クッキングクラブへようこそ⑤ 夕景のラジコン
「私のフルネーム、知ってる?」
「……新須、茉茶華」
「様を付けなさい」
「様……」
「もうひとつ」
「様様…………」
項垂れて、新須茉茶華の言いなりになっている僕の姿を見て、日比野は不思議そうに首を傾げる。
「え? なになに? どういうことですか?」
「やってくれるわね、あなたのクラスメイトも。小賢しくも私たちを騙そうとしてくれたわよ」
「えっ?」
話を聞いていたであろう英伊弦がこちらをじっと見ている。武郷アイナでさえもシリアスな表情に変わっているのだが、日比野だけはピンときていない様子で、今度は逆側に首を傾げる。
そんな様子に呆れたような息を漏らし、新須茉茶華は告げた。
「この子、やっぱり記憶を失っていないのよ」
「……ええええっ!?」
日比野は目を丸くし、僕の顔を見つめる。
「そ、それってつまり……」
「つまり、あなたのオールヌードもバッチリ記憶にあるってわけ」
「ぎゃー!!」
悲鳴を上げる日比野に申し訳ないような気もするが、同情している場合でもない。
こちらも記憶が消えたと判断されれば解放されるのではという望みが絶たれてしまい、どうすれば良いのか、自分のことで精一杯だった。
そんな下級生二人を眺める新須茉茶華の目つきは、どこか嗜虐的な感じがあった。
「でも問題は、どこまで詳細に記憶を留めているかよ。そうね、日比野さんがどんな下着をつけていたか、申告してもらおうかしら」
「うわぁぁぁ! もうヤですぅぅぅぅ!!」
頭を抱えて絶叫する日比野への慈悲というわけでもなかろうが、新須茉茶華はあっさりと話頭を転じた。
「なんて冗談を言ってる場合でもないのよね」
笑顔を消し、僕の顔をまじまじと見てくる。
今回は拘束されていないが、メドゥーサに睨まれたかのように動けない。
「あのパンケーキ、もっと効き目を強くすることはできないのよね?」
問いかけた相手は、傍らに来ていた英伊弦だった。
相変わらずの平坦な小声で答える。
「一応、もう一段階強力なものも動物実験は済んでる」
「あら、そうなの?」
「三日前、犬、猫、ネズミに、あのエキスの配合量を12%にしたパンケーキをひとかけら与えてみた」
「どうだったの? 大丈夫だった?」
「ああ。猫もネズミも無事だった」
「そう。それじゃ、今度はそれを食べさせてみましょう」
「いやいやいや! 犬は? 犬はどうなったの!?」
たまりかねて声を張り上げる。
よく理解はできないが、何かすごく危険な話をしているということだけはわかった。『あのエキス』とか、怪しいにもほどがある。
そんな僕のことは無視をして、英伊弦は話を続ける。
「でも多分無駄。ここまで効果があらわれないとなると、そもそも効かない体質だと推測される。量を増やしても同じ」
「あの、でも最初に目を覚ました時は、裏庭でのことなかなか思い出せなかったみたいでしたけど……」
「あれはパンケーキとは関係なく、頭を蹴られて一時的に記憶を飛ばしてただけ」
おずおずと口を挟む日比野に、英伊弦は抑揚なく、それでいて明晰に答えた。
愛らしい容姿をしているだけに、表情なく薄気味悪いことを話す様子は、背筋を冷たくさせるものがあった。
「そうしたら、どうすりゃいいんだよ? このまま帰すわけにもいかねえだろ」
離れた位置から武郷アイナが言うと、新須茉茶華はほんの少しだけ考える様子を見せ、
「そうね。殺すしかないかしらね」
ごくあっさりと言った。
学校の調理実習室で、制服をピシッと着こなした美人上級生が口にするにはあまりにもそぐわない台詞。それを向けられたのは僕。
あまりのことに、絶句、そしてフリーズ。
「ででででもっ! こ、殺すなんて!」
代わりにというわけでもなかろうが、日比野が慌てた様子で抗議めいたことを言ってくれる。
「み、水原くん、まあまあいい人だし……」
まあまあらしい。
「それに、ごくたまに宿題見せてくれたりするし……」
ごくたまにって頻度じゃないだろ、オイ。
「あと、おこずかい足りないときはお金くれそうだし……」
何をほざいているんだ、貴様は。
「だから、殺すなんて、そんなの………」
「あのね日比野さん、あなた勘違いしてるかもしれないけど、殺すっていうのは、息の根を止めるって意味なのよ」
新須茉茶華に諭すような口調で言われ、一瞬考える様子を見せるが、
「いや、そのまんまじゃないですか!」
さすがにそれで言いくるめられるほどの阿呆の子ではなかった。
そんな日比野に、新須茉茶華は今度は厳しめの口調できっぱりと告げる。
「でも、彼は私たちの秘密を知ってしまったの。記憶が消せないとなれば、彼自身の存在を消すしかないのよ」
「でもっ……」
「ううっ!」
突然頭を抱えて蹲った僕に、皆の視線が集中する気配。
声に出さずに十秒カウントして、僕は顔を上げ、周囲にきょろきょろと目線を走らせ、己の両の手のひらを見つめる。
「…………ここはどこ? 私は誰?」
全てが凍りつくような沈黙は、何秒だったろうか。
「でも、だからって、殺すなんてそんなひどいこと……何か他に方法はないんですか?」
……日比野にすら相手にしてもらえなかった。
でも、僕を庇おうとしてくれるのはとてもありがたかった。少し抜けてるところはあるが、心根が優しい奴なのだ。
懸命に新須茉茶華に抗弁してくれるクラスメイトの姿を、僕は感動とともに見つめる。
「そうだ! パンケーキが効かないんだったら、記憶が飛ぶまでみんなでタコ殴りするとかどうでしょうか!」
「日比野さん?」
素っ頓狂な声で、思わずさん付けしてしまう僕だった。
「よーし、そういうことならまずオレがワンパンぶちかましてやるか!」
武郷アイナが指の骨をゴキゴキ鳴らし、ご機嫌そうにそんなことを言い出す。
僕は震え上がり、どうすればいいのか、何を言えば助かるのか、必死で考えるが、答えは出なかった。
厳密に言えば、答えが出る前に、ある変事が勃発した。
「!」
一瞬で武郷アイナの顔から笑みが消え、険しい表情を窓の方に向ける。
つられて、僕を含めた皆もそちらの方を見る。気がつけば夕刻間近、薄っすら橙色がかかりはじめた空がそこにあった。
「来るぞ……」
武郷アイナがそう言うのとどちらが先だったか、どこかから微かにバラバラバラと何かの音が聞こえてくる――遠くでヘリコプターかなにか飛んでいるような、そんな音。
武郷アイナだけではなく、英伊弦も、新須茉茶華も、そして日比野乃々美も、これまでにない緊迫した表情を浮かべている。
「アイナ、ドロップは持ってるわね?」
「ああ」
頷くと、武郷アイナはポケットから小さな包み紙を取り出した。
プロペラ音はどんどん大きくなり、夕景近い空を映し出す窓の向こうに、四つの飛行物体が現れた。
「ラジコン飛行機……?」
まさしく男の子たちの憧れ、僕も小学生の頃に遊んだ記憶のある、ラジコン飛行機そのものだった。
大きなプロペラをつけたヘリコプタータイプが上から二機、何十年も前の戦争時に使用されていたシンプルなデザインの戦闘機二機の計四機が側面からその勇姿を現す。
「実際には零戦にあんな大きなミサイルを搭載できるわけないのに。あいつららしい下品な改造ね」
特に驚く様子もなく、新須茉茶華は忌々しそうに毒づいた。
言われてみれば確かに、その戦闘機には機銃の他、両翼の下には軽量そうな機体に似つかわしくない大きなミサイルが据えられている。
ヘリコプターにも機関砲とロケット弾の発射口らしきものがついており、かなり本格的で精巧な造りであることが見てとれた。こんなシチュエーションでなければ、男の子心を大いにくすぐられていたことだろう。
が、今は嫌な予感しかしない。果たしてあれはただのラジコン機なのだろうか。
四機ともこちらの方を向いている――つまりは銃火器もこちらへと向けられている。
「四機ね……アイナ、こっちにはお荷物もいるし、あまり援護できないかもしれないけど、やれるわね?」
「へっ、援護なんていらねえよ」
不敵な笑みを見せ、武郷アイナは包み紙をといて、中にあった固形物を口に放り込んだ。
全身を震わせ、ほんの一瞬赤髪を逆立たせ、気合いに満ち満ちた顔つきになる。
「よーし、来いやぁ!」
先刻、裏庭にて獣と化した日比野と向かい合ったときと同じ、何らかの格闘技の構えをとり、外の戦闘機を鋭く睨む。
僕は校内放送から聞き覚えのない音楽が流れてきた時の、彼女たちの奇妙な会話を思い出していた。
あの時、確か『敵襲』という単語が出てきていた――
「え……?」
一機の零戦からミサイルが発射される。
まるで現実感のない瞬間を、僕ははっきりと目撃した。




