5-4話_Hesitating Steam
仕事中に小説のアイデアが湧き出してきます。急に。
屋内訓練場へ向かう頃には、千代瀬の空はすっかり夕方の色を失いかけていた。
ホテル棟へ戻る連絡通路の途中で、園尾晴が小さく息を吐く。
「僕は部屋に戻って少し休憩するよ」
晴はそう言って、肩にかけていた土産袋を持ち直した。
「夕食、ひとりだと寂しいからさ。終わったら戻ってきて」
「了解」
狛が軽く手を振る。
晴は少し笑ってから、客室棟へ続く通路へ曲がっていった。
綴はその背中を見送り、すぐに奏と狛の方へ視線を戻す。
「俺は二人のスパーリング見てから戻ろかな」
「面白そうだから?」
奏が聞くと、綴はあっさり頷いた。
「面白そう」
そんな軽いやり取りをしながら、三人は屋内訓練場へ向かった。
利用時間の終わりが近いせいか、訓練場内にいる生徒は少なかった。
それでも、壁際には見慣れた顔がある。
獅堂霞は壁を背にして座り込み、片膝を立てて頬杖をついていた。
篠亀箒はその近くで、使い終えた訓練用武器を片付けている。
少し離れた場所では、双鳶霹と双鳶靂が汗を拭っていた。
霹はタオルを首にかけ、靂は無言で給水ボトルに口をつけている。
「まだいたのか、御三家」
狛が苦笑する。
「暇なんだろ」
綴が何気なく言った。
「暇っていうか、戦闘狂っていうか」
「聞こえてんぞ」
霞が低く返した。
けれど、立ち上がる気配はない。
どうやら本当に、施設利用時間のぎりぎりまで居座るつもりらしい。
訓練場の端では、御手洗先生がタブレット端末を片手に利用時間を確認していた。
「おう。やるならさっさと始めろ。終了時間までそんなにねぇぞ」
「先生、監督ですか?」
奏が聞くと、御手洗先生は肩をすくめた。
「生徒が施設使ってる間は、監督者を一人以上置く決まりだ。安全確認と時間管理。俺も暇じゃねぇんだけどな」
「暇そうに見えます」
「空木、お前も後で一本いくか?」
「遠慮します!」
綴は即答して、壁を背にして正座の姿勢で座り込んだ。
***
狛は訓練用武器ラックから一本の長棒を取った。
六尺棒に近い長さの、無骨な訓練用長棒。
見た目は普通の棒だが、棒尾には透明なクォーツが埋め込まれている。
奏は訓練用ハンドガンを受け取った。
グリップの小口面に、同じく透明なクォーツが埋め込まれている。
御手洗先生が二人を見比べた。
「3分一本勝負。ルールは今朝と同じだ」
そこで、先生の視線が奏に止まる。
「召喚獣は召喚しないこと。分かったか、天宮」
「……はい」
奏は少しだけ、返事に間を置いた。
その間を、御手洗先生は見逃さなかった。
「クォーツに反応して、訓練用武器にも属性は乗る。だが、出力は抑えろ。いいな」
「分かってます」
狛が長棒を肩に担ぎ、奏を見ながら軽く笑った。
「肩凝りほぐすだけだって」
「精神的な、だろ?」
奏が返す。
狛は一瞬だけ目を細め、それから軽く鼻で笑った。
電子音が鳴る。
壁面の電光掲示板に、3分の数字が表示された。
狛が構える。
奏もハンドガンを構えた。
開始の合図と同時に、狛が踏み込んだ。
速い。
奏はまず、そう思った。
棒尾のクォーツが赤く淡く灯る。
床を蹴る音と同時に、長棒が横から走った。
けれど、見えないほどではない。
霞の小太刀は、もっと速かった。
もっと鋭かった。
もっと、こちらの呼吸を断ち切るように迫ってきた。
この速度なら見切れる。
奏はそう判断し、一歩下がって銃口を上げる。
だが、長棒の軌道はそこで変わった。
横薙ぎを避けたはずの銃口が、棒の中腹に弾かれる。
払われたのではない。
押された。
銃口の向きだけを、わずかにずらされた。
「っ…!」
奏が体勢を戻すより早く、狛の棒先が胸元へ伸びる。
奏は半身になって避ける。
だが、間合いの外に出たはずの足元に、今度は石突きが滑り込んだ。
「棒術は、刀術ほど単純じゃねぇよ」
狛はそう言いながら、ちらりと奏の後方へ視線を流した。
その先には、壁際に座った霞がいる。
一緒に観戦していた箒が小さく言った。
「煽られてるぞ。霞」
霞の眉がぴくりと動くと同時に、舌打ちした。
「……ったく」
頬杖をついたまま、霞の視線だけが鋭くなる。
「何押されてんだよ、アイツは」
刀には刃筋がある。
斬るための線がある。
速くても、鋭くても、読むべき線は存在する。
だが、棒は違う。
先端だけではない。
中腹も、石突も、握りの位置ひとつで間合いが変わる。
叩き、払う。
絡め、押し、突く。
刀と同じ目で見れば、押される。
九条の言ってることは、間違っては無い。
だから余計に腹が立つ。
壁面の電光掲示板は、すでに2分を切っていた。
奏は距離を取り直し、床へ向けて一発撃った。
訓練弾が床を叩く。
グリップのクォーツが、淡い蒼に光った。
着弾点から薄い水膜が広がる。
床を滑るように、水属性のイデアが水気となって走った。
水場を作る。
それは奏が今、数少なく理解している自分の戦い方だった。
水があれば、動きやすい。
アビスの力を使い、形勢を立て直すことができる。
少なくとも、何もない床よりは自分に有利になる。
だが、狛は止まらなかった。
赤い光、火属性のイデアが、棒尾のクォーツから足元へ移る。
炎は見えないが、熱気がこもっている。
狛が踏み込むたびに、床の水膜が白くほどけていった。
じゅ、と小さな音がする。
水が跳ねるより早く、蒸発していく。
奏が作った水場を、狛の足運びが消していく。
「水場を作れば有利になる。そう思ったんだろ?」
狛が言った。
奏は答えない。
狛の棒が迫る。
奏は腕で受けた。
受け止めた瞬間、袖越しに熱が刺さった。
遅れて、皮膚の奥にじわりと熱が染み込む。
奏は反射的に腕を振り払った。
「悪くねぇよ。でも、それだけなら、君の戦闘ログを観れば誰だって読める」
狛は踏み込みを止めない。
訓練場の空気が変わり始めていた。
床に広がった水は、狛の熱で蒸発する。水気と熱気が混ざり、室内に重く籠もっていく。
綴が眉をひそめた。
「なんだか、ヤな空気……」
空調は効いている空間なのに、空気の流れが鈍い。
熱が動かず、水気が逃げずに訓練場の中に沈んでいる。
霹が首筋をタオルで拭った。
「なーんか息苦しいよね」
さっき拭ったはずの汗が、また首筋に滲んでいた。
靂は給水ボトルを下ろし、短く言った。
「……黙って見てなさい」
霹は肩をすくめたが、それ以上は何も言わなかった。
奏は撃ちつつ、活路を見出す。
狛は避けつつ、活路を潰す。
撃てば、狛は一歩ずれる。
水を撒けば、狛はその意図を読んで踏み込む。
視線の先に、残り1分を切った掲示板が見える
奏の中に、焦りが生まれる。
もっと深く、もっと強く、アビスの水属性イデアを武器に乗せられれば、戦い方は広がるはずだ。
だが、それをした瞬間、自分はどこまで制御できるのか。
その考えが、頭をよぎった。
今の奏には、その感覚がまだ分からない。
0か、100か。
出さないか、溢れるか。
その間が、分からない。
狛の目が細くなる。
軽口を叩いているようで、その目だけはずっと奏を見ていた。
壁面の電光掲示板が、残り30秒を切っていた。
だが、二人は気づかない。
次の次の一手で決まる。
そんな距離まで、戦いは詰まっていた。
「撃てるのに撃たないし、動けるのに止まる」
「…なんだよ」
奏は銃口を向ける。
狛はそう言いながら、長棒を低く構える。
「迷ってるだろ、天宮」
「…!」
その言葉が、熱気よりも鋭く奏の胸に刺さった。
奏の指が、わずかに止まる。
狛は、この3分を通して見ていた。
自分の動きを。
自分の迷いを。
だが、
だが、奏もまた、今日の狛を見ていた。
町歩きの途中で見せた、笑顔のズレ。
戦いながら、どこか踏み込み切らない足。
軽口と乾いた笑顔で隠している何か。
奏は銃口を構え直し、まっすぐ、狛を睨む。
「九条」
狛の動きが、ほんの一瞬だけ鈍る。
「お前も迷ってる」
それは揺さぶりではなかった。
九条家のことも、狛吉という呼び名のことも、千代瀬のことも、奏はまだ何も知らない。
狛の足元で、赤い光が跳ねた。
床に残っていた水が、一気に白く弾ける。
蒼と赤が混ざり合い、視界が水蒸気で白く染まった。
狛が、反射的に踏み込む。
長棒がまっすぐ伸びる。
薙ぎ払いではない、迷いのない突きだった。
奏もトリガーに指をかけ直す。
まっすぐ、目をそらさず。
銃口に、蒼い光が集まる。
その一拍が、白い視界の中で引き伸ばされる。
次の瞬間、御手洗先生が二人の間にいた。
先生は奏の方を向いたまま、背中側で木刀が動く。
狛の突きが、木刀の面に受け止められた。
同時に、奏のハンドガンの銃口は、御手洗先生の足先で塞がれていた。
一拍。
白い水蒸気の向こうで、誰も動かなかった。
御手洗先生が足を払う。
奏のハンドガンが、場外へ弾き飛ばされた。
電子音が鳴る。
3分が終わっていた。
「天宮?」
御手洗先生は笑っていた。
笑っていたが、目はまったく笑っていなかった。
奏は銃の飛んだ方を見て、それから先生を見る。
「やっべぇ……」
「やべぇ、じゃねぇ」
御手洗先生は短く言い、次に狛を見た。
「九条。クラスメイトに向けるにしては、殺気がダダ漏れだぞ」
狛は長棒を下ろした。
「……すみません」
反省しているように見えた。
けれど、その横顔には、どこか清々しさもあった。
***
場外で、霞は奥歯を噛んだ。
まただ。
俺の時もそうだった。
天宮と戦うと、いつも誰かが割って入る。
前は姉さん。
今度は先生。
時間切れだからか。
それとも、またあの蒼い光のせいか。
天宮のアレは。
あいつは、何なんだ。
隣で、箒が霞を横目で見た。
いつもなら真っ先に何か言いそうな男が、何も言わない。
ただ、場内の奏を睨むように見ている。
「……気になるのか」
箒が小さく言った。
霞は答えなかった。
スパーリングが終わったあと、
奏と狛は御手洗先生に軽く睨まれながら片付けを済ませた。
訓練場の熱気はまだ少し残っていたが、利用時間はそこで終わりだった。
***
数十分後
二人は大浴場へ向かった。
湯気の向こうで、狛は湯船に浸かっていた。
肩まで沈み、目だけをぼんやりと湯気の先へ向けている。
さっきの言葉が、頭の中で繰り返されていた。
迷ってるだろ、天宮。
自分で言った言葉。
そして、返された言葉。
九条、お前も迷ってるだろ。
「迷ってるだろ……ってか……」
狛は小さく呟いた。
誰に聞かせるでもない声だった。
そのまま、顔を耳の下あたりまで湯に沈める。
ぶくぶくと、水面に泡が立った。
湯気が揺れる。
浴場の外からは、千代ノ瀬川の水音が微かに聞こえていた。
しばらくして、奏が湯船の近くへ来た。
「九条」
狛は顔を上げる。
「おう」
さっきまでの気まずさは、完全には消えていない。
けれど、戦う前よりは少しだけ近い。
言葉にしなくても、それは分かった。
***
湯から上がったあと、二人は館内の端にある大きな窓辺に立った。
そこには、旧行政境界の看板と、一本の境界線。
その向こうに、夜の千代ノ瀬川が流れていた。
街灯の光を受けて、水面が細く揺れている。
奏はしばらく川を眺めてから、狛に言った。
「肩こり取れたか?九条」
狛はすぐには答えなかった。
川の音だけが、二人の間に落ちる。
やがて狛は、いつものように軽く笑おうとして、少しだけ失敗した。
「……あぁ」
その声は、湯上がりの空気に溶けていった。
千代ノ瀬川が夜の底を流れている。
その音だけが、しばらく二人の間に残っていた。
宿泊研修編2日目が終わりです。
3日目と最終日、多分お盆ぐらいまでかかるかもしれません。
暖かい目で見守っててください。




