勘違い義妹の『舞踏会作戦』
王宮の夜会は、社交界における最大の決戦場である。
煌びやかなシャンデリアが眩いばかりの光を放ち、最高級のシルクやレースを身に纏った貴族たちが、言葉の刀を交わす華やかな宴。
私、エレノア・フォン・アルスターと、婚約者であるルーカス・フォン・レーヴェンハイト様は、王宮別館の控え室で舞踏会の開幕を待っていた。
「……エレノア。本当にあのまま控え室に入って大丈夫なのかい?」
ルーカス様は私の腰を抱き寄せ、少しだけ心配そうに私の顔を覗き込んできた。サファイアの瞳には、私に対する深い慈しみと、ほんの少しの過保護な熱が宿っている。
「ええ、大丈夫ですわ、ルーカス様。リリアンが今夜の舞踏会で何かしらの『大作戦』を敢行しようと息巻いているのは、昨夜の彼女の独り言……いえ、高らかな宣戦布告で分かっておりますもの」
「『手料理も薬もダメなら、物理的にお姉様を舞踏会に出られないようにしてやるわ! 舞踏会に出られないお姉様の代わりに、私がルーカス様のパートナーとして社交界に華々しくデビューするのよ! ざまあ見やがれですわ!』……だったかい?」
「ええ。屋敷の廊下で大声で叫んでいらっしゃいましたから、侍女たちもみんな苦笑いしておりましたの」
私は呆れ半分、苦笑半分で溜息をついた。
リリアンはこれまで『手料理撃沈作戦』『惚れ薬自爆作戦』と二連続で惨敗しているというのに、その折れない心だけは立派と言うべきか。彼女の中では、過去の失敗はすべて「お姉様の卑劣な罠」であり、自分の魅力や作戦に落ち度があったとは1ミリも思っていないのだ。
ルーカス様は私の髪筋を愛おしそうに指で弄りながら、フッと冷ややかな笑みを浮かべた。
「全く、学習能力のない義妹君だ。……いいかい、エレノア。彼女がどんな愚行に出ようとも、君が傷つく必要は一切ない。私がすでに完璧な手配を済ませてあるからね」
「まあ、完璧な手配……ですの?」
「ああ。君がどのようなトラブル——例えばドレスが汚れたり、破れたり、あるいは火がついたり(あり得ないとは思うが)——に巻き込まれたとしても、一瞬で解決できるようにね」
ルーカス様の準備の良さは、時に私の想像を遥かに超えて狂気じみていることがある。けれど、その根底にあるのは私へのあまりにも深く、重すぎる愛なのだと思うと、誇らしくも愛おしい。
「では、私はそろそろ専用の着付け室へ向かいますね。リリアンが私のドレスを破りに来るのを、楽しみに待つといたしますわ」
「ああ、無理はしないでおくれ。何かあればすぐに私を呼ぶんだよ?」
ルーカス様は私の額にそっと唇を寄せると、名残惜しそうに私を送り出してくれた。
───
王宮の貴婦人用着付け室。
ここは舞踏会の前に髪型やドレスの乱れを整えるための広々とした部屋だ。
私が侍女を下がらせ、一人で鏡の前に立ってドレスの裾を整えていると、ドアが静かに開き、忍び足で誰かが入ってきた。
鏡越しに視線をやると、そこには気合の入りすぎた真っ赤なドレスに身を包み、手に大きめの裁縫用ハサミを握りしめたリリアンが立っていた。
(……ハサミを裸で持って歩くなんて、危ないわね)
私は心の中でツッコミを入れつつ、気づかないフリをして鏡を見つめ続けた。
「ふふふ……お姉様、隙ありですわ!」
リリアンは忍び寄るなり、背後から私のドレスの裾へ向けて、サクサクッと勢いよくハサミを入れ始めた。
「まあ! リリアン、何をなさっているの!?」
私はわざとらしく驚いてみせた。
私の着ていたドレスは、ペールブルーの上品なシルク地だったのだが、リリアンのハサミによって裾が見事に切り裂かれ、内部のパニエが丸見えになってしまっている。
「あらあら露わに、あはは! ごめんなさいね、お姉様! ハサミが滑ってしまいましたの! あら嫌だわ、私の手が勝手に動いてしまって、お姉様の美しいドレスがこーんなに破れてしまいましたわ〜!」
リリアンはハサミを放り投げると、口元を扇子で隠して、これ以上ないほど胡散臭い「嘘の謝罪」を述べた。その瞳は歓喜に狂わんばかりに輝いている。
「どうなさいますのお姉様? 襟がズタズタで、パニエまで丸見えのそんな惨めな破れドレスでは、舞踏会の会場に入ることすら許されませんわよ? ましてや、完璧なルーカス様のパートナーとして隣に立つなんて、アルスター伯爵家の恥晒し以外の何者でもございませんわ!」
リリアンは私を見下し、勝ち誇ったように胸を張った。
「可哀想なお姉様。舞踏会を前にして、着ていくドレスがなくなってしまうなんて……。でもご安心なさって? お姉様が体調不良で欠席なさると、私からルーカス様にちゃんとお伝えしてあげますわ。そして、パートナーを失って困り果てているルーカス様のために、この可愛いリリアンが代わりにエスコートされて差し上げますもの!」
「リリアン……貴女、わざと私のドレスを……」
私がショックを受けた(フリの)声で呟くと、リリアンは「おーほっほっほ!」と高らかに高笑いを響かせた。
「さようなら、お姉様! 今夜こそ、ルーカス様の本当の運命のお相手が誰なのか、社交界の皆様の前で知らしめて差し上げますわ! 悔しかったら、その惨めな破れ姿で指を咥えて見ていらっしゃい! ざまあ見やがれですわーっ!!」
リリアンはドレスの裾をひらひらと翻し、勝ち誇った顔で着付け室を飛び出していった。
静まり返った着付け室。
私は切り裂かれた自分のドレスの裾を見下ろし、小さく息を吐いた。
「……全く、上等な生地でしたのに、勿体無いことをする子ね」
まあいいわ。ルーカス様の「完璧な手配」とやらを拝見するといたしましょう。
───
一方、舞踏会会場の豪華な扉の前。
リリアンは胸を大きく躍らせながら、一人で佇むルーカス・フォン・レーヴェンハイト様のもとへと歩み寄っていた。
今日のルーカス様は、黒と銀を基調とした最高級の礼服を纏い、立っているだけで周囲の令嬢たちの視線を独占している。その凛とした佇まいは、まさに物語の王子様そのものだ。
(ああ、素晴らしいわ……! 今夜から、この完璧な男が私のパートナーになるのね!)
リリアンは頬を染め、わざとらしくしな垂れかかるような仕草でルーカス様に声をかけた。
「ルーカス様……! ああ、なんということでしょう……!」
「……リリアン嬢か。何事だ?」
ルーカス様は嫌そうに眉をひそめ、半歩後ろに引いて距離を取った。だがリリアンはその冷たさを「悲報を聞く前の緊張」だと都合よく解釈した。
「実は……大変申し上げにくいのですが、お姉様が着付け室で急なトラブルに見舞われまして……ドレスが恐ろしいほど無残に破れてしまったのですわ!」
「何だと?」
「お姉様は今、みすぼらしい破れドレスを抱えて、着付け室でしくしくと泣いていらっしゃいますの。このような姿では舞踏会に出られませんし、ルーカス様のお隣に立つことなど到底不可能ですわ……」
リリアンは哀れむような目つきを作りながら、ハンカチで目元を拭うフリをした。
「お可哀想なお姉様……。ですが、ルーカス様がパートナー不在で社交界の笑いものになるわけにはいきませんものね? ですから……どうぞご安心くださいませ! このリリアンが、お姉様の代わりにルーカス様のエスコートをお受けいたしますわ!」
リリアンは満面の笑みで、ルーカス様に差し出してもらおうと己の手を差し出した。
『さあルーカス様! 私の手を取って、私を最高のパートナーとして会場へ連れて行ってくださりませ! お姉様ざまあ見やがれですわ!』と、心の声が漏れ出んばかりの表情だ。




