6-1話_Different Directions
身近な人が熱中症になりました。みなさん、水分と塩分を十分に取りましょう。
宿泊研修三日目。
朝食を終えた一年D組の生徒たちは、宿泊施設から少し離れた山間部の演習区域、その入口に集められていた。
昨日までの屋内訓練場とは違い、周囲にあるのは舗装されていない山道と、視界を遮る木々ばかりだった。
朝露を含んだ土の匂いが、冷たい風に混じっている。
「今日は、実地演習だ」
生徒たちの前に立った御手洗が、手に持ったタブレットを軽く掲げた。
その隣では、羽瀬川が扇子を閉じたまま、全員の顔を静かに見渡している。
「昨日までは、相手も場所も分かった状態での訓練だった。今日は違う。お前らには二人一組で、この演習区域を移動してもらう」
御手洗がタブレットを操作すると、生徒たちの端末にも簡略化された地図が表示された。
山道。渓流。斜面。林間部。
地図上には、いくつもの番号が記されている。
「区域内には、シーピーが複数設置してある。まずは指定されたポイントを目指せ。到着が確認されたペアは、その場で次の指示を受ける」
「御手洗先生、正式名称は、コンダクションポイント(Conduction Point)です。混乱を招きます」
「失礼」
「次の指示とは何でしょうか?」
後ろの方から誰かが尋ねる。
「行けば分かる」
「えぇ~……」
小さく漏れた声を、御手洗は聞かなかったことにした。
タブレットを凝視する御手洗を横目に、羽瀬川が一歩前へ出る。
「実地演習区域内では、皆さんの位置情報と周辺状況をこちらで把握しています。危険区域への侵入、許可されていない戦闘行為、著しい体調不良などが確認された場合は、こちらから演習を中断します」
「つまり、好き勝手やっていいわけじゃねぇぞ」
御手洗が続ける。
「ただし、こっちが細かく指示を出すつもりもない。どの道を通るか、どの程度の速度で進むか、他のペアと接触するか避けるか。その判断も含めて訓練だ」
地図を見ながら、何人かが小声で相談を始める。
御手洗はそれを止めなかった。
「今日は、単純な速さを競うだけじゃない。CP到着後は一対一の訓練に移行する。午後には、二対二もやる」
ざわめきが広がった。
その中で、双鳶霹が目を輝かせる。
「二対二って、ペア同士で戦うってこと?」
「状況次第だと言っただろ」
「霹、最後まで話を聞きなさい」
霹の隣で、靂が小さくなだめた。
「先に言っておく」
御手洗の声が、ざわめきを切る。
「双鳶姉妹は別々に組ませる」
「えー!」
「でしょうね」
不満を隠さない霹に対して、靂は予想していたように肩をすくめた。
「お前らを一緒にしたら、それだけで今日の訓練が終わる。単独で何ができるか見たいんだよ」
「別に、ひとりでできるもん」
「なら問題ないな」
「そういう言い方ずるくない?」
霹の抗議を流し、御手洗はタブレットに視線を落とした。
「じゃあ、ペアを発表する」
生徒たちの空気がわずかに引き締まる。
「獅堂霞。双鳶靂」
名前を呼ばれた二人が、ほぼ同時に顔を上げた。
靂は霞を一度見てから、淡々と言う。
「突っ走るのだけはやめることね」
「うるせぇ!」
「まだ始まってもいないのに、もう不安だわ」
「お前に心配される筋合いはねぇ!」
御手洗は二人のやり取りを無視して、次の名前を読み上げる。
「篠亀箒。双鳶霹」
霹が目に見えぬ速さで箒の隣へ寄った。
「しゅうちゃん、そんな難しい顔してたら眉間割れちゃうよ?あーしらペアで、ばばっとクリアしよ!」
「……はぁ」
「なにそのため息」
「先が思いやられただけだ」
「始まる前から暗くない?」
「お前が明るすぎるんだ」
四人を見比べ、御手洗はタブレットの画面を指で弾いた。
「御三家組は、その組み合わせでやれ」
霞が眉をひそめる。
「なんで俺らだけ固めるんだよ」
「お前ら、ここら辺に多少詳しいだろ」
あまりにも雑な返答だった。
「それに、お前らを普通の生徒と組ませると、片方の訓練にならん。教育者たるもの、生徒には平等に接するのが道理だが、今回は例外とする」
周囲の生徒たちから、否定とも同意ともつかない空気が流れる。
御手洗は構わず続けた。
「経験があるなら、経験がある者同士で負荷を掛けろ。分かったな」
霞は納得していない顔をしていたが、それ以上は言わなかった。
箒は眼鏡の位置を直し、隣の霹を見た。
霹はすでに地図を覗き込み、どのルートが近いかを考えているらしい。
その横で、霞は別の方向を見ていた。
昨日、刀術を単純だと言った九条狛。
そして、一度は勝負を止められた天宮奏。
どちらとも、もう一度やり合いたい。
霞の胸中にあるのは、目の前の演習よりも、昨日から残った苛立ちの方だった。
一方、箒の脳裏には別の風が残っていた。
入学式後に剣を交えた、空木綴。
型の外から入り込み、自分の知る風とはまるで違う動きを見せた相手。
次に向き合う時は、同じようにはいかない。
そう思いながらも、今隣にいるのは、止まることを知らない双鳶霹だった。
「次」
御手洗が名前を読み上げていく。
幾つかのペアが発表され、そのたびに軽い歓声や不満の声が上がった。
「九条狛。逢麻岬」
狛が岬の方を見る。
岬は地図を確認したまま、短く頷いた。
「よろしく、九条くん」
「こちらこそ。足を引っ張らないようにするよ」
「その言い方をする人は、大体引っ張らないわ」
「それに、九条くんがいる私たちペアは地の利がありそうだし」
岬の返答に、狛は少しだけ笑った。
「空木綴。榛名律」
「お、よろしく」
綴が軽く手を上げる。
榛名も同じような調子で手を上げ返した。
「よろしく。楽しくいこーぜ」
「いいね。俺もそういうの好き」
似たような温度で笑う二人に、周囲からは自然な組み合わせに見えた。
御手洗はさらに幾つかの名前を読み上げる。
そして最後に、タブレットから顔を上げた。
「天宮奏。華園后」
奏は一瞬だけ目を見開いた。
数人分離れた場所に立っていた后も、顔を上げる。
二人の視線が合った。
后の表情は、すぐにいつもの強気なものへ戻る。
「……何よ」
「いや。よろしく」
「足を引っ張ったら承知しないわよ」
「それはお互い様だろ」
奏がそう返すと、后は少しだけ目を細めた。
「言うようになったじゃない」
それを聞いていた綴が、どこか面白そうに笑っている。
狛は何も言わず、奏と后の様子を一度だけ見た。
御手洗がタブレットを閉じる。
「以上だ」
生徒たちの端末に、それぞれの目的地と最初のルート候補が表示された。
「装備を確認しろ。五分後に出発する」
羽瀬川が補足する。
「端末からの通知は、必ず確認してください。ノード到着者や演習状況によって、皆さんの指示が途中で変更される場合があります」
「変更って?」
霹が尋ねる。
羽瀬川は穏やかに微笑んだ。
「その時になれば分かります」
「先生たち、今日そればっかりじゃない?」
霹の声に、何人かが笑う。
張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。
その間にも、各ペアは地図を囲み、ルートの確認を始めている。
霞と靂。
箒と霹。
狛と岬。
綴と榛名。
そして、奏と后。
同じ演習区域へ向かうはずなのに、それぞれの視線は別の場所に向いていた。
昨日の勝負。
残された課題。
隠している役割。
まだ言葉にならない違和感。
それらを抱えたまま、宿泊研修三日目の実地演習が始まろうとしていた。
御手洗は腕時計を確認する。
「時間だ。各ペア、出発」
合図とともに、山道へ続くゲートが開いた。




