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皇室という余白

〔分類:⑪ 国家観・⑧ 歴史認識〕

もし、日本の皇室がなくなったら、日本人はどうやって自分たちを定義するようになるだろうか。


これは、あまり真剣に考えられたことのない問いだと思う。


しかし、既に王室を失った国々を見渡すと、いくつかの手がかりが見えてくる。



◆ 対立軸でアイデンティティを求めた国


フランスは、王室を失って以降、共和国の理念を強く打ち出してきた。


同時に、歴史的に対立しがちだったイギリスやドイツとの比較によって、「あの国とは違う」という形で自己を定義する傾向も見られる。


英語に対してフランス語に強くこだわる。


自国の文化や文物を大切にする、というよりも、それらを意識的に取り込み、押し出すことで、自分たちが何者かを規定しようとする。


これは、王室という「特に意識しなくても自国であることの手がかりになる存在」を失った国が、代わりに何かへ強くこだわることで、その空白を埋めようとした結果のように見える。


もっとも、その経路は国によって一様ではない。


ドイツは憲法秩序そのものを重視する方向へ進んだ。


イタリアは、地域ごとの文化が重層的に積み重なった形でアイデンティティを保っている。


だから、これから書くことは確定した未来ではなく、一つの可能性として読んでほしい。



◆ 日本の場合に起こりそうなこと


もし日本で同じことが起きたら、どうなるだろうか。


日本語や和歌、和装、神社仏閣といったものに、今よりずっと強くこだわるようになるかもしれない。


「これこそが日本らしさだ」と、意識的に選び取り、押し出すようになるかもしれない。


今の日本人が、そうした個々の文化財や様式に、それほど強くこだわっていないのはなぜだろうか。


私は、それは皇室があることで、あらゆるものが自然と「日本的なもの」として扱われ、アイデンティティが柔軟に更新され続けているからだと思っている。


新しい様式が生まれても、それが皇室と何らかの形でつながっていれば、自然と「日本のもの」として取り込まれていく。


だから、特定の何かに固執する必要がない。


これこそが、皇室が日本社会にもたらしている、もっとも見えにくい、しかし大きな効果ではないかと思う。



◆ 外交的な干渉からアイデンティティを守る仕組み


前章で、皇室は「君臨すれども統治せず」という立場にあるために、外部から正統性を書き換えられにくいと書いた。


同じ構造は、日常的な文化のレベルでも働いている。


政権と皇室が分離しているために、外国からの政治的な干渉や圧力が、日本人の自己認識そのものに直接触れにくくなっている。


政府≠日本 つまり、日本政府は日本そのものではない。


政権への批判は、政権への批判にとどまる。


それが「日本という共同体そのものへの攻撃」に転化しにくい。


もし国家アイデンティティの中心に、政権や特定の理念が直接据えられていたら、外交上の対立は、そのままアイデンティティをめぐる激しい対立に発展しやすくなっていたかもしれない。


皇室が、政治と一定の距離を保ち続けてきたことによって、日本人の自己認識は、政治的な波風から一歩引いた場所に守られてきたのだと思う。



◆ 結び──余白を与える装置


ここまで書いてきて、私は皇室の役割を、こう言い表したい。


「日本人とは何か」という国民の自覚に、余白を作り、余裕を与えているのが皇室である。


皇室は、日本とは何かを、細かく定義しない。


だからこそ、日本人は、自分たちが何者であるかを、時代ごとに、柔軟に更新し続けることができる。


もし皇室がなくなれば、その余白は失われ、代わりに何か具体的なもの――言語であれ、様式であれ、対立軸であれ――に、強くしがみつく必要が出てくるかもしれない。


私は、皇室を「伝統だから守るべきだ」と主張しているのではない。


約二千年近くにわたり、日本社会の文化的な中心として機能し続け、しかもその代替手段が今のところ見当たらない制度だから、評価しているのである。


機能しているものを、代替可能性が確認されないまま手放すべきではない。


これは、本書を貫いてきた機能主義の姿勢と、何も変わらない。

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