第2話:本日の夕食は、キマイラのソテーでございます
「ソフィア。荷造り、手伝おうか?」
レオナルドは、使用人棟の廊下で足を止めた。
ソフィアの部屋の前に、紐をかけた木箱が三つ並んでいる。
「終わっております」
「……いつ?」
「三日前に」
「領地へ戻るって決まったの、四日前なんだけど」
「はい。ですから、三日前に」
「…………そうか」
レオナルドは木箱を見下ろした。
角まできっちり揃っている。
「ちなみに、屋敷全体の分は?」
「昨日、終わりました」
「屋敷全体の分が!?」
「はい。家令さんと一緒に」
廊下の向こうで、家令が遠い目をしていた。
「……ここ数年で、一番楽な引っ越しでございます」
◇
婚約から数日。
王都の社交シーズンが終わり、侯爵家は領地の本邸へ戻ることになった。
出発の朝。
ソフィアは荷物を抱えて、最後尾の馬車へ向かった。
「ソフィア、どこへ行くの?」
「使用人の馬車です」
「君はこっち」
レオナルドが、家族用の馬車の扉を開ける。
「ですが、私はメイドで――」
「君は、僕の婚約者だよ」
「……あ」
侯爵夫人が、馬車の中から手招きした。
「ソフィアちゃん、ほら、ここ。窓側がいいわよ」
「よろしいのですか?」
「もちろん!」
ソフィアは、おそるおそる座席に腰を下ろした。
柔らかい。
ふかふかしている。
「……落ち着きません」
「どうして?」
「いつもは、この座席を拭く側でしたので」
侯爵が、小さく咳払いした。
◇
二日後。
侯爵家の本邸は、王都の屋敷よりずっと大きかった。
石造りの館の向こうに、刈り入れを終えた畑が広がっている。
「おかえりなさいませ!」
並んで出迎えた使用人たちが、一斉に頭を下げた。
「ただいま」
侯爵が応える。
続いて、使用人たちの視線がソフィアに集まった。
「こちらが……」
「レオナルドの婚約者のソフィアよ」
侯爵夫人が、嬉しそうに紹介する。
ソフィアは深く頭を下げた。
「ソフィアと申します。よろしくお願いいたします」
それから、顔を上げて言った。
「早速ですが、こちらの勤務表を拝見してもよろしいでしょうか」
「え?」
「ソフィア」
「はい、レオナルドさま」
「いきなり仕事するんだね。休んでていいのに」
「はい。お仕事が好きですので」
「……そっか」
レオナルドは、少しだけ嬉しそうに笑った。
本邸の使用人たちが、顔を見合わせた。
王都から先に届いていた手紙の噂は、どうやら本当だったらしい。
◇
事件は、到着から三日目に起きた。
「旦那様。領内の討伐隊より、ご報告です」
家令が、書状を差し出す。
「北の街道沿いに出たキマイラを、一体仕留めたとのことです」
「そうか。被害は?」
「負傷者が数名。命に別状はございません。ただ、隊はかなり消耗しているようです」
「ふむ」
「それと、もう一点」
家令が、言いにくそうに続けた。
「仕留めたキマイラを、素材の査定のため、こちらの氷室へ運び込んだと」
「ああ、いつものことだな」
「はい。ただ、解体職人の到着が明日になりまして」
「それで?」
「……大きいのです」
「大きい?」
「氷室には、どうにか入るのですが」
家令は、ため息をついた。
「冬支度の食材を入れる場所が、なくなってしまいまして」
◇
氷室の前には、人だかりができていた。
荷車の上に、巨大な獣が横たわっている。
獅子の頭。
山羊の頭。
そして、尾の先には蛇。
「これが、キマイラ……」
ソフィアは、じっと見上げた。
「どうしたものか……」
本邸の料理長、ハンスが頭を抱えている。
「こいつ一頭で、氷室が埋まっちまう。冬の仕込みの肉を、明日には入れなきゃならんのに」
「職人さんが解体なさったら、空くのですよね?」
「素材を取ったあとの肉や骨も、処分場へ運ばなきゃならん。明日中に片付くかどうか……」
ソフィアは、キマイラの前脚を見た。
太い。
筋肉がしっかりついている。
それから、胴体を見た。
脂の乗り方が、ちょうど良さそうだった。
「……あの」
「ん?」
「こちら、お肉は食べられないのでしょうか?」
しん、と静まり返った。
料理長も。
荷車を引いてきた兵士も。
様子を見に来たレオナルドも。
全員が、ソフィアを見た。
「……食べる?」
「はい」
「キマイラを?」
「はい。もったいないので」
料理長が、ゆっくりと首を振った。
「ソフィア様。キマイラは食用の魔物じゃない。普通は素材を取って、残りは処分するんだ」
「毒があるのですか?」
「いや……肉に毒があるって話は聞かんが」
「では、食べた方は?」
「……聞いたことがない」
「そうなのですか」
ソフィアは少し考えた。
「では、明日いらっしゃる職人さんに、伺ってみます」
「伺ってから、どうするんだ?」
「食べられそうなら、食べます」
レオナルドが、そっと額を押さえた。
◇
翌日。
やって来た解体職人のドルフは、ソフィアの質問に目を丸くした。
「キマイラを、食う?」
「はい」
「……妙なことを聞く嬢ちゃんだな」
ドルフは、しばらく顎をさすってから答えた。
「食えねえわけじゃない。昔、山間の村じゃ、山羊の部分を食っていた。獅子の部分は硬くて臭えし、蛇の尾には毒腺がある。だが山羊の部分なら、毒腺を外してしっかり火を通せば、普通に食える肉だ」
「では、食べられるのですね!」
「……食う気なのか?」
「はい。もったいないので」
ドルフは、助けを求めるように料理長を見た。
料理長は、諦めたように頷いた。
「……試しに、少しだけだぞ」
◇
解体は、すぐに難航した。
「くそっ、やっぱり固えな……!」
ドルフが、額に汗をにじませる。
分厚い刃物を当てても、外皮の表面を滑るばかりだった。
「こいつの皮は、矢も弾くからな」
「親方、いつもの場所からいきますか」
「おう」
ドルフは、前脚の付け根に刃を当て直した。
今度は刃が入る。
けれど、半ばで止まった。
「ちっ。ここなら皮は通るんだが、すぐ筋に引っかかる。こっからが長えんだ」
ソフィアは、少し離れたところから見ていた。
前脚の付け根。
筋の走り方。
関節が曲がるところの、わずかなしわ。
「あの」
「なんだ、嬢ちゃん」
「でしたら、もう少し内側から、斜めに入れてみてはいかがでしょう」
「内側から?」
「はい。筋がこちら向きに走っていますので、その下をくぐるように」
ソフィアは、自分の腕の付け根を指でなぞってみせた。
「鶏の手羽元と同じです」
「…………」
ドルフは半信半疑のまま、刃の角度を変えた。
少し内側から。
斜めに。
すっ、と。
今度は止まらずに、刃が奥まで滑り込んだ。
「……なるほど。筋を避けられるのか」
「通りましたね」
「この角度は、考えたことがなかった」
ドルフが、ソフィアを振り返る。
「嬢ちゃん、解体の経験は?」
「ございません」
「じゃあ、なんで分かった」
「鶏は、毎日捌いておりましたので」
「鶏とキマイラを一緒にするな!」
「違うのですか?」
「……いや、違わなかったけどよ!」
職人たちが、どっと笑った。
そこから先は早かった。
危険な毒腺や硬い部位はドルフたちが外し、ソフィアは肉の筋の向きを見て、切り分け方を伝えていく。
「こちらの部位は、筋に逆らって切ると柔らかくなります」
「こっちは?」
「煮込み向きですね。こちらは焼くと美味しいと思います」
「……あんた、本当にメイドか?」
「はい。メイドです」
入り口で見ていたレオナルドは、何とも言えない顔をしていた。
「……婚約者が、キマイラを捌いてる」
「坊ちゃま。正確には、捌くのを指導している、でございます」
家令が、静かに訂正した。
◇
その夜。
「本日の夕食は、キマイラのソテーでございます」
食堂に、ソフィアの声が響いた。
侯爵。
侯爵夫人。
レオナルド。
三人の前に、きつね色に焼けた肉の皿が並ぶ。
香草とバターの、良い匂いがした。
「……これが?」
「はい。山羊の部分の、背中のお肉です。臭みを抜くために、半日ほど香草に漬け込みました。料理長さんと私で、先に味見もいたしました」
「……山羊か」
侯爵が、おそるおそるナイフを入れる。
レオナルドも、覚悟を決めたように一切れを口に運んだ。
噛む。
もう一度、噛む。
「……美味しい」
「ありがとうございます」
「これ、本当にキマイラなの?」
「はい。キマイラです」
「…………そうか。キマイラか」
レオナルドは、皿を見下ろした。
美味しい。
美味しいのだが、昼間見た獅子の顔がちらついて、どういう顔をすればいいのか分からない。
「まあ! 柔らかいわ!」
侯爵夫人は、迷わず二切れ目に手を伸ばしていた。
「ソフィアちゃん、これ、今度のお茶会で出せないかしら?」
「母上、それはさすがに」
「あら、話題になるわよ?」
「話題にはなるでしょうね……」
侯爵は、黙って食べ続けていた。
そして、皿が空になったところで、ナイフを置いた。
「ソフィア」
「はい、旦那様」
「これまで討伐した魔物は、素材を取ったあと、ほとんど処分していた」
「はい。ドルフさんも、そうおっしゃっていました」
「もし食料として使えるなら、領内の冬の備えにもなるかもしれん」
レオナルドが、顔を上げた。
「父上」
「分かっている。安全かどうか、どれだけ保つか、解体にいくらかかるか。調べることは山ほどある。今すぐどうこうできる話ではない」
侯爵は、それでも少しだけ笑った。
「だが、考えてみる価値はある」
「そうなのですか?」
ソフィアは首を傾げた。
「私は、捨てるのがもったいないと思っただけなのですが」
「…………」
「それに、皆さんに美味しく召し上がっていただけて、嬉しいです」
ソフィアは、にっこり笑った。
侯爵と侯爵夫人とレオナルドは、顔を見合わせた。
どうやら本人は、本当にそれしか考えていないらしい。
◇
翌朝。
侯爵の執務室に、再び討伐隊からの書状が届いた。
「北の街道で、別のキマイラが目撃されたそうだ」
侯爵が、書状をレオナルドに渡す。
「討伐隊は街道沿いの拠点で警戒を続けている。ただ、先日の戦闘で消耗したうえに、補給も遅れ気味らしい」
「では、僕が行きます」
レオナルドが言った。
「拠点の補給状況を確認して、足りないものを手配してきます」
「頼む。お前もいずれこの領地を預かるのだからな」
「はい」
そこで、控えていたソフィアが一歩前に出た。
「旦那様。レオナルドさま」
「ん?」
「私も、お供させていただけないでしょうか」
「ソフィアが?」
「はい。拠点のお食事や、物資の管理でしたら、お手伝いできるかと思います」
レオナルドが、慌てて振り返った。
「戦場は危険だよ?」
「承知しております」
「本当に?」
「はい。ですから、お料理の材料は多めに持ってまいります」
「……心配しているのは、そこじゃないんだけど」
侯爵は、しばらく考えてから言った。
「拠点の指揮官に、早馬で問い合わせよう。向こうが受け入れると言うなら、行ってきなさい」
「ありがとうございます」
返事は、その日の夕方に届いた。
『炊事の手が足りず、困っている。ぜひ来ていただきたい』
「……歓迎されてる」
レオナルドが、天を仰いだ。
「良かったです」
ソフィアは嬉しそうに頷いて、すぐに手帳を開いた。
「では、出発は明朝ですね。荷造りは今夜中に済ませます」
「今夜中?」
「はい。……あ、いえ」
ソフィアは少し考えて、言い直した。
「一時間ほどで」
レオナルドは、もう何も言わなかった。




