↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/10

第1話:『へーどんな感じで?』と言ったら、令和の苫小牧港に鬼怒川丸と九七式炊事自動車が着岸した

はっきり言って、俺はモテない。

年齢は三十代前半、星野(ほしの) 蓮(れん)。北海道札幌市内の古びた一軒家で両親と同居している、絵に描いたような実家暮らしの限界サラリーマンだ。平日はクソ上司の理不尽な命令とクライアントからの無理難題という名の不条理に耐え忍ぶ社畜だが、ひとたび週末になれば、自室という名の聖域(サンクチュアリ)に引きこもる筋金入りのガチオタクでもある。

 俺の脳内を占める三大栄養素は【鉄道】【自衛隊】【地下アイドル】。好きな分野の話になるとオタク特有の早口と膨大な知識量がノンストップで炸裂するため、職場の女子社員からは完全な壁として扱われていた。

 そんな俺の貴重な土曜日の午前中が、六畳間の畳の上で潰れかけていた。

 先月、大往生を遂げた祖父・源次郎(げんじろう)の遺品整理。それが今日の俺に課せられた任務だった。

 おじいちゃんは寡黙で実直な、絵に描いたような昭和の男だった。戦後は日本国有鉄道――いわゆる国鉄の車掌として、室蘭本線や函館本線の鉄路を実直に支え続けた鉄道員だ。俺が重度の鉄道オタクになったのも、幼い頃におじいちゃんが大切にしていた国鉄の車掌鞄や、赤と緑の合図灯、シチズン製のホーマー(運転士・車掌用時計)を見せてもらった思い出が原点にある。

 だが、おじいちゃんにはもう一つの顔があった。大東亜戦争当時は、帝国陸軍の一等兵として、あの「飢餓の島」と呼ばれた地獄のニューギニア戦線から奇跡的に復員した生還者だったのだ。生前、おじいちゃんは戦争の凄惨な話を家族にはただの一言も語らなかった。

「うわ、これ九八式軍衣の本物じゃん……」

 埃っぽい段ボール箱を開けると、ヨレヨレになったカーキ色(茶褐色)の軍服と、鈍く光る『陸軍一等兵』の星の階級章、そしてあちこちがベコベコに凹んで煤けたアルミ製の飯盒(はんごう)が出てきた。自衛隊オタクでもある俺の手が、本物の歴史の重みにわずかに震える。

 その飯盒の入った段ボールのさらに奥底、古い新聞紙に包まれた奇妙な塊を見つけた。

 包装を剥ぎ取ると、中から現れたのは、くすんだ真鍮製のアラビア風のデザインをした、古びた魔法のランプだった。

「なんだこれ……? おじいちゃん、ニューギニアの現地の戦利品か? いや、アラビア風って場所が違いすぎるだろ……」

 ミリタリー一色の遺品の中に、なぜかポツンと放り込まれたファンタジー。その奇妙なギャップに首を傾げながら、俺は右手にランプを持ち、こびりついた半世紀以上前の埃を払おうと、左手の親指でキュッキュとランプの金属表面を強めに擦った。

 ――ボフンッ!!!

「ぶふぇっ!? ゲホッ、ゴホッ! な、なんだこれ!」

 突如、ランプの注ぎ口から、九九式小銃の発砲煙そっくりの、強烈な硝煙の匂いを孕んだ紫煙が部屋中に爆発的に広がった。火災報知器が鳴るんじゃないかと俺が窓を開けようとパニックを起こす中、煙が部屋の天井に渦巻き、やがて目の前で一つの形を成していく。

 キラキラとした光――それも、俺が給料のほとんどを注ぎ込んでいる札幌の推し地下アイドルのメンバーカラーと全く同じ、鮮やかなイエローの光――をまとって、煙の中から一人の妖精が姿を現した。手のひらサイズなんて生ぬるいものではない、ちゃんと俺の目の前に直立して存在感を主張するサイズだ。

『ふぁ〜あ、よく寝たであります! ついに私を出してくれたのでありますな、ご主人様! ……って、あれ? お前、誰? 源次郎一等兵じゃないじゃん!』

「うわあああ!? リアル異世界転生!? いや部屋だから転移!? っていうか何その発砲煙! 誰だお前!」

『私はランプの妖精! 本名は「アブダラ・ビン・アル・マムーン・サラディン・エドワーズ・ジニエ・……(中略)……・三世」!』

「長えよ! 覚えられるか! もうお前は『ランプの精』だ!」

『雑に略すなであります! まあいい、お前が源次郎の孫なら新たな「ご主人様」だ。私はお前に源次郎の過酷な過去を教えてやるし、願いも特別にオマケして4個叶えてやる。だから、その代わりに私の願い(交換条件)も聞いてほしいであります、ご主人様!』

 現代の会社で理不尽な上司に鍛え上げられた俺の社畜脳は、この不条理なオファーに対して奇妙な冷静さを発揮した。

「いや、待て。今日は俺の貴重な休日だ。これから秋の北海道の醍醐味、アキアジ(秋鮭)を狙いに苫小牧港へ釣りに行かなきゃならないんだよ。こんな狭いオタク部屋で妖精と押し問答してる時間はない!」

 俺は「ランプの精」の手を引っ張ると、ピカピカに洗車された愛車、鮮やかな黄色のスズキ・ハスラー(R06A型エンジン搭載)の助手席に無理やり乗せ、札幌の実家を飛び出した。国道三十六号線を南下し、太平洋に面した釣りのメッカ、苫小牧港へと黄色のハスラーを走らせる。

 車内では大好きな地下アイドルの電波ソングを爆音で流し、ハンドルを握りながらコールを入れる俺に対し、ランプの精は『お前、源次郎の血を引いてるわりには、色んな意味で戦闘力(オタク熱)が高すぎるであります……』と完全にドン引きしていた。千歳付近で陸上自衛隊の高機動車を見かけた俺が、早口のマニアック解説を始めた頃には、妖精は完全に白目を剥いていた。

 やがて黄色のハスラーは苫小牧港の埠頭に到着した。十月の北海道の海は、少し冷たい潮風が吹き付け、周りには同じようにアキアジのウキルアーを投げる釣り人たちが並んでいる。

 俺が手慣れた手つきでカーボン製の重厚な釣竿をセッティングし、アキアジ用の赤いウキが海面に静かに浮かぶのを見つめていると、ランプの精がダッシュボードの上から窓の外の海を見つめ、ぽつりと呟いた。

『おじいちゃん(源次郎)はな、いつも腹を減らして、あの真っ黒なニューギニアの海を見ながら、船で日本に帰ることを夢見てたんだであります。米軍の圧倒的な制海権の中、夜陰に乗じて大発動艇からジャングルへ飛び降りたとき、敵の魚雷艇のブローニング重機関銃の曳光弾が、夜の海を真っ赤に染めて……』

 妖精の口から語られる、ガチすぎるミリタリーのディテール。俺は竿先を見つめながら、ごく軽い、フランクなノリで相槌を打った。

「へー、おじいちゃん、そんな過酷な場所にいたんだ。……で、それってどんな感じで?」

 その瞬間だった。ランプの精の目が不気味にキラーンと輝いた。

『よし! その熱き二つの願い、同時に叶えてやるであります、ご主人様!』

「は? いや、待て。俺は今『どんな感じで?』って質問しただけで――」

 ズゴゴゴゴゴゴォォォンッ!!!

 次の瞬間、のどかだった苫小牧港の水面が、凄まじいスクリューのキャビテーション(空洞現象)を起こしたかのように激しく沸き立った。押し寄せる高波が防波堤を洗い、港独特の磯の香りが、一瞬にして凄まじい『鉄錆と重油、そして硝煙の匂い』へと塗り替えられていく。

 水煙を割って埠頭の目の前に出現したのは、全長百三十メートルを超える、薄汚れた鉄の要塞。かつて国際汽船が発注し、開戦と共に陸軍に徴傭された戦時標準船「A型貨物船」――『鬼怒川丸(きぬがわまる)』(六千九百六十八総トン)そのものだった。

 マストには、潮風にボロボロに裂けた陸軍船舶兵の「丸に船舶(マルさ)」の旗が不敵にはためいている。船体には、ニューギニアやガダルカナルへの強行輸送作戦でのSBDドーントレスやF4F(グラマン)の生々しい爆破痕や、弾痕がクレーターのように無数に刻まれている。船首楼から船尾にかけて配置された十一年式軽機関銃の対空銃座、錆びついた手動式のデリック(揚貨機)が、21世紀のコンクリート埠頭を圧潰せんばかりに軋みをあげて接岸したのだ。おじいちゃんたちが飢えと病のジャングルで、毎日泣きながら生きて内地へ帰ることを焦がれた執念の塊が、令和の海にドカンと現れてしまった。

「おい、嘘だろ……」

 俺が腰を抜かしてアキアジの竿を落とした直後、すぐ真横の数センチの隙間から「パンッ!パンッ!パパパパッ!」という、重厚な2ストローク空冷ガソリンエンジンのクランキング音が響いた。

 俺のピカピカな黄色のハスラーの真横に割り込んできたのは、泥まみれの、しかし間違いなく日本軍特有のあの渋いカーキ色(国防色)に塗装された無骨な車体。帝国陸軍輜重兵が誇る移動式自動調理兵器、『九七式炊事自動車』だ。

(九七式……! 後の陸上自衛隊『野外炊具一号』の絶対的先祖! 一九三〇年代に開発され、トラックや馬で牽引する、一度に兵員千人分の米を四十分で炊き上げる怪物システム……!)

 自衛隊オタクの知識が強制脳内再生される中、九七式の後部に据え付けられた「満州式六号大釜」の蓋から、シュパパパパパッ!と狂ったような高温の蒸気が吹き出した。釜の過圧を防ぐ安全弁が小刻みに跳ね、木炭の混ざった香ばしい煤煙が、現代の低排出ガス車の黄色のボディの横で容赦なくモクモクと立ち込める。実物の鉄と真鍮のバルブの熱気が肌を焼き、釜からは、おじいちゃんが戦地で飢えに苦しみ、夢にまで見た「炊きたての白米(麦飯)」の、暴力的に美味そうな匂いが漂い始める。

 俺は顎が外れそうなほど唖然としたまま、助手席から身を乗り出して「どうだ、すごいだろご主人様!」と誇らしげに胸を張るランプの精を睨みつけた。

「おい、ランプの精……。これはもう骨董品というか、靖国神社の遊就館か、陸自の武器学校に展示されるレベルの国宝級歴史遺物だぞ……。っていうか、今は21世紀(令和)だよ!!! 誰がアクティブな現役状態で、本物の軍用輸送船と炊事車を令和の港に呼べって言ったよ!!」

 黄色のハスラーのサイドミラーに映る九七式炊事車の無骨なリーフサスペンションと、特有の九五式軍用タイヤの分厚いゴムの匂いと、目の前にそびえ立つ鬼怒川丸の圧倒的な現実感を前に、星野蓮はただただ頭を抱えて絶叫するしかなかった。ただのフランクな質問のせいで、貴重な4個の願いのうち2個が完全に溶けた、最悪で最高な休日の始まりだった。

(第1話・了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。