」
后に咎められ、奏は口を閉じた。
急いで飲み込み、喉につかえかけたものをお茶で流し込む。
「……すみません。天宮奏です」
「華園重工研究所の真柴透子です。まず何をしたのか教えてください」
真柴はしゃがみ込み、奏の正面へ業務用端末を向けた。
画面には、発砲直前から障壁が破損するまでの出力推移が表示されている。
「あなたの召喚獣のイデアを、直接弾丸に込めましたか?」
「ちょっとよく分からないです。周りにあった水分と……イデアをギュッと集めて、グッと銃の中で固める感じで…何もないところから作った、というか」」
真柴は、奏の感覚的な回答に、少し呆れたように質問を続ける
「クォーツギアに、弾丸を生成する機能は?」
「ないわ、あれは彼の召喚獣であるアビスのイデアで作ったものよ」
代わりに后が答えた。
真柴の指が一瞬だけ止まる。
「アビス?」
「彼の召喚獣の名前」
真柴は端末へ入力し、それ以上は追及しなかった。
「弾丸を生成する直前、普段と違う感覚はありましたか?」
奏は再び箸を止めた。
「違う感覚……アビスのイデアをいつも以上に感じました。弾丸の生成については、できる気がしたって感じです」
「……分かりました」
真柴は破損した障壁へ向かった。
その背中を見送り、奏が小声で后に尋ねる。
「知り合いなのか?」
「ええ。昔からね」
「研究員って、障壁も直せるんだな」
「透子さんの本職は、イデア波形の計測と制御。安全障壁はその応用先よ」
后は弁当へ箸を戻す。
遠くで、真柴が工具ケースを開いた。
破損区画の手前に携帯端末を接続し、形成ユニットを一つずつ切り離していく。
真柴は焦げた外装を外し、内部の端子へ測定器を当てる。
数値を確認しては端末へ記録し、別の端子へ移る。
動作に迷いがない。
「手際いいっぽいけど……あれ、一人で修復できるのか?」
「仕事はできる人だから。透子さんができるんじゃない?」
***
「機器の誤作動でも、整備不良でもない……」
真柴は衝突前後のログを拡大した。
広範囲から流れ込んだイデアが、着弾の直前に一点へ集中している。
安全障壁は接触した攻撃の威力を周囲へ分散し、段階的に減衰させる。
その分散速度を、あの擬似弾丸は上回った。
総出力だけが問題なのではない。
極端に小さな一点へ、設計上の想定を超える密度で負荷が叩き込まれていた。
「これなら、壊れますよ……」
真柴は制御ユニットから記録媒体を抜き取り、工具ケースの専用スロットへ差し込んだ。
原因解析に必要な正式な戦闘ログだ。
研究所の設備で詳細に解析する必要があった。
真柴は破損区画を交換し、周辺の形成素子へ役割を再配分する。
仮設回線を接続。
出力を最低値に絞って障壁を展開。
形成面に歪みがないことを確認してから、五パーセントずつ出力を上げていく。
昼食を終えた奏と后が見守るなか、淡い光の壁が再びCP9を囲い始めた。
***
13時30分。
交換作業そのものは完了した。
だが、それで演習を再開できるわけではない。
「これから試験稼働を行います。お二人には、午前中と同じ装備を使用してもらいます。ただし、イデア出力は最低限に抑えてください。天宮さんは通常弾のみ。擬似弾丸の再現は禁止です」
真柴は端末を操作し、管理本部との通信回線を開いた。
「CP9より管理本部。局所試験を開始します」
『管理本部、了解。全CPの緊急停止状態を維持したまま、CP9の試験系統のみ開放します』
羽瀬川の声が返る。
障壁が立ち上がる。
奏はハンドガンを構え、真柴の合図に合わせて一発だけ撃った。
通常弾が光の壁へ触れ、勢いを失って落下する。
端末上の数値に乱れはない。
奏は隣で端末を睨む真柴を見た。
試験稼働が始まってから、すでに20分以上が経過している。
13時55分。
数十回の同期試験が行われた
真柴はなおも端末から目を離さない。
「最終試験。全CPの緊急停止系統を一度切り離し、再接続してください」
『了解しました』
CP9を囲う障壁が消える。
奏は無意識に息を止めた。
1秒。
2秒。
視界の端に光が走り、障壁が再び展開される。
各形成ユニットを繋ぐ光が、端から端まで滑らかに巡った。
「CP9、復旧完了。全演習シーケンスとの同期を確認しました」
『こちらでも確認しました。お疲れさまです、真柴さん』
羽瀬川の声に、真柴は小さく息を吐いた。
御手洗の声が通信へ加わる。
『14時までに間に合わせていただきありがとうございます』
「14時ごろが目処と言われただけです。14時ちょうどに再開するとは聞いていません」
真柴は時計を見た。
それから、地面へ置いたままの蓋すら開けていない昼食へ視線を移す。
***
14時。
各コンダクションポイントに、演習再開を告げる予告音が響いた。
《安全障壁および緊急停止システムの復旧を確認しました》
《これより、実地演習を再開します》
御手洗の声が、場内放送へ切り替わる。
『えー、予定より1時間遅れたが、午後の部を予定通り行う。第二段階では、午前中に組んだペア同士で2v2を行う。ルール説明は要るか?』
『変わって私が説明します』
『勝利条件は、相手ペア二名の行動不能、降参、または制限時間終了時の判定です』
それから羽瀬川先生が細かいルールについて説明した。
『――ただし、拘束器具や安全装置への故意の破壊行為は禁止します。では最後に、御手洗先生一言お願いします』
『えー、要するにだ、朝とは違う、相手の一人だけを狙えば終わる演習じゃねぇ。二人で戦い、二人で勝つ方法を考えろ』
奏は隣の后を見る。
「二人で、か」
「何よ。あたしがいるんだから大丈夫よ。あと、切り札は取っておくことね」
「また壊したら怒られないか?」
「修復できることが分かったんだから、それはそれで技術者としては収穫だったはずよ。透子さんには私も一緒に謝るわ」
場内放送に続き、機械音声が響く
《各ペアへ、対戦区域を通知します》
《――CP9のペアは、CP10に移動してください》
《移動完了後に装置と交感してください。第二演習シーケンスを開始します》
奏は歩き出す前に、一度だけ真柴を振り返った。
「真柴さん。ありがとうございました」
「私は自分の仕事をしただけです」
真柴は少しだけ目を細めた。
「次は、壊さずに使いこなしてください」
「はい」
奏と后、二人の姿が林道の向こうへ消えると、真柴は再び工具ケースを持ち上げた。
空腹を訴える腹部を押さえ、ホテルへの帰路に着く。
首から提げたゴーグルが、歩調に合わせて小さく揺れた。
***
そして、CP10。
無機質で寂れた終着駅。
CP9よりもひと回り広い演習区域の反対側には、すでに見慣れた顔ぶれが待っていた。
九条 狛。
その隣に、逢麻 岬が立っていた。




