笑顔は戦う顔
大きな階段を二人して登る。保健室がある一階から三階の教室へ。
一階から踊り場に来て、ここで茂木加奈子と出会ったなあと真田は思い出す。そしてタールの背中を見た。制服と同じハートマークがついた体操着を着た人間界の異分子。
「…………」
二階に上がり切って、次の踊り場に向かう途中、真田は思わず声をかけた。
「タール」
タールは二階から踊り場までの階段の中腹で止まり、こちらを向いた。
パッチリ開いた目を向けられ、その奥の煌めく黄金の瞳を見て、真田は一瞬気圧された。姉や父親に睨まれた時と同じプレッシャーを感じ、同時にその二人とは違い睨まれた訳ではなく見られただけなのに同じくらい震え上がっているのだから、タールが魔王の血を引いているのは間違いないと感覚で確信した。
そして同時にヒーローの子であるとわかった。ヒーローは雰囲気でヒーローだとわかる。昨日のナイフの少女が能力者でないとわかったのもその感覚からだ。
「……辛かったの? 魔界は」
なぜかタールは答えなかった。ただ無表情にジッと見下ろしてくるだけ。
真田は緊張してさらに問いを重ねる。否、初めは問いかけるだけのつもりだったが、自然と、自身の吐露に変わっていた。
「わ、わたし……魔法を覚えて、それでそれは魔界の、魔王や魔物の人間が忌み嫌うべき技だった。私は……私は、姉様に勝ちたかった。姉様は強くてね。本当強くて。必死に追いつこうとした、でもダメで、それで闇に誘い込まれるように魔法を覚えた。覚えた瞬間は嬉しかった……でも、そのあと魔法を見せた姉様から……“穢らわしい”と言われた…………」
タールは何も答えない。
なぜ自分はこんなに喋っているのかわからなかった。まるでタールに引き込まれるように、自分の中のわだかまりが露出する。
「私は間違えたんだ。魔法なんて覚えなければ、姉様から逃げることもなかった………今も、姉様と一緒にいられたはず……けど、私は、もう戻れない……穢らわしい私は変えられないからッ」
「真田」
いつのまにか顔を伏せていた真田は、間近で聞こえたタールの声に腰が抜けるかと思った。
そして真田が顔を上げる前にタールが真田の顔を両手で挟み込んで、無理矢理顔を上げさせた。顔を上げてみたタールの顔は変わらず無表情だった。
「真田」
「な、なに?」
「笑顔の仕方ってわかるか?」
「………へ?」
「オレにも姉さんがいてさ、まあその姉さんも真田達からすれば魔王の子供だけど」
「タールの姉……魔王ゴールドの、娘」
タールの父、魔王ゴールドの事は教科書に載っている。魔王ゴールドの子供は四人。一番上に長兄チュール・キラーコラン、二番目に長女チュール・ナユータライブ、三番目に次女チュール・ユユレイン、四番目に次男タール。
真田は教科書ではタールを次男と知っていたから、実際に会って女の子の見た目をしていて驚いた覚えがある。今では次男というのに違和感がある。
「長女ナユータライブと次女ユユレイン? ど、どっち?」
「……そーいやナユータ姉には一度も会ったことないな。ユユ姉の方だ。ユユ姉はとにかく生まれて間もないオレに構ってくれてさ、そこで笑顔の仕方も教わった」
ぐにー、と頰を押し上げられる。
「にぃっ、と力いっぱい歯を食いしばって笑顔の形を作って」
ぱっ、とタールは口を開いて見せた。
「ぱっ、と口を開けて笑うんだ」
つられて真田も口を開ける。戸惑いの方が大きいので目は笑っていなかったが、口の形だけは笑顔だった。
「に、ぱ?」
「にぃはにぃは」
「にぃ……は? には?」
「にぃはに、には、にぃにぃ」
「ちょ、ちょっと待って、頭おかしくなりそう……というかなんでこんなこと?」
見ればタールの方も口だけは笑っている。
タールは後ろ足で階段を軽快に登り、真田から離れても、その口のまんまでいた。
「笑顔はな、戦いの顔なんだ」
「え?」
「戦いは開き直ったもん勝ち、開き直る時、みんな笑顔だ。だから笑顔の練習しときゃいつだって笑顔でいられる。どんなキツイ状況でも笑顔で開き直ればどっかに道はできるもんさ」
「タール……」
「魔界は辛かったって? 辛かったよ。でもオレはユユ姉から教わった笑顔の仕方でおもっきり笑ってやって、周りを全部友達にしてやった。そしたら居場所は出来てたよ。虐められた時も痛い時も苦しい時もあったけど、笑顔でいて……そしたら親友も、かけがえのない友達も、仲間も沢山できた。
そうやって続けて行って、辛い中でも自分の“生”を見つけて創り上げて、最終的に、わだかまりもなくなって心の底から笑えるようになれたらいいんじゃないかな……誰だって、一生に一度は最高の笑顔をしたいと思うだろ? 笑顔ができる世界に生まれたんだから」
「……ふふっ、なんか、かなり昔に父様が聞いてた曲を思い出したわ。けどありがとう。間違ってたって、開き直って仕舞えば良いって事ね………でも、でも」
真田はタールの笑い方を真似ながら、無理矢理頰を手で押し上げて、泣いた。
「でも私は姉様が好き……一緒にいたい」
「なら会いに行くか?」
「………」
「オレは魔王だ。お前の姉さんがどこにいようが、人間界のルールには縛られない。なんなら仲間にも協力してもらって力づくで無理矢理にでも姉さんの元に連れて行ける。姉さんの所に行くまでの手助けはするから。行くか?」
「……ルールに縛られてる訳じゃないよ、タール。私は私に縛られてる。私が行くかと聞かれて行きたくないと感じたから、まだ行く気はないかな。でも決心はつけるよ。足りないものが見つかるまでここにいて、いつか、姉さんにもう一度立ち向かう。穢らわしいと言われて腹立ってるのもあるし」
「正直だな」
「私だって人間です、感情はあります……なんて、えへへ」
「……でもその決心は早めの方がいいかもな」
「ん? なんで?」
「今年中に世界が終わるから」
「へ?」
「あとオレも今年中に……ん……えーとずっと一緒にいられる訳じゃないから、だから———」
———遅刻だ、魔王の息子。並びに真田村雲と茂木加奈子。
真田とタールが一緒にいると、唐突に誰かから声をかけられる事が多い。さらにその声はどことなく敵意を帯びている。
声がしたのは上の階、見下ろしていたのは今朝校門前でタールを注意していた男教師、担任の高天ヶ原だ。
「保健室に行けと指示したのは私だが、それにしても時間がかかりすぎだ。魔王相手は手こずったか?」
「た、高天ヶ原先生! すみません! あ、でも加奈子は……」
「すみません、遅れました」
ちょうど良いタイミングで茂木加奈子が階下から上がってきた。
「茂木加奈子、校長の孫娘だからと言って多めに見てもらえるとは」
「思ってません」
「……ふん。で、魔王の息子、この二人はお前を世話していたという事でわりかし多めに見てやれるが……お前はどうなんだろうな。魔王の息子。魔王相手に温情を向ける義理があると思うか? ヒーロー高校の教師に? どう思う?」
「? やりたいようにやればいいんじゃねーの」
「………あ?」
不思議なものを見るような顔で、無表情なのにそんな風に見られていると感じた高天ヶ原は、イラついた。
ガンガン、と力強く階段を降りる。
「俺はなぁ、ヒーロー高校の教師なんだよ。学校ってのはその学校に染まらなきゃならねぇ。商業なら商業のノリに、工業なら工業のノリに、ヒーローならヒーローのノリに。ヒーローの名目はヒーローだ、悪役がいなきゃ“ヒーロー”はなりたたねぇ。魔界や魔王を相手にして勝つことが目的だ。そんなヒーローの学校にいる教師はテメェに対してどういう姿勢であるべきか……」
ガン!とタールよりも二段上に来た高天ヶ原は、イラついた顔を隠そうともせず、犬歯を剥き出しにして吐き捨てる。
「敵だ。テメェは、敵なんだよ。教師にとっても」
「じゃあ、アンタのノリはなんなんだ?」
「は?」
「ヒーロー高校のノリに合ってんのか」
触れたら爆発しそうなくらいイラついている高天ヶ原に対し、タールはいつもの無表情ながら飄々と言葉をぶつける。それら全てが高天ヶ原にブッ刺さっているようで、高天ヶ原はさらにイラ立つ。
「ついた職に合ってるも合ってないも……」
「郷に入れば郷に従えと、十二の国がある魔界でそんなことわざがあってさ。でもよ、その郷がオレより弱かったら従う必要ねーよな」
「は?」
突然、タールは下から上に高天ヶ原を殴りつけた。本来階段の上にある者の方が有利なはずだ。攻撃も当てにくい上に、攻撃を仕掛けた負担も大きい。だが高天ヶ原の巨体はタールの小さな拳に吹っ飛ばされた。
踊り場まで吹っ飛ばされた高天ヶ原は、壁に背中がつく前に踏ん張って止まった。
一瞬———高天ヶ原は笑った———が、それをすぐに引っ込めて憎ましげにタールを睨む。
タールは階段を上がりながら、高天ヶ原を殴り飛ばした腕をぷらぷらさせて、
「ヒーローなら戦えよ」
それを聞いた途端、高天ヶ原はもう我慢ならなかった。目は笑ってないものの、口は豪快に笑って、大声を出す。
「くは! 許すぞ! 俺に勝てたら、私服を許す!」
「え、マジ?」
「くそ! 我慢しようとしたがもうダメだ! テメェ! 俺の教師人生をかけた戦いに付き合え!」
左手の薬指についた指輪を外し、ポッケにしまって、その左手で渾身の拳をタールに叩き込んだ。
「っ!」
腕で受け止めたタールの体は浮かび、下の階にいた真田の頭上を越えて、階下に落ちた。
「この威力……やっぱアンタ、オレを見た時から戦う気満々だったろ。けど変なこじつけしなくてよかったじゃねーか」
「けっ。場所変えるぞ、ネズミ頭」




