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緋眼のアイリス  作者: 惰浪景
第三章

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閑話3-5 久世努

 その後も職安と家を往復するだけの日々が続き。


 迎えた日曜日。


 なんとか遊びに行くだけのお金を工面できた俺たちは馴染みの遊園地の最寄駅に降り立った。


 改札を抜け、案内と記憶に従いながら進むことしばらく。

 俺の記憶よりも少しくたびれて、所々浮かんだ錆を補修した跡が目立つゲートが俺たちを出迎えてくれた。


「最後にここに来たのは葵が小学校に上がりたての頃だから――」


 心なしかいつもよりも穏やかな表情を浮かべる妻。

 いつのまにかまた皺が増えた目元は久しぶりに弧を描いていた。


「もう、随分と久しぶりね」

「だな……」


 あの頃は自分たちの未来は明るいものだと信じていたし――

 その道を切り拓く力が自分にはある。

 仕事が軌道に乗っていたこともあり、そんな風に思っていたものだ。


 一寸先は闇、とはよく言ったもんだ。


 それがまさか、魔物なんてものが現れて世界が激変するなんて夢にも思わなかった。

 ……いや、今日はとことんまで楽しむって決めたんだ。


 暗いことを考えるのはナシだ。


「お父さん、大丈夫?」


 チケット売り場の前でボーッと立ち尽くしてしまっていた。

 金ならしっかりと準備してきたんだ。

 要らぬ心配をかけさせないようにしねぇと。


「あぁ、大丈夫……ってフリーパス4000円だぁ⁉︎」


 おいおいおい!!!!

 こんなボロい遊園地で4000円なんてぼったくりもいいところだろ!!!!

 大体、前に行った時は大人2000円だったのになんでこんな馬鹿みたいに値段が上がってやがるッ。


「いくら物価高だからって限度ってもんがあるだろ!」


 チケット売り場に掲示された、以前ここに来た時に比べて、随分と上がっている料金。

 それに思わず文句を垂れてしまった。


 やべぇ、やってしまった……!


 そう思った時にはもう遅い。

 両隣から娘と妻の冷たい目線が突き刺さる。

 要らぬ心配をかけないようにと自分に言い聞かせた矢先の失態。

 

 どう取り繕ったらいい。


 そんなことをうだうだと悩む前に行動する。

 町工場の時代に染みついた癖がこの状況を打開するための最適解を自然と出していた。


 いつのまにか右手に握られていた一万円。

 それが自動券売機のお札の投入口へと吸い込まれていく。


 ピッ。


 受け取り口から三枚のチケットが吐き出されてきた。


「お父さん……ホントに大丈夫?」


 葵が眉を顰めて俺の顔を見上げた。

 遊園地に行く前、新しい靴や服を買ってあげたのだ。

 だからこそ俺の懐事情が心配なのだろう。

 

 だが、問題はない。


 親父から結婚祝いに貰った形見の腕時計を売ったんだ。

 懐にはまだ多少の余裕はある。

 本来なら少しでも借金の返済に充てるべきなのだろうが……

 

 返しきるあてもない借金の補填。

 そんなものに使うより娘や妻に餞別として少しでもいい思いをしてもらった方がよっぽどマシだ。


「今日のために父ちゃん頑張ったんだから大丈夫だ」


 時計がなくなり、少し軽くなった左腕。俺はその手をそっと葵の肩へ置く。

 葵はその手をジッと見つめたあと小さく息をついた。


「ならいいんだけど……」

「まぁ、そういうことだから心配すんなって」


 俺は安心させるようにニカっとした笑みを浮かべてその小さな肩を入り口のゲートへと向けさせる。

 子供たちの弾むような声。

 風船を持ったマスコット。

 魔物なんてものが現れ、その対処に右往左往する世界。

 そんなものは感じさせない休日の喧騒の中へ俺たちは足を向けたのだった。

 

「よーし、葵、どれから乗ろうか?」


 好物は先に全部平らげてバランスよく食事を摂りなさいといつも妻に言われる葵のことだ。

 ジェットコースターあたりが一番最初に来るはずだ。

 正直、チンケなジェットコースターでも俺は怖い。


 とはいえ、今日は葵を楽しませる日なんだ。

 我慢だ我慢。

 そう自分に何度も念仏のように言い聞かせていると葵が遠慮がちに腕を伸ばす。

 

「じゃあ……アレから乗る」


 葵がそう言って指を差した先は――


 少し赤錆の浮いた鉄骨で組まれたどこにでもあるようなジェットコースター。


 ではなく。


 その下――

 タイヤで囲われた広場に何体か置いてあるパンダなどの動物を模した乗り物だった。


「……アレがいいのか?」


 乗っているのは一番大きな子でも精々、小学校低学年くらい。

 もうすぐ中学生になる葵が楽しめるような代物か……?

 戸惑いながら葵の顔を覗き込む。


「うん、アレがいい……」


 葵はいつもの表情のまま、平坦な声でそう告げる。

 とてもあの年季が入り、薄っすらと茶色が混ざり、リアルなパンダに近づいた“アレ”に乗りたいという顔ではない。


 でも、娘が乗りたいと言っているのなら乗せてあげるのが父親ってもんだ。

 俺は財布を取り出すと並んでいるパンダのうち比較的状態のいいものへ歩み寄ると頭の後ろあたりを覗き込む。


「500円……」


 クッ……いい値段をしてやがる。

 元々はもっと安い値段設定だったのだろう。

 上から被せるように貼られた綺麗な500円と書かれたのシールがやけに腹立たしい。


「葵……やっぱりジェットコースターにしないか?」


 何に乗りたい?

 そんな格好つけたことを聞いておいて500円をケチってフリーパスで乗れる乗り物へ誘導する。

 結局、俺はこのパンダ同様、大人という薄汚れた生き物なのだ。


 500円。


 ハンバーガーくらいなら買えるしスーパーで何品かは買える値段だ。 

 それを“コイツ”に支払うのは非常に惜しい。

 そんな気持ちが沸々と湧いてきてしまった。


「ジェットコースター……」


 そんなにパンダが好きだったのか……?

 口惜しそうにジッとパンダを見つめる葵。


「お金、大丈夫なの……?」

「ん……?」


 金ならもう既にフリーパスを買ったんだから支払ってあるはずだが……

 

 ――なるほど。


 家族で遊びに行く機会なんて中々作ってやれなかったからだろう。

 この薄汚れたパンダ以外の乗り物に乗れるフリーパス。

 葵は、そんな持ってるだけで偉くなったような気になれるチケットの存在を知らないのだ。


 どうやらまた俺は小さな娘に気を使わせてしまっていたらしい。

 

「大丈夫だ! 葵、お前の持ってるチケットを見てみろ」

「これ……?」


 葵が細長い紙を取り出して俺に向かって掲げて見せる。

 俺はそのチケットがこの“遊園地”という敷地でどれだけのパワーを発揮するのかを丁寧に説明してあげた。


 そして――


 全てを理解したのだろう。

 葵の口角がゆっくりと弧を描く。

 

「ジェットコースター……! いこっ!!」


 パンダの時に比べ、弾むような足取りで俺の手をギュッと握り締めて引っ張る葵。

 俺は苦笑いを浮かべながら妻と二人でそのあとを追っていく。


 本当に可愛いヤツめ。


 でも、目に入れても痛くないほどに可愛いからこそ――


 己という存在は、この子がこれから歩みを進めていく人生で重荷にしかならないんじゃないか。

 らんらんとジェットコースター乗り場へ向かう背中。

 それを見つめながらそんな考えがまた頭の中で渦巻いていた。

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