地方自治から始める文明供給装置の実験
〔分類:⑪ 国家観〕
前章では、文明供給装置としての国家を改良するなら、まず限定された空間で実証実験をすべきだと書いた。
では、その実験は、具体的にはどこから始めればよいのだろうか。
私は、その答えは地方自治にあるのではないかと思っている。
◆「最も成功した社会主義国家」という比喩
かつて、日本は「世界で最も成功した社会主義国家」と、半ば揶揄、半ば感心を込めて語られることがあった。
もちろん、日本は市場経済を採用する資本主義国家である。
この比喩が成り立つのは、次のような理屈による。
中央政府は、資本主義経済のもとで税収を集める。
その税収を、地方交付税や補助金といった仕組みを通じて、各地方自治体の予算に応じて分配する。
その結果、どの地域に行っても、ある程度同じ水準のインフラや行政サービスを受けられるように整備されてきた。
つまり、「中央は資本主義で稼ぎ、地方には社会主義的に配る」という二層構造になっている、というのがこの比喩の意味するところである。
これはあくまで比喩であって、日本を文字通りの社会主義国家と呼ぶのは正確ではない。
この比喩は、日本の経済体制そのものを説明するものではない。
市場経済によって生み出された富を、税と地方財政制度を通じて全国へ再分配し、公共サービスの地域格差を比較的小さくしてきたことを指している。
しかし、この比喩が語られてきたこと自体が、一つの事実を示している。
道路、水道、学校、消防、行政サービス。
地域差は存在するものの、日本では全国どこでも一定水準の公共サービスを受けられるよう、意図的に格差が緩和されてきた。
私はこれを、本書でいう「文明供給装置」が、中央からの再分配によって全国へ均質に配置されてきた結果だと考えている。
◆まず地方自治体から試す
もし将来、量子AIのような高度な行政支援技術が実現するとしても、いきなり国家全体へ導入する必要はない。
むしろ地方自治体こそ、実証実験に最も適した単位ではないだろうか。
人口規模も比較的小さい。
行政サービスも限定されている。
結果の評価もしやすい。
例えば、
* 予算編成
* 除雪計画
* ごみ収集
* 水道維持
* 福祉配分
* バス路線最適化
* 防災計画
こうした自治体業務を、AIがどこまで効率化できるのかを検証する。
行政職員はAIの判断を監督し、問題があれば人間が修正する。
つまり、人間が主役で、AIは高度な補助者である。
◆過疎地域は実験に向いている
特に過疎地域は、この実験に向いているように思う。
人口減少によって行政職員の確保が難しい。
財政も限られている。
だからこそ、AIによる行政支援の効果が最も分かりやすく現れる。
もしここで成功すれば、地方都市、中核市、政令指定都市、都道府県というように、段階的に対象を広げていけばよい。
まずは過疎地域の自治体から始め、都市部、都道府県というレベルへ順次引き上げていく。
その過程で、AIは膨大な行政データと運営ノウハウを蓄積していくことになる。
中央政府をいきなり動かす必要はない。
文明供給装置そのものが、地方という小さな単位から、経験を積みながら成長していけばよいのである。
◆国家を置き換えるためではない
重要なのは、この実験の目的は国家を否定することではない、という点である。
国家という文明供給装置を、より性能の高いものへ更新できるかどうかを検証することである。
私は本書で繰り返してきたように、国家を神聖視していない。
国家は目的ではなく装置である。
だから装置である以上、改良の余地はある。
しかし、改良は理念だけではできない。
実験し、検証し、失敗し、修正し、その積み重ねによってしか、新しい文明供給装置は生まれない。
◆社会制度も工学である
橋を造るとき、いきなり本番の橋を架ける技術者はいない。
模型を作る。
試験を行う。
荷重をかける。
失敗すれば設計を修正する。
航空機も、自動車も、原子炉も同じである。
十分な実証を経て初めて、人命を預かる装置になる。
文明供給装置も、本質的には同じではないだろうか。
国家は巨大すぎるため、ともすると理念だけで語られがちである。
しかし実際には、法制度も行政も税制も、一つ一つが社会を支える巨大な工学システムである。
だからこそ、より良い制度を考えるなら、思想だけでは足りない。
試験し、検証し、改善し続ける姿勢が欠かせない。
私は、その意味で社会制度もまた、一種の工学であると思っている。
◆文明は一夜で進化しない
私は、未来の文明供給装置は、おそらく革命によってではなく、地方自治体のような小さな単位での試行錯誤から育っていくのではないかと思っている。
国家全体を一度に作り替えるのではない。
小さく試し、学び、改善し、その成果を少しずつ広げていく。
それは工学におけるプロトタイプ開発にも似ている。
文明供給装置もまた、一つの巨大な社会インフラである以上、その進化は設計図だけではなく、現実の運用を通じて育まれるべきものなのだろう。
かつて中央が資本主義で稼ぎ、地方へ社会主義的に配ることで、日本という文明供給装置は全国へ均質に行き渡った。
同じように、次の改良は、中央から一気に始めるのではなく、地方という末端から静かに始まっていくのかもしれない。




