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「帰ろうか」
アラスターとリュシールのダンスの熱も冷めやらぬ状況で、こんなことを言い出されてオルレアはさすがに戸惑う。
「……よろしいのですか?」
「アラスター殿下から〝帰りたくなったら勝手に帰れ〟と言われている。それに」
「それに?」
主催者のアラスターの許可があるならと頷きつつ、言葉の続きを待った。
「レスター邸に寄ってほしい。手帳を借りているだろう」
「そうでしたね……」
レスター邸に行った時に持参した、領地経営を自分なりに纏めた手帳を貸したことを思い出す。
ウィリアムに手を引かれて壁沿いに歩き出した二人に、注意を払う者はいなかった。アラスターとリュシールも、次のダンスの相手として立候補する若い貴族たちに取り囲まれている。その様子にオルレアは、主催者のアラスターへの挨拶を諦めざるをえなかった。
玄関ホールを抜けて馬車に乗りこめば行きとは違い、オルレアとウィリアムの間には繋がれた手の距離しかない。少しの揺れで互いの肩が触れ合う度にじわりと熱を帯びるのをどうしても意識してしまう。
「……ウィリアム様は、何がお好きですか?」
オルレアは気を紛らわしたくてウィリアムに投げかけたが、範囲が広すぎる質問だとすぐに反省した。
「あの、食べ物とか、趣味とか」
慌てて付け加えれば、わかっている、とで言いたげなウィリアムの微笑が返される。
「食べ物は特に好き嫌いはないと思う、限度を超えた甘い物や辛い物は苦手だが。趣味は乗馬と、アラスター殿下に勧められたジグソーパズルぐらいか」
「ジグソーパズルですか?」
「ああ。オルレアは何が好きなんだ?」
聞き返されて思案する。
「わたしも特に嫌いな食べ物はありません。趣味と言えるほどのものも。しいていうなら読書と刺繍が好きです」
「そうか。子どもは好きなのか?手紙に甥っ子のことを書いていただろう」
「はい。読み書きを教えたり、一緒に遊んだりもします」
たわいのない話しをしていると緩やかに車輪が停まった。馬車を下りると執事が出迎えてくれる。
「お帰りなさいませ」
「こんばんは」
深々と頭を下げる執事に挨拶を返すと、にっこりと微笑み返された。数日前に不躾な手紙を送ってしまったが、気を悪くされていないようでオルレアは安堵する。
案内されたのは、前回と同じ執務室だった。
執事が湯気の立つ茶器を置いて部屋を出ていくと、立ち上がったウィリアムが机の引き出しからリボンのかけられた箱を持って向かいのソファーに座る。
「あなたの甥っ子たちへのお土産なんだ。気に入ってもらえるか、わからないが」
オルレアは驚きに目を見開いた。
「ありがとう……ございます」
鼻の奥が痛くなって涙が滲みそうになると、ウィリアムが少し動揺する。
「どうしたんだ?一体」
「申し訳ありません。ウィリアム様のお心遣いが嬉しくて……」
オルレアはいけないと思いながらもウィリアムとロバートを比較していた。
元夫は〝子どもが喜ぶものなどわからない〟と、一度だって双子の誕生日プレゼントを一緒に選んでくれたことはない。そもそも誕生日自体覚えていなかった。お飾りの妻だからこそ、オルレアには気にかけずとも周りのことを少しくらい意識してほしいと、願う気持ちがあったのかもしれない。
「……これぐらいで喜ばれると、渡しづらいな」
ウィリアムが独りごちながら、上着の内ポケットから小箱を取り出す。こちらはベルベットのリボンがかけてあり、透かしの入った上質の包装紙からも明らかに高価だとわかる物だった。
「オルレアに本当に贈りたかったのはこちらだ。――ペンとインクはさぞ迷惑だっただろう」
オルレアはきょとんとして首を傾げつつも、誤解のないように正直な感想を述べる。
「そんなことはありません。手紙にも書きましたが、あのペンとインクはとても気に入ってます」
「そうか。でも、こちらを受け取ったほしい。博覧会で見つけたんだ」
ウィリアムはオルレアの手を取ると掌に小箱を載せて、リボンを解く。丁寧に包装紙が外されると白いジュエリーケースで、顔を上げたオルレアを促すようにウィリアムが頷いた。
震える指先で開けると中には、加工のされていないブラックオパールと琥珀が並んでいた。
「これは……」
以前手に取らなかった髪飾りの物に比べてより地色が黒い――ウィリアムの瞳に近い――ブラックオパールと、蜂蜜の滴のような琥珀はオルレアの瞳の色によく似ている。
「あなたはあまり辺境伯の髪や瞳の色を意識したアクセサリーを身に着けていなかったのでは?――といっても俺自身そのことに気づけたのは、オルレアにこのブラックオパールを贈りたいと思った時だった」
(本当にウィリアム様はずっとわたしを見ていてくれた……)
泣きたいぐらい嬉しくて、目尻に浮かんだ涙を指で拭った。
「全く身に着けないでいると怪しまれるので、ここぞという時は着けました」
「そうか」
「噂好きの夫人が出席する会の情報を事前に入手していたので」
フッとウィリアムが笑ったので、釣られてオルレアも笑う。ひとしきり笑い合うとウィリアムが立ち上がる。
「そうだ、手帳を忘れるところだった」
執務机の上に置いてある見慣れた手帳を手に戻ってきたと思ったら隣に腰掛けられたので、オルレアは少しだけバランスを崩す。傾いだ体はウィリアムの胸の中にしっかりと閉じこめられる。
振り向くと鼻先が触れそうな近い距離に彼の顔があった。恥ずかしさとこの先を予感して瞼を伏せる。
「オルレア」
今まで生きてきた中で一番甘く自分の名前を呼ばれた気がした。
掠める風のように優しく唇が触れ合って離れていった。
「オルレア」
もう一度呼ばれて腕に力が込められれば体を包みこむ熱を一層感じられて、オルレアはしあわせに浸りながらウィリアムを抱きしめ返した。
エピローグもありますので、よろしくお願いいたします




