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緋眼のアイリス  作者: 惰浪景
第三章

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閑話3-6 久世努

 ピッ――ピッ――


 規則的な電子音が暗い一室に鳴り響く。

 覚醒した意識にアルコール消毒の独特な香りが鼻につく。


「夢……か」


 俺は波を打っている心電図を横目に身体を起こそうとしたのだが……


「いっ……」


 両方の脇腹に走る鋭い痛み。

 その痛みを堪えながらなんとか上体を起こし、視線を窓の外の暗闇へと向ける。

 あの遊園地に行った日。

 それが俺たち“家族”の最期の日になった。


 あの日――


 最後の家族サービスを終えた俺だったのだが、結局妻には別れを切り出すことができなかった。

 

 娘の成長をもう少しだけ見守れないか。


 遊園地で楽しい1日を過ごした最後。

 傾き始めた陽光に照らされる観覧車のゴンドラの中。

 外の景色に目を釘付けにして妻にあの建物は何? と無邪気に聞く娘の姿。


 その微笑ましい姿を眺めながら俺はそんな風に考えていた。

 

 だが――


 妻に俺のその甘さを見抜かれたのか。

 いつまで家族として過ごしてもいいのかと考え続け眠りについたその翌日。

 いつものように朝食を作るためにキッチンに立つ妻の姿はどこにも無かった。


 月曜日なのに学校の支度をする娘の慌てた声もなく。

 ただ、窓の外から聞こえてくる小鳥の囀りだけがやけに広く感じる家の中に響いていた。

 

 まるで時間という概念が無くなったかのようなリビングで俺は呆然と一人、立ち尽くす。


 娘の未来にお前は必要ない。


 声の無くなった我が家は雄弁に俺にそう語り聞かせているような、そんな気さえした。

 それからはただ、何かから逃げるように家を飛び出し――


 気がつけば俺は公園に住みつき、借金も仕事も何も考えなくてもいい生活を送るようになっていた。


「葵……」


 今年で16歳になる娘とはあの遊園地の日を最後に顔を見ていない。

 俺は夢の中よりも少し年老いた己の手へと視線を落とす。

 あの日、ギュッと俺の手を握りしめてジェットコースターへと引っ張っていった娘。


 せめてその手の感触を忘れないようにと無意味に手に視線向ける自分の日課。

 今日見た夢のおかげで少しだけ鮮明にあの温かい体温が蘇った。


「ふっ……」


 自分のことながら随分と堕ちてきたものだ。

 思わず自嘲する笑いがこぼれた。


 その時――


「やぁ、今日はとても良い月夜だね」


 突如、静かに扉が開き、茶髪のロン毛をチャラチャラと揺らした男が現れる。


「こんな夜中に、誰だアンタ……?」


 俺の誰何に耳からぶら下がるピアスを揺らしながら怪しげな笑みを浮かべるチャラ男。

 コイツは、光と影のどちら側の人間でもない。

 影も光も全てを飲み込もうとする闇の住人だ。


 心臓がドクリと跳ね、警告信号を鳴らす。


「おや、俺のことを知らないんだね」

「あぁ知らんな、新宿でホストでもやってんのか?」


 まぁ、俺はNo.1ホストだなんてことを本当に言おうもんなら鼻で笑ってやるだけだが。


「結構有名人になったはずなのに傷つくな〜」


 そう言ってその男は懐に手を伸ばすとタバコの箱を取り出す。

 どうやらモラルなんてものは持ち合わせていないらしい。

 一本タバコを取り出すとなんの躊躇もなく火をつけて口に咥えた。


「院内でタバコを吸うな、小僧」


 俺の注意に対してチャラ男は肩を竦めるだけ。

 そして、おもむろにタバコを口から外すと、肺の中の煙を吐き出した。


「俺の仲間にならない? 久世努さん」

「あぁ?」


 コイツは何を言っているんだ?

 

「名乗りもしなければ意味もわからない、おまけにマナーもなってねぇようなヤツの仲間だぁ?」

「そう、一緒にこの魔物に怯えるしかない現実を壊そう」

「……」


 いきなり重傷患者の病室に入ってきた挙句に意味のわからないことを宣うこの男。


「悪りぃが、宗教の勧誘はウチはお断りだ」


 怪しさしかない。

 逆にこの誘い文句で釣れるような間抜けがいるのかと疑いたいくらいだ。


「アハハッ……帰る家もないくせによく言うね」


 ただのホームレスの俺のことをどこまで調べたのか。

 俺はあの家を出て以来一言も口に出していなかったことを知った風に話す目の前の男を睨む。


「魔物のせいで仕事を失い、家族を失い、生活基盤を失い、プライドも失った」

「何が言いてぇ?」

「おっと、俺はあんたを馬鹿にしているんじゃない、同情しているんだ」

「てめぇなんぞの同情は不要だ」


 見ず知らずの気色の悪い男に同情されたところでなんのありがたみの欠片もない。

 ただただ寒気がするだけだ。

 揶揄いに来たのなら早く出ていけ。

 俺はそう視線で訴える。


 だが、その男は俺の視線など意にも介さず俺のベッドの脇に腰かけた。


「久世さん、俺もあんたと同じさ、現実という強大な敵を前になす術もなく全てを奪われた」

「……」


 窓から入ってくる明かりだけが照らす病室で男の目が赤い光を放つ。


「アンタは全てを諦めたみたいだけど、俺は違う」


 そう告げる男の目に宿るのは――

 長い人生で何度か目にしたことがある。

 

「奪われたものを取り返してやる」


 “狂気”だった。

 

「アンタを見捨てて出ていった娘と嫁だって……」

「黙れ小童」


 低く吐き捨てる。

 こんなヤツと一緒にされてたまるか。

 俺はその一心で真っ正面からその胡散臭い笑みを迎え撃つ。


「現実ってやつは確かに憎い」


 確かに、俺が仕事を失った一因に魔物を引き金とした不景気があるのは間違いない。

 

「うまくいかなかったことを全部現実のせいにすんのは楽だ」


 社会のシステムが悪い。

 時代が悪い。

 失敗を自分を取り巻く環境のせいにするヤツはごまんと見てきた。

 確かにそう言った要因が絡むことは否定しない。


「でもよ、それで己を全く顧みないのは怠惰ってもんじゃねぇか?」


 俺が今、帰る家もなく、こうして独りで病室のベッドに横になっているのは魔物だけが悪い訳じゃない。

 あの時、高騰する材料費の代替品として安価な粗悪品を安易な気持ちで使った決断を下したのは俺だ。


「俺ァ、自分の悪かったところから目を逸らして力ずくで全てを無かったことにするのはナシだと思うぜ」


 まぁ、そう言ったところでこの目の前の危険な香りを漂わせる男には伝わるまい。

 とにかく、睡眠の邪魔だから帰ってくれと俺は左手で追い払う。


「新興宗教の勧誘なら他をあたんな、変な数珠やら壺は俺は買わんし、買う金もねぇ」

「そうかい……そりゃ残念」


 怪しげな宗教のチャラ男はそんなに残念そうには聞こえない声音でベッドから立ち上がる。

 まぁ、こういうのは手当たり次第効率よく回るのが大事なんだろう。


 そんなことを考えながらそれを見送っていた。


 その次の瞬間。


 プスッ――


 首元に感じたチクリとした感触。

 それに驚いて痛みを感じた方へ視線を向ける。


 すると、そこには俺の首筋の注射針を突き立てる男の姿。


「テメェ!! 何しやが……る……」


 その男へ向けて怒鳴り声を上げた瞬間。

 急に目の前の景色が遠のいていく。


「どれだけの大口を叩こうが弱者は支配されるだけ。それがこの世の論理なのさ……」


 その言葉を最後に俺の意識は急速に闇の中へと溶けていった。

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