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第5話:等身大市松人形のサバイバル能力がガチすぎて、俺の理性は爆発寸前であります

「不束者(ふつつかもの)ですが、今後も末永く、よろしくお願いいたします」

 苫小牧港のコンクリートの上で、真っ赤な振袖の裾を綺麗に揃え、三つ指を突いて深く頭を下げてくる身長一六〇センチの市松人形――菊乃。

 旧日本陸軍の巨大輸送船と炊事自動車、そして喋る和風ホラー人形に包囲された俺は、もはや脳の処理能力が限界を迎え、ただただ同じように頭を下げるしかなかった。

(待て、これって……いわゆる『お見合い』ってやつなのか……?)

 三十代前半、彼女いない歴=年齢のオタクサラリーマンが、まさか魔法のランプのせいで、令和の港で等身大の人形と見合いをする羽目になるとは誰が想像しただろう。

 残された最後の願いは、あとたったの一個。これを何に使えば、このカオスな状況をすべてハッピーエンドに持っていけるのか、俺にはもうサッパリ分からなかった。

 考えるのを放棄した俺は、現実逃避するように、コンクリートに転がっていたアキアジ(秋鮭)用の重厚なカーボンロッドを拾い上げ、惰性でリールを巻いた。

 その、次の瞬間だった。

 ――ガツンッ!!!

 手元に、今まで経験したことのないような凄まじい衝撃が走った。竿先が海面に向かって、満月のように大きく弧を描いてブチ曲がる。

「うおっ!? き、来たァァァァァァァッッッ!!!」

 引きが異常に強い。ドラグが悲鳴をあげてラインが引き出される。俺はサラリーマンの悲哀をすべて乗せるように、必死のパッチでリールを巻き倒した。

 格闘すること十数分。防波堤のタモ網に収まったのは、まるまると太った、見事な銀毛の雌のアキアジ(秋鮭)だった。

「やった……やったぞ! 雌だ! イクラが入ってる!!」

 あまりの嬉しさに、俺はさっきまでの不条理な恐怖をすっかり忘れ、やっと落ち着いた気持ちを取り戻して、愛用のiPhoneを取り出してバシャバシャと鮭の写真を撮り始めた。オタクの悲しい習性である。

「ご主人様、お見事でございます。すぐに処理をいたしますね」

 すると、菊乃がしとやかに微笑み、赤い着物の袂をタスキで器用に結び上げた。そして、どこから取り出したのか、鈍く光るマイ出刃包丁をスラリと抜いた。

 そこからの彼女の動きは、まさに『驚異』の一言だった。

 一切の迷いがない、恐ろしく手慣れた手つき。

 バシッと鮭の頭を抑えると、一太刀で腹を裂き、中からこぼれ落ちそうなほど輝く大量の生イクラ(筋子)を綺麗に取り出す。すぐさま、九七式炊事自動車の備え付けの水タンクの真水で筋子をほぐし、おじいちゃんの形見の飯盒の中に、国鉄鞄にあった醤油と酒を手際よくブレンドして放り込んだ。瞬く間に、ルビーのように光る『最高級イクラの醤油漬け』が飯盒の中に完成していく。

 それだけではない。菊乃は鮭を流れるような三枚おろしにし、肉厚な切り身を九七式炊事車の満州式大釜の熱を利用してジューッと香ばしく焼き上げた。

 湯気を立てる焼き立ての鮭の切り身と、飯盒に山盛りにされた炊きたての白米。

「どうぞ、ご主人様。お召し上がりくださいませ」

 差し出されたそれを、俺はゴクリと生唾を飲み込んで、箸で口に運んだ。

 ――美味い。暴力的と言っていいほどに、美味すぎる。

 外側はパリッと香ばしく、中は信じられないほどジューシーな鮭の脂が、炊きたての熱い銀シャリに絡みついて脳がとろけそうになる。

 生まれてこの方三十数年、祖母と母親以外の女性の手料理なんて食べたことがなかった。そんな俺の五臓六腑に、菊乃の手際良すぎる手料理が、優しく、そして強烈に染み渡っていく。

「美味い……美味いよ菊乃ちゃん……。これが、これが夢にまで見た家庭の味なのか……っ!」

 俺が涙目で飯盒の飯をかっ込んでいると、それを見つめていた菊乃は、急に胡粉塗りの白い顔をぽっと林檎のように赤らめ、長い睫毛を伏目がちにしながら、小さな声で言った。

「あの……ご主人様。ご飯の後は……その、おじい様との約束の『初夜(しょや)』は、いかがいたしますか……?」

「ぶふぉっっっ!!!!!」

 口の中の白米を全方位に噴射しそうになりながら、俺の目の前は完全に真っ白になった。

 初夜!? 人形と!? いや、見た目は絶世の和風美少女だけど、市松人形の菊乃ちゃんと、いきなりそんな大人の階段を垂直跳びするようなイベントが発生するのか!?

「ご、ご主人様――!?」

 脳内のニューロンが完全にショートした俺は、苫小牧港のコンクリートの上で、情けなく派手に尻餅をつくしかなかった。

 ハスラーの助手席から、ランプの精の呆れ果てた声が響く。

『やれやれ、初夜という単語一つでパニックを起こして自爆するとは……。我が主ながら、どこまでも救えないチェリーボーイでありますな!』

 鬼怒川丸の黒い影、九七式炊事車の煙、そして目の前で恥ずかしそうにモジモジしている赤着物の菊乃ちゃん。

 残された最後の願いは、あと1個。俺の21世紀の休日は、もはや完全に、制御不能の不条理戦線へと突入していくのだった――!


(第5話・了)

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