88話
俺たちの足元、リニアの軌道を形作っている白いコンクリート。
それと同じ色の毛並みを持ち、腹部を赤く染めるネズミの魔物。
俺はその頭部から足先までをじっくりと観察した。
「アメリカの奴と微妙に違う……?」
「アンタ、原初個体を見たことあんの?」
「一応……夢、で……」
俺が女の子になった日の夜に見た地獄のような内容の夢。
それに出てきたネズミに比べると、牙が若干長いような……?
そう首を傾げていると横から突き刺さる琴音のジトーっとした視線。
「なに? アンタまさか、正夢とか過去視とか信じてんの?」
「いや、魔眼の影響で結構観る……」
「プププっ、ソレを本気で信じてるのね〜さすが、ソフィアちゃんは純粋ねー」
コイツ……
「琴音だってさっきお化けが怖いって泣き喚いてただろ!」
「はぁ⁉︎ あれはちょっと……」
「この年で幽霊を信じてる方がどうかしてるって」
そう言った――その瞬間。
「ひゃっ」
脇腹に突如走ったこそばゆい感触に思わず変な声が出た。
恥ずかしさで口を押さえながら、振り向く。
するとそこにはセイラが中腰の体制で俺の脇腹に手を伸ばしていた。
「フィアちゃん……幽霊は本当に居るんだよ〜」
「そ、それと私の脇腹を攻撃するのと何の関係が?」
「幽霊をバカにするから罰を与えているんだよ〜」
セイラがそう言いながら、手をワキワキと動かし近づいてきた時。
「はーい、遊んでないで真面目にやりましょうねー」
まるで幼稚園児を相手にするかのような垣守先輩の声が飛んできた。
「いや、私は真面目にやってたんですけど……」
「一緒にじゃれあってたら同罪だから」
「はい……」
まさか……いや、やっぱりか? 先輩のジャッジでは俺も問題児扱いだった。
大変不本意な枠に入れられたことに項垂れながら再びネズミの方へ近づいていく。
「それでどうエレナ? コイツはアメリカに居たやつと同じ個体?」
そういえばエレナはアメリカで実際に原初個体と遭遇したことがあるって言ってたな。
そう思いながらエレナの表情を伺うと彼女は神妙な面持ちで先輩の質問に首を横に振った。
「たぶん、違うと思います。原初個体に比べて牙が長い……」
「それ! 私も思いました!」
エレナもそう言うということは、やはり牙が長いのだろう。
そして俺のあの夢はやっぱり現実のものだった可能性が高い。
琴音が横からまた変な視線を向けてくるが関係ない。
俺は自信満々に先輩へ視線を送る。
「なるほど……」
先輩は顎に指を添えて考え込むと、おもむろにスマホを取り出し――
誰かと通話を始めた。
そして、しばらくして――
通話を切った先輩がAIデバイスをネズミ型の魔物の上に翳す。
「灯華っち、誰と電話してたの〜?」
「九重部長」
確かに先生なら魔物のことに詳しそうだ。
「それで、どうしてデバイスをネズミに?」
それで何か分かるのだろうか?
先輩にそう尋ねた、その時。
『……観測できた魔力波形は原初個体とは一致しない』
デバイスから先生の声がトンネルの中に響く。
『このネズミは灰原の眷属だろう。牙が伸長したのは吸血に特化したからだと考えられる』
先生の冷静な分析にエレナが小さく頷いた。
「なるほど、それでお腹じゃなくて顔面を目掛けて飛びかかってきた……」
確かに、夢の中のネズミたちも腑を中心に狙っていたので攻撃の対象は腹部だった印象がある。
「人間以外も眷属にできるんですね……」
『灰原がどのような手段で眷属を増やしているのかは不明だが……』
デバイスから聞こえる先生の声はいつもと変わらず平坦だ。
でも……どこか、針のような鋭さがあるように聞こえた。
『魔物を作り出すことが可能なのだとしたら……』
「だとしたら……?」
不自然に途切れた先生の言葉。
それの続きを促すように琴音が聞き返した。
『早急に排除すべきだろう』
排除……つまりは……その言葉の重さに思わずゴクリと唾を飲み込む。
元は人間だった魔物を討伐する。
先生の“排除すべき”との言葉は改めてその重たさを突きつけている気がした。
『魔物である灰原を排除できるのはキミたち魔法少女のみだ。……すまない』
その謝罪にはきっと、大人にしか分からない苦々しいものがたくさん詰まっているのだろう。
そう思ったのだが……
「先生が謝るなんて珍しい……」
口からポロリとそんな言葉がこぼれ落ちてしまった。
まずい――
慌てて自分の口を押さえて、恐る恐る垣守先輩のデバイスを覗き込む。
『はぁ……心配は要らなかったか?』
「い、いえ! ありがとうございます!」
何に対しての“ありがとう”なのか。
自分でもそうツッコミを入れたくなるほど変なことを口走っている気がする。
とにかく何とか取り繕わねば。
そう思った時――
「そうですね、アナフトリウムを生み出した方のその謝罪は不要です」
垣守先輩が唇を一文字に引き結び、瞳に揺るぎない光を宿しながら答えた。
そして、俺たちの方へと振り向く。
「ここまで来た時点でみんな覚悟は決まってるはずでしょ?」
結局、目を背け続けてきたこととはどこかで必ず向かい合う羽目になるのだ。
ここまでホイホイとやってきて己の手を汚したくありませんは通用しない。
久世さんを助ける。
俺は改めてその思いを胸に先輩の鋭い眼光を見返した。
「灰原を討伐するわよ」
全員の視線を受けた先輩が静かに告げ――
俺たちはそれに静かに頷きを返したのだった。




