第3話:メイド軍師と言われても困ります
北の街道沿いの討伐拠点は、思っていたより静かだった。
静かすぎた。
天幕の前に座り込んだ兵士たちは、誰も口をきかない。手にしているのは、硬そうな黒パンと干し肉だけだった。
「……空気が重いね」
「はい。皆さん、お疲れのようです」
レオナルドとソフィアを出迎えたのは、日に焼けた壮年の騎士だった。
「侯爵家のレオナルド殿か。よく来てくださった。指揮を預かっている、グラントだ」
「お世話になります」
「見苦しいところを見せて申し訳ない」
グラントは、拠点を見回した。
「キマイラの再出現に備えて、夜の見張りを倍にしている。人手を戦闘配置に回している分、炊事や荷の管理が後回しになっていてな」
「何か、特に足りないものは?」
「鎖だ」
グラントは即答した。
「先日の戦いで、手持ちを使い切った。前脚を鎖で縛れれば、盾と槍で動きを抑え込める。王都の鍛冶に発注してあるが、いつ届くか分からん。少なくとも、次の出撃には間に合わんだろう」
「分かりました。補給の状況を確認します」
「頼む。補給担当は、あそこにいるマルコだ」
指差された先で、若い兵士が書類の束を抱えて走り回っていた。
◇
ソフィアが最初に向かったのは、炊事用の天幕だった。
「……こちらのお野菜、傷みかけていますね」
「輸送が遅れたんだ」
炊事係の兵士が、疲れた顔で答える。
「では、先に使いましょう」
「先に?」
ソフィアは、食料の木箱を一つずつ確かめていった。
量は足りている。
ただ、新しく届いた箱が手前に積まれ、古い箱が奥に押し込まれていた。
「新しいものから使っていらっしゃいましたか?」
「手前にあるから、つい……」
「では、奥のものから使いましょう。並べ替えるだけで大丈夫です」
それから、ソフィアは天幕の外を見た。
食事を受け取る兵士たちが、長い列を作っている。
「お食事の時間は、皆さん同じなのですか?」
「見張りの交代が重なるからな。いつもこうなる」
「でしたら、交代の時間に合わせて、三回に分けてはいかがでしょう」
ソフィアはグラントの許可を得て、マルコと炊事係に相談し、受け取りの時間を部隊ごとにずらした。
その日の夕方。
拠点に、湯気の立つ鍋が並んだ。
「……温かい」
スープを受け取った兵士が、ぽつりと言った。
「温かい飯を、並ばずに食えるなんて……」
列は短かった。
誰も、冷めたスープを飲まずに済んだ。
◇
翌日の昼過ぎ。
補給の馬車が三台、拠点に到着した。
そして、荷下ろし場が大混乱になった。
「小麦はどこへ置く!?」
「矢はこっちだ!」
「おい、塩の箱が下敷きになってるぞ!」
荷台から下ろされた荷物が、種類もばらばらに積み上がっていく。
マルコが頭を抱えた。
「いつもこうなんです……必要なものを探すだけで、半日かかって……」
ソフィアは、荷物の山に近づいた。
一つずつ、荷札を見ていく。
「小麦……前の便の分がまだありますから、明朝からで間に合いますね。塩は今週中、矢は予備……」
それから、小麦の袋の下に埋もれた木箱で手を止めた。
「マルコさん」
「はい?」
「こちら、『至急・到着次第、隊長殿へ』と書いてあります」
「え?」
マルコが、荷札をのぞき込む。
その顔色が変わった。
「鎖だ……! もう届いてたのか! 送り状を確かめる暇もなくて……」
「小麦は明朝からで間に合いますので、こちらを先にお届けしたほうがよろしいかと」
「は、はい!」
ソフィアは、そのまま荷物の山を三つに分けた。
本日中に必要なもの。
明日必要なもの。
今週中に必要なもの。
それぞれに受け取りの担当者を決め、荷下ろしの順番も決めていく。
一時間後。
荷下ろし場は、すっかり片付いていた。
レオナルドは、その光景を呆然と眺めていた。
「……僕の婚約者が、軍の補給を立て直している」
「レオナルド様。正確には、荷物の整理をなさっているだけです」
マルコが、真顔で訂正した。
「それで立て直せるのがおかしいんだよ!」
◇
「鎖が、もう?」
グラントは、届いた木箱を見て目を見開いた。
「届いていたのか」
「小麦の下に埋もれていたのを、ソフィア様が荷札から見つけてくださいまして」
マルコの説明を聞くと、グラントはすぐに部下を呼んだ。
「鎖組を集めろ。日が落ちる前に、組み方と引き手の配置を確かめておく」
それから、ソフィアを振り返った。
「助かった。荷解きが明日に回っていたら、鎖組の準備が間に合わないところだった」
「そうなのですか?」
「ああ。……君、どこで兵站を学んだ?」
「へいたん?」
「物資を管理して、必要な場所へ、必要なときに届けることだ」
「それでしたら」
ソフィアは、少し考えて答えた。
「メイドのお仕事ですね」
「…………」
グラントは、何か言いかけて、やめた。
◇
翌朝、まだ夜が明けきらないうち。
斥候が駆け込んできた。
「キマイラです! 街道の北、村へ向かっています!」
拠点が、一気に慌ただしくなった。
「盾兵は前へ! 槍兵は間合いを保て! 鎖組は前脚を狙え!」
グラントの指示が飛ぶ。
レオナルドは、補給の責任者としてグラントの本陣の後ろから戦況を見守ることになった。
出発の前に、ソフィアが駆け寄った。
「レオナルドさま」
「うん」
「お気をつけて」
「うん」
「温かいお食事を用意して、お待ちしております」
レオナルドは、少しだけ笑った。
「……それ、すごく帰りたくなるやつだね」
◇
街道の先に、巨大な影が現れた。
獅子の頭が吼える。
盾兵たちが正面で踏みとどまり、キマイラの突進を誘う。
巨体が地を蹴った瞬間、盾兵たちは左右へ散った。
その足元には、鎖組が地面すれすれに張った鎖が待ち受けていた。
前脚が、鎖に絡む。
「引けええっ!」
杭に巻きつけた鎖を、兵士たちが一斉に引き絞る。
キマイラの体勢が崩れた。
尾の蛇が鎌首をもたげたが、後列の盾兵がすかさず押さえ込む。
「かかれ!」
騎士が駆け込み、前脚の付け根へ剣を突き入れる。
刃は皮を貫いた。
けれど、そこで止まった。
「くっ……筋に噛まれた!」
キマイラが暴れる。鎖がきしむ。
長くは保たない。
本陣で、レオナルドは拳を握った。
前脚の付け根。
刃が入る。でも、止まる。
どこかで、同じ光景を見た。
(――ちっ。ここなら皮は通るんだが、すぐ筋に引っかかる)
氷室の前。
汗をかくドルフ。
そして、自分の腕の付け根を指でなぞる、ソフィアの姿。
(もう少し内側から、斜めに入れてみてはいかがでしょう)
「グラント殿!」
レオナルドは叫んだ。
「付け根の少し内側から、斜めに! 筋の下をくぐらせてください!」
グラントが振り返る。
一瞬で意味を理解したらしい。
「聞いたな! 内側から斜めだ!」
騎士が剣を引き抜き、角度を変えた。
少し内側から。
斜めに。
今度は、止まらなかった。
刃が筋の下をくぐり、深々と沈む。
キマイラが絶叫した。
鎖に縛られた前脚が、がくりと折れる。
「今だ! 首を狙え!」
グラントの号令で、騎士たちが一斉に踏み込んだ。
盾兵が押し込み、槍が山羊の頭を牽制する。
その隙に、二本の剣が獅子の喉元へ突き立った。
咆哮が、途切れた。
巨体が、地響きを立てて倒れる。
一拍おいて、兵士たちの歓声が街道に響き渡った。
◇
帰還した討伐隊を、湯気と匂いが出迎えた。
大鍋いっぱいの煮込み。
温め直したパン。
受け取りの列は、やはり短かった。
「勝ったぞ……」
「温かい……」
兵士たちが、次々と腰を下ろしていく。
グラントは、鍋の前に立つソフィアのもとへ来た。
「ソフィア殿」
「おかえりなさいませ。ご無事で何よりです」
「礼を言わせてくれ」
グラントは、まっすぐに頭を下げた。
「鎖が間に合わなければ、奴の動きは止められなかった。それに、刃の角度だ。レオナルド殿から聞いた。あれは、君の助言だそうだな」
「……助言、ですか?」
ソフィアは首を傾げた。
「私は、お料理の話をしただけですが」
「その料理の話で、勝ったんだ」
「そうなのですか?」
「そうなんだ」
グラントは、苦笑した。
「君がいてくれて、本当に助かった」
ソフィアは目を瞬いた。
助かった。
少し前まで、自分は用済みだと言われていたのに。
「……どういたしまして」
そう返すと、グラントは笑った。
「君はいったい、何者なんだ?」
「メイドです」
「……いや、ただのメイドではあるまい」
周りで食事をしていた兵士たちが、ひそひそと囁き合う。
「補給を立て直したうえに、キマイラの急所まで……」
「まるで軍師だな」
「メイドの軍師か」
「……メイド軍師様?」
その呼び名は、鍋の湯気と一緒に、あっという間に拠点中へ広がった。
「メイド軍師様! おかわりいいですか!」
「はい、どうぞ。……あの、メイド軍師様というのは?」
「ソフィア殿」
グラントが、真顔で言った。
「軍に来る気はないか」
「駄目です」
代わりに答えたのは、レオナルドだった。
「早いな」
「駄目です」
「二回言ったな」
ソフィアは、少し考えてから答えた。
「申し訳ありません。私は侯爵家のメイドですので」
「というより、僕の婚約者ね」
「……あ。はい。婚約者です」
レオナルドは、ため息をついた。
マルコが、横で小さく肩を震わせていた。
◇
数日後。
侯爵家の本邸。
ソフィアはいつものように、厨房の隅で翌日の献立と勤務表を確かめていた。
「ソフィア」
「はい、レオナルドさま」
「君、軍ではすっかり有名人だよ。グラント殿から手紙が来た」
「そうなのですか?」
「メイド軍師様、だって」
ソフィアは、献立表から顔を上げた。
「……困りました」
「何が?」
「私、軍師のお仕事はできませんので」
レオナルドは、思わず笑った。
ソフィアは、少しだけ視線を落とした。
「でも、拠点で何度も言われました。助かった、と」
「うん」
「以前は、役に立たなくなったら、用済みになるのだと思っていました」
「うん」
「でも、今は……少し違う気がするんです」
レオナルドは、優しく目を細めた。
「ソフィア」
「はい」
「君は、役に立つからここにいるんじゃないよ」
「……?」
「明日、君がキマイラの捌き方も、勤務表の作り方も、全部忘れたとしても」
レオナルドは、まっすぐにソフィアを見た。
「君と結婚したい気持ちは変わらない」
ソフィアは、しばらく黙っていた。
それから、おそるおそる尋ねた。
「それは、お仕事のお話ですか?」
「違うよ」
「……はい」
ソフィアは、頷いた。
「今度は、ちゃんと分かりました」
そして、小さく笑った。
厨房の入り口で、侯爵夫人が両手を頬に当てていた。
その後ろで、侯爵が咳払いをしている。
さらに後ろで、家令が静かに目元を押さえていた。
◇
その後もしばらく、軍の間では「メイド軍師様」の噂が絶えなかったという。
けれど、当の本人は。
今日も、侯爵家で明日の献立を考えていた。
「いつか、コカトリスの唐揚げも……作りたいですねぇ」
――完――
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
天然有能メイドのソフィア、メイド軍師編はこれにて一旦完結です!
「面白かった!」「ソフィアの続きを読んでみたい!」と思っていただけましたら、ぜひ下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると嬉しいです!
もしかすると、さらなる続編(コカトリス編)もあるかもしれません。
……もっとも、ドルフの胃のためには、ないほうがいいのかもしれませんが(笑)。




