第2話:日曜朝の港で絶体絶命の危機を迎えたので、兵員千人分の主食を配る羽目になった
一夜明けて、日曜日。
十月の朝を迎えた苫小牧港の埠頭は、昨日とは打って変わって賑わいを見せていた。秋晴れの空の下、アキアジ(秋鮭)の一発逆転を狙う熱心な釣り人たちが防波堤にじわじわと増え始めている。
海を見れば、夜間の操業を終えた日本の漁船が、出稼ぎの外国人労働者たちの賑やかな異国語を乗せて、重油の匂いとともに続々と帰港してくる。そんな、あまりにも平和で、なおかつ泥臭い21世紀の港の日常風景。
――ただし、俺の黄色のハスラーの真横に、カーキ色の『九七式炊事自動車』が鎮座し、眼前の海に六千総トン超えの陸軍徴用船『鬼怒川丸』が堂々と着岸している点を除けば、だが。
幸い、早朝の濃い川霧と、九七式炊事車が吐き出す凄まじい木炭の煤煙のせいで、周囲の釣り人たちは「なんか霧が凄くてデカい影が見えるな」「誰かドラム缶でゴミでも焼いてんのか?」程度でまだ深く追究してきていない。だが、視界が晴れれば一発で警察に通報されてジ・エンドだ。
どうする。残り二個になった貴重な願いを使って、今すぐこの鉄の塊どもを消し去るべきか。
俺が朝一番の冷気の中で頭を抱えて悩んでいると、埠頭の入り口の方から、その静寂をフッ飛ばす最悪の爆音が近づいてきた。
バリバリバリバリバリッ!!!
キキィィィッ!!!
不自然な吸排気音を響かせて直管マフラーの爆音を轟かせ、アスファルトを滑り込んできたのは三台の乗り物だった。
往年の名車、カワサキのZII。直列六気筒の咆哮をあげる純白のマークII。そして、派手な社外マフラーを震わせるベタベタのローダウン仕様、青のスカイラインGT-R。
車やバイクから降りてきたのは、気合の入った髪型にスウェット姿の、いかにもな地獄の地元ヤンキーたちだった。しかも、ミニスカートを穿いた若い女の子たちを数人連れてたむろしている。
(うわ、最悪だ……。絡まれたくない。超絡まれたくない……!)
平日の会社でも上司の顔色を伺って生きている限界サラリーマンの俺だ。はっきり言ってケンカなんて生まれてこの方一度もしたことがないし、大の苦手だ。
ヤンキーたちはハスラーと九七式炊事車のすぐ近くのガードレールに腰掛け、タバコをふかしながら「おい、マジ眠ぃんだけど!」「つーかアイツ何してんの?」と大声で話し始めている。チラチラとこちらを見る視線が痛い。
絶体絶命だ。彼らがこのカーキ色の不気味な軍用調理車に興味を持って近づいてきたら、その時点で俺の人生は社会的に終わる。かといって、こんな地元の不良を追い払うためだけに、おじいちゃんが遺した大切な『残りの願い』を消費するなんて絶対に嫌だ。
どうしたらいい。胃がストレスでキリキリと痛み出した、その時だった。
ヤンキーの一人が、クンクンと鼻を鳴らした。
「……つーかさ。なんか、めちゃくちゃ良い匂いしね?」
その言葉に、俺はハッとして九七式炊事自動車の「満州式六号大釜」を見た。
安全弁からシュパパパパと吹き出す白い蒸気とともに、大釜の中では、おじいちゃんが戦地で焦がれた『一〇〇%炊きたての最高級白米』が、ちょうど完璧な塩梅で蒸し上がっていたのだ。お腹を空かせた日曜朝の港に、暴力的なまでに食欲をそそる米の香りが、あたり一面に拡散していく。
「ヒッヒッヒ、ご主人様、安心するであります! この程度の有象無象、自分にお任せあれ!」
助手席の窓から顔を出したランプの精が、邪悪にキラーンと目を光らせた。
「おい、待て! 願いは使うなよ!?」
「これは魔法ではないであります。ただの『前線における後方補給活動』であります!」
妖精がランプに手をかざした瞬間、九七式炊事自動車の大釜から、信じられない速度で白い湯気が爆発した。
炊事車に備え付けられた巨大な飯箱と、おじいちゃんの形見の飯盒がガタガタとひとりでに動き出す。妖精が超高速で大釜の白米をひったくると、素手(※熱耐性あり)で凄まじいジャグリングのように米を回転させ始めた。
シュパパパパパパパッ!!!
一秒間に数十個。衣服の擦れる音のような速度で、信じられない量の三角形が量産されていく。
「ご主人様! 炊きたての銀シャリに、おじいちゃんが国鉄の鞄に忍ばせていた鳴門の塩をまぶした『特製一等兵おにぎり』の完成であります! これをその辺の餓鬼どもに配るであります! 兵も、漁師も、ヤンキーも、腹が満たされれば皆これでハッピーであります!」
「はぁぁぁぁ!?」
俺は唖然とした。持っていたアキアジ用のカーボンロッドを危うくコンクリートに落としそうになった。
これが……これが魔法のランプの、いや、地獄の戦場で兵隊たちの命を繋ぎ続けた『炊事精霊の底力』だというのか……!
「おい、にーちゃん! それ何やってんの!?」
煤煙と蒸気の向こうから、ついにGT-Rのヤンキーが声をかけてきた。
俺は腹を括った。もう、配るしかない。
「あ、これ……! 炊きたてのおにぎりです! よかったら皆さんでどうぞ!!」
俺は、妖精によって秒速でカゴに山盛りにされた、アツアツの巨大なおにぎりを抱え、引きつった笑みを浮かべてヤンキーたちに突撃した。
「マ!? チョー美味そうなんだけど!」「うわ、ガチの米じゃん、ヤバ!」
お腹を空かせてたむろしていたヤンキーたち、そして連れの女の子たちが、差し出されたおにぎりを一斉にひったくるように口に運ぶ。
「うんめえええええ!!! 何これ、米立ちすぎだろ!! コンビニの比じゃねえぞ!」
「ヤバい、夜遊びした体に染みるわー!」
大絶賛だった。ヤンキーたちは一瞬で笑顔になり、お互いにおにぎりを頬張りながらハッピーな空気に包まれていく。それを見た周囲の一般の釣り人たち、さらには船から降りてきたカタコトの外国人漁師たちまでが「ミー・トゥー!」「俺にもくれ!」と九七式炊事車の匂いに釣られてワラワラと集まってきた。
「はい、どうぞ! 熱いから気をつけて! そっちの漁師さんもどうぞ!」
気がつけば俺は、日曜朝の苫小牧港の埠頭で、釣り人、漁師、そしてさっきまで恐怖の対象だったヤンキーたちにまで、汗だくになりながら炊きたてのおにぎりをひたすら配り歩く羽目になっていた。
三十数分後――。
千人分の炊飯能力を持つ九七式大釜の米をすべて配り終え、ハスラーのバンパーにへたり込んだ俺の額からは、滝のような汗が流れ落ちていた。
ヤンキーたちは「にーちゃん、ごちそうさま! マジ神!」とZIIとGT-Rの爆音を心なしか優しく響かせて去っていき、港は奇妙な満足感と平和に満たされていた。
助手席の窓から、ランプの精が満足そうに俺を見下ろす。
『さすがご主人様であります。前線における完璧な民心掌握(宣撫工作)、お見事でありました!』
「……お前なぁ。願いは減らなかったけど、俺のライフ(体力)が残りゼロだよ……」
俺は、心地よいアツアツのおにぎりの余韻が残る手のひらを見つめながら、21世紀の休日が完全に明きめくらな方向へ暴走し始めていることを確信するのだった。
(第2話・了)




