第2話 Come Away, Come Away!「さぁ 行こうよ!」後編
というわけで、第一話の後編です。二人はどうなるのか? ファル、アレンはまだ出番なし(笑)
「お手洗いをお借りするわ。お化粧も直したいし」
事務室から出たギヨは案内された長い廊下を歩く。
例え職員用のエリアであっても監視カメラに死角はない。
表面上は、外部医療監査官として完全に引き下がった。
「従順な訪問者」の顔を完璧に演じきっている。
ここから先は、あとでもみ消しが面倒な「プランB」だ。
「まずは、ここの免疫システムをなんとかしないとね」
今から始まる作戦の前に深呼吸をして息を整えながら歩く。
胸元の星状の大きな傷は銃創より遙かに広く広がっている。傷をなぞりながら、三年前の失態を思い出す。
・・・・・・・・・・
毒虫の女王、ギヨデルタは大胆な見た目とは違い、慎重である、それは臆病なまでの神経質な策士であることの証でもある。
自分の命に万一のことがあっても、しばらくの間だけ心機能を代替出来る人工臓器を装着している。もちろんエルフという強靱な免疫系や再生力があってこそ成立するようなものではあるが、普段は身体機能を向上させる程度に使っていた左胸に埋め込まれた機械仕掛けの補助心臓。
大見得を切って自らに敵の銃弾を撃ち込ませる。可能な限り修復可能な致命傷を擬装する。
補助心臓は万能ではない。こんなもので命を繋ぐことができるのは、30分が限界。すでに意識が戻るまで数分は過ぎてしまった。想定外に時間を失ったが幸い敵はいない。その間にラボの隠し扉から這い出す。
逃げたところで、タイムリミットは迫る。
己の本当の死と向き合わねばならぬ。
不衛生な薄暗い裏通路。埃が立ち込める中、ギヨは肺を潰されたような激痛と酸欠に喘ぎながら、最低限の医療器具で自らの胸を切り裂いた。
麻酔は使えない。頼れるのはエルフの異常な低酸素耐性と、己の狂気的な医学知識のみ。
銃弾によってひしゃげたメインの人工心肺ユニットを引き剥がし、切断された動脈と静脈の断端を素手で探り当てる。思った通り心臓は損傷していない。吹き出す動脈血で視界が赤く濡れる中、携帯用のケリー鉗子で主要血管を強引に挟み込み、ゼオライト系急速止血剤を胸腔へ無造作にねじ込む。
「ガッ……ぁ、あ……ッ!」
自身の肉を直接焼くような止血剤の急激な発熱反応と、肋間神経を直接弄る激痛。激痛により食いしばった奥歯が砕ける。地面に砕けた歯と血を吐き散らしながら血まみれの指で壊れた補助ポンプのバイパス管を強引に繋ぎ直した。
不十分な環境での開胸事故手術。敗血症リスクなど、今は考慮する余裕すらない。広域スペクトルの抗生物質と高濃度のノルアドレナリンを大腿部に直接打ち込み、致死ラインまで低下し続ける血圧を薬理作用で無理やり底上げする。傷口を医療用ステープラー銃で乱暴に止めていく。
限界の30分が尽きる寸前。脳死の代理母胎をキープするための低温医療ポッドに潜り込み、代用血漿のラインと自分を繋ぐ。瀕死の毒虫ができることはここまでだ。数時間以内に本格的な医療救護を受けなければ・・・意識が薄氷のように割れて途絶えていく。
・・・・・・・・・・
実際、彼女を回収したのは、ハンス・アイビー・テトラクラインの手引きによる裏部隊だった。彼はギヨの生存を半ば独断の賭けとして信じ、証拠品押収を装って搬出ルートを確保していたのだ。文字通り、這い蹲って生き延びた命がけの敗北劇。
――何故負けた、それはひとえに相手のチームワークに負けたと判断していた。復活後は再び敗北を喫しないために仲間を探すことにした。不思議なことに、最初の仲間はあちらから近づいてきた。
国際的に完全に隠蔽されたはずのギヨの敗北――その痕跡をデジタルの海の底から嗅ぎつけ、あろうことか「あなたを助けるために手を組みたい」と持ちかけてきた底知れぬ異才。
コミュニケーション能力の欠落と引き換えに、暗号処理においてスーパーコンピュータと張り合うような情報処理能力を持つ、素性不明の天才ハッカー。「ウェンディ」と名乗る電子戦の専門家。
ギヨは生意気な提案を大いに気に入り、莫大な資金とリソース、そして望むがままの「自由な遊び場」を与える代わりに、自らの陣営へと迎え入れることにした。200年の時を生きて、始めて他人を信用することにした。担保も確信も何もない。初めてのことであった。
そして、電子戦の人材の次は最強の白兵戦力を手に入れなければならない。
そして目を付けたのが、他でもない、蒼狼ツァンラン・ゼシル・ヴォルケイン。
この刑務所の始まり、囚人番号0番。エルフの間では知らぬモノはいない、伝説の戦士。
今度は失敗しない。ウェンディはとても信用できる素性ではない。しかし、死を乗り越えたギヨは不思議な安心感を感じていた。
監視カメラが追う廊下の突き当たりに職員用のトイレがある。
中には流石にカメラは無い。
ポーチから彼女が取り出したのはコンパクト。もちろんファンデーション用ではない。ウェンディがカスタムした軍用規格の赤外線通信のデータ・スキマーが内蔵されている。
ギヨはコンパクトを開き、天井に設置された「火災・有毒ガス複合センサー」へと鏡の面を向けた。
この施設はあらゆる場所にセンサーがあり、電子制御されている。それらは外部ネットワークから物理的に完全遮断されたスタンドアローンネットワークの一部。
外部ネットワークから物理的に完全遮断された。外からは攻撃できない堅牢なシステム。
ギヨはどんな時にも計画のためには、臆病なくらい入念な情報収集を行う。
ギヨは政財界に顔が利く。施設の設計図はもちろん、施工企業、その人物相関、はたまたセンサーの納入数やメーカー、モノによっては個別に取り寄せた。
相手はクローズドな電子要塞。サイバー攻撃で切り崩すのは難しい。それは自らが閉じたネットワークの要塞を持っていた経験にも通じている。島を建物を、自分の体の一部のように操っていた、要塞 カサ・デラ・ビ・ダのことを思い出す。
ギヨが集めた膨大な資料からウェンディは突破口を見つけ出した。
施設はあらゆる災害やテロから施設を守るために、あちこちにガスセンサーが搭載されている。この末端のセンサーには工場出荷時のキャリブレーション用として、赤外線ポートが物理的に残されている。
コンパクトから特殊なパルス信号を照射すると、センサーは一瞬だけテストモードに切り替わり、内部ネットワークの「暗号キーの種」と「パケットの断片」を赤外線の瞬きとして吐き出す。システムに残されたほんの小さな穴。
スキマーでガス検知器と無音のやりとり。光学データを吸い上げる。静かにパネルを閉じる。
(あの子の言うとおりにしたけど……これ 本当に動くんでしょうね)
「さて、私も 私らしい仕事をしましょう」
香水のアトマイザーをフタをあける。中はライターガスのような蒸気圧の高い溶媒に彼女がこよなく愛する抗コリン性無力化剤――BZガスの最新誘導体が詰まっている。
自身のヒールの踵の小さな穴に幻覚性アトマイザーを押しつけるとチャージされる。あとは歩くたびにスタンプのように時間差で気化する毒を撒き散らすことができる。
このガスのエアロゾルは、人間が吸入すれば数分で強烈な眩暈、空間認識の狂い、重度の幻覚と判断力低下を引き起こす。有毒ガス検知器でも有害と判断できない分子構造。
エルフには「少し車酔いした程度の不快感」で済むよう分子設計されたこの毒を仕込み終えると、ギヨは何事もなかったかのようなすました顔でトイレを出て、退館手続きを行いに正面受付へと歩き出した。
ギヨの足跡からは僅かずつ毒の霧が立ち上り始める。
*
厳重な退館手続きを終え、第一ゲートを抜けたギヨは、来客用駐車場に停めてあった自身の黒いセダンへ乗り込む。
運転席に乗り込むと、コンパクトにUSBケーブルで車載のシステムに繋ぐ。画面の通信コンソールからステアリング通話ボタンを押す。
『――接続確認。ドクター・ギヨ。あなたの現在の心拍数は108。血圧は142の90。多少の緊張状態』
スピーカーから流れてきたのは、感情の起伏が一切削ぎ落とされた、ガラス細工のように透き通った少女の声だった。
「ごきげんよう、ウェンディ。挨拶の代わりにバイタルを読み上げるのなんなの」
『それが最も正確な状態確認だからです。……パッケージの受信を確認。解析を開始します』
『……暗号化方式はAES-256および独自のローリングキーの複合ですが、漏洩したシード値が存在するため総当たり計算は不要です。完全解読まで60秒以内』
「頼もしいわねえ。中へ入るための入り口とやらは見つかった?」
『地下から地上二階までは完全な閉鎖回路ですが、屋上は多孔質です これは使えます』
「屋上?」
『自動展開型の警備用無人機。広大な敷地をパトロールするため、屋上の専用サーバーとマイクロ波で通信しています。暗号キーさえあれば、その通信プロトコルに偽装し、オーバーライド・コマンドを割り込ませることが可能』
「……よく分からないけど、次はこのタンブラーだっけ?」
助手席には大ぶりなステンレス製のコーヒータンブラーが転がっている。
自分が専門用語をまくし立てている時、非専門家は同じ気持ちなのだろうか……そんなことをぼんやり考えながら、指示通り操作をする。
『ドクター・ギヨ 中継デバイス(タンブラー)を起動して』
タンブラーの真空断熱構造の中にはギリギリまで詰め込まれた高出力のリポバッテリーと、制御基板、らせん状の指向性ヘリカルアンテナが内臓されている。
「えーっと、この底を回して起動するのよね」
ウェンディの無機質な声が、わずかに早口になる。
『手に持っているそのタンブラー、早く車の外に投げ捨ててください。あと十秒でバースト送信を開始しますが、至近距離で起動させると、強烈なマイクロ波の漏洩で車内が電子レンジになりますよ」
「……そういうのは作戦の時に教えてよね」
ギヨは呆れたように笑うと、窓をあけると、植え込みの奥深くへとタンブラーを放り投げた。ズサッ、と乾いた音を立ててステンレスの筒が茂みに隠れるのを見届け、パワーウインドウを閉じる。
『送信開始』
施設外周の茂みに転がったタンブラーから、不可視の強烈なマイクロ波が真上の屋上アンテナへ向けて撃ち込まれた。
『……3、2、1。解読完了。ルート権限を取得しました』
警備無人機の通信ポートからスタンドアローン環境を越えて逆流したウェンディのマルウェアは、あっという間に刑務所の中枢システムへと到達した。
『施設制御、掌握しました。環境制御、防火システム、電子ロックのプロトコルに、ランダムな論理矛盾をインジェクションします』
「シシシシ。盛大に暴れなさい、ウェンディ」
*
同じ頃、地下最深部。
Z-00ことツァンランは、数人の重武装した警備員に囲まれながら、再び元の独房へと歩かされていた。彼の両手と両足を拘束しているのは、特殊な鎖。航空軍事用の高張力アルミニウム合金A7075、通称 超々ジュラルミン製。余りに重すぎるツァンランの拘束鎖は、スタッフの間で評判が悪く十数年前に合金A7075製に取り替えられた。これもギヨは把握していた。
(……『生きてるわよ』)
180年。岩盤の底の独房で埃を被り、ただ静かに世界の終わりを待つだけだったツァンランの時間が、その一点の言葉で熱を持ち始めていた。
あの薬臭い女が何を企んでいるのかは分からない。嘘をついている可能性も十分にある。
だが――あいつが生きている可能性があるのであれば、すべてはその後である。
たった一つの仮定だけが、百年以上続いたツァンランの重い諦念に楔を打ち込む。彼を再び血生臭い外の世界へと強烈に引っ張り上げようとしていた。巨体の奥底で、眠っていた戦士の炎が、静かに、だが確実に酸素を吸い込み始める。
ツァンランは俯きながら、薄暗い廊下を歩く。
脳裏には、先ほど女が見せつけてきた銀板写真に写る、無垢な少年の顔が焼き付いて離れなかった。
「悪鬼め」
ぽつりと、ツァンランは誰にともなく呟いた。その直後。
地下廊下のLED照明が、ふっと不自然に瞬断した。
一秒の完全な暗闇の後、血のような赤い非常灯が点滅し、様々なバリエーションの警告音が鳴り響く。鼓膜を裂くような警報音の祭典が施設全体に広がっていく。
壁面の電子錠のインジケーターが、緑と赤の点滅を異常な速度で繰り返す。合成音声で警告アナウンスが流れ出す。
『警告。第3ブロックにて火災検知。第1ブロックにて有毒ガス漏洩。防火隔壁を閉鎖 閉鎖 閉閉閉閉閉閉 できません 避難経路を開放しましましままままます』
自動音声のアナウンスすら矛盾を引き起こし、バグっていた。ウェンディの放った論理矛盾が、最新鋭の安全装置同士を喧嘩させているのだ。
「なんだ!? 暴動か!?」
「おいおい、とんでもないシステムエラーだ! 管制、応答しろ! ……くそっ、無線も有線も繋がらないぞ!」
看守たちがパニックに陥り、銃を構えながら周囲を警戒する。だが、彼らのさらなる「敵」はすでに制服を抜け、肺の奥底へと到達していた。ギヨの歩いた軌跡から立ち昇り、空調に乗って地下へ到達した新型BZガス。
エルフのツァンランにとっては「少し古い空気を吸ったような不快感」でしかなかったが、人間の看守たちには劇薬だった。
「おい……お前、顔が……溶けてるぞ……?」
「壁が……壁が迫ってくる! 」
「俺の手がぁ 手がぁ……」
一人、また一人と看守たちが膝をつき、焦点の合わない目で虚空を睨みつけながら錯乱し始める。距離感が狂い、同僚を怪物と見間違え、嘔吐しながら床を這い回る。
ツァンランは、幻覚に怯え赤子のように震える警備員たちを見下ろした。
その青い瞳に、明確な嫌悪が浮かぶ。
「……あの薬臭い女。毒を撒いたな」
ツァンランは、自身の両足と両腕を拘束している合金A7075製の鎖に目を落とした。
先ほど、診察室であの女がペタペタと触れていた箇所。よく見ると、銀色の表面に所々、白いカビのような粉が吹き出している。
液体金属ガリンスタンの浸透による、アルミニウム合金の分子レベルでの脆化が起こっている。ツァンランは化学的なことは分からないが、本能で弱くなっている部分は分かる。ギヨは予め用意したガリウムを主体とするガリンスタンを処置にみせかけて鎖に塗りつけていた。
「……乗ってやる」
短く息を吐き、両腕にグッと力を込めた。
パキン、という乾いた音。怪力をもってしても絶対に引きちぎれないはずの最新鋭の合金が、まるで湿ったビスケットのようにあっけなく砕け散った。
180年ぶりの自由。彼はゴキリと太い首の関節を鳴らすと、幻覚でうずくまる看守たちの首根っこを軽く掴んで気絶させると開け放たれた電子扉の向こうへと歩き出した。
眠っていた戦士の身体の使い方が、一歩進むごとに細胞の隅々へと行き渡っていく。電子の壁は崩れた。残る物理的な鉄扉は、彼が己の拳で叩き壊せばよい。
*
地上。駐車場に停めた黒いセダンの車内。
『――対象(Z-00)、地下区画を突破。最終防壁の物理破壊を確認。現在、第2非常ハッチから地上へ向かっています。到達予想、あと12秒』
「手際がいいわね。さすがは伝説の戦士様」
ギヨはウェンディの無機質な実況を聞きながら、セダンのエンジンを吹かした。ヘッドライトを消したままフェンス越しに施設の中庭にある排気塔の横へと車を滑らせる。
ドゴォォォン!!
分厚い鋼鉄の非常ハッチが内側から吹き飛び、もうもうと舞い上がる粉塵の中から、二メートルを超える巨漢がぬっと姿を現した。
ギヨは助手席のドアを内側から蹴り開ける。
「遅かったじゃない。さっさと乗りなさい! フェンスは越えられそう?」
ツァンランは忌々しげにギヨを睨みつけた。
「必要ない」
大きな手でフェンスをむしり取る。背後から無数のサイレンが迫り来る音を聞き、無言で身を屈めて助手席に押し入った。巨体が入ったことで、高級セダンの車体がギシッと悲鳴を上げる。大柄二人が乗ったことで肩が触れ運転席のギヨが押される。
「狭い」
「文句を言わない! 舌噛むわよ!」
ギヨはアクセルを底まで踏み抜いた。
黒いセダンはタイヤを激しく焦がしながら、パニック状態の刑務所を尻目に夜の荒野へと飛び出した。
*
荒野の彼方で、重低音のビートと無数のネオンサインが瞬く「無法祭り」の会場。
その中心で、ひときわ巨大な木組みの藁人形が、今まさに燃え盛る炎に包まれようとしていた。
そこへ、一台の黒いセダンが猛スピードで突っ込んでくる。
――ズドォォオオオ ザアアアアン
車は藁人形の足元に激突し、凄まじい爆発音と共に火柱を上げた。祭りの参加者たちは、それを「予定されたカーアクション演出」だと勘違いし、狂喜乱舞して歓声を上げている。
警察の記録にはこう残るはずだ。
『脱獄囚Z-00は、偶然施設を訪れていた不運な外部医師を人質にとり、車を奪って逃走。その後、祭りの会場に突っ込んで大破した』と。
180年ぶりに出た外の世界。事もあろうに奇祭のまっただ中。しかし、派手な毒蛾のようなコートの大女、さらに巨大な狼のような半裸の男。普段は目立つはずの存在が、奇祭の中では不思議と溶け込んでいた。
近くにいた祭りの参加者が笑いながら親指を立てた。
「うぉーかっけえ アンタ雰囲気あるぜ! エルフの戦士だぜ 」
尖った耳を指差され、ツァンランは眉を寄せる。
さらに別の男がスマートフォンを向けてくる。
「写真いい?」
「何だ、その光る板は」
「うわ、キャラ作りまで完璧かよ!」
炎上するセダンから少し離れた、派手なレーザー光線が飛び交う屋台の裏手。
人混みをかき分け、ツァンランが若者に絡まれ困惑の色を滲ませた顔で立ち尽くしている。
「なんだこの祭りは 人間はここまで堕落したのか」
どこで調達したのか、カラフルな蛍光色の綿菓子を食べながら、若者をあしらい転がっている切り株のベンチに腰掛ける。
「まずはお礼を言ったらどう? 伝説の戦士さん」
「……薬臭い女、貴様、刑務所の中に毒を撒いたな」
第一声。ツァンランは凄まじい眼力でギヨを見下ろした。
「あら。180年ぶりの自由をくれた恩人に、いきなり説教?」
綿菓子を摘まんでいた指が止まった。
「……それが何か?」
「あれを戦いと呼ぶのか」
「呼んでないわよ。脱獄でしょ」
「人の感覚を狂わせ、己の目すら信用できなくする。戦う意思以前に、考える力を奪うとはバッドマナーだ」
青い瞳に露骨な嫌悪が浮かぶ。
ギヨは一度瞬きをした。
そして、心底呆れたように肩を落とした。
「あ”〜 もぅ 誰も殺してないでしょうが」
綿菓子の棒を振りながら、彼女は刑務所の方角を指した。
「銃撃戦にして十人二十人死なせたほうがよかった? でも死者が出れば報復だの徹底捜査だの、面倒臭い話になる 合理性の最適解 事実貴方はここにいる」
「合理性を善とするな」
「あら、ごめんあそばせ。私、善人だなんて思ったことないわよ シシシシ」
ギヨがのらりくらりと話をする。それほど弁の立つわけでもないツァンランは会話を止めてしまう。眉間に、さらに深い皺が寄る。本能的に理解できる、この女とは合わない。
「……貴様は邪悪すぎる。何処の出だ」
「初対面のレディに出自を聞くなんて失礼ねぇ」
「お前が礼儀を語るな」
「アンタよりは最近生まれたよ、おじいちゃん」
ツァンランのこめかみが動く。
「もう一度言ってみろ」
「お・じ・い・ちゃ――」
巨大な手が伸びるより先に、ギヨの上半身は地面につきそうなくらいにぐにゃりとのけぞって躱す。
「シシシシ。元気じゃない」
遠くからヘリコプターの回転翼音が聞こえてきた。祭りの音響に紛れてはいるが、確実に近づいている。遊んでいる時間は長くない。ギヨは体勢を戻し作り笑いをやめる。
「さて」
ツァンランもそれを察し、表情を戻す。
「あの写真の男」
一言で十分だった。青い目から戯れが消える。
「ルシエルはどこだ」
「知らない」
返答はあっさりしていた。巨漢の顔に殺気が戻る。
「貴様――」
「ちょっとちょっとタンマ、だから探すと言ってんでしょ」
ギヨは言葉を被せた。懐から、取り出した小型タブレットで画像を表示する。不鮮明ではあるが炎の照り返しの中、昔と変わらない少年の笑顔が浮かび上がった。
「これはおそらくここ数年以内に撮影された画像。私も調べたのよ 六十年前に死んだことになってる。アンタはそれを知って度重なる脱獄を止めた、そうよね?」
「……どこで写真を手に入れた」
「それは、まだ秘密」
「私はあの子を見つけたい。アンタもそうでしょう?」
「見つけたら殺す」
「それは困るの 私の手駒に加える」
「あの悪鬼は俺が殺す」
「もぉー そう言うと思ってたけど、頑固そうねえ」
「まぁいいわ、ほかに質問は?」
「その絵の変わる写真立ては何だ」
ギヨの持っているタブレット端末を指さす。
「あー そこからかぁ・・・まずは時代遅れの矯正もしなくちゃねぇ」
ギヨが頭をわしわしを掻きながら困った顔をしていると燃え上がる巨大な人形が轟音を立てて崩れた。夜空へ大量の火の粉が舞う。
死んだと聞いた悪鬼が、まだこの世界のどこかにいる。それなら、まだ外へ出てきた意味はある。
ギヨは子供を遊びへ誘うような軽い調子で続けた。
「さぁ、行こうよ」
極悪マッドサイエンティストと堅物戦士の珍道中が始まる。感想いただけるとマジで嬉しいので、書いてもらえれば幸いです!




