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社交界の誰もが、ゼッタリング辺境伯夫妻の離婚は子に恵まれなかったからだ、と理由づけている。それは事実ではないが、オルレアとロバートが互いを嫌いになった訳でもない。そもそも好き嫌い以前の、ふとしたきっかけで壊れてしまう薄氷のような関係だった。
「あなたと関わるうちに違和感を覚えて、ようやく仮面夫婦だった信憑性に気づいた。でもつい先程までは確信が持てなかった」
オルレアは、やはり侯爵夫人との会話を聞かれたのだと納得する。ウィリアムは、気まずげに少し視線を落とした。
「すまない。盗み聞きをするつもりはなかった」
「いいのです。聞かれていなければウィリアム様はずっと……わたしが辺境伯をまだ愛していると疑っていたのでしょう?」
「いや、そこまでは……どうだろう。だが、貴族名鑑を……」
案の定、返礼品リストを作った時に、ゼッタリング辺境伯家の貴族名鑑だと示す家紋を見られていたのだ。自分の認識の甘さと迂闊さに歯噛みしたくなる。
「……何を言っても言い訳ですが、ゼッタリング家から出ていく時の荷物に紛れていたのです。役に立てばと持参したので……罰が当たったのですね」
「どうか自分を責めないでくれ。意地の悪い言い方をしてしまった」
宥めるようにまた手の甲をさすられれば、ウィリアムを見おろしている状態に改めて恥ずかしさが募る。
「あの、そろそろ立って頂けませんか。落ち着かないです……」
促せば立ち上がってくれたものの、首を傾げられた。
「女性はかしづかれるのが好きなのでは?」
ウィリアムのこの不器用さは女性に対する免疫のなさなのだろうか。少し違うような、と感じながらも首を振る。
「どうでしょうか……、わたしはそこまで……」
「そうか。俺はどこかで、相手が喜んでくれるならなんでもしたいと思ってしまうところがある」
苦笑するウィリアムに、オルレアは驚きながらも思い当たる節があった。彼は決して踏みこんでこない。気遣いはしてくれるが、隔たりのようなものを感じていた。拒絶はされていないが、本心がわからなかったのはそれが理由だ。
「母が再婚して、血の繋がらない俺に継父と義兄は家族かそれ以上の態度で接してくれて、感謝と同時に幻滅されたくなくて自我を抑えるようになっていた。そんなことをしなくても二人の心が変わらないことを、幼かった俺は気づかなかった」
ウィリアムも劣等感を持っていたのだとオルレアは強く意識する。
「……だから、わたしと婚約を?」
確かに婚約したことでオルレアは社交場に出る必要がなくなり、好奇や噂に晒されることのない安定した日々を送ることができた。一方でウィリアムの真意がわからずに悩みを抱えることになったが。
ウィリアムは決まりが悪そうに口に手をやりながら言う。
「さっきも言ったが、まだ元夫を愛しているのに夜会で男たちに引き合わされるあなたを何とかできたら、と」
オルレアは納得する。二年も観察していれば、それなりの情が湧いたのだ。思いやり深いウィリアムならではだった。
「でもそれは言い訳だった。あなたのためだと理屈をかざしていた。俺は今――あなたと辺境伯が白い結婚だったと知って、どうしようもないほど喜びを感じている」
ウィリアムが自嘲するかのような笑みを浮かべる。
「軽蔑してくれて構わない」
きっぱり言い切られるも首を振った。オルレアもウィリアムと同じ気持ちだったから。
ロバートから〝愛する人がいる〟と聞かされても、義務だと迫られればオルレアは初夜を拒めなかったはずだ。そうすれば、今の自分はまったく違う女になっていたか、精神を病んでいたかもしれない。
ロバートはヴィクトリアを想って指一本触れなかったが、それは結果的にオルレアの為にもなったのだ。
「軽蔑なんてしません。わたしのほうこそ軽蔑されるべきです」
「あなたなりに考えた結果だろう?完璧な辺境伯夫人を演じることで自我を保っていた」
ウィリアムの言葉が胸に落ちると波紋のように広がってゆっくりと消えていく。ただ消えるだけではなくて、そこから静かに熱を帯びて全身が温かくなる。
(ウィリアム様は優しい……わたしの欲しい言葉をくれる)
嬉しくて涙が溢れてしまいそうだ。そしてもっと彼の心が聞きたかった。
「どうして突然、正式に婚約を決めたのですか?」
一番知りたかったことを問う。
「勝手に決めたうえに帝国へ行ったのは本当に悪かった、反省している。だが、婚約前提という効力がない状態に加え、俺の手紙があなたに届いていないようでなんとか関係を進めたかった」
オルレアの手がウィリアムの両手で包まれる。強くはないが振りほどけない絶妙な力加減だ。
「あなたを誰にも渡したくなかった」
オルレアの鼓動が信じられないくらい跳ねた。自分の体の一部とは思えないほど早く動いて、息苦しさに倒れてしまいそうになる。
感じる目眩は暗闇に引きこまれるのではなく、光に溶けこむような陶酔だった。
「……わたしも」
嬉しくてしあわせで、恥ずかしくて怖かったが勇気を振りしぼる。
「お慕いしています」
ウィリアムの眼差しを強く感じて、耐えられず俯く。
耳の下で脈がドクドク打っていて、顔が熱くて仕方がない。
「オルレア」
名前を呼ばれても、指先も動かせなかった。もう一度呼ばれておそるおそる顔を上げればウィリアムは曇りのない穏やかな微笑みを浮かべている。
彼の手がゆっくりと、オルレアの髪に触れる瞬間。
わぁっ、とガラス越しに歓声が響く。
ウィリアムが腕を下ろして会場へ向き直る。オルレアも釣られてガラスの向こうへ目を凝らすと、広間の中央でアラスターとリュシールがダンスをしているのが見えた。
「そろそろ戻ろう」
「そうですね」
なんとなく気まずい中、ガラス戸を開けると場内の熱気に包まれた。
客たちは皆、アラスターとリュシールに釘づけでオルレアたちを気にも留めない。
ウィリアムが配膳人から受け取ったグラスを渡してくれた。
「ありがとうございます」
礼を述べれば笑顔が返される。その表情が眩しくて目線を落とせば、繋いだままの手が視界に入って気恥ずかしさが増す。
ウィリアムはそんなオルレアの心を知ってか知らずか、中央で踊る二人を見つめていた。
オルレアもグラスの炭酸水を一口飲んで、アラスターとリュシールを見る。二人とも微笑みを交わし息の合った流麗な動きだ。なのに、なぜか周りの人たちのように、胸を駆り立てられない。
どうしてなのかはわからない。完璧なのに、素晴らしいのに――。
「一流のダンス教師と優秀な生徒、かな」
オルレアが言語化できなかった違和感をウィリアムが言葉にしたので横顔を見つめると、彼はこちらを向いて人差し指を口の前に立てて悪戯っぽい仕草をみせた。
「王弟殿下で上司でもある人物をダンス教師と評するのは不敬だった」
「……いえ、わたしも似た感想を持ちました」
ウィリアムがゆっくり頷いた。
「先入観がないから、かな」
「先入観、ですか?」
オルレアは小首を傾げる。
「ここにいる人たちは基本的にアラスター殿下と近かったり好意的な貴族が多い。そんな彼らが、アラスター殿下と帝国の外務大臣という重臣のご息女が仲良くダンスをするのを見れば――」
そこまで言われて納得した。
現王は妃をこよなく愛している。この先、子に恵まれなくても妃と離婚することはないだろう。かといってメルセイドラの法で側妃は認められない。そうなれば傍系から養子を迎えるのが慣例で一番の候補は弟の子だが、アラスターは未婚で恋人の噂さえなかった。
世継ぎ問題を抜きにしても適齢期のアラスターが結婚を意識していないことを、他の王族や重臣たちは歯痒く思っているに違いない。
そんな状態の中で突然訪問してきたリュシールは、申し分のない身分で帝国との架け橋にもなる。様々な期待や利害の元に貴族たちが、ダンスを踊る二人に希望を持つのは当然だった。
「オルレアと辺境伯に似ている」
そう聞かされてももう驚きはない。
社交界では、オルレアとロバートは理想の夫婦という色眼鏡で見られ続けたからこそ、仮面夫婦だと露呈しなかった。
辺境伯夫婦に憧れて奉公にきたメイドを思い出す。おそらくあのメイドもオルレアとロバートの仲を、自分が見たい姿として見ていたに違いない。
先入観を持たなかったアラスターとウィリアムだけが、辺境伯夫妻の真実を見極めたのだ。
再び歓声が湧いて思考を中断すれば、ダンスを終えたアラスターが膝を着いてリュシールの手の甲にキスをする。
「……やりすぎでは」
ウィリアムの小さな呟きがオルレアにも聞こえてしまった。
明日で最終更新になります
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