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「おそーい」
オルレアがサンルームに到着すると、ハイウェルがぷうと頬を膨らます。
「そんなこと言わないの」
ミルドレッドが膨らんだ頬を人差し指で押すと、ハイウェルが座ったまま足をジタバタさせる。レイファーも真似をしてはしゃいだ。
「ごめんね」
オルレアが椅子に着くと、二人は待ってましたとばかりにビスケットに齧りつく。
視線をゆっくりと庭に向ければ、幼い頃からある月桂樹の葉が風に揺れて根元には色とりどりの花が咲いている。
ミルドレッドは両親亡き後も、屋敷の間取りなどをあまり変えることはなかった。唯一大幅に改築したのがこのサンルームで、大きなガラス張りにしたことで庭が一望出来るようになった。
先程の手紙を思い出しながら、ゆっくりと口元へ運んだティーカップに唇を付けるとミルドレッドが話しかけてくる。
「ウィリアム様への返事が書けたら家令に渡してね。帝国に送るように言いつけてあるわ」
「ありがとうございます」
「わたくしの指示ではないわ。旦那様の命令よ」
ふふ、とミルドレッドが微笑んだ。
(やっぱりお兄様はもうウィリアム様との手紙のやり取りを邪魔するつもりはなさそうね)
むしろ立場的にはこちらが弱いのでは、と思う。
帝国から帰国すればウィリアムの評価はうなぎのぼりだろう。
先日の茶会でミルドレッドが睨まれたぐらいだ。元々アラスターの部下でもあるし、ジェイコブからウィリアムを見限ることはなさそうだ。
そう考えると自然と思考は、〝ウィリアム様は本当にわたしでいいのか〟という答えのない疑問に行き着いてしまう。
オルレアはそれを心の奥底に追いやった。
(今はウィリアム様を待つ。それだけ――)
※
部屋に戻り、机に向かったオルレアは小さく息をついてからペンを動かした。
【ウィリアム様へ
無事に帝国に到着されて安心しております。
ウィリアム様のほうこそ長旅で、体調など崩されてはいませんか?
わたくしは毎日変わらず過ごしております。
博覧会までは日がありますが、準備はお忙しいですか?
色んな国からたくさんの人が集まって大変なのでしょうね、想像ができないです。】
そこまで書いて手を止めて、何を書けばいいか考える。
(……婚約を急いだ理由は、お目にかかって直接お聞きしたい)
そうなると書くことは浮かばなかった。
辺境伯夫人でいた頃は挨拶状や礼状やらを送る相手に合わせてすべて手書きをしていたが、それらとは訳が違う。
オルレアは引き出しから封筒を取り出して、ウィリアムの手紙を読み返す。
首を傾げて、兄が隠していたウィリアムからの手紙のすべてに目を通した。
(……ウィリアム様は手紙だと敬語ではなくなるのね)
不思議な気持ちになる。
遠く離れているのに彼の顔と声が浮かんで、言葉のよそよそしさがない分、距離が近く感じられた。
オルレアは新たな発見に少しの時間浸るが、現実に戻ると再び文字を綴り始める。
【百合の花ですが花粉が服に付くと、取れずに染みになったりしますのでお気をつけください】
書き終えて、なんだか子に注意を促す母親みたいだと苦笑する。
(ウィリアム様のお手紙を業務連絡のようだと感じてしまったけど、わたしも大差ないわね)
結びの言葉を書き終えて顔を上げると、陽が落ちていることに気づく。
ずいぶん時間がかかってしまった。筆記用具を片付けていると、メイドが夕食の支度が出来たことを告げに来た。
返事をして、書き終えた手紙に封をする。
オルレアは食堂へ向かう前に家令の部屋に寄り、帝国への手紙を託した。
※
ウィリアムからの二通目の手紙は、オルレアが返事を出した十一日後に届いた。
メルセイドラから帝国への郵便は概ね五日かかるから、すぐに返事を書いて送ってくれたのだと理解したオルレアは驚きつつも気恥ずかしく思った。
浮き立つ胸を抑えつつ、便箋を開く。
【オルレア嬢へ。
元気だろうか?
後、数日で博覧会が開催される。
私は準備のための手伝いをしており、展示などの力仕事はもちろん、細かな打ち合わせでどうしても疎通が難しい時は通訳に入り調整などを行ったりもする。
毎日が忙しいが帝国は日程や管理が厳しく、規則正しい生活を送れている。
あなたの手紙を読んでから百合の花を観察して、大きな雄しべになるほどと納得した。
今は遠くから見るだけにしている。
それと、私は良い気分転換だから手紙を書いて送るが、あなたは無理して返事を書かなくても構わない。
どうか気にしないでほしい。】
素っ気ない内容だが、オルレアは微笑んでしまう。
ウィリアムは今のところは落ち着いた充実した日々を送っているようだ。
(今回は時間があって気分転換になるからすぐにお返事をくださったけれど、博覧会が始まれば忙しくなるでしょうね)
手紙の届く間隔は空くだろう。そう考えると少し寂しく感じるが、仕事であり、期間が残り二ヶ月余りと自分に言い聞かせれば心は和らいだ。
オルレアの返事は前回よりも時間がかからず書けた。
ただ業務連絡っぽさは抜けなかったが、それはお互い様なのでなるべく気にしないようにする。
そして十一日後に返事が届く。
手渡してくれたミルドレッドはにこやかに微笑んでいた。話をきいているであろうジェイコブも、帝国への郵便料金がそれなりに掛かるはずなのに機嫌が良い。もう夜会に連れ出されることもなく、オルレアの負担も減り穏やかな日々を過ごせていた。
博覧会が開催されてもウィリアムの手紙は滞るどころか、むしろ増して約五日に一通送られてきた。
【某国の城の壁は食べられる木の皮で出来ていて、籠城戦のための備えだという】
【某国は毒魚の内臓を十二日間の毒抜きをして干した後、焼いて食すそうだ】
【某国は四つの死後の世界があり、死人は三百九十六日かけてその世界を回り神の御許に辿り着くらしい】
等々。内容はやはり婚約者への手紙とは言い難く、博覧会の感想や報告と化していた。だがオルレアにとっては、本では得られない異国の文化や風習を知ることができて興味深かった。
双子も博覧会やウィリアムの手紙が気になるようで、書かれていた外国の文化をいくつか話すと目を輝かせて驚いたり興奮した。
その様子を返事に書くと、また新しい情報の手紙が届く。
しかしオルレアの毎日は基本的に単調だ。ウィリアムのように他国に触れて発見があるような日々を送っておらず、返事に書けるような出来事はまず起こらない。
そんなオルレアへの配慮か手紙の締めくくりはいつも【私の気分転換に付き合わせてすまない】と綴られていて、暗に無理に返事をしなくていいとの心遣いがあってその言葉に甘えた。
一ヶ月経ち、博覧会は大きな事故や混乱もなく終わったことと
【これから半月は展示物の撤収と、もう半月は帰国にかかる期間だ。後一ヶ月どうか待っていてほしい】
ウィリアムから初めて〝待っていてほしい〟と書かれていて、オルレアの胸はどうしようもなく高鳴る。
(やっと……ウィリアム様がご帰国なさるんだわ)
嬉しくもあり同時に不安がこみ上げた。
オルレアと正式に婚約した理由。
そして辺境伯とは白い結婚であったこと。
話し合わなければならないことが山のようにある。
(……それにお兄様が〝〟レスター卿は毎日帝国や異国の令嬢に囲まれているんじゃないか〟って言っていた)
その言葉が終わらないうちにミルドレッドが「こんなに頻繁に手紙を送ってくださっているのに。旦那様はレスター卿をお疑いなのですか」と冷静に切り返してくれて、ジェイコブは「冗談だ」と言ったきり口を噤んだ。
オルレア自身も、ウィリアムが他の令嬢に心を移すような不誠実な人間とは思っていない。
ミルドレッドの言うとおり手紙の頻度も業務連絡めいた内容さえ、オルレアに対しての温かさを感じた。
(……けれどわたしはロバートともまともに向き合わなかった)
選ばれなくて。なのにそれ以上嫌われたくなくて外面的な妻を演じて役目に徹した。
そんな自分がウィリアムと良好な関係を築けるのだろうか。
それ以前にすべてを打ち明ける勇気があるかと考える。
(妻にする価値のない女だと軽蔑されたら……)
足りない部分があることはオルレアも自覚しているが、〝なに〟が足りないのかがわからなくて、どうしていいか見当もつかない。
高鳴った胸は嘘のように重く痛んだ。




