閑話3-4 久世努
仕事とは――
己に存在価値を与えるもの。
生きるためには避けては通れないもの。
家族養うために頑張るもの。
それが俺にとっての仕事の定義だった。
だが――
自分に誇りと自信を与えてくれていたはずのものは、ある日を境に突然崩れ落ちた。
山も谷もあった。
それでも順風満帆だったはずの人生。
それが狂っちまったのは、あの日。
魔物なんてモノが現れてからだった。
日に日に高くなっていく材料費。
次第に手に入らないものが増えていく日々。
街で暴れ色んなものを壊して回る魔物。
俺の町工場が吹き飛んじまうのは一瞬だった。
作れば作るほどに赤字が積み上がる。
このままじゃ――
大切な社員を満足に食わせることもできない。
その考えで焦ってしまったのだろう。
後から考えれば何を馬鹿をやってんだよって話だ。
当時経営を立て直すことに必死になってモノづくりの基本を見失った間抜けの俺がとった手段。
それは高騰する材料、手に入らないものの代替品として安価な粗悪品を使うことだった。
結果――
大きな不良が出て、信用を一気に失い、ただでさえ傾いていた経営は一気に倒れてしまった。
娘や妻にはなんて言えばいいのか。
学費は?
家のローンは?
車は手放す?
社員たちの次の就職先は?
そんなことが頭の中を駆け巡る日々。
工場を畳むための諸々の処理を終えた頃。
俺に残されたのはローンが残っている家と守るべき家族。
そして――
膨大な額の負債だった。
家を売って、とにかく必死に働こう。
そう決めて就職活動に励んだのだが――
魔物のせいで日経平均が4000円を割り、日本が滅亡するなんて騒がれていた最中だ。
50歳のオヤジなんて欲しがる会社なんて中々見つかるわけもない。
毎日毎日、職安からトボトボ帰るのを繰り返していた。
笑いで溢れていたはずの俺の家庭はいつの間にかため息だけが満たすようになり――
俺さえ居なければ――
そんな考えが少しずつ、確実に俺の頭の中を侵食していった。
そして、いつものように歯抜けのようにスカスカの求人票の棚を眺めるだけで帰路についたある日。
「はぁ……」
吐き出した吐息は白く染まり、冷たい夜空に溶けていく。
下を向くんじゃねぇ。
そう己に言い聞かせて顔を上げる。
冬の澄んだ空気の向こう、燦々と輝く星々が街の喧騒を見下ろす。
「ちくしょう……」
思わずそんな言葉がこぼれてしまう。
それは直視するには辛すぎる“現実”へのものだったのか。
それとも、少ない求人票の中で気がつけば”経験者歓迎“と書かれたものを探す己に対するものだったのか。
それは自分でもわからない。
でも――
この積み上げてきたものが全て更地になったこの現実と向かい合わないことには前に進めない。
それだけは確かだった。
「もうこれ以上、娘と妻をこんな借金まみれのダメ親父に付き合わせる訳にはいかねぇ」
定期的に来る督促状。
日々差し押さえの日が近づいていることを感じさせる日々。
もう――俺には家族を守る力が無い。
今までずっと隣で支えてきてくれた妻の横顔が思い浮かぶ。
アイツが最後に笑っていたのはいつだったろうか。
仕事を失っても変わらず支えると言っていたひたむきな目。
その美しく真っ直ぐな瞳に惹かれたはずだったのに――
いつからだろう。
目線を合わせるのが怖くなったのは。
「別れた方がアイツのためになるはずだ……」
そして、すっかり見慣れてしまった職安からの帰り道。
俺はついに我が家の玄関前までやってきた。
いつものようにドアノブへ手をかける。
たったそれだけの動作がやけに重たく感じた。
ガチャリ。
ゆっくりと扉を開くと――
「あ、お父さんおかえり」
ちょうど階段から降りてきた娘の葵が出迎えてくれた。
「ただいま……」
「どう、だった……?」
母親譲りの艶のある茶色の髪を揺らし不安をできる限り隠そうとしているのが痛いほどわかる。
俺はゆっくりと首を横に振った。
「ダメだった……」
「そっか」
平気そうに答える娘。
でも、その小さな手は固く握り締められ、その視線はボロボロになった自分の靴に落ちている。
娘にまで気を使わせている。
オシャレだっていっぱいしたい年頃のはずだ。
それなのに、服も化粧品もアクセサリーも。
何一つ買ってやれない。
本当に俺ァ――
父親としてダメダメだな。
魔物が出るまでの間は仕事が忙しいなんて言って碌に構ってやれなかった。
その仕事がなくなれば、今度はお金が無いなんて言って我慢を強いる。
情けねぇな。
葵には父親らしいことなんてほとんどしてやれなかった。
そこでふと思う。
もし――
今日、妻に“別れよう”なんて言ったら、俺は葵に何もできなかったことを一生悔いるんじゃないか。
「なぁ、葵」
「なに? お父さん」
“お父さん”
最愛の娘にそう呼ばれる資格があるのもあと少しかもしれない。
だからこれは俺の――
きっと最後の家族サービスだ。
「遊園地……行かないか?」
「え……?」
家族こそが俺の生き甲斐だった。
もし、それにピリオドを打つのなら――
最後は楽しい思い出で終わりたい。
そんな俺の身勝手な願いに葵は小さな口をポカンと開けていた。




