勘違い義妹の『惚れ薬作戦』
前回の『手料理撃沈作戦』から数日。
アルスター伯爵家の屋敷は、表面上は穏やかな静けさを取り戻しているように見えた。
だが、私の目の前で優雅にお茶を嗜んでいる愛しい婚約者——レーヴェンハイト公爵家の次期当主、ルーカス・フォン・レーヴェンハイト様は、サファイアのように美しい瞳を妖しく光らせながら、手元の書類に目を通していた。
「……実に興味深いね、エレノア。君の義妹君の執念には、もはや感心すら覚えるよ」
ルーカス様が提示してきたのは、彼の私設情報網が取りまとめた報告書だった。
そこには、リリアンがここ数日、王都の怪しげな裏路地にある『闇闇堂』なる露店に出入りし、多額の小遣いと引き換えに「ある薬品」を入手したという経緯が克明に記されていた。
「『絶対に自分を愛するようになる、秘伝の魅了薬(惚れ薬)』……ですの?」
「ああ。なんでも、ひとたび口にすれば、目の前にいる人物を世界で最も愛おしい存在だと錯覚し、その者の言いなりになってしまうという代物らしい。もちろん、ただの強い幻覚剤か、あるいは粗悪なアフロディジアック(媚薬)の類だろうがね」
ルーカス様は心底呆れたように溜息をついた。
貴族社会において、他者に薬物を盛る行為は重罪だ。本来ならば即座に憲兵を呼び出し、しかるべき処罰を与えるべき案件である。
「でも、ルーカス様。父や周囲に訴えたところで、リリアンはきっと『そんなつもりじゃなかった』『お姉様が私をハメたのよ!』と泣き喚いて、うやむやにしようとするでしょうね」
私が紅茶のカップを置くと、ルーカス様は満足そうに口元を綻ばせた。
「その通りだ、エレノア。だからこそ、彼女が二度と立ち上がれないほど、その『プライド』と『妄想』を完璧に打ち砕く必要がある。……さて、明日は私を伯爵家に招き、二人きりでお茶会をしようと誘われているのだが」
「ええ、知っていますわ。リリアンったら昨日の夜から『明日こそ私の勝利よ。お姉様、ざまあ見やがれですわ!』と、お風呂場で高らかに高笑いしていましたもの」
「高笑い……廊下に聞こえるほどのかい?」
「ええ、バスタブでバシャバシャと水を跳ね返しながら、実に見事な高笑いでしたわ」
ルーカス様は楽しそうにクスクスと笑い、私の手を引き寄せて、その甲に深々とキスを落とした。
「実に素晴らしい。では明日、その『魅了の薬』とやらを、たっぷり味わわせていただこうじゃないか」
「ふふ、あまり意地悪が過ぎてはダメですよ、ルーカス様?」
「善処しよう。だが、君を侮辱し、私との絆を薬物で引き裂こうとした罪は重い。少々の『お仕置き』は覚悟してもらわねばね」
──
そして翌日。伯爵家のサンルームにて、極めて怪しいお茶会が開催されようとしていた。
庭園の薔薇が見頃を迎えた広々としたサンルーム。日差しが柔らかく降り注ぐテーブルには、リリアンがわざわざ取り寄せたという最高級の紅茶セットが並べられている。
「まあ、ルーカス様! 本日は私のお誘いに応じてくださり、本当にありがとうございますわ!」
今日の vàリリアンは、気合の入り方が違っていた。
胸元が大きく開いた鮮やかな赤のドレスに、派手な宝石の首飾り。香水の匂いは昨日よりもさらにきつくなり、サンルームに咲く薔薇の香りを完全に殺している。
「ああ、リリアン嬢。招待に感謝するよ。……ところで、エレノアは一緒ではないのかい?」
ルーカス様は完璧な「貴公子の微笑み」を貼り付けながら、周囲を見回すフリをした。
もちろん、私はすぐ近くの別室で、魔法の通信鏡を通じてこの様子をバッチリ鑑賞(監視)している。
リリアンは扇子で口元を隠し、くすくすと嫌らしく笑った。
「お姉様でしたら、急なお客様の対応で少々手を放せませんの。ですから本日は……ふふ、ルーカス様と私、ふたりきりでお茶を楽しませていただきますわ」
(※嘘である。私はただ別室で優雅に焼き菓子を食べているだけだ)
「そうか、それは残念だ」
ルーカス様は心底残念そうな顔をしてみせたが、リリアンはその表情を「エレノアがいなくて落ち込んでいる」のではなく、「自分と二人きりになれて緊張している」と脳内変換したらしい。
「さあさあ、ルーカス様! この紅茶は、遠い東方の国から取り寄せた特別な茶葉使っておりますの。私が自らお淹れいたしましたわ。さあ、どうぞ!」
リリアンは、なみなみと注がれた紅茶のカップをルーカス様の前に差し出した。
そのカップの縁には、微かに無色の液体が滴り落ちたような痕跡が残っている。隠す気があるのか疑わしいほどの雑な仕込みだ。
リリアンはテーブルの下でぎゅっと拳を握り締め、心の中で叫んでいたに違いない。
『これでルーカス様は私のもの! 薬が効けば、私にひれ伏して愛を乞うようになるわ! お姉様、せいぜい自分の無力さを知って、ざまあ見やがれですわ!!』と。
その心の声が顔全体に滲み出ているリリアンを前に、ルーカス様は極めて自然な動作でカップを手に取った。
「ほう、それはありがたい。では、いただくことにしよう」
ルーカス様はカップを口元へと運ぶ。
リリアンは目をカッと見開き、息を飲んでその瞬間を見つめている。
——ゴクリ。
ルーカス様の喉が鳴った。
……ように見えたが、もちろん実際には飲んでいない。
長年、軍の演習や陰謀渦巻く社交界で生き抜いてきたルーカス様の体術と手さばきは一級品だ。カップを傾けると同時に、完璧な角度で袖口に忍ばせた吸水性の高い魔法布へ紅茶を滑らせ、あたかも飲み干したかのように見せるなど、彼にとっては朝飯前である。
「……ふう、ごちそうさまでした。実に深い味わいだ」
ルーカス様が空(に見える)カップをソーサーに戻した瞬間、リリアンは歓喜のあまりバッと立ち上がりそうになった。
「い、いかがですか、ルーカス様!? お体に何か……こう、急激な熱さや、私に対する強い愛おしさのようなものは湧いてきませんかしら!?」
あまりにもストレートすぎる問いかけに、隠し部屋で見ていた私は吹き出しそうになった。もう少し隠そうという努力はできないのだろうか。
ルーカス様は、一瞬だけぽかんとした顔をした後——ふっと光を失ったような、うつろな目つきになった。
「あ……ああ……?」
「ル、ルーカス様!?」
ルーカス様は自分の頭を軽く押さえ、フラフラと立ち上がった。サファイアの瞳は焦点が定まっておらず、まるで重度の催眠状態にかかっているかのようだ。
「き、効いたわ……! 本当に効いたんだわ! 闇闇堂の薬は本物だったのね!」
リリアンは胸を躍らせ、頬を赤く染めてルーカス様に駆け寄った。
「ルーカス様! 私をご覧になって! あなたの運命のお相手、あなたの愛する女性が目の前にいますわよ!」
リリアンが両手を広げ、ルーカス様に抱きつこうとした、その時。
ルーカス様はうつろな目のまま、ガシッとリリアンの両肩を掴んだ。
そして、熱熱とした、しかしどこか明後日の方向を向いた視線で、リリアンを凝視したのだ。
「あぁ……! なんということだ……! 目の前に、天使がいる……!」
「キャッ! そうですわ、ルーカス様! 私です、あなたの天使リリアンですわ!」
リリアンが勝利を確信し、うっとりと目を細めた次の瞬間、ルーカス様の口から驚愕の言葉が飛び出した。
「ああ……! 君が……君が、私の愛するエレノアにそっくりに見える……!!」
「……はい?」
リリアンの笑顔がピキリと固まった。




