表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/16

皇室は文化供給装置である

〔分類:⑪ 国家観・⑧ 歴史認識〕

私は機能主義者らしい、と前章で書いた。


国家を支持しているのは、国家だから、日本だからではない。


現時点で、文明供給装置として最も実績があるからだ。


もし将来、もっと優れた装置が現れれば、そちらを検討する。


そう書いた。


ならば、皇室についても同じ論理が当てはまるはずである。


もし皇室より優れた何かが現れたら、私はそちらを検討するのだろうか。



◆ 機能主義者なのに、皇室だけは違う


正直に言うと、ここだけは違う。


私は、皇室を「代替可能なもの」として見ることができない。


皇室なき日本は、日本ではない。


これは感情論のようにも聞こえるし、実際、感情がまったく混じっていないと言えば嘘になる。


しかし、私はこれを単なる感傷では終わらせたくない。


なぜ皇室だけが例外なのか。


その理由を、できる限り論理として説明しておきたい。



◆ 文明供給装置と文化供給装置


私はこれまで、国家を「文明供給装置」と呼んできた。


法。

行政。

警察。

通貨。

外交。

軍事。


これらは、国家という装置が担当する機能である。


しかし、日本人が「日本とは何か」を長い時間軸で共有してきた象徴は、これとは別に存在する。


それが皇室である。


皇室は税率を決めない。

法律も作らない。

行政命令も出さない。


つまり、文明供給装置としての機能は、ほとんど持たない。


しかし、それでも日本社会において、これまで非常に重要な役割を果たしてきた。


私はこれを、文明供給装置とは別の、もう一つの装置として位置づけたい。


「文化供給装置」である。



◆ 「伝統だから残す」のではない


一見すると、「伝統だから残す」という発想は、機能主義と矛盾するように見える。


しかし、私はむしろ逆だと思っている。


文化にも機能はある。

国家統合の象徴であること。

政治的な中立性を保っていること。

災害のときに、精神的な支柱になり得ること。

そして何より、歴史の連続性そのものを体現していること。


これらは数値化しにくい。


しかし、社会を運営するうえで、決して軽視できない機能である。


私が皇室を支持しているのは、「古いから価値がある」からではない。


古さそのものが、一つの実績だからである。



◆ 二千年という実績


企業であれば、二百年続けば超老舗と呼ばれる。


国家制度でも、百年続くだけで珍しい部類に入る。


その中で、皇室は極めて異例である。


少なくとも二千年近く、破綻せずに存続してきた。


これは、「古いから価値がある」という話ではない。


二千年近く存続できたという事実そのものが、その制度の性能を示しているのである。


私が機能主義者として皇室を評価するなら、この実績こそが根拠になる。


その優秀さは、正直、はかり知れない。



◆ AIには代替できない理由


私はこれまで、AIが国家より優れた文明供給装置になり得るかもしれない、と書いてきた。


犯罪予測。

インフラ管理。

税制最適化。

資源配分。


これらは、いずれAIが人間より上手くこなす日が来るかもしれない。


しかし、AIが文化供給装置になれるかというと、それはまったく別の問題である。


AIは、「日本の象徴」にはなれない。


なぜなら、文化は合理性だけでは成立しないからだ。


文化には、連続性が要る。


物語が要る。


共同体の記憶が要る。


これらは人工的に生成することはできるかもしれない。


しかし、「継承されたもの」と同じ意味を持つとは限らない。


「一度やめて、AIに代替してはどうか」という提案は、文明供給装置には効くかもしれないが、文化供給装置には効かないのである。



◆ 一度やめれば、戻せない


国家という制度であれば、失敗しても憲法改正や制度変更によって修正できる。


しかし、皇室は違う。


皇室を一般人化した瞬間、その制度はほぼ不可逆になる。


しかも、元皇族という立場は極めて高い象徴性を持つため、警備上、政治上、社会上のリスクも大きい。


一般人になった途端に、命を狙われる可能性すら排除できない。


そんなリスクを、誰かに背負わせてよいはずがない。


つまり、皇室とは、実験できない制度なのである。


「試しに廃止してみよう」という議論そのものが、そもそも成立しない。


これは、機能主義の枠内でも十分に説明できることだと思う。



◆ 結び──代替不可能な機能を持つ制度だから守る


私は機能主義者である。


しかし、機能には二種類あると考えている。


一つは、法・行政・安全保障・経済を支える「文明供給装置」としての国家である。

もう一つは、共同体の歴史・象徴・連続性を支える「文化供給装置」としての皇室である。


皇室は、効率で測る対象ではない。


二千年近くにわたり、日本という共同体の連続性を支えてきたという実績そのものが、他に代替しがたい機能を示している。


私は、伝統だから守るのではない。


代替不可能な機能を持つ制度だから、守るのである。


だから私は、こう言いたい。


皇室なき日本は、日本ではない。


それは感傷ではなく、私なりの機能主義から導かれた結論である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ