第4話:旧日本陸軍の兵器と市松人形に囲まれて、俺の人生は詰みかけている
俺はアキアジ(秋鮭)の仕掛けが沈んだままのカーボンロッドをそっとコンクリートの地面に置き、黄色のハスラーのラゲッジスペースから引っ張り出してきた折りたたみ式の本格アウトドアチェアーに、どさりと腰掛けた。
「はぁぁぁぁぁ……」
苫小牧港の広い空に向かって、本日何度目になるか分からない重いため息が口から漏れる。
魔法のランプの願い事なんて、しょせんはこんなもんなのか。いや、違う。あのポンコツなランプの精の解釈があまりにも狂っているせいだ。俺の貴重な三番目の願い事は、21世紀のテクノロジーの粋を集めたハスラーの助手席に、身長一六〇センチの等身大市松人形をシートベルトで拘束するという最悪の形で消費されてしまった。
俺は一生、リアルな女子にはご縁がないまま、オタクの趣味と社畜の業務に埋もれて人生を終えるのだろうか。
やるせなさに胸を締め付けられながら、俺は肩にかけたショルダーバッグからセブンスターの箱を取り出し、一本を唇に咥えた。お気に入りのターボライターの点火スイッチを押すと、シュオオオという鋭い音が響き、細い炎がタバコの先端を赤く焦がす。
ふう、と肺いっぱいに溜まったストレスを吐き出すように紫煙をくゆらせ、俺はただただ項垂れて、己の靴先を見つめていた。
――その時だった。
視界の端に、俺のスニーカーとは明らかに違う、上質な竹皮で編まれた『雪駄』の底が入り込んできた。
ハスラーの助手席のドアが、いつの間にか音もなく開いている。
「……お魚は、釣れましたか?」
鈴を転がすような、しかしどこか現実感のない妙に透き通った声が、すぐ耳元で響いた。
俺は、吸いかけのセブンスターを、文字通りマヌケに口からポロリとアスファルトの上に落とした。
ゆっくりと視線を上げると、そこにはハスラーのイエローのボディを背にして、潮風に真っ黒なおかっぱ頭を揺らす、血のように赤い着物の女が立っていた。
感情の読めない漆黒のガラス細工のような瞳が、じっと俺を見つめている。白い胡粉塗りの肌が、秋の柔らかな太陽の光を跳ね返していた。
「わたくし、菊乃と申します」
人形が、上品に膝を折って、しとやかに一礼した。
「うわあああああああああああああああッッッ!!!! 人形が話したァァァァァァァァァ!!! 祟りだ! 呪いだ! 髪が伸びるだけじゃなくて自我を持って喋り出したぞバカ野郎ォォォッ!!!」
港の防波堤に、俺の引き裂かれるような悲鳴が響き渡った。アキアジのルアーを投げていた数人前の釣り人が、ビクッとしてこちらを振り返る。
すると、等身大の市松人形――もとい菊乃は、ガラスの瞳にみるみるうちに透明な涙を溜め、キュッと小さな唇を噛み締めて涙目になった。
「ひ、ひどいですわ、ご主人様……っ。出会い頭に呪いだなんて……。わたくし、おじい様の源次郎様から、次のご主人様を一生お支えするようにとランプの中で言いつかって、ずっとこの日を待っていましたのに……っ」
しくしくと着物の袖で顔を覆って泣き出す絶世の和風ホラー美少女(?)。
その光景を見て、ハスラーのダッシュボードからひょっこりと顔を出したランプの精が、ここぞとばかりに腕を組んで俺を冷酷に見下ろした。
『やれやれでありますな。まったくデリカシーのないお方であります。だからお前はいつまで経ってもリアル女性には全くモテない、乙女心がミリ単位も理解できない童貞包茎男なのでありますよ、ご主人様! せっかくお前の歪んだオタク脳のデータを解析して、最高の結婚相手(※ただしおじいちゃんの昭和初期フィルター付き)をご用意して差し上げましたのに!』
「おい精霊ッ!! 口が悪いわ!! 属性をフルコンボでディスるんじゃねえよ! あと包茎は関係ねえだろ!!」
俺は顔を真っ赤にして叫んだが、もはや空いた口が塞がらなかった。
目の前の海には、米軍のSBDドーントレスの猛爆撃を生き抜いた帝国陸軍の巨大輸送船『鬼怒川丸』が黒い巨体を横たえている。
背後には、二一世紀の軽自動車の横でモクモクと木炭の煙と炊きたての麦飯の匂いを放ち続ける『九七式炊事自動車』がアクティブに稼働している。
そして目の前には、涙目で俺を健気に見つめる、喋る等身大市松人形の『菊乃』。
旧日本陸軍のガチ兵器と、歴史的伝統ジャパニーズホラーに完璧に包囲された状況で、俺の平穏な限界サラリーマン人生はこれから一体どうなってしまうのか。
残された最後の願いは、あとたったの一個。俺は額にじっとりと嫌な汗を浮かべながら、激化していく不条理の戦線に完全に立ち往生するしかなかった。
(第4話・了)




